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オンライン授業を通して気づいた安心して過ごせる良きコミュニティー(会沢信彦:文教大学教育学部教授・発達教育課程長)#私が安心した言葉

 多くの大学でオンライン授業を余儀なくされた今年度。対応に追われる大変な状況下、今まで最善だと思っていた講義の新たな可能性を見出したり、学校のありようの再検討をしたりする機会につながることもあったようです。今まで、学生が直接触れ合うことを何より重視した講義を進めてきた会沢信彦先生に、今年度得た気づきをお書きいただきました。

 2021年の年賀状で、同僚や知人の大学教員のほとんどが言及していた話題がある。言うまでもなく「オンライン授業」である。少なくとも私の周囲では、オンライン授業を嬉々として楽しんでいるという者はいないことが分かり、年賀状を読みながらほんの少し「安心」した正月であった。

「出席超重視」「コミュニケーション能力向上」やいかに

 今年度(2020年度)の授業がオンライン授業なるものになりそうだという情報が入ったとき、多くの大学教員と同様、私も大変な「不安」に陥った。

 まず、私はICTに対して大いなる苦手意識を持っている。メール、ワード、エクセルは何とかなるものの、パワーポイントは特に苦手である。自慢にならないが、私がパワポを使うのは大ホールでの講演だけであり、授業でも外部の講演、講義、研修会でも、まず使うことはない。それなのに、オンライン授業のマニュアルには、「音声付きパワーポイント」が当たり前のように推奨されているではないか!

 そして、学生が目の前にいない授業なんて、思いもよらなかった。昨年度までの私は、「出席超重視」を公言し、学生が授業に出席することに対して非常に高い価値を置いていた。また、いわゆるコミュニケーション能力のトレーニングと称し、講義形式の授業であっても、毎回学生に自作のくじを引かせて座席を指定し、ランダムに作ったペア(くじ番号13番と14番など)またはグループ(くじ番号29~32番で1グループなど)で話し合い、意見交換、体験的なエクササイズやワークを織り交ぜながら授業を進めるいうスタイルを確立していた。ちなみに、オンライン授業が決定される前、授業に対して私が最初に抱いた不安は、「接触を避けなければならないとしたら、くじを使えないではないか。あるいは、毎回アルコール消毒しなければならないのか?」であった。

 5月からオンライン授業が始まった。最初は、これまた私にとって初体験であるLMS(授業支援システム;本学ではmanabaを使用)に資料を掲示するだけのいわゆる文字資料提示型であったが、前期の途中から本学で採用しているWeb会議システムGoogle Meetを用いたリアルタイム授業も併用することとした。

 出席(?)管理は、毎回の授業内容についての短い課題で行った。学生の通信環境を考慮せよとの指示が大学から再三にわたって出されていたので、リアルタイム授業では出席を取ることはしなかった。一方、リアルタイム授業を録画し、Googleドライブに置くこととした。これにより、リアルタイム授業に参加しなくても、受講者であればいつでも視聴できる。つまり、オンデマンド型も併用することとした。なお、リアルタイムに学生がどのくらい参加してくれるかという「不安」はあったが、毎回一定数(2~4割程度)の学生は「出席」してくれたので、「安心」できた。しかし、これも大学の指示により、学生はカメラがオフでもOKとなっていたので、リアルタイムとは言え、学生の顔を見ながら話をすることができないのはやや寂しかった。

 とにかく、今までは「出席せよ、遅刻するな」とうるさく言っていた人間が、「あとで録画を視聴すれば、リアルタイムには出席しなくて良いよ」と言うようになったのである。180°の方針転換である。

会沢先生 挿入写真 オンライン授業

「オンラインだから出席」で単位取得

 ところで、担当している比較的大人数の教職科目で、毎学期のように履修者名簿に名前を見かける学生がいた。しかし、毎学期、最初の1、2回出席するだけなので、当然単位取得に至らない。そして、次の学期も名簿に名前が載り、また単位を落とすという繰り返しである。

 今学期も、名簿にはその学生の名前があった。そして、毎回ではないものの、リアルタイム授業にも参加してくれた。また、毎回の課題についてもそれなりには提出があった。そして、ついに彼は単位取得に至ったのである。

 「出席超重視」「コミュニケーション能力向上」を標榜する私の授業スタイルが、彼の単位取得を妨げていたのではないか、そんな懸念が脳裏をよぎった。周知の通り「オンラインだから出席できた」不登校の児童・生徒・学生が一定数存在したことが、各地で報告されている。

「超密ロの字型」よさようなら

 さて、私のゼミは、「三密」どころか「超密」で行っていた。研究室(写真)で行うのだが、3人掛けの長机を2つ並べたテーブルにパイプいすを並べて学生は着席する。今年度の4年生は12名なので、本来は2人座ればいっぱいとなるテーブルの短辺にも3人が座らなければならない。少なくとも私の見た限りでは学生から不満が出たことはなく、私はこの「超密」環境に満足していた。

