進化心理学で言えること・言えないこと(早稲田大学文学部教授:福川康之) #その心理学ホント?
進化心理学とはどういう学問か
「進化」の話は誰でも聞いたことがあるはずです.キリンの首が長い理由を説明するという,あの理論です.簡単に見ていきましょう.私たちが動物園で見るキリンはすべて長い首を持っていますが,彼らの祖先たちのなかには首の短いものもいたようです.ただし,彼らが生活していたサバンナでは,高いところにある木の葉を食べたり,遠くの敵を早く発見したりできる,長い首を持っているほうが有利でした(自然選択).ここで重要なのは,首の長いキリンは,首の短いキリンの親よりも首の長いキリンの親から生まれやすいことです(遺伝).ときには首の短いキリンから首の長いキリンが生まれたり,首の長いキリンから首の短いキリンが生まれたりすることもありましたが(突然変異),当然,前者のほうが生き残りやすかったはずです.結局,遺伝・突然変異・自然選択の働きのもとで世代交代が繰り返されれば,最終的には首が長い動物,すなわち「キリン」が誕生することになるでしょう.
直立二足歩行や薄い体毛など,ヒトが他の動物にはない身体的特徴を持つようになったのも,キリンの首と同様のプロセスの結果と考えられています.そして,進化心理学者は,このような進化の原理を,ヒトの心にも当てはめられるのではないか,と考えています.つまり,ある個体に遺伝や突然変異によってもたらされた心の特徴が,他の個体より何らかの点で有利に働くなら,そのような特徴は,自然選択に基づく世代交代の結果,現代の私たち(現生人類)の心にも備わっているはずだ,ということです.
感情やモラルなど,ヒトが持つ心理的特徴が自然選択によって作られる,というアイディアは,進化論史上の最重要人物の一人であるチャールズ・ダーウィン(Charls Darwin)がすでに着想していました(Darwin, 1871).その意味で進化心理学は,特にダーウィンの進化論に基礎を置きながら,ヒトの心の成り立ちを考える学問といえるでしょう.
進化心理学はヒトの心をどのように捉えるか
進化心理学は,「至近要因」と「究極要因」という2つの観点からヒトの心理や行動を説明できると考えています.例えば,中学生になったばかりのA子さんは,最近,同じクラスのB君のことが気になって仕方ありません.A子さんが異性にこのような気持ちを抱くことはこれまでありませんでした.つまりB君はA子さんの初恋の相手というわけです(自分で書いていて恥ずかしいです).このようなA子さんの恋心が生じた要因を考えてみましょう.第1の要因は,A子さんが異性に関心を持つような年齢に達したから,というものです(発達).第2の要因は,B君のことを考えるとA子さんの脳内でいわゆる恋愛ホルモン(例えばフェニルエチルアミン)が分泌されるから,というものです.恋愛ホルモンは快感を生じさせるので,A子さんの脳は積極的にB君のことを考えるような神経ネットワーク(メカニズム)を構築するでしょう.これら発達とメカニズムの2つが,A子さんの恋心に関する「至近要因」です.
次に「究極要因」の視点からA子さんの気持ちを考えてみましょう.恋愛感情が性行為と結びつきやすい,ということが第3の要因です.この場合,B君への気持ちは,A子さんが子孫を残すきっかけとなる心の動きということになります(適応).最後に第4の要因です.チンパンジーのメスにはヒト女性と同様に月経周期があり,排卵近くになるとお尻のあたりがピンクに大きく腫れ,これを見て寄ってくるチンパンジーのオスと交尾をします.同様に,ヒト女性も,生理周期に対応して性欲や性行動が変化することが指摘されています(Harvey, 1987).そう考えるとA子さんがB君に恋をしたのは,チンパンジーの親戚(類縁種)だから,といえるでしょう(系統発生).これら適応と系統発生の2つが,A子さんの恋心に関する「究極要因」です.
従来の心理学や脳科学は,A子さんの恋心について,至近要因(発達とメカニズム)から考えることを重視していました.これに対して進化心理学は,同じA子さんの恋心を,究極要因(適応と系統発生)から考えることを提案しているのです.
進化心理学に対する批判
Evans and Zarate (1999)は,進化心理学の考え方に対する批判を3つにまとめています.それぞれに対する進化心理学からの反論とあわせて見ていきましょう.
1. 汎適応主義:進化心理学は,ヒトの心や行動のすべてを適応(生存と繁殖)と結びつけている
先に述べた「至近要因」「究極要因」というアイディアは,ニコラース・ティンバーゲン(Nikolaas Tinbergen)というオランダの動物行動学者が提唱したものです.ティンバーゲンが学問の道を歩みはじめた当時は,行動主義心理学(「私に1ダースの子どもを与えてくれれば,教師にも,弁護士にも,泥棒にも育てられる」と豪語する学者のような考え方)が勢力を振るい,ヒトを含むすべての動物の行動は,環境から受ける刺激とその反応,という枠組みで説明できると考えられていました.ティンバーゲンはこのような考えに疑問を抱き,生存や繁殖といった,生物にとって極めて重要な行動に関しては,進化や生得的な能力を抜きにしては考えられないことを主張したのです.
