交流分析理論からみた対人関係の葛藤(中央心理研究所所長:中村延江)#葛藤するということ
はじめに
コロナ禍で人と関わることが極端に減り、対人関係における葛藤の量も中身も以前とはかなり変わりつつあります。それでも、身近な人との関わりの中では様々な葛藤を経験するものです。対人関係の葛藤とは、具体的にどのようなことでしょうか。
例えば、家族間でコロナ禍での意識や対応の仕方について考え方に違いがある場合をあげてみます。30代の主婦は子どもへの感染が怖いので手指の消毒などにとても気をつけています。しかし、同居の義父母は消毒やマスク着用などには大雑把で、神経質すぎると取り合ってくれません。普段はそれほどもめるような間柄ではないし舅姑とはうまくやりたいと思うものの、コロナ対策では家庭内で行動が揃わず不満を感じる、というように考え方の違いが葛藤の原因になります。
また、価値観の違いも葛藤の基になります。65歳の主婦は子どもたちも独立したので家の中を片づけたいと断捨離を決意したのですが、72歳の夫は物を捨てるのはもったいないと言い、片づけ始めると意見が合わず葛藤が生じてしまいます。夫にしてみれば、亡き両親の思い出の物を捨てられるのは忍びなく、家をきれいにしたいという妻の気持ちもわからないではないし、言い争いたくはないものの、お互いに葛藤を抱えてストレスになってしまうようです。
さらに、高齢の世代と若い世代では物事の捉え方に隔たりが多く、それらもかなりの葛藤の要因になることが多いようです。例えば、ある高齢者はコロナ感染を恐れて外出も控えたりしているのに、同居の息子や孫は気にせず飲み会やライブなどに参加していることが受け入れがたく、ここでも葛藤が起こります。
利害関係やそれにまつわる感情も葛藤の要因になります。自分の中でAかBのどちらかを選ばなければならない場合は個人の中での葛藤が起こりますが、人間関係の中で選ばなければならない場合は対人関係の葛藤が生じます。大切な友人と何か大事なことを選んで決めなければならないのに、意見が違っていて、どちらを選ぶかによってそれぞれの利害が異なる場合、二人の間でかなりの葛藤が生じるでしょう。
これは家族内の関係だけでなく社会的関係の中でも起こりうることです。自分では「正しい」と思っている考え方や価値観、物事の捉え方、信条などを関わりのある人から反対されたり、批判されたり、否定されたりする場合に、自分の意見を通すべきか相手の言うことを受け入れるかで葛藤が生じてしまいます。つまり、考え方や認知(物事の捉え方)、価値観などの差異が対人関係での葛藤の要因になるのです。こうした対人関係における様々な葛藤への対処はどのようにしたらよいのでしょうか。
交流分析理論の利用
対応の仕方はいくつかあると思いますが、ここでは、対人関係の理論である「交流分析」の理論を用いて考えてみましょう。
「交流分析」とは、簡単に言ってしまえば、自己分析に基づいて対人関係を分析する理論です。その成り立ちや詳細な理論は紙面の関係から省いて、葛藤の処理に役立ついくつかの考え方を説明していきます。
交流分析では、個々人が感じたり、考えたり、行動したりするときの基になる心の状態のことを「自我状態」といいます。そして自我がどのような構造になっているかを見ていきます。ただし、構造といっても自我が分かれているのではなく、ある場面に遭遇したときのその個人の反応の仕方と考えたほうがよいかもしれません。つまり、自我状態の分析はその個人のパーソナリティの特徴を把握するものともいえます。
[基礎理論]3つの自我
パーソナリティの分析を3つの自我状態に分けて考えていきます。まず、今ここで起こっている事を現実的に合理的に解決する心の状態を「成人(Adult:A)」の心として考えます。さらに、社会にうまく適応するために過去に親のメッセージから取り入れた状態を「親(Parent:P)」の心とします。そして、子ども時代の感情や直観力を再現する状態を「子ども(Child :C)」の心とします。この3つは固定した心の状態ではなく、時と場合による流動的な状態です。無意識で反応することもありますが、意識的に変化させられるものでもあります。
