悪夢はコロナ・パンデミックにより引き起こされたのか?(福田一彦:江戸川大学睡眠研究所所長)#つながれない社会のなかでこころのつながりを
コロナ自粛の最中に悪い夢を見た――。
そんな人も少なくないのではないでしょうか。あなたが見た悪夢は、果たしてコロナ禍にある不安によって引き起こされたものなのでしょうか?「夢」という不思議なメカニズムとその正体について、睡眠研究で著名な福田一彦先生にお伺いしました。
新型コロナ感染症の影響への不安
私は睡眠を研究している心理学者で大学の教員をしております。現在、新型コロナウィルス感染症の世界的流行によって日本でも在宅での勤務や学習が続いています。睡眠研究者としての第1の懸念は、外出が制限され、自宅内に行動が制限されることで、睡眠と覚醒のリズムが乱れ、事態が収束した後にこれまでのスケジュールに再適応できるのだろうかという事です。実際、私の大学のゼミの学生はオンラインのゼミを午後5時に開始したところ「今、起きました」と言ってログインしてきた始末です…。大学生の例はさすがに極端な例ですが、小・中・高校でもよりマイルドでしょうが、同様な傾向はあるでしょう。実際に、不登校の開始が長い休みの後に多いのは、良く知られた事実ですし、不登校の開始の2番目の理由は「生活習慣の乱れ」です。最初は、私もこうしたネガティブな事を記事として書こうかと思っていました。もちろん、生活の乱れが心配であることに変わりはありません。
収束に向けて
2020年5月21日の京都、大阪、兵庫の近畿3府県の緊急事態宣言の解除に続き、5月25日に、北海道と、東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏への緊急事態宣言も解除されました。PCR検査数の少なさ、要請をベースとした強制を伴わない都市封鎖など、国内外のマスメディアは、日本の対処方針を揶揄する論調ばかりでしたが、人口100万人当たりの死者数は、イタリアが541.4人、イギリスが536.1人、フランスが434.1人、アメリカが293.3人に対して、日本は6.5人(2020年5月24日時点)です。日本がなぜ上手くやっているのかについては、清潔な生活習慣、「要請」に従う国民性、BCG接種、など、様々な事が言われていますが、現在のところ誰も本当の事は分かりません。欧米のマスコミは未だに懐疑的ですが、結果は結果です。感染者数を隠蔽しているなどという陰謀論に固執する人もいますが、さすがに何十倍もの死者数を隠すことは出来ないでしょう。
外国、特に中南米やアフリカを中心として日々の感染者数のカーブはまだピークを迎えておらず、今後外国からの再流入や国内でのクラスターの再出現などによる第二波や第三波の流行の可能性が無くなったわけではありません。しかし、とりあえず国内における最初の流行は収束の方向に向かっていることは事実として認めざるを得ないでしょう。今後、私たちは、この状況を乗り越えた後の再適応について考えなくてはいけないと思います。
コロナ・パンデミック・ドリーム?
4月前半に欧米マスコミを中心に新型コロナウィルスに関連した「悪夢?」を見る人が増えたという報道が続きました(例:The meaning behind your strange coronavirus dreaming. CNN, April 10, 2020; Why am I having weird dreams lately? New York Times, April 13, 2020) 。Twitterでも夢に関する話題が多く取り上げられたそうです。こうした「奇妙な」夢が新型コロナ感染症とそれによる社会状況と関連付けられ、様々なメディアで取り上げられました。
New York Timesの記事を読むと夢を研究する心理学者であるHarvard大学医学部のDr. BarrettのPTSDやストレスとの関連についてのコメントともに、夢はREM睡眠で見るものであり、夜間睡眠の後半にはREM睡眠が増えて、長く眠ると夢を覚えている事が増える事やNarcolepsy患者で悪夢などが多いという比較的冷静な内容も述べられていました。
確かに、ストレスイベントと悪夢は無関係ではありません。カナダMontreal大学の夢研究者であるDr. Nielsenは、アメリカの同時多発テロの後、人々に悪夢が増えたかどうかを調査しています。同時多発テロの後に、たしかに男性では有意に悪夢が増えているのですが、女性では悪夢の頻度に差がありません。これは、女性においては男性よりも悪夢の頻度がもともと高く、これ以上増えようがないという、天井効果によるものだと考えられます。また、悪夢だけではなく、夢全般についても男性と比較して女性で頻度が高いことが知られています。確かに悪夢は増えたのですが、あれだけ強烈な事件が起こったにも関わらず、夢の内容が同時多発テロ一色に染められるわけではなく、女性では増加さえしなかったのです。