研究室写真

 前期はGoogle Meetを使いリアルタイムでゼミを行っていたが、後期は、少人数科目については対面授業が認められ、後期から始まる3年生のゼミと合わせ、週に2科目は対面授業が行えることとなった。しかし、このコロナ禍で、これまでのように研究室で実施するわけには当然いかない。大学から中規模の普通教室が割り当てられ、これまでは「超密ロの字型」で行っていたものを、学生は前を向き、間隔を空けてぱらぱらと座るようになった。この「ぱらぱら前向き型」には、最初はだいぶ違和感があったが、4年生についてはお互いの関係性ができていたので、慣れればこれまでと同じような雰囲気のゼミが実施できた。

 一方、例年3年生のゼミは、「超密ロの字型」で行うことで徐々に学生同士の心理的距離が縮まっていったように思われるが、今年度の3年生は最初から「ぱらぱら前向き型」である。さらに、感染拡大防止の観点から、対面授業が終われば速やかに帰宅するよう求められている。これも例年、4年生と3年生のゼミ生同士が親密になる機会となる年末のゼミ合宿も実施できなかったので、3年生については、ゼミ生同士の心理的距離がおそらく4年生ほど「密」でないのはやむを得ないことである。

「チームの監督」から「学生寮の管理人」へ

 実は、ゼミ生に対する私の意識も、昨年度までと比べて変化があるように感じている。昨年度までは、ゼミ生に対しては、私も「密」な意識を持っていた。言ってみれば、一方的に、自分がスポーツチームの監督ででもあるかのような意識を抱いていた。所属する学科では各ゼミの代表者による卒業論文の発表会を行うが、ゼミ学生の投票で代表者を決めるゼミが多い中、「試合に出る選手を決めるのは監督である」という理屈で、私のゼミでは私が選んでいた。

 しかし、今年度は、その意識がだいぶ薄れているように感じるのである。学生との心理的距離が「ほどよい距離」になったと言えば良いだろうか。「チームとしてまとまろう」と言うより、「お互い居心地良く過ごそうね」という感覚である。以前がチームの監督だとすると、今は学生寮の管理人に近いかもしれない。

学級は「チーム」か

 近年、学級が「チーム」の比喩で語られることが少なくない。振り返ると、私も、ゼミを「良きチーム」にしたいと無意識に願ってきたように思う。

 スポーツチームであれば、「勝利」という共通の目標を有している。したがって、「良きチーム」であることが必要である。しかし、学級はどうであろうか。特に公立学校であれば、同じ地域に住んでいる同年齢の子どもたちがたまたま集まっているだけであり、共通の目標を持って入学してくるわけではない。そこに目標を掲げることで、学級を「良きチーム」にすることが優れた学級経営である、と考えられている。実際、学級が「良きチーム」となることで、授業に熱中して学力が高まったり、お互いの相互交渉によって人格的成長が図られたりする。何よりも、学級が「良きチーム」としてまとまったときの、子どもや教師の満足感は、何者にも代えがたい。

 一方、一歩間違うと、「チームもどき」が個を抑圧し、いじめや不登校を生む一員ともなり得ることを、私たちは知っている。

 「いや、そんなものは本当のチームとは言わない。子どもたち一人ひとりの良さが発揮され、個が輝くのが本物のチームである」という声が聞こえてきそうである。まったくその通りである。ただ、学級を「良きチーム」とすることは、かなりレベルの高い作業であることもまた、多くの教師は気がついているはずである。

「ほどよい距離」を目指して

 前述のように、子どもや学生が健全な発達を遂げる上で、学校教育で「良きチーム」を体験することの意義はきわめて大きい。一方、「同じ目的を共有していない人々の集まり」は、「コミュニティー」である。もしかすると、私たち教師は、「良きチーム」の前に、まずはすべての子どもと教師自身が「安心」して過ごせる「良きコミュニティー」を目指さなければならないのではないか。

 「チーム」の前に「コミュニティー」を。コロナ禍で人生全般に対してやや弱気になっており、この考えにも確信を持てているわけではない。しかし、最近はこんなことを考えながら、学生同士、そして学生と私との「ほどよい距離」を模索している。

会沢先生 挿入写真 コミュニティ

執筆者プロフィール

会沢先生(ご本人お写真)編集済み

会沢信彦(あいざわ・のぶひこ)
1965年生まれ。筑波大学卒業、同大学院修士課程修了、立正大学大学院博士課程満期退学。函館大学専任講師を経て、現在、文教大学教育学部教授・発達教育課程長。日本生徒指導学会常任理事・関東支部会代表。日本学校心理士会常任幹事・埼玉支部長。日本スクールカウンセリング推進協議会理事。日本教育カウンセラー協会理事。
関心領域は、教育相談、生徒指導、学級経営。教師や保育者を目指す学生に対して何を伝えることが必要なのか、コロナ禍での見直しの必要性を感じている。

▼ 著書


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