もう少し3つの心の状態を説明すると、「成人:A」は客観的、合理的、知性的、判断的で冷静な状態です。「親:P」は厳格で、批判的、独善的、指示的、良心的な状態です。「子ども:C」は感情的、自由で、創造的、伸び伸びした状態です。
3つの心の状態について例をあげて具体的に説明してみます。
雨が降る寒い夜に道を歩いていると「みゃー、みゃー」と子猫の鳴き声がして、見ると子猫が雨に濡れていました。「どうしてこんなところで子猫が鳴いているのだろう、誰かが捨てたのだろうか、どうしたら助けられるかな」というのは事態を解決しようとする「成人:A」の自我状態です。「寒いのに可哀想に、こんなところに子猫をおきざりにするべきではない」というのは「親:P」の心です。「あー、可哀想、見ていられない、どうしよう」と感情的になりうろたえるのは「子ども:C」の心です。
パーソナリティは感情と思考と行動の統合されたものです。それらは一連の物として反応します。例えば「可哀想」という〈感情〉、「どうしたのだろう」という〈思考〉、「獣医さんに連れて行く」という〈行動〉は一連のものです。そしてこれらは個々人によって異なるものです。ですから、この心の状態の一連の反応がその人のパーソナリティということもできます。
人と意見が合わない場合、「相手はどう考えているのだろう、どのように説得できるだろうか」と反応するのは「成人:A」の心です。「人の意見に反対するべきではないのに」と批判的なるのは「親:P」です。「もう、嫌になっちゃう、すぐ反対するんだから」と感情的になるのは「子ども:C」の心の動きです。
心の状態を3つに分けて分析しましたが、人との関わりではもう少し細かく分けるほうがわかりやすいでしょう。「親:P」は「批判的親:CP」と「養育的親:NP」の2つに分けられます。「成人:A」はそのままですが、「子ども:C」は「自由な子ども:FC」と「順応した子ども:AC」に分け、合計で5つの自我状態で考えていきます。親の心は〈厳格で厳しい、独善的、批判的、あるいは自律的な状態〉と、〈優しい、面倒見のよさ、養護的な状態〉があります。成人の心は〈合理的で客観的、知性的、判断的で冷静な状態〉です。子どもの心は、〈自由で創造的、感情的な状態〉と〈親や大人、社会に合わせて適応しようとする順応した状態〉があります。
こうした個々人の自我状態はその成育歴や物事のとらえ方によってそれぞれに異なっています。その自我状態同士のやりとりや、人との関わり方、捉え方によって葛藤も生まれてくるといえます。
[基礎理論]交流の仕方
交流分析では、人それぞれの自我を3つ、さらに5つに分けて考えますが、人と交流する場合はそれらの自我状態がやりとりをすることでコミュニケ―ションが成立することになります。
交流の仕方はそのパターンによって以下の3つの仕方に分けて考えます。
平行的交流とは、ある自我状態から相手のある自我状態へメッセージを送り、予想したとおりの自我状態からメッセージがかえってくるようなやりとりのパターンです。例えば「成人:A」から「成人:A」へのメッセージのやりとりです。これがストレートな交流であれば、基本的に葛藤は起こりません。
交叉的交流は、ある自我状態へメッセージを送り、別の自我状態から反応が返ってくような場合を言います。例えば、「親:P」から相手の「子ども:C」にメッセージを送ったのに、別の自我状態からの反応がある場合です。これは発信者への拒否や否定になることがほとんどですから、何らかの葛藤が生じます。
裏面的交流は、表のメッセージの裏に本音のメッセージが含まれている場合です。例えば、「成人:A」から「成人:A」へのメッセージにみえるけれども、実は「親:P」から「子ども:C」へのメッセージが裏に隠されているというような場合です。
裏面的交流の場合、次に示す「ゲーム」では複雑にやりとりが示され、対処も困難になります。
心理的ゲームの理論
交流分析では、対人関係で無意識のうちに特定のパターンを繰り返し、結果としてお互いに不愉快な感情を味わうようなやりとりを「ゲーム(心理ゲーム)」と呼びます。そして、その結果、人間関係がこじれてしまいます。つまり対人的葛藤が起こってしまうのです。例をあげて検討してみましょう。