また、奇妙な夢が多いと言いますが、夢はもともと奇妙であることが、その特徴の一つです。また、実は楽しい夢よりも、悪夢に分類されるような内容が多いのです。前述のDr. Nielsenの別の論文では、どのような夢の主題が多いのかを調べていますが、最も多い主題が「追いかけられたり、後をつけられたりするが、身体的な危害を加えられるわけではない」というものでした。これはカナダの大学生の結果ですが、本学での調査でも、この主題は「学校、先生、勉強」という主題の次の2番目に多い主題でした。また、同じDr. Nielsenの研究で覚醒中に体験した感情と夢見の最中に感じた感情を比較したものがありますが、唯一、統計的に有意な差が認められ、夢見中の体験で多かった感情は「恐怖」でした。このように夢とは本来、怖いものなのです。その理由は良く分かっていませんが、原因の一つはREM睡眠中にネガティブな情動処理と関係する脳部位である扁桃体という部分が強く活性化していることであると考えられています。つまり、REM睡眠の生理学的なメカニズムによって、自動的に怖がらされているのです。
REM睡眠は夜間睡眠の後半で増加し、前半では10分くらいの短いREM睡眠が出現しますが、明け方になると1時間を超えるような長いREM睡眠もよく出現します。さらに、そのまま眠り続けると翌日の午前中にはさらに長いREM睡眠も現れます。REM睡眠の出現は、体内時計の支配下にあると考えられ、夜の後半から午前中にかけて良く出現することが分かっています。
また、REM睡眠自体は毎晩3回から5回ほど現れ、誰でも毎晩、複数回の夢を見ているのですが、REM睡眠の最中やREM睡眠直後に起きた場合でないと、夢の内容は覚えていません。したがって、中途覚醒が多かったり、朝寝坊をして、長いREM睡眠の後のタイミングで起きたりすると夢を良く覚えているようになります。つまり、夜更かし・朝寝坊をしたり、生活のリズムが乱れて中途覚醒が多くなったりすれば、それまで、あまり夢を覚えていなかった人でも夢を良く「見る」ようになるのです。
つまり、コロナ・パンデミック・ドリームと呼ばれている物の殆どは、今回の新型コロナ感染症と直接関係して出現したものというよりは、生活習慣の変化により、夢を通常よりも多く見る(覚えている)ようになったために生じた副産物ではないかということです。
ネガティブな気分の時には、ネガティブな情報を知らず知らずのうちに集めているものです。このコロナ・パンデミック・ドリームの件は、本来はそんなに意味のないことに必要以上の意味を求め、よりネガティブな気分になってしまう典型的な例ではないでしょうか。
最後に(感染症は必ず再び現れる)
必要以上にネガティブになるのはやめましょう、というメッセージを届けたいというのが、今回の趣旨なのですが、それでも、最後にちょっとネガティブに見えることを書かねばなりません。上述もしましたように、今回の新型コロナ感染症は完全に制圧されたわけではなく、特効薬やワクチンの開発が済んだわけでもありません。したがって、近い将来、第2波の流行がないとは言えません。また、たとえ今回のウィルス感染症が終息したあとでも、それとは異なる感染症が人類を襲う可能性は否定できません。むしろ人類の歴史は感染症との戦いの歴史だったと言っても過言ではないでしょう。スペイン風邪の流行(1918年)まで遡らなくても、2003年のコロナウィルスによる重症急性呼吸器症候群(SARS: Severe Acute Respiratory Syndrome)、2012年の別のコロナウィルスによる中東呼吸器症候群(MERS: Middle East Respiratory Syndrome)、2014年の鳥インフルエンザの流行など、今回のような全世界的なパンデミック事態にはなっていないものの一つ間違えば、今回と同様の事態を引き起こす可能性は十分に有り得たと考えられます。
今回、私たちは現在生きている人としては初めて全世界を巻き込む感染症の流行を経験しました。そして、それを恐らく克服しつつあると思います。高過ぎる授業料ではありましたが、次の事態に対応する学習をする機会だったとも言えると思います。辛い状況が続きますが、この事態を克服しつつあることに誇りを持っても良いのではないかと思います。この事態を克服するために皆が手を携えて努力出来ればと願わずにはいられません。
(執筆者プロフィール)
福田一彦(ふくだ・かずひこ)
江戸川大学睡眠研究所所長。同学社会学部教授。
専門は実験心理学、生理心理学、睡眠など。著書として、『「金縛り」の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐』(PHP研究所)、『基礎講座 睡眠改善学 第2版』(ゆまに書房)、『応用講座 睡眠改善学』(ゆまに書房)などがある。NHKや民放テレビ番組、その他ラジオなど出演多数。