「こころ」のための専門メディア 金子書房
ネガティブな口癖の影響とその改善(木部則雄:こども・思春期メンタルクリニック・白百合女子大学発達心理学科)#立ち直る力
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ネガティブな口癖の影響とその改善(木部則雄:こども・思春期メンタルクリニック・白百合女子大学発達心理学科)#立ち直る力

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否定的な言葉が口癖になっている子がいます。立ち直ろうとする心に、自己否定の毛布をかぶせてしまうようなこの習慣を改善するため、周囲の大人たちはどんなことができるでしょうか。多くの子どもの心の問題に向き合ってきた木部則雄先生にお書きいただきました。

 クリニックや相談室には、「どうせ私なんか」「死にたい」など、否定的な言葉が口癖になっている子どもたちが相談にくることがあります。保護者のなかには、蒼ざめた表情で「死にたい」と言っているので、「どうしたらいいのか」と狼狽している人もいます。

 まず、こうした発言に含まれる真意はどのようなものか、考えてみましょう。自己評価とか、自尊心とか、いくつかの心理学用語はよく知られていますが、これらは自己愛という概念に括れると思っています。精神分析の創案者であるフロイトの発達論というと、口唇期、肛門期、男根期といった幼児性欲に関する発達論が有名ですが、フロイトは第一次世界大戦後、大きな理論的飛躍を行いました。

 いささか面倒な解説になりますが、フロイトは生直後には自体愛という感覚優位な世界を想定しました。自閉症スペクトラムのお子さんの感覚あそびなどはこの最たる例です。次には自己愛、対象愛という段階を考えました。フロイトの提示した自己愛は対象が不在であり、新生児が母親の存在に気づかずに、母乳は勝手にどこからかやってくるかのように感じます。次の対象愛の段階になると、母親という存在に気づき、現実の対象に愛情が向けられます。このフロイトの学説はあくまでも便宜的なものであり、学問的には疑義があります。例えば、生直後の新生児は母親を意識して、活発にコミュニケーションを始めているという専門家も多くいますし、実証もされています。しかし、ここでは自体愛→自己愛→対象愛という図式から説明させて頂きます。乳幼児にとって、母親とのコミュニケーションは一生を左右する大問題です。つまり、自己愛から対象愛に移行し、自己愛は漸次、矮小化していきます。自分以上に対象を大切に思う、思いやりを感じるようになります。殆どの子どもが母親を至上の価値ある存在と感じます。そして、自己愛はほどほどに矮小化されることで、現実との折り合いを獲得していきます。現実との出会いは傷つきの連続ですが、これに耐えるように子どもは成長していきます。この自己愛から対象愛に向かう際に、何が矮小化されるのかといえば、それは欲求不満などの攻撃性です。これが健全な母子交流の中で緩和されるべきものです。

 こうした対象愛への展開が順調にいかない場合があります。代表的なものとして、自閉症スペクトラム症のお子さんは外的現実との交流ができないために自己愛状態に留まり、対象愛を展開できません。こうしたお子さんは言語の表現が乏しく、突然自傷行為として頭を叩くなどの問題行動が知られています。これは「僕なんて馬鹿だ、死んでしまった方がいい」という表現のようでもあります。また、乳幼児が必死に対象を求めても、対象である母親がこれを拒否する場合、つまりネグレクトなどの虐待でも同じことが起きます。対象愛は育まれることなく、自己愛状態に留まります。児童養護施設に入所しているお子さんのなかには、「どうせ僕なんか」といった発言は日常茶飯事です。自己愛的な人といえば、偉そうなプライドの高さを想像しますが、それだけでなく他者への強い攻撃性もあります。自分のプライドが僅かでも傷つくと、猛然と反撃に出ます。また、その攻撃性は時に自らに向かい、徹底的に自分を攻撃することになります。大人で言えば、自己愛の傷つきによる鬱病などはその典型例です。今までプライドが高く、挫折知らずといった人が鬱病に陥ると、痛烈な自己否定、時には希死念慮などといった深刻な精神状態を呈します。