◆ケース1:「Yes, But」 K子さんと知人
ゲームの説明によく用いられるものに「Yes, But:はい、でも」というものがあります。
◆ケース2:「馬鹿者」 先輩と後輩
◆ケース3:「Kick me」 教授と学生
ゲームの仕組み
ゲームの仕組みにはつぎのような要素が挙げられます。まず、ゲームをする人ともう1人あるいは2人の人がいます。1人はゲームを仕掛ける人、もう1人はゲームのカモになってしまう人です。
仕掛ける人はワナを仕掛けますし、カモになる人は何らかの弱みを持っている人です。弱みといっても、親切で人の役に立ちたいというような気持ちの場合が多いようです。先の例でいえば、何とか知人の役に立ちたいというK子さんのような立場です。知人はその弱みに付け込んでワナ(相談)を仕掛けます。
はじめのうちは相談する人と相談に乗る人のやりとりが平行的交流として続きます。そのうち知人は「やっぱりあなたも役に立ってはくれないのね」と思い、K子さんは「こんなに一生懸命に案を出しているのに、私の案を取り入れる気はないのね」と考えます。そこで交流の切り替えが起こり、交叉的交流になります。カモの人は「なぜ、こちらの意図が伝わらないのだろう??」と混乱します。そして仕掛け人が「やっぱり無理ですね。もう結構です」と言うに及んで、その結果、カモの人は「一生懸命やったのに、何でこんなことになるの」と、無力感にさいなまれます。仕掛け人は、心の底で「人は誰も私の役に立ってなんかくれない」と思いこんでいますから、「ふん、どうせ」という思いを再確認するのです。
このようにゲームの結果は両者ともに不快感を味わって終結を向かえるのです。ケース2(馬鹿者)もケース3(Kick me)も同じようなやりとりの結果、対人的葛藤が生じるのです。
ディスカウント(値引き)の理論
交流分析で「ディスカウント(値引き)」とは、直面している問題の解決に必要な資源を安く見積もることを言います。値引きは、自分の能力、相手の能力、状況などに対して行われます。例えば、自分の能力(できること)を能動的に捉えて積極的に問題解決に取り組もうとしなかったり、解決できないのを相手の能力不足のせいにしたり、状況を仕方ないこととして諦めたりすることと言えるでしょう。
◆ディスカウントによる葛藤
このディスカウントが対人関係の葛藤を引き起こしているケースを見てみましょう。
E男さんの場合は、まず課長の能力を値引きしています。その上、その葛藤を解決するために積極的に自分で何とか行動するということをせず、自分のできることも値引きしてしまっているようです。
葛藤への対処と解決
対人関係で何らかの葛藤が生じたとき、まず大切なのはその葛藤の要因とお互いのパーソナリティを客観的に理解することです。お互いの考え方や価値観や言動の特徴を把握することです。そのときに、交流分析の自我構造の理論と交流の仕方の理論を用いてみます。
交叉的交流によって生じた対人葛藤の対処
起こっている対人的葛藤での自分の考え、感情、反応がP・A・Cのどこから相手のP・A・Cのどこにメッセージを送ったことで生じているのか、その交流の仕方を見てみましょう。
例えば、前述のような交叉的交流が要因の対人的葛藤の場合です。娘は血糖値の高い父親の食事について、自分のPから父親のCへメッセージを送ったのに対し、父親のPから娘のC への反応として返ってきてしまい、両者とも不愉快な気分になってしまっているのです。娘は「父を気遣っているのに」という親のような気持ちでメッセージを送ったのに、父親は言われたくないことを言われたので、カッとして、「何を偉そうに」と独善的に威圧的にPから娘のCにメッセージを返しています。両方とも相手の気持ちがわかっているのに「もう嫌になる」と葛藤を生じさせています。これ以上、やりとりを続けると対人関係が混乱するばかりです。
