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アニメーションの出会いと別れ(横田正夫:日本大学特任教授)#出会いと別れの心理学

日本を代表する文化として世界中に知られるアニメーション作品では、どのような出会いと別れがあるでしょうか。アニメーションを心理学の知見から考察し続けている横田正夫先生に、印象的な出会いと別れについてお書きいただきました。

印象的な別れ

 日本のアニメーションでは心の繋がりが強調され、出会いと共に心の繋がりが成立するものが多い。そうした中で別れは避けられるべきもののようになっている。しかし、そうした中でも印象的な別れのシーンがいくつかあるのでまずは別れから紹介してみたい。

 高畑勲監督の第1回監督作品の「太陽の王子 ホルスの大冒険」(監督:高畑勲/脚本:深沢一夫/製作:関正次郎・相野田悟・原徹・斉藤侑/製作総指揮:大川博/製作:東映動画)の主人公はホルスと言う少年である。彼は悪魔から村を救うおうとする。悪魔の手先の狼を追って、廃村にやって来て、悪魔に滅ぼされた村の生き残りのヒロインのヒルダに出会う。ヒルダは、実は悪魔の妹で、ホルスの生活する村を混乱に陥れ、さらにはホルスを殺そうとする。ホルスはヒルダによって「迷いの森」という誰も抜け出せない迷宮に崖の上から落とされそうになりながらも、ヒルダの人間の心を信じている。しかしヒルダは苦悶の表情を浮かべながらも、迷いの森にホルスを追い落としてしまう。ヒルダには、常に付き従っている動物がいた。フクロウのトトとリスのチロである。フクロウはホルスを突き落とすのを躊躇っていたヒルダの行為を、促して、突き落とさせたように悪の心を象徴していた。それに対しリスは善の心を象徴している。

 印象的なのは、このリスのチロが、ホルスを迷いの森に突き落としたヒルダに向かって、もうヒルダとは一緒にいられないといって村に去ってゆく行為である。ヒルダの善の心が、彼女から離れて行ってしまうのである。その後、当のヒルダは悪魔グルンワルドの元に戻って、ホルスは必ず復活すると主張し、さらには彼に向かって「私は北の国へ帰ります」と宣言する。そして一人北の国へ去ってゆく。

 以上のようにヒルダと言うヒロインは複雑な心理を体現している。別れということであれば、ホルスを殺害しようとして別れ、善の心チロはヒルダから別れて去り、ヒルダも悪魔から別れて去ってゆく。

 現代のアニメーションでは、心が大事ということで、常に心がつながり合っていることが善であり、断ることが何か悪のように感じられる作品が多いが、しかし断る力も心の健康の一つの指標であることがこの作品によって示されていると思われる。ヒルダにとって、彼女の自我の確立のためには、別れが必要であったということなのであろう。特に、悪魔グルンワルドとの別れがそうした自我の確立の象徴的な出来事と思われる。こうした別れの体験の後に、フクロウのトト(悪の心)を一刀のもとに切り捨てるということも起こってきた。

横田先生 挿入写真 分かれ道

現代の別れ

 現代のアニメーションの別れの印象的なものには大ヒットした「鬼滅の刃 無限列車編」(原作:吾峠呼世晴/監督:外崎春雄/脚本:ufotable/制作:ufotable/製作:アニプレックス、集英社、ufotable)の煉獄杏寿郎の死があげられよう。アニメーションでは主要登場人物は死なないものと思われてきたが、必ずしもそうではないことをこの作品は示した。彼は上限の参の猗窩座との凄まじい戦いの後に死んでいった。杏寿郎の死の直前に印象的な出会いがあった。杏寿郎は、母の姿を目にするのである。母はすでに亡くなっており、母の思いを受けて人を助けるために戦った彼は、十分戦ったのかどうかを出現した母に問う。臨死体験の場合に、亡くなった人たちを目にすることがあると言われているが、杏寿郎が母の姿を目にしたのもそれに対応している。杏寿郎は臨死体験の中で亡き母との再会を果たしたと描かれたのである。

 こうした杏寿郎の死の暗示していることは、母との心の繋がりが大事ということである。同様なことが主人公の竈炭治郎にも言える。彼は、下弦の壱の魘夢の見せる夢に取り込まれてそこから抜け出せなくなってしまう。夢の世界では、鬼に殺されたはずの家族が全員そろって幸せに暮らしている。この幸せの家族の生活が夢の中のことであることに気づき炭治郎は目覚めようと試みるが失敗する。その時に、ある男性イメージが、彼の前に現れ、夢から出る方法を悟らせてくれる。この男性イメージは、杏寿郎の母のイメージと似たものである。つまり心の奥底において他者とのつながりの確認が、そこからの脱出の手がかりになっている。大切なのは、心の繋がりなのである。

無意識の底での出会い

 炭治郎は夢の中で男性イメージに出会ったのであったが、より明瞭に、無意識世界に落ち込んで、その底で他者と出会うという表現がある。それはりんたろう監督の「幻魔大戦」(原作:平井和正・石森章太郎/監督:りんたろう/脚本:真崎守・桂千穂・内藤誠/製作:角川春樹・石森章太郎・明田川進)に見られる。この作品は原作漫画「幻魔大戦」をアニメーション化したものである。ある時、主人公の高校生の東丈に巨大な超能力が覚醒する。彼は、宇宙から襲来する幻魔と闘って敗れたと思い込んで、無意識世界に逃げ込んでしまう。その際、丈の身体は、子どもの姿に退行し、姉の膝に抱かれる。丈が無意識世界に逃げ込んだのを助け出そうと、超能力者のプリンセスルーナが、丈の心の中に入り込んでくる。そして心の奥底で、幼児になった丈と対面し、このままで良いのかと諭す。自覚が生じた丈は、身体が青年のものに戻り、意識も回復する。

