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やせたい、でも食べたいという葛藤と向き合って(追手門学院大学名誉教授:中村このゆ)#葛藤するということ

やせたい、でも食べたいという気持ちはごく普通にあるものでしょう。しかしこの葛藤がバランスを崩すと、摂食障害という大変な事態を招くことにもなりかねません。摂食障害がご専門の中村このゆ先生に、その葛藤の心理と具体的な対応策についてお書きいただきました。

葛藤

 葛藤とは「心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態」(新村編,2006)を指し、私たちも日常的に使う言葉です。もっと簡単に言えば「迷い」、むつかしく言えば「煩悩」と言ってもいいでしょう。

 この用語を心理学的に明らかにしたのはレヴィンというユダヤ人の社会心理学者です。レヴィンは葛藤を大きく3つに分類しました。一番目は、接近―接近、2番目は回避―回避、そして3番目は接近―回避です(Rewin,1935)。最初の接近―接近葛藤は、どちらも魅力的で決めかねる状態を指します。例えば、デザートにアイスクリームもアップルパイがあるけど、お腹が一杯で両方は食べられない。どちらかを選ばねばならないような状態です。2番目の回避―回避葛藤は、ハローワークで二つのアルバイトを紹介された。しかし、どちらの仕事も経験もなく、あまり自信もない。しかし、これ以上実家の世話にはなれないので、どちらかを選んで、自立しなければならないといったような状態です。3番目の接近―回避葛藤は、友人から交際相手を紹介され。今一つ乗り気になれないが、交際相手は欲しいというような状態です。

 私たちが生きている限り、いつも何かを「選択」しなければなりません。昼食に何を食べるかといった小さな(人によっては重要な)ことから、戦火に見舞われた祖国を離れ、亡命するといった大きな選択もあります。むしろ、「選択」の連続がその人の人生を形作っていると言っても過言ではありません。そこには、いつも何らかの葛藤があります。したがって、葛藤のない人などいないのです。

女性の葛藤と選択

 人は誰しも葛藤を抱えて生きています。しかし、その人の置かれた社会状況によって、その葛藤の中身は大きく異なります。 

 残念なことですが、日本における女性の社会進出は著しく遅れています。2022年の内閣府男女共同参画局の統計では、世界146か国中、日本は116位と世界の多くの国々の後塵を拝しています。先の内閣改造でも女性閣僚はたったの2名。そのため、現在の日本女性の葛藤と選択の対象はおのずと限られます。しかし、日本女性の多くが、自分の置かれた不利益な状況にほとんど無自覚で、男性は仕事、女性は家庭といった性役割分業を抵抗なく受け入れています。

 また、女性は資本主義の日本にあっては「消費者」と位置付けられ、その購買意欲のみに、多くの企業は関心を払います。女性はあらゆるメディアを通して「美と健康」のためとか、グルメ情報などの集中豪雨のような商品情報に日夜晒されています。そこでは、どうして、女性は「美しく」なければならないのか、その美の基準が「痩せている」と誰が、いつ、決めたのかについては考えられることはありません。

 その結果、女性の葛藤は、国の政治や一生のキャリア形成よりも、domestic な家庭内の問題、対人関係、子育て、食や衣服といった身近なことに向きがちです。

摂食障害と女性

 前節で述べたような、日本女性の社会状況と摂食障害発症が大きくかかわっています。摂食障害の発症率のなんと90%以上が女性です。当たり前ですが、食品がいつでも手に入る社会でなければ、摂食障害はおこりません。日本も、ほんの100年位前には、餓死者も出かねないような社会でした(河西,2020)。幸い現在の日本では、お金さえあれば、なんとか食物を手に入れることができます。多くの場合各家庭での調理は、女性の仕事です。他の先進諸国にあっても、日本でも、女性は男性より食にアクセスしやすく、唯一自由に支配できるのは、食べることと自分の身体だけなのかもしれません。

 このような女性の置かれた社会状況に加えて、ストレス、その人のもともと持つ性格傾向など、複数の要素が絡まりあって、摂食障害は発症します。摂食障害は「こころ」の病であって、その根底には低い自己肯定感の存在があることは、専門家の間での一致した意見です。低体重が著しくなると、月経も止まってしまいます。本人は意識していなくても、出産し、子育てをするという女性の役割を放棄することで、社会に抗議しているようにさえ見えます(中村,2014)。

食べることを巡っての葛藤

 青年期前期に入ると、女性の身体は、将来の妊娠・出産にそなえてふっくらとした体形になる傾向があります。必要摂取カロリーも跳ね上がり、12~14歳では、一日2150~2700キロカロリーで、生涯で最も多くのエネルギー量を必要とする時期です。これをご飯で見ると5合、ラーメンだと4~5杯分になります。加えて、多くの栄養素をバランスよくとらなくてはなりません(厚生労働省, 2019)。

 私たちの社会の性役割分業では、女性はしばしば「見られ」「選ばれる」立場です。最近、学校での水泳授業時に着用する水着をジェンダーレス化しようという動きがありました。胸の大きさが一目でわかる従来の水着は青年期前期の女性にとって大きなストレスなのです。

 そこに、先に述べたように女性には「痩せなさい」というメッセージが毎日土砂降りのように、降り注ぎます。普通の体形の女性に低い自己肯定感をもたらす社会構造があります。「やせたい、でも食べたい」という葛藤は実は私たちの社会が若い女性に押し付けているのです。