娘は落ち着いて自分の言動をAで判断し、気持ちを整理して、「お父さんのことを考えて言ったのだけど、娘から偉そうに言われてプライドが傷ついたのかな。私もPではなくAで、お父さんのAに向けて合理的に客観的情報として話せばよかったのかもしれない。多分、AからAの交流になって、お互いに葛藤は起こらなかったかもしれない」と考え直すことができるでしょう。
裏面的交流から起こった対人的葛藤の対処
前述の裏面的交流の場合は、夫婦のAからA同士の交流のようでいて、夫の裏面的交流とそれを受けての妻の裏面的交流の反応で、お互いに心の中でフンという思いを募らせています。
この場合も下手に表面的に会話をするのではなく、夫が「これ出しっぱなしになっているけど、忙しそうだから手が空いている僕が片付けようと思うけど、どこにしまったらよいのかな」と、忙しい妻を手助けするという「養育的親:NP」でメッセージを送ると、妻は素直に「前はそこの棚に置いてあったので、そこにしまってくれますか」と反応することになり、本当のAからAへの平行的交流になって葛藤は起こりません。
ゲームによる葛藤の対処
前述の「Yes, But」のケースでは、カモにされた人は自分が役に立とうと、「養育的親:NP」から相手の「順応した子ども:AC」に向けてメッセージを送っている点に目を向けます。それに対して相手は、表面はACで答えているようですが、裏のメッセージで「自由な子ども:FC」からカモのFCへ返信しているのです。カモの親切心を役立たないものだと伝えて怒らせたいのです。そのままだと葛藤だけが残り生産的な解決には絶対に至りません。その場合は、一生懸命に解決案を提示するのをやめます。そして、自分のAから相手のAに向かって冷静で合理的なメッセージを送ります。
自分が引きずり込まれている関係から脱出して、問題を相手に返すことです。この際、必ず、AからAに向けてメッセージを送ることです。
ケース2の場合もケース3の場合も同様の方法を取ります。少なくともカモにされて葛藤を抱えることにはならないでしょう。つまりどの場合でも、起こっている事態で、自分と相手の自我状態がどうなっているのか、どの自我状態でどんな交流をしているのかを冷静に見極め、AからAへの交流に切り替えるよう心がけることが大事です。
ディスカウントによる葛藤の対処
ディスカウントによる葛藤の場合も同じことが言えます。
まず、自分が抱えている葛藤の状況を客観的に見つめます。前述のケースでは、課長は本当に部下を正当に評価する能力がないのかどうか、自分以外の部下に対してはどうなのか、もし課長に問題があるとしたら自分には何か積極的に対処することができないのかどうか、そしてそうした判断をする自分はどの自我状態から反応しているのだろうかなどを冷静に考え、葛藤の状態としっかり向き合ってみます。
自分が自分、相手、状況をディスカウントしていないかどうか見極め、どのようにしたら葛藤状況から抜け出せるかを考えてみます。それによって自分自身の物事の捉え方の特徴が見えてきます。葛藤は人からどうしてもらうとか、人に変わってもらうということではなく自分自身の捉え方を見直すことで解決することが多いものです。
このように見ていくと、対人的葛藤は自分の自我状態のあり方、つまり物事の捉え方や人との関わり方によって生じやすく、対処するにもその二つが重要であることがわかります。「はじめに」で述べたお嫁さんと舅姑の考え方の違いによる葛藤も、お互いの自我状態を分析してみて、関わり方(交流の仕方)を工夫することで解決できることでしょう。思い込みを捨てて、落ち着いて、「成人:A」でコロナ禍での消毒やマスクの大切さを、義父母のAに向かって説明し、場合によっては権威のある人の言や記事などを持ち出して説得してみましょう。「親:P」で相手を言いくるめようとするのではなく、冷静に相手の立場や自我状態(性格)を理解してその上で話し合いをすることです。
葛藤の意味
葛藤が生じた場合、その事態を客観的に見極め、現実に向き合うことによって、そこに至った自分自身の考え方や価値観、好き嫌いなどを確認することができます。そして、物事を決めるときの選択の必要性、その重要性に気づくことができます。そう考えると、対人的葛藤にしっかりと向き合い、対処を考えることで、自己成長につながると言えるでしょう。