現代の行動主義心理学者の多くは進化心理学の考え方を少なくとも部分的は認めているはずです.進化心理学者も行動主義心理学者の主張を全く否定しているわけではありません.宣伝めいて恐縮ですが,私を含む日本の進化(心理)学者たちが執筆した本(小田他, 2021)が近年刊行されました.ここでは各執筆者が,「食べる」「考える」「結婚する」といったヒトのさまざまな行動について,至近要因と究極要因の両方に配慮した解説を行っています.
2. 還元主義:進化心理学は,ヒトの心や行動の理由を「進化の結果」の一言で片づけてしまう.
還元主義とは,多くの事象を,より根源的で少ない原理や法則で説明しようとする考え方のことです.還元主義は本来,ニュートンが惑星の運動と地球上の物体の運動を「重力」という共通概念で説明したように,物事の本質を見極めるうえで重要な科学的態度です.しかしながら,進化論の還元主義について,どのような事象も進化の結果と見なす安易な説明装置となっている,と批判する人たちがいます.
科学哲学者のダニエル・デネット(Daniel C. Dennett)は,ヒトは動物なので生物学の法則に従い,生物は分子で構成されているので化学の法則に従い,化学はその基礎である物理学の法則に従う,といった還元主義については,「穏やかな解釈」と,「馬鹿げた解釈」があることに注意を喚起しています.デネットは,人類に最も優れたアイディアを提供した歴史上の人物として,ニュートンやアインシュタインより先にダーウィンに賞を与えるべきだ,と主張するほどの進化論の擁護者です.しかし一方で,進化論に還元主義の「馬鹿げた解釈」を当てはめてしまうと,私たちの精神・目的・意味などを,すべて物理や化学の法則で説明できると結論してしまう危険があるとも述べています(Dennett, 1995).ティンバーゲンに関する項でも説明したように,進化心理学者は,事象が起こる背景には様々な要因があることを認め,デネットの言う「穏やかな還元主義者」であろうと努めています.
3. 遺伝子決定論:進化心理学は,ヒトの心や行動のすべてが遺伝子に支配されていると主張している
「利己的な遺伝子」という言葉を聞いたことはないでしょうか.進化生物学者リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)の最初の著書(Dawkins, 1976)のタイトルです.この本における「生物は遺伝子の乗り物」「生物=生存機械」といった刺激的な論調が評判となったことから,進化論者は「ヒトの運命は生まれながらに決まっている」と考えている,との批判を受けることがあります.しかしながら,これは「氏か育ちか(遺伝か環境か)」という古くからある論争の一方の極(氏)に進化心理学者の立場を押し込めようとしているように思えます.
生物のさまざまな特徴に対する遺伝と環境それぞれの寄与を推定する統計的手法(行動遺伝モデル)を用いると,身長や病気への罹りやすさなどの身体的特徴だけでなく,ヒトのさまざまな心理的特徴も遺伝と環境の両方から何らかの影響を受けていることが明らかとなっています(安藤, 2011).重要なのは,知能,パーソナリティ,自尊感情など,従来の心理学でこれまで検討されてきた概念が,それぞれどの程度の影響を遺伝や環境から受けているかを明らかにすることです.進化心理学者はこのような遺伝学の新しい知見を常に参照しながら自らの研究を進めています.
進化心理学の知識を引用したり,勉強したりする際にはどんな点に注意すべきか
まずは究極要因だけでなく,至近要因の重要性にも配慮しながら勉強を進めてほしいと思います.例えば老化はヒトの発達過程の一部であることから,老年心理学の領域においては,至近要因を重視した貴重な研究が多くなされています.他方,ヒト女性が閉経後に何十年も生きることは,一見,繁殖という生物としての究極要因と矛盾する現象のように思われます.しかしながら進化心理学の立場からは,女性が高齢期出産のリスクやコストを避けて,自身の子の子(つまり孫)の育成に貢献するほうが,最終的に多くの子孫を残せる可能性があるため,適応的に進化したのではないかというアイディア(祖母仮説)が検証されています(Fukukawa, 2013).
次に,私たちの心(脳)の機能や構造は,私たちの祖先が狩猟採集生活を行っていた頃にほとんど完成していたという点に注意してほしいと思います.このことは,狩猟採集時代が終わった後に私たちが手に入れた新しい生活環境(農耕社会やグローバル社会など)が,私たちの心には却って「生きづらい」ものとなってしまう可能性を示唆しています (ミスマッチ仮説:Lieberman, 2013).例えば,私たちの祖先にとって最大の敵の一つは病気や死をもたらすウイルスでした.このため,ヒトはウイルスへの感染リスクを高める対象(ゴキブリ)や場所(不潔な部屋)に近づくと,直ちに嫌悪感情を発動させて回避行動をとれるように心を進化させてきたと考えられています.しかしながら2023年3月現在でも,多くの日本人が,皆がしているからという理由でマスクを装着し続けています.また,今では若者を中心に生活必需品といってよいほど普及しているスマートフォンですが ,このデバイスの過度な利用は,うつや睡眠障害などの病気のリスクを高めたり,記憶力や学力を低下させたりする可能性が指摘されています(Hansen, 2019).
最後にもう一つ.進化心理学から得られた知見は,ときに「男は外で仕事,女は家庭で育児に専念することが適応的であるように進化してきた」といった主張の根拠とされることがあります.現代社会は良い方向に「進歩」していると信じたいですが,私たちの「古い心」がそれについていけるよう,進化心理学者は適切な取扱説明書を作成していかなければならないと考えています.
2023/04/10 読者の指摘を受け、加筆修正を行いました。