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よりよく生きるためのレジリエンスと環境の重要さ(小塩 真司:早稲田大学 文学学術院 教授)#つながれない社会のなかでこころのつながりを

困難な状況から立ち直るプロセスを「レジリエンス」と呼ぶことがあります。私たちは感染症の脅威から、これからどのように立ち直っていくことができるのか、どのように立ち直っていくべきなのかを、パーソナリティ心理学・発達心理学がご専門の小塩真司先生に、レジリエンスをキーワードにお考えいただきました。

覚えていますか

 2020年の年が明けて、2月頃くらいまでのことを覚えているでしょうか。

 正直なことを言うと、私自身はすっかり記憶がおぼろげになってしまい、はっきりと思い出すことができません。もちろん、その時期に何をしていたかは記録を見れば分かるのですが、当時コロナウィルス感染症について何を思っていたのか、世の中の出来事に対してどう思っていたのか、そのリアルな意識については、その後の世界中で起きた展開が急激すぎて、おぼろげになってしまいました。

 ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が判明したのが2月初旬、新型コロナウィルス感染症がCOVID-19と名付けられたのが2月中旬、そして2月末に学校の臨時休業が要請され、4月7日に7都府県,同16日に全国に緊急事態措置の対象とすることが発表されました。私の家にも小学生、中学生、高校生の3人の子どもたちがいて、学校の臨時休業のため自宅で過ごす日々を送っています。

 そういえば2月中旬には、家族とも相談をして半月後に行く予定だったアメリカへの出張を取りやめたのでした。しかしそのときには「まだ大丈夫だろう」という気持ちが強く残っていたことも覚えています。世の中の雰囲気にも、今に比べれば「日本もアメリカもまだ大丈夫ではないか」というものが多かったのではないでしょうか。実際に、日本の研究者もその学会に参加していましたし、その学会の期間中には何度か「やっぱり行けば良かったな」と後悔する気持ちがありました。

 ところが、その後の一連の出来事を経験する中で、そんな気持ちがあったことはどこかに吹き飛んでしまいました。もう、それ以前の感覚を純粋に抱くことはできません。自分のそういう状況を考えても、人間というのは本当に忘れっぽく、感覚は出来事に大きく左右され、そして「忘れていない」と思っていても、その記憶の内容はどんどん塗り替えられていってしまうものだと感じます。

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レジリエンス

 今回のような困難な状況であったとしても、きっと人類は立ち直っていくことでしょう。そのあたりについては、私は楽観的に見ています。

 困難な状況から立ち直るプロセスをレジリエンスと呼ぶことがあります。レジリエンスという言葉は、もともと素材が外圧によって歪められたときに反発する現象を指す言葉でしたが、それを人間に当てはめて、困難から立ち直る現象そのものやそれを促す能力、状態を指す言葉としても用いられるようになりました。

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 なおレジリエンスは、個人の能力だけを指す言葉ではありません。「立ち直り」という現象を総合するような言葉として捉えることが適切ではないかと思います。そして、回復を促す要因の中に、個人のパーソナリティや人間関係、社会的なサポートなど多様なものが含まれていると考えると、レジリエンスを促すには何が必要かを考えやすくなるように思います。

人間関係への気づき

 今回流行している新型コロナウィルスの特徴として、感染してから発症までに時間がかかることと、無症状や軽症で済む人々がいることを挙げることができます。この特徴があるために、その対策として、人との接触を避けることが重要になり、そして私たちはその対策の困難さを実感している最中でもあります。

 今回の事態によって、私たちがいかにふだん密接な人間関係を営んでいたかを、あらためて実感することになりました。それは友人や知人、恋人など個人的な関係だけでなく、仕事でも買い物でも、近所づきあいなどの公的な関係でも同じです。そういった、生活を営む上で不可欠な人間関係が奪われることで、逆に、私たちにはそういう関係が必要だったのだという事実に気づくことができました。

 人間関係は、命をも左右する重要な要素です。たとえば良好な社会的関係をもつことは、飲酒や喫煙、BMIや運動習慣よりも死亡率に強く関連することが報告されています。今回のコロナウィルス感染症は、この重要な要因に打撃を加えることに成功しています。もちろんオンラインでのやりとりは維持されているものの、それはレジリエンスに対するひとつの大きな要素を奪うことにもつながっているのです。

