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不安やこだわりが強い子へのかかわり(岡嶋美代:道玄坂ふじたクリニック 心理療法士)#不安との向き合い方

「汚れが気になって、文房具に触れない」「不安が湧いてきて、繰り返し手を洗ってしまう」――子どもたちの中には、親が戸惑うほどの強い不安感を繰り返し訴えたり、少し奇妙なこだわり行動を呈する子がいます。”強迫症状”と呼ばれるこれらの様子がみられるとき、周囲の大人はどんなふうに向き合えばよいのでしょうか。強迫症の臨床経験が豊富な岡嶋美代先生に、症例をもとに解説していただきました。

*事例は、複数のケースを組み合わせて構成したものです。本人および保護者の承諾を得て掲載しています(お名前は人気のアニメにちなんだ仮名です)。

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オオカミの着ぐるみという切り札~母親に反発するシノブちゃんのケース~

 「シノブちゃーん、どうぞ~」と呼ぶと、待合室で親子がもめている。
 カウンセリング室へ無理やり連れていこうとする母親と駄々をこねるシノブちゃん(小6)の姿があった。
 しぶしぶ入室したあとも、椅子に腰を下ろさず立ったまま話を聴くという。なかなか意志の強そうなハキハキとした女の子だ。狭いカウンセリング室に両親と一緒についてきた弟は、のんきにお絵描きしながら待っていた。3つしか椅子が置けない部屋で、主役なのに立っていてくれるのは助かる。
 困りごとを問うと、「消しゴムのカスや鉛筆がキタナイと思うから学校には行きたくない!」という。学校から帰ってきた弟に対して、玄関で服を脱がせ、お風呂に直行させる。弟も素直に言うことをきくのはあとどれくらいだろうかと思うと、両親は気が気ではない。以前は力ずくでしつけていた母親だったが、シノブちゃんも小学校6年生になり、何を言っても逆ギレするようになってしまった。キレるときは決まって、強迫観念を持ち出すようになった。「だって、汚いものを触りたくない」と。

 強迫観念には、弱者と強者のポジションをひっくり返してくれる魔法のパワーがある。幼いころには社会のルールを親が教え、それとともに親好みのマイルール(たとえ少々理不尽であっても)を押し付けることが許されたはずが、思春期に差し掛かると、急に親に反発するようになる。発達段階からすれば当然のこととして、子どもが自分で善悪を判断したり、好みを主張したりするのであるが、幼いころに厳しいルールを持ち出されていた子どもは親への仕返しのように、そのルールを帳消しにするような自分のルールを持ち出してくる。それが、「消しゴムや鉛筆がキタナイ」である。

 汚いはずはない、誰でも触っているのだから、小学生は勉強しなくちゃ、などと、ここで常識を唱えても聞く耳を持たずに、実力行使でも親が負けるようになる。どの子も強迫観念を主張し始めると、まるでオオカミの着ぐるみに包まれたように人が変わった状態になり、ひるんだ親たちは下僕のように言いなりになっていく。シノブちゃんも例外ではなく、オオカミの着ぐるみをまとうことによって、自分より大きな存在だった親を呑みこめるようになっていた。

オオカミ

◆クリニックでのやりとり
セラピスト(以下、Th):お母さん、シノブちゃんは今、オオカミに食べられた赤ずきんちゃんのようになって、オオカミのお腹の中で震えています。消しゴムのカスや鉛筆の汚れが嫌だと言っても否定されるので、強いオオカミのマスクをつけて「本当に嫌なんだぞ!」とお母さんを脅しています
母親(以下、Mo):え? 否定しているつもりはないですが……
Th:汚くないよ、大丈夫と言っていますよね?
Mo:でも、それは正しいことを教えているのに……ダメなんですか?
Th:しばらくの間、シノブちゃんの気持ちを想像して言葉にするという練習をしませんか
Mo:はあ……。そんなことが効果があるんですか?
Th:シノブちゃんの得意なことをたくさん引き出すように、たくさん褒めてください。洗えと親に言ったり、弟に触るなと指図したりすることを頭ごなしに叱らないでください。叱れば叱るほど、よけいに弟に意地悪したくなるかもしれません
Mo:確かに! 最近、弟いじめがひどいんです
Th:そして、シノブちゃんが思っていそうなことをお母さんの口から言ってあげてください
Mo:というと……?
Th:例えば、「なぜいじめるの?」などと聞きたかったら、「思いどおりにいかないことが増えるとイライラして弟でもいじめたくなるよね」とか、「鉛筆の粉がつくと思うと、家じゅうが汚れてしまうような気がするんだね」とかです
Mo:そんなことを言ったら、よけい悪化するような気がするけど、大丈夫なんですか?
Th:ぜひ、やってみてください。大事なことはシノブちゃんを否定しないことです