 このように無意識の底に退行した主人公の心の中に入り込んで、心を繋げることで、彼の心を回復させることが試みられた。心の奥底での出会いが、心の繋がりには大事なのである。炭治郎が夢の世界で男性のイメージに出会うのも、他者の心が、心の奥底に入り込んで救出するといった、プリンセスルーナのイメージの延長にあるものと思える。宮崎駿監督の「風立ちぬ」では、菜穂子が主人公の堀越二郎に対して夢の中で「あなた、生きて」といった究極の励ましの言葉を投げかけていた。

横田先生 挿入写真 助ける

頂上体験としての出会い

 さて心の奥底(あるいは夢の中)での出会いではなく、出会いそのものが描かれるアニメーションもある。例えば、新海誠作品の大ヒットした「君の名は。」(監督・原作・脚本:新海誠/製作:市川南・川田典考・大田圭二/エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛/制作:コミックス・ウェーブ・フィルム/製作:「君の名は。」製作委員会)と「天気の子」(原作・脚本:新海誠/製作:市川南・川口典孝/製作総指揮:古澤佳寛/制作:コミックス・ウェーブ・フィルム/製作:「天気の子」製作委員会)では、どちらの作品も男女の出会いで終わりとなっている。それまでの奇跡的な出来事の果てに男女の出会いがあった。その出会いは、歓喜の頂上にあるような体験である。主人公たちは奇跡的な体験の後に、何やら心理的な不全感の中にあり、この出会いによってその不全感が払拭される。異性との出会いが、心理的な不全感を解消する機能を果たしていた。それは異性の無条件の受け入れがあるためである。そのため無意識的に涙が流れる。そうした異性の無条件の受け入れは、心の健康の維持においては重要な役割をはたすのである。

 しかし、一般的には、心が一体になったと感じることがあったとしても、お互いが分かり合うためのさらなる努力が必要であろう。

先に繋がる出会い

 日本のアニメーションの凄いところは出会いのパターンに多様性があることである。例えば、出会いが未来に開かれているものもある。その例が映画「若おかみは小学生!」(原作:令丈ヒロ子/イラスト:亜沙美/監督:高坂希太郎/脚本:吉田玲子/制作:DLE・マッドハウス/製作:「若おかみは小学生!」製作委員会)である。主人公は小学6年生の女の子でおっこと呼ばれている。祖母の経営する旅館の若おかみとなり、旅館に訪れるどのような客も心からもてなす。例えそれがおっこの両親が亡くなった原因の交通事故の加害者であったとしても例外ではない。おっこはその事実を知って一過的に心の混乱を体験するが、周囲の支えがあって、心を立て直し、おもてなしの心で宿に迎え入れる。こうして人の輪が広がってゆく。その健康的な姿は、実にアニメーションとしての快感である。

 心理的な健康のためには人との出会いと、人の輪を広げて行くことが大事だと、無理なく理解させてくれる。

横田先生 挿入写真 つながり

出会いの後

 出会いの後も大事である、ということを教えてくれるのが、「この世界の片隅に」(原作:こうの史代/監督・脚本:片渕須直/プロデューサー:真木太郎/企画:丸山正雄/制作:MAPPA/製作:「この世界の片隅に」製作委員会)である。この作品では、何も考えず結婚してしまった若妻のすずが、戦争体験を経て、家族の一員となってゆく。戦争が進んで、すずは、ある時、時限爆弾の爆発で右手を失ってしまう。しかもその爆発で、一緒にいた義姉の娘晴美は亡くなってしまった。すずは、この体験で周囲が歪んで見えるようになり、非現実感に捕らわれる。そして広島の実家に帰ると夫の周作に訴える。そうした後で、晴美の母親である義姉とすずが語り合う場面がある。その時に義姉は「すずさんの居場所はここでもいいし、どこでもいい、自分で決めたらいい」と言うのである。それを聞いてすずは義姉に「ここにおいてください」と言う。

 このすずの体験は、多くの体験の後で、やっと自分の居場所が見つかるということを示しており、その切掛けが義姉との語り合いであった。この語り合いは、義姉とすずが心理的に真に出会えたということを意味していないだろうか。単に出会うだけでは成り立たない、心理的出会いがあり、そうした出会いには、長い時間の積み重ねが必要であったといえる。

別れと出会いのアニメーション心理学

 以上見てきたようにアニメーションには多様な別れと出会いが描かれており、そこには心の健康を暗示するような表現が多いのと同時に、心の一体感を強調するものも目立つ。エンターテイメントのアニメーションを見ることで、心の一体感を堪能し、人を信じるというのは素晴らしいと感じ、生きる元気がでるということもあるであろう。出会いの機微が、人生の重みを感じさせ、やはり人との付き合いは大事だと、前向きな気持ちになることもあるであろう。いずれにしても、アニメーションというメディアが、人気なのは、心の繋がりを、心の奥底まで描いて見せるという工夫を開発してきたことによるところが大きいのではないだろうか。アニメーションで描いて見せる出会いは、どのような混乱に出会っても、援助してくれる他者がいるといった基本的な信頼感を示している。最初に紹介した「太陽の王子 ホルスの大冒険」のホルスは、ヒルダに何をされようと、ヒルダの善の心を信じ続けている。そうした基本的な信頼感を感じさせる出会いをヒルダが経験できたところに、彼女の自我の確立の切掛けがあったと思われる。

横田先生 挿入写真 出会い

執筆者プロフィール

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横田正夫(よこたまさお)
日本大学特任教授。専門は臨床心理学、映像心理学。描画研究、アニメーション研究を中心におこなっている。


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