葛藤との付き合い方(1)ルール作り

 葛藤を抱えたまま、生きるのは非常に辛いことです。最初の節で述べた、接近―接近葛藤(痩せたい、食べたい)、もしくは接近―回避葛藤(食べたい、太りたくない)とどう付き合っていけば良いのでしょう。

 最初は、とにかく一方を「選択」してみることです。その選択に迷うのが摂食障害の患者さんの常ですから、ルール作りをしてみるのはどうでしょう。たとえば、デザートの例でいえば、今日はアップルパイ、明日はアイスクリームとします。機械的に決めておくと、なにも迷うことはありません。ただ、この方法の問題は、ルールを決めると今度はそのルールに縛られて、自由に生きられないことが起こります。しかし、そうなれば、また考えればいいので、まず最初の一歩として試してみてください。

葛藤との付き合い方(2)援軍

 そんなに簡単に選択・決断ができるなら、なんの苦労もないという声が聞こえてきそうです。そうですね。自分一人で、決められるならこんな簡単なことはありません。一人で決められないときはどうするか?

 一人で選択・決断できないなら、援軍を呼びましょう。そう、日頃誰でもしているように誰かの意見を聞くのです。(誰に相談するかは慎重に決めなければなりませんが)その相談に乗って貰った人の意見を無条件で、一票として、自分の意見は0.5票、1.5票となった方にすると、これも機械的に決めておきます。相談する相手は複数でも構いませんが、ここで大事なのは、全体の票が偶数にならないようにしておくことです。奇数の相談者に相談すると、自分を入れて票が同数になり、また振り出しに戻ってしまいます。

 もう一つの方法は、相談者に重みづけをするのです。主治医の意見は2票、カウンセラーの意見は1票、親の意見1票と仮にします。そこに自分の選択を足して、必ず「奇数」になるように設定します。そして、多いほうに機械的決める。まあ、小手先のやり方ですが、どうしようか迷って苦しんでいるよりはましです。

葛藤との付き合い方(3)選択を棚上げ

 これは、(1)(2)と全く異なった付き合い方で、すこし難しいかもしれません。しかし、皆さんも選択できないまま、放っておくことって、長い人生にはいくつかあるのではないでしょうか?そして、ある時、気が付くと、その「葛藤」そのものがどうでもよくなっていることってないでしょうか?もしくは知らない間に、自分で選択をしてしまっていることはないでしょうか?命に係わるような選択でなければ、放っておくうちに、時間が解決してくれることがあるのです。1週間?1か月?半年?1年?3年?残念ながら、ここでどれだけ、棚上げしておけば葛藤が自然消滅するかは、明言できません。

 しかし、一つ言えることは、今、ここで、すぐに決めなければいけないことか?と自問してみることです。筆者は摂食障害の当事者と一緒に著書を公刊しました(中村,2014)。そのタイトルが『まっ、いっか!摂食障害』です。当事者がこの心境にたどり着くまでには、壮絶な苦しみの連続です。ある日雲が晴れるように、そう思える日が来たことを、分かりやすく述べています。機会があれば、読んでみてください。

葛藤との付き合い方(4)伴走者の重要性

 (1)(2)(3)いずれの解決方法を選ぶにしろ、その選択の過程を一緒に伴走してくれる人が必要です。その、伴走者は、あなたの代わりに、決断・選択してくれるわけではありません。しかし、あなたが選択できずに、のたうち回って苦しんでいる時、その苦しみから目を背けず、寄り添ってくれる人の存在は非常に重要です。主治医、心理治療者、家族、パートナー、友人、自助グループの仲間が伴走者となってくれるかもしれません。

 筆者も含め、人は誰でもたった一人では生きていけません。今、あなたは葛藤のさなかにあり「こんなことで悩んでいるのは、自分だけだ」と思い込んでいるかもしれません。しかし、嵐が一瞬止んだその時、雲間に誰かの顔が見えるかもしれません。苦しい時に人に縋ることは、決して恥ではありません。その人の手を握ってみてはどうでしょう。人のこころを癒すのは、やはり他の人のこころなのです。

参考文献

河西英通(2020) 昭和初期の「東北飢饉」をどうとらえるか.名古屋大学大学院人文科学付属社会センター機関紙,超越日本文化研11, 20-29.
Lewin, K. (1935). A Dynamic Theory of Personality. New York: McGraw-Hill.
厚生労働省(2019)「日本人の食事摂取基準」策定検討会報告書
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_08517.html
内閣府男女共同参画局(2022)joseikatsuyaku_kadai.pdf (gender.go.jp).
中村このゆ(編著)(2014)まっ、いっか!摂食障害―当事者のまなざしから―. 晃洋書房.
新村出(編)(2006)広辞苑第五版, 岩波書店.

著者プロフィール

中村このゆ  
追手門学院大学名誉教授,同志社大学卒,甲南大学大学院修了博士(社会学), 臨床心理士, 公認心理師
専門分野 ユング心理学,摂食障害の病態、治療研究
著書 『拒食症・過食症のQ&A』(共著)ミネルヴァ書房(1995),『神経性食欲不振症の心理臨床』風間書房(1997),『ユングとフェミニズム』(共訳)ミネルヴァ書房(2002),『摂食障害あいうえお辞典』(監修)コスモス・ライブラリー(2013),『まっ、いっか!摂食障害―当事者のまなざしから―』(編著)晃洋書房(2014), Jungian Psychology in the East and West(編著) Routledge(2021),『フェミニストが見直す ユング』(訳)追手門学院大学出版会,(2021).

著書


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