 それから毎週、シノブちゃんと母親は診察に訪れ、カウンセリングを受けて帰るようになった。ここは健康保険でカウンセリングを行っているので、15~20分の短い時間しかないが、シノブちゃんのようなカウンセリングが嫌いな子にはちょうどよかった。イヤイヤながらも短いカウンセリングを受けてくれるようになり、母親に引っ張りこまれなくても、ドアを開けてもらって入室するようになり、そのうち一人でドアノブに触って入れるようになり、さらにはニコニコしながら会いにきてくれるようになった。

 シノブちゃんとのカウンセリングでは、消しカス触りましょうとか、鉛筆触りましょうなどという行動療法は一切提案していなかった。シノブちゃんの得意なモノづくりの話を聴いた。そして、母親にはシノブちゃんによけいなことを言わないようにということだけは守ってもらった。時折、母親は「こんなことでいいんでしょうか」と言って、甘やかしすぎじゃないかと心配していた。

 初診から数カ月たったころ、シノブちゃんはカウンセリング室の椅子にいきなりストンと座ってみせた。「どうしたの?」と驚くと、「面倒くさいのでやめることにしたの」という。「学校に行かないのも退屈だし、友だちと遊びたいから、ちょっと嫌だけど消しカスを触ることにしたの。勉強したいから、鉛筆も触ることにしたの」と。あまりにも鮮やかな展開だった。オオカミの着ぐるみをまとって親と対立する必要がなくなったのだろうか。

女の子

「コロナが付いているかも⁉」~触ることに不安があるネズコちゃんのケース~

 「あのね、こうやって、1……2……3……4……って、30まで手を洗うの」
 そう言いながら、丁寧な手洗いの模範演技を見せてくれたのは、ネズコちゃん(小1)だった。

 お気に入りの水玉のワンピースを着てやってきたネズコちゃんは、自分でも手洗いが長くて辛いと訴えた。両親がネズコちゃんの異変に気づいたのは、コロナ禍で大好きだった学童保育が自粛になったころだった。行けないことを説得するために、コロナの怖さを母親は丁寧に伝えた。しばらくすると、帰宅時には洋服に“菌”が付いていると言って着替えたり、1週間で消毒のスプレーが1本なくなってしまったり、一日に数回も“菌がついてるから触れない”と言って泣くようになってしまった。ちゃんと自分の手が洗えたかどうかの確認を母親にしたり、2つ下の妹にも手洗いを強要したり、1カ月前から症状がどんどん増えていっていた。

手を洗う

 ◆クリニックでのやりとり
Th:へえ、すごいねえ。30まで数えるんだ。誰に教えてもらったの?
ネズコちゃん(以下、Cl):お母さん!
Th:そっかぁ。今日から28で止めることできるかな?
Cl:え? 30までしなくていいの?
Th:そうだねえ、ちょっと足りないかな、ってくらいで止める練習をするんだよ

 ネズコちゃんはママを見て「いいの?」と聞いているようだった。私は、自分が握っていたノートPC用の小さなマウスを差し出した。

Th:これにコロナが付いているかもと言ったら、どうする?
Cl:え? 嫌だ……触りたくない
Th:そうだねえ。今日からもうひとつ練習します。先生が“コロナが付いているかも”と言ったら、ネズコちゃんに”あ、そう!”と言ってもらいます。できるかな?

 首をかしげるネズコちゃん。

Th:では、このマウスに”コロナが付いているかも”
Cl:(小さい声で)あ、そう
Th:そうそう! それでいいの。もう1回、”コロナが付いているかも”
Cl:あ、そう
Th:あ、声が大きくなった。言えたね

 もう1回、もう1回と言って、続けた。テンポよく、”あ、そう”と言えるようになったところで、

Th:次は、“あ、そう!”と言った瞬間に、こうやって触ります

 と言ってマウスを握って見せた。

Th:だって、“あ、そう!”だもんね。やってみよう! ”コロナが付いているかも”
Cl:あ、そう!(触る)
Th:すごい、すごい。できたね。じゃ、もう1回

 と、10回くらい繰り返してから、

Th:おうちに帰ってから、コロナが付いているかもと思ったときに、“あ、そう”と言って触ることを練習してね! あ、手洗いをちょっと足りないくらいにすることもね!

