“発達障害”をアセスメントするということ(桑原 斉:浜松医科大学精神医学講座 准教授)#臨床家が本音で語る 発達障害アセスメント #金子書房心理検査室
今回、「“発達障害”をアセスメントするということ」というお題をいただいて、所感を述べることになりました。そこでまず考えたのは、誰が何の目的でアセスメントするのか?ということです。多分、立場によって求められるアセスメントは異なるのではないかなと思っています。自分は医療機関に所属する医師なので、医師のプロフェッションに沿って、アセスメントをします。なので、まず、医療機関で“発達障害”をアセスメントするということについて話します。とはいえ、それだけでは支援には不十分なので、医療機関に限らない、“発達障害”のアセスメントについても少しお話しします。
医療機関のアセスメント
医療機関では、4つの医療倫理の原則を遵守します。
1つ目は、自律性の尊重(respect for autonomy)の原則と言いまして、患者さんの意思を尊重する姿勢です。診療において、患者さんが意思に基づいた選択をするためには、判断材料になる情報が必要です。その情報を患者さんが理解しやすいように加工することがアセスメントに求められます。
2つ目と3つ目は、善行(beneficence)と無危害(non-maleficence)という原則です。善行を行わないことで、患者さんに不利益が生じることは、危害を及ぼすことと考えられているので、善行と無危害は表裏一体の関係にあります。診療行為における善行と無危害を規定するのは、科学的なエビデンスです。もちろん自律性の尊重が前提なので、必ずしもエビデンスに沿った診療を提供しなければいけないというわけではないのですが、少なくとも患者さんにエビデンスに沿った診療を提案する必要はあります。従って、善行と無危害の原則を遵守するためには、科学的なエビデンスと整合性のあるアセスメントが求められます。
4つ目は公正(justice)の原則です。これは患者さんを平等かつ公平に扱うことですが、その一方で医療資源をいかに適正に配分するかも公正の原則に含まれます。なので、公正の原則を遵守するためには、医療資源の配分を考える時の適格性を証明することが、アセスメントには求められます。
これらの医療倫理の原則は、「医療機関で“発達障害”をアセスメントする」際にも遵守することが求められます。
“発達障害”のアセスメント
情報を加工する上で、医療機関が行うのが疾患診断です。“発達障害”という用語は、医学用語ではなくて法律用語なので、医師は原則的には診療に用いません。“発達障害”は精神疾患の診断基準(diagnostic and statistical manual of mental disorders fifth edition: DSM-5)では、神経発達症というカテゴリーに概ね合致します。神経発達症である知的能力障害は“発達障害”に含まれないのが、ややこしいのですが。
患者さんや関係者の話を聞いて、行動を観察して、得られた情報を症状として整理して、症状の組み合わせと、経過や生活機能への影響、除外基準など症状以外の条件を確認して、神経発達症のどのカテゴリーに分類されるか判断することが、神経発達症の疾患診断です。
ここで重要なのは、自閉スペクトラム症(autism spectrum disorder: ASD)、注意欠如・多動症(attention deficit hyper activity disorder: ADHD)や限局性学習症(specific learning disorder: SLD)等、診断基準に記載のある神経発達症の疾患診断は見逃すことが許されないことです。正当な理由がないのに見逃すことは、医療過誤にあたると考えます。逆に、“highly sensitive person(HSP)”や“グレーゾーン”等、医学的な定義のない概念については、医師は責任を持った判断ができませんし、判断をする必要もないと考えています。
このように加工した情報が神経発達症の疾患診断であり、神経発達症の疾患診断を患者さんと共有し選択のプロセスを進めることが、患者さんの自律性を尊重することの前提になります。もちろん患者さんの「知りたくない」意思も尊重されるので、患者さんが「知りたくない」と明示する場合には、神経発達症の疾患診断を伝えません。
医療機関では神経発達症の疾患診断に基づいて、介入(intervention)を提供します。現代の医学では神経発達症の治癒を約束することはできません。その一方で、神経発達症への介入は科学的なエビデンスに基づいてある程度整理されています。特にASDとADHDに関しては、エビデンスに基づいた介入はガイドラインにまとめられています。ASDとADHDに関する科学的なエビデンスは膨大で、エビデンスの質の評価やエビデンス間の質の比較には専門的な知識を要します。なので、エビデンスに基づいた介入を医師個人がガイドラインを用いないで実施するのは、かなり困難です。善行と無危害の原則はガイドラインに沿った診療で担保されるわけですが、ASDとADHDのアセスメントには神経発達症の診断に加えて、年齢、知的機能、併存疾患や治療反応性など、ガイドラインを具体的に運用するために必要な情報が必要になります。
一方で、SLDやその他の神経発達症については介入に関して、ガイドラインとしてまとめるにはエビデンスの質も量も不十分で、何が善行で何が無危害か決めるのは難しいです。なので「何もしない」という選択肢を含めて、患者さんと診療内容の相談を行うことになります。
神経発達症の疾患診断は、上述したようなプロセスで医療資源の適正な配分を根拠づけます。
さらに、精神障害者手帳の発行、障害者年金の受給資格、特別支援教育、就労支援、合理的配慮の提供等、医療資源以外の社会資源を利用する適格性を証明する根拠にもなります。社会資源の利用にあたっては、法律用語である“発達障害”の有無がアセスメントとして求められることが少なくありません。適格性のアカウンタビリティは非常に重要だと思いますが、“発達障害”の有無をDSM-5の神経発達症の有無以外の方法で証明する方法は不確かで、結局、“発達障害”の存在も神経発達症の疾患診断で担保されるものと思います。なので、介入として「何もしない」を選択したとしても、社会資源利用の適格性を継続的に証明するために診療を継続する価値はあるものと考えています。
“発達障害”の支援は医療機関のみでは完結しません。ここから先は医療機関の責任を少し離れますが、障害のアセスメントについて述べます。
障害のアセスメント
障害のアセスメントの方法に十分なコンセンサスはありませんが、世界保健機構が公表している国際生活機能分類は、公的な分類なので、アカウンタビリティがある程度担保されているという点で、参考にしやすいと考えています。
神経発達症と関連してどのような障害(心身機能の障害、活動能力の制限、社会参加の制約)が生じているかアセスメントし、障害と関連する背景因子、つまり個人因子(心理的資質や経験等)と環境因子(学校環境や家庭環境等)もアセスメントすることで、包括的な支援が最適化されます。
心身機能の障害について、認知機能はウエクスラー式知能検査(Wechsler intelligent scale for children: WISC, Wechsler adult intelligent scale: WAIS)やKaufman assessment battery for children(K-ABC2)など、知能検査である程度定量的にアセスメントできます。SLD(と“発達障害”ではありませんが知的能力障害)に関しては知能検査の結果が疾患診断に直接影響しますが、ASDやADHDに関しては知能検査の結果から疾患診断を行うことはできません。認知機能