見出し画像

妊娠、出産、産後のこころのSOS(臨床心理士・公認心理師:蔵あすか) #こころのSOS

 新しく生まれたいのちへの喜びは、かけがえのないものだと思います。しかし、それは同時に大きな責任も担うことともなります。また、そのとき特有のこころの変化もあるようです。乳児院の心理職として勤務して、子育てや産後うつ、虐待などの相談に応じている、二児の母でもある蔵先生に、出産時にかかわるこころのSOSについてお書きいただきました。

 妊娠、出産、産後における母親の身体的精神的な不調は、よく知られるようになってきたのではないだろうか。産後うつについてはホルモンの急激な変化によるものが大きいという認識が広がっているように感じるし、心身の辛い母親が早期に相談や治療につながるように産後うつのスクリーニングは定期的に行われ、地域の助産師や保健師が対応している。2021年4月には改正母子保健法が施行され、自治体が「産後ケア事業」に力を入れるようになったり、まだ首都圏中心ではあるものの産後ケアホテルがいくつかできたりしている。育児休業を父親が取って当然という風潮はまだできあがっているとは言い難く個人や会社が努力している最中であるが、育児に父親が参加することそのものは特別ではなくなってきた感がある。産後うつまでではなくても、子育て真只中で疲れている母親や、そんな母親と共に奔走している父親、支援者、頼る親戚もおらずひとり親で頑張っている父親、母親もいるだろう。また、里親や養子縁組で赤ちゃんを迎え入れた父母も激動の中にいるはずである。これまで受けてきたカウンセリングや相談では、赤ちゃんと二人きりになると怖いと語る方や、子育ての大変さを吐露される方があった。そういった方の相談からみえた特に産後1年の日常にひそむこころのSOSについて考えてみたい。

赤ちゃんとの生活による変化を共有する

 赤ちゃんがいるとその場にはゆったりと穏やかな空気が流れ、赤ちゃんを見つめる人の顔には笑顔が浮かぶ。赤ちゃんの登場は環境を変化させる。その他にも父母の感じる変化について時間、身体、社会、精神に分けて考えると、赤ちゃんは父母の優先したいことに関係なく、お腹を空かせたりおむつを替えてほしいと訴えたりする(時間)。授乳や抱っこで姿勢が崩れ肩こりや腰痛が出現し(身体)、社会とのつながり方が自分という個人を主軸にしたものから赤ちゃんを介したものに変化し(社会)、赤ちゃんの命を守り発育発達を促すという緊張感も生まれる(精神)。変化の度合いや衝撃度は家庭によって、また赤ちゃんの個性によってかなり異なる。

 これらの変化の何に一番驚いたのか、変化によってどのようなことに参ったり困ったりしているのか、ということを父母間や父母と支援者との間で共有できると、その家庭におけるSOSが見えてくると思う。共有できないまま、母親は身体が疲れているだろうから休んでほしいと考えて周囲の人が「マッサージに行ってきたら?その時間は赤ちゃんをみておくよ」と提案しても母親の真のニーズは「私は会社に早く復帰したいからその手続きを進めたい」かもしれない。父親は赤ちゃんの誕生によってこれまで以上に熱を入れて仕事を頑張るかもしれないが、母親は「それよりも、一緒に赤ちゃんのお世話をする時間を少しでも長くしてほしい」かもしれない。赤ちゃんを迎えたことで父母それぞれに責任感が生じても、向かう先が父母でずれることはよくみられるため、調整が必要である。

 生後1年は特に赤ちゃんが離乳食を食べるようになったりハイハイをするようになったりと短期間で成長する。そのため次の変化への対応も短いスパンで迫ってくる。「前は~~だったから」ではなく、父親や母親が時間、身体、社会、精神のどの部分の変化に対して具体的な助けや代替案を必要としているかをお互いに随時確認して更新していく必要がある。

寝不足は大敵

 赤ちゃんとの生活で分かりやすく、家族がこれまで築いてきたパターンを変化させざるを得ないのが睡眠時間である。睡眠時間中に赤ちゃんの授乳やおむつ替え、夜泣きなどの対応が入り幾度となく起きることになる。普段よく寝る赤ちゃんでも体調を崩した時には頻回に起きることがある。また、これらの訴えに即座に反応できるように父親や母親は浅い眠りになりがちである。寝不足になると通常できる思考ができなくなったり、些細なことにイライラしたり、周囲の親切心を素直に受け取れなかったりする。寝不足からイライラしほんとうは赤ちゃんに笑いかけたいのに無表情の母親、それをどうにかしようと手を出すとダメ出しをされる父親、父母のそんなやりとりを無言で見つめる祖父母やきょうだい。赤ちゃんは家族の笑顔が大好きであるが、誰かの寝不足を引き金に家族みんなの笑顔が減ってしまうこともある。寝不足、イライラしている人がいたら、その時間は眠っていない人が責任をもって赤ちゃんを見るなどの環境を整えて安心して眠れるようにすることが、ひいては家族みんなのメンタルヘルスにも良い影響を与えると考える。