 そう言って、ネズコちゃんとの初回面接が終わった。

 ネズコちゃんも毎週、両親と一緒に診察に訪れた。驚いたことに、2回目に来たときには、「あ、そう!」がとても上手に言えるようになって、家の中の触れなかったものを少し触れるようになったと報告してくれた。そして、手洗いが19まで減らせたことも家族から褒められるようになっていた。父親は「どんどん触らせていったほうがいいでしょうか」と、前のめりになっていたので、ネズコちゃんのペースに任せてあげるようにと助言した。6回目の受診をするころには、手洗いが減った話より、偏食が給食で治った話をするなど、すっかり元気な6歳の女の子になっていた。

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 コロナのように皆が恐れ、手洗いや消毒をすることが常識の時代に、極端なエクスポージャー(さらすこと:不安や不快感を引き起こす”刺激”に近づいてもらったり、触れて慣らしていくようにする行動療法の手続きのこと)は倫理的にも行いにくい。しかし、明らかに過剰な不安から来ている行動は減らしていくべきだろうと考え、帰宅時以外にも行っていた手洗いは簡素化することや、頭の中に湧いてくる“コロナが付いたかも不安”に対しては無視をするという行動を遊びのように教示した。

 例えば、コロナが付いていると思って避けることが、そこに危険があることを事実化してしまうのだという論理は、目の前で実験して見せるだけで子どもも容易に納得する。避けなければ、危険は(ほぼ)ないとみなすことになる。これを繰り返すことで、この程度で大丈夫だという勘を育て、自分の判断に対する自信を積み重ねることができるのである。

 この逆が、白黒思考と呼ばれる二分主義である。あいまいさが許せず、完璧に仕上がっていないことに対して不安を感じやすかったりする。臨床的な実感としていえるのは、その背景に、ちゃんとできることを親・祖父母から称賛され続けた結果、”おりこうさん”の脆弱さが露呈してしまったケースや、親のこだわりを押し付けられたケースが少なくないことである。

 親も教師も、世間の常識だとして“ちゃんと”を教えたがる。確かに、おおざっぱなタイプの子に対して、丁寧に並べたりきっちり整えたことを褒めるのは大事である。しかし、何でも完璧にしたがる子には、「まあ、いいか」とあいまいさに慣らしたり、テキトウな仕事ぶりを褒めてあげるのがよい。大人の過剰な心配や過度な期待によって支配が強くなりすぎないようにすることも肝要である。

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発達段階の特徴とかかわりのポイント

 小学校低学年までの子どものこだわりは、比較的簡単に移行する。例えば、白いものは食べられないと言っていたけれど、ぶにょぶにょしていないなら食べられるとか、赤いものを見たら3回お祈りしていたけれど、つばを吐けばいいことにしたなどと、強迫行為が簡素なほうへ移行することをヨシとして、定着を防ぐことが大事である。移行した体験というものは、「嫌だったことも避けなくなれば嫌じゃなくなる」とか「完璧な儀式をしなくても何とかなる」という貴重な体験である。「あんなに嫌だと思っていたのは、いったい何だったのだろう?」と不思議なほど変化する。

 一方、思春期はほとんどの子にとって反抗期、自己主張期である。援軍に強迫オオカミを持ち出されると少々やっかいである。なるべくオオカミさんと会話しないで本来のわが子に声をかけるよう親に心がけてもらうことが、この時期の治療においてもっとも効果を発揮する。

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◆執筆者プロフィール

岡嶋 美代(おかじま みよ)
道玄坂ふじたクリニック 心理療法士、訪問カウンセリングなどを行うBTCセンター東京/なごや 代表。専門行動療法士,公認心理師。強迫症の治療に豊富な経験をもつ。著書に『図解 やさしくわかる強迫性障害』『やめたいのに、やめられない ――強迫性障害は自分で治せる』(共著)などがある。