 ここまで自己愛の概念と極端な例を提示しましたが、子どもたちの「どうせ僕なんて」という発言もこれと同じように考えることができます。ここで症例を挙げてみます。ある9歳の男児がネガティブな発言ばかりでという主訴で相談に来ました。一見明るそうで、屈託のなさそうな子どもで、コミュニケーションにも問題なさそうでした。家族は一流企業に勤める父親と公務員の母親、1歳半年下の弟、4歳年下の妹がいました。母親の実家は近く、祖父母が育児の手伝いをしてくれていました。この子は1歳時より保育園に通園していました。保育園では落ち着きがなく、喧嘩も多かったようですが、知的な発達は良好であり、大きな問題はありませんでした。家庭では聞き分けの良い子として、弟の面倒を看ることもできて、両親も感心することも多かったということです。弟はどちらかと言えば、やんちゃで手のかかる子どもでした。母親は育休をこの子が3歳まで取得していました。その後、さらに妹が誕生しました。両親にとって、女の子は待望であり、愛情はどうしても末っ子の女の子に向きがちだったようです。この子は小学校に入学後、やはり落ち着きがなく、集中力が乏しく、担任教師から指摘を受けるようになりました。しかし、学業成績は問題なく、当初、友だち関係も不器用ながら問題がなかったようでした。小学校3年生の春に、運動会があり、そこである男の子から走ることが遅いことを揶揄されてから、「どうせ僕なんか、死んだほうがましだ」の類の発言が増え、改善しないことから相談に訪れました。当初、両親はある男の子からの発言を重視していましたが、この子はそれ以上に、弟が小学校に入学してきたことが大きなストレスのようでした。つまり、この子は自分が乳幼児期に弟が生まれて、家庭に入ってきたことを想起しているかのようでした。当然のことながら、両親の関心や世話は生まれてきたばかりの弟に向けられ、この子は放置されたことになります。これと同じことが起きたとこの子は感じていたようでした。弟や妹について尋ねると、「弟は自分勝手で、いつも僕の邪魔をするんだ。妹はお父さんお母さんからいつも可愛がられているから、僕なんかどうでもいいとずっと思っていたんだ」と滔々と語り出しました。両親はこれを聞いて、驚いて狼狽しました。今まで自宅では弟、妹の世話をするいい子のお兄ちゃんが、こんなことを思っていたことを初めて知ったからです。私は今まで我慢していたこと、「どうせ僕なんて…」という発言は自分の方を振り向いてほしいというメッセージなのでしょうと伝えました。両親はこれに合点がいったようで、今後、「お兄ちゃんだから、…」という発言は辞めなければと反省しました。その後、この子が得意なレゴ教室、理科教室などに通い、自信を取り戻し、こうした発言はなくなり、溌溂とした年齢相当な子どもになりました。

 この症例は、私的に言えば「悪意なきネグレクト」です。この子は母子関係を形成すべき時期には、弟の妊娠、誕生といったエピソードで、対象としての母親は脆弱でした。その為に、この子の自己愛から対象愛の展開に支障があったのでしょう。この子は良い子として振る舞い、攻撃性を含む自己愛は緩和されることなく、成長したのでしょう。これは弟が自分の領域に入り込むことで、無意識的には弟の誕生と同じ気持ちが蘇ってきたようでした。自己愛は自分自身を責め、「どうせ僕なんか…」という発言に至ったと考えることができます。

 ネガティブな発言を繰り返す子どもに対しては、まず親子関係を見直してみてください。自分のことをもっと看てほしい、大切にしてほしいという場合が殆どかも知れません。親子のコミュニケーションを増やすことが必須です。ただし、これは程度の問題であり、これが数か月以上、頻回に語られるのであれば、医療機関とか、相談機関に伺った方が良いかもしれません。これには発達障害や、両親も気づかない環境問題などがあるからです。これは先々思春期になって、不登校、ひきこもりなどの問題となって、取り返しの付かないことになることもあるからです。

執筆者プロフィール

木部則雄(きべ・のりお)
京都府立医科大学卒、聖路加国際病院小児科で研修を始め、その後精神科医として三枚橋病院などで勤務。タヴィストック・クリニックで子ども・家族の精神分析の研修を受け帰国。現在、こども・思春期メンタルクリニック、白百合女子大学発達心理学科に勤務。
著書、翻訳書は多数あり、「こどもの精神分析」、「こどもの精神分析II」(岩崎学術出版社)が代表作。

▼ 著書


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