優先すべきは何か

 授乳やおむつ替えなど、赤ちゃんに対してすること自体は難しい知識やスキルを求められることではないがマルチタスクになりがちであり、それ故疲労につながりやすい。大人の手がないと生きていけない赤ちゃんのお世話は切れ目なく続き、それと並行して自分や家族の衣食住を最低限満たすこと、赤ちゃんの発育発達の心配、予防接種や離乳食などを順序よく進めること、きょうだいのケア、仕事を再開するとしたら保育園利用のための手続きなどがあり、もしそれらを母親が一人でしないといけないとなると大変である。寝不足がベースにあれば思考力も落ちているのでうまくできなかったり、疲れが蓄積するとマイナス思考になったりして、ほかの人がやっていることなのに私だけできていないと自己嫌悪に陥ったりする。

 疲労の蓄積やこころの不調を防ぐために、父親と母親が一緒に優先順位をつけながら実行に移したり、赤ちゃんの離乳食や大人の食事をレトルトやお弁当に頼ったり家事代行を頼んだりするなど家庭のSOSと経済的な事情に合わせたアウトソーシングを取り入れたりすることも有効かもしれない。また、これまでであれば100点を目指していた家事を一定期間は50点くらいで許容するということも大切である。家庭によっては50点では不満の人がいることもあるので、例えば「トイレはこれまでお父さんが毎日掃除していたけど、汚れたら気づいた人がする。」などと合意できると良い。赤ちゃんの登場によって生活パターンが変わっているのに、これまでしていたことを同じように保とうと固執すると家族間がぎくしゃくしてしまうので要注意である。いま、一番大切にしたいものは何かを考えたい。

親も成長する

 子育てをする日常は始まりや終わりがハッキリしていない。会社や学校のような始業終業の合図もないし、休憩時間も不明瞭で延々と続く。これまでの人生では苦手だったり自分と合わないと感じたりしたらその場から離れる選択ができたかもしれないが、子育ては苦手だから疲れているからと逃げるわけにもいかない。数日間であれば祖父母を頼ったり社会的なサービスを利用したりすることはできるが、基本的には終わりがない。よく子育ては親育てというが、赤ちゃんは大人の苦手なことを克服する道しるべになり、親の成長にもつながる。

 例えば、赤ちゃんはさっきまで泣いていたと思ったら次の瞬間には好きなおもちゃを前にキャッキャと笑っていたりして、気分転換が上手である。また、言葉をまだ操れない赤ちゃんを前に「お腹が空いているのかな?」「遊んでほしいのかな?」とやりとりをすることで大人のコミュニケーションスキルが向上する。また、例えば何でも口出しをしてくる自分の母親をなんとなく疎ましく思いながらもやり過ごしていた母親が、赤ちゃんの育て方にもあれこれ口出しをされたり以前のやり方を押し付けられたりして、見て見ぬふりをしていた自分の母親との課題に向き合わないといけないこともある。赤ちゃんとの関係は続くものであるからこそ、大人が成長させられる面もある。

’手’が必要

 私自身も子育てをしているが、痛感するのは子育てには’手’が必要ということである。いくつかの手があれば、産後に母親がゆっくり休める、赤ちゃんのお風呂を入れてもらえる、きょうだいのお世話をしてもらえる、病気の時に病院に連れていってもらえる。大家族で赤ちゃんを育てる環境が主流だった時代は、手が必要な状況で自然に借りられていたであろう。核家族やひとり親などでワンオペ家事が主流になったいま、手が必要になったらわざわざ祖父母や社会的なサービスを、時にはいくつもの書類を準備したり登録したりして、お願いしないと得られない。それでも、ぜひ手を借りて子育てをしてほしいと思う。責任感や可愛さのあまり人に手出しをされたくないと思う人もいるかもしれないが、こころのSOSのサインが小さいうちに手が必要であると声をあげてほしい。周囲の人も社会もそれをあたたかく見守り、家族全体でまた社会全体で、可愛く尊い存在である赤ちゃんの成長と親の成長を見守っていけることを願っている。そして、もし手があいたら、その手を自分や支援者に向けて「よくやってるね」「ありがとう」と拍手したり労ったりする手にしてほしい。

【参考資料】

狩野さやか 2017 『ふたりは同時に親になる 産後の「ずれ」の処方箋』 猿江商會
ミィ 2018 『脱産後うつ 私はこうして克服した』 講談社
清水悦子 2015 『赤ちゃんが苦手かも?と思ったら読む本』 主婦と生活社

【著者プロフィール】

蔵あすか(くら・あすか)
臨床心理士・公認心理師。学校や精神科クリニックのカウンセラー、HIVカウンセラー、精神障害に関する労災請求の相談員、ワークライフバランス支援室の相談員として勤務してきた。また、被害者支援や離婚家庭の面会交流支援にも携わってきた。現在は乳児院の心理職として勤務。子育てや産後うつ、虐待などの相談に応じている。二児の母でもある。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!