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ASDの女の子の親が『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を見て思うこと(文筆家・翻訳家:堀越英美)#葛藤するということ

※本記事内にはドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』物語の内容(ネタバレ)が一部含まれています。

 10歳のASDの女の子を育てている身として、ASDの新人女性弁護士が主人公のNetflixの韓国ドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を見ないわけにはいかなかった。90年代の単館系映画のようなおしゃれなオープニング、クジラが空を飛ぶファンタジックな映像。20ヶ国で視聴1位を記録したというこのドラマは、障害に興味のない人たちの間でも大いに話題になっている。

 ASDの女の子で、特定の動物の話ばかりするという特性は同じでも、我が家の次女と主人公はだいぶ異なる。一番の違いは、ウ・ヨンウは法律をすべて暗記し、ソウル大学を首席で卒業した天才タイプのASDだということだ。回転ドアをすんなり通れないほど動作がぎこちなく、大好きなクジラの知識をまくしたて、思いついたことをすぐ口にしてしまうので仕事相手の心証を損ねることもあるが、ウ・ヨンウの特性は全体的にかわいらしくコミカルに描かれている。同僚たちもそれぞれに不完全な部分を抱えながら、彼女を優しくフォローする。ウ・ヨンウにワルツのステップで回転ドアの通り方を教えるかっこいい同僚イ・ジュノとの胸キュン要素もたっぷりだ。TikTokでは、ウ・ヨンウが高校時代の親友と交わす挨拶ダンスの「やってみた」動画が大人気だという。

 ドラマ自体は楽しく見ているものの、視聴中にASDの女の子の親として葛藤を感じないといえばうそになる。ヒロインのような特別な才能を持ち合わせたASD者は一握りであることへの指摘は、すでに何人もの人がしているし、ドラマの中でも触れられている。ただ、障害の有無を問わず何の取柄もない人物がドラマの主人公になることはまずないだろうから、そこは特にひっかかりを感じていない。葛藤を感じてしまうのは、ヒロインの身なりだ。

 ASDの女の子は一般に、身だしなみを整えるのがあまり得意ではない。ASDの次女の登校班に付き添い、同じ学年の女子小学生たちが「宿泊学習にヘアアイロン持って行っちゃいけないんだって」「うそ、前髪つくれないじゃん」などと会話をしているのを耳にすると、定型発達者とASD者の違いをいやでも実感してしまう。定型発達の女の子の多くは、女の子に対する社会の期待や女の子同士の同調圧力を敏感に感じ取り、周囲に高く評価されるために努力する力がある。一方で、他人がなにを考えているかを推察する力が弱く、「自分はこのような人物だと思われたい」という自意識が希薄なASDの女の子は、放っておくと髪の毛をとかすのも面倒くさがることもある。だから、いくら「過干渉なお母さんにはなりたくない」と私が思っていても、お風呂から上がったら髪の毛を乾かしなさい、髪の毛をとかしなさい、といちいち細かいことを言わなくてはいけない。身だしなみを整えないまま学校に行かせると、先生に注意されるのは母親なのである。でも、仕方のないことだと思う。勉強より運動より、ASDの女の子が社会に受け入れられるために最低限必要なのは、まず身だしなみなのだ。

『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』のヒロインの言動は、確かにぎこちない。けれども服はしわひとつなく、もちろんケチャップがついていることもない。靴はピカピカ、髪はツヤツヤで、寝ぐせもなく、アイメイクは自然で、大好物ののり巻きをほおばっていても、口紅がはげることはない。これほどの身だしなみを整えるのにどれだけ女性誌をチェックして美容グッズをそろえなくてはいけないか、スキルを磨かなければいけないか、女のはしくれとしては想像ができなくもないだけに、どうしても余計な想念にとりつかれてしまうのだ。やはりこれくらい身だしなみが完璧じゃないと、ASDの女の子は社会に適応できないのだろうなあ、とか。父子家庭育ちのウ・ヨンウは、あの高度なスキルを父親から教わったのだろうか、とか。あるいは父親が服選びからコスメまで女性誌をチェックして流行をおさえ、用意してあげているのだろうか、とか。