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みな同じだと考えてしまう

 それぞれの人がもつ人間関係のあり方は、大きく異なっています。ところが私たちはそれを、みな同じような状況にあるものだと考えてしまいがちです。

 どのような状況で暮らしているかということは、私たちの生活を大きく左右します。たとえば、ひとりで暮らしているのか、家族と一緒に暮らしているのか、高齢者と一緒に生活しているのか、子どもと一緒なのか、また子どもたちが何歳くらいなのか、何人いるのか、そしてオンラインでのやりとりができるような状況にあるのか……その状況によって、今回のような外部の人間関係が途絶えてしまったときの行動パターンや精神的な支えのあり方は大きく異なるでしょう。

 また、住んでいる場所も、私たちの行動を大きく左右します。人口が密集する地域に住んでいるのか、自然豊かな地域に住んでいるのか、そのことによって、私たちの行動は大きく影響を受けます。私の場合、たまたま東京都内は思えないような自然の豊かな地域に住んでいるため、他の人々に近づくことなく家族で散歩を楽しむ機会が確保されています(通勤は大変ですが、むしろすべてがオンラインになったことで通勤がなくなり、そのぶん時間は確保しやすくなりました)。

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 誰とつながっているか、誰と一緒に暮らしているか、そしてどこに住んでいるのか。こういった要因は、今回のような出来事が起きることを予見して選択するようなものではありません。今回はたまたま、このような状況の中でも比較的過ごしやすい状況にある人がいることでしょう。しかし、今回と異なる状況になれば、今は利点になっている状況が欠点になる可能性もあります。どのような事態にも完璧に適応できる条件というものは考えづらいのです。また、時が変われば結果も変わります。数年前や数年後に同じような状況になったとすれば、子どもの年齢も本人の年齢も変わってきますので、それによっても生活の状況が大きく変化します。

 私たちが生活している状況と、今回のような出来事とのかかわりから生じる結果には偶然の要素が大きいものです。今回のようなことが起きることを予見して環境を構築するというようなことは、個人ができる範囲を逸脱しています。しかしその一方で、その偶然手にした環境によって、それぞれの個人が困難から立ち直る、レジリエンスの程度も左右されてしまいます。

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個人以外のレジリエンス要因

 個人でそのような予見ができないからこそ、公的な支援が必要です。今回、国や地方自治体が行っている支援についてここで論評するつもりはありませんが、必要な人々に必要な支援が十分に届けられることを祈っています。

 自分自身が周囲からどのようなサポートを受けることができるかという点も、レジリエンスには不可欠な要素です。広くこのことを捉えれば、これも「どこの国・地域に住むか」という問題として考えることもできます。しかし、やはりこれも、今回のようなことを予見してその国に住む、などということを考えて選択するような問題ではありません。

よりよい未来のために

 レジリエンスについて考えるときには、つい心理的な個人内の要因に目が向きがちです。しかし、時にそれは環境の要因を軽視することにつながります。実際には、個人の周囲をとりまく環境というのは、危機的な状況においてこそ大きな意味をもちます。それは今回の情勢を見回してみても、実感できることではないでしょうか。最低限の状況要因が整ってはじめて、個人内の要因が大きな意味をもつようになります。衣食住がままならないのに、精神論で乗り越えろと言っても対応できないのと同じです。

 近年私たちは、偶然性を軽視し、必然性を重視することが促される傾向にあると感じることがあります。人々は自律的に自ら決断し、選択し、自分の人生を決め、自ら歩んでいると考えがちです。それは、幼い頃から「何を選ぶべきか」「将来をどう考えるか」を促されてきた影響かもしれませんし、人生を自らコントロールできるという価値観が広まった結果であるかもしれません。そして、私たちは偶然性を軽視して、すぐに結果の原因をその人自身に求めてしまいます。

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 その一方で、私たちは複雑な社会システムを構築していますが、その大きな目的のひとつは困難な状況にあっても資源を再分配し、相互にサポートしあうことにあります。個々人が偶然に立ち向かうのは大変なことですが、社会全体のシステムの最適化は偶然性に対処するためのひとつの有効な手段です。

 偶然に生じるさまざまな出来事や状況を理解して今回の事態を乗り越え、さらに次の事態に備えるため、少しでもより良くするにはどうすべきなのかを考えていきたいものです。

(執筆者プロフィール)

小塩 真司(おしお・あつし)
早稲田大学 文学学術院 教授。専門はパーソナリティ心理学,発達心理学。各種心理的な個人差特性と適応や発達について研究を行っている。
研究室HP
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<文献>
Holt-Lunstad, J., Smith, T. B., & Layton, J. B. (2010). Social relationships and mortality risk: A meta-analytic review. PLOS Medicine, 7, e1000316. https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1000316

<関連書籍>


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