 いずれにせよ、ASDの子の親は常に先回りして、一生過干渉でいつづけるしかないのだろうか。

 そんな「生涯過干渉」を心配するASD児童の親の心に、7話でウ・ヨンウが父親に放ったセリフが突き刺さる。

「ちゃんと挫折したいです」
「挫折すべきなら私一人でちゃんと挫折したいです。大人だから」
「お父さんが毎回私の人生に立ち入って挫折まで防ぐのはイヤです。やめてください」

 子どもの失敗を先回りして防ぎすぎてはいけない、とはよく聞くけれど、将来一人立ちできるのかすら不透明な障害のある子を抱えた親で、そこまで達観できる人はそう多くはないだろう。障害があるというだけで、選択肢はぐっと狭まる。数少ない選択肢の情報をかき集め、その中からどうにか生きてゆけそうな道を選ぶのは、周囲の大人の仕事にならざるをえない。どうしても、障害者の自己決定権はおざなりにされがちだ。

 でも、ウ・ヨンウはその運命に抗おうとする。あのすばらしい身だしなみも、きっとクジラと法律を愛する本人が法律を仕事にできるよう、努力でつかんだスキルなのだろう。障害があるとはいえ、小学生の子がどう育つかなんて、まだまだわからない。私も次女とそんなやりとりができる日が来るのだろうか。

 知的障害を抱える女性の恋愛がテーマの10話はさらにヘビーだ。知的障害者に対する準強姦罪で起訴された男性の弁護を引き受けることになったウ・ヨンウは、彼が金と体目当てで障害者に近づく「悪い男」であることに気づく。だが被害者は彼のことが好きで、お母さんにそう言えと言われたから性的暴行があったと供述したと述べる。彼に牢屋に入ってほしくないという被害者に、ウ・ヨンウはこう語る。

「障害者にも悪い男に恋する自由はあります」
「シンさんの経験が愛なのか 性的暴行なのか
 判断するのはシンさんです
 お母さんと裁判所に 決めさせてはいけません」

 確かに。金と体目当ての異性にひっかかるなんて、障害がなくてもありがちなことだ。そのような経験を経て、人は大人になっていく。でも、知的障害のある女性の場合、ことはそう簡単ではない。妊娠した挙句に男に逃げられたら? そのままトイレで出産して胎児遺棄、あるいは育てられずにネグレクトで死にいたらしめたら? 取り返しがつかないことになってしまう。それを考えれば、娘を守ろうとする母親が男を追い払うのも正しい行為だ。この問題に答えはない。

 そして展開が重たくなったところで差しはさまれるイ・ジュノとウ・ヨンウとのときめきラブコメ展開。クジラとヒロインのかわいさという糖衣をたっぷりまぶしながら、ドラマは答えのない問いを投げかけて、ざらりとした感情を残したまま終わる。

 ASDの女の子の親として葛藤を感じる、と書いたが、これはネガティブな感想ではない。葛藤を感じられるからこそ、ドラマを多層的に楽しめているともいえる。それにASDの女の子が主人公のドラマが一般の人に大人気というだけで、救われる部分は確かにある。障害の話というと重たく受け止められてしまいがちだけど、人気ドラマの話なら、いろいろな人と語れるからだ。とりあえず、不器用なウ・ヨンウがワルツのステップを踏んでも転ばない、あのヒールの高いローファーのブランドはどこだろう?

執筆者

堀越英美(ほりこし・ひでみ)
文筆家・翻訳家。1973年生まれ。著書に『エモい古語辞典』(朝日出版社)、『女の子は本当にピンクが好きなのか』(河出文庫)、『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)など、訳書に『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(晶文社、10月12日刊行予定)など。

著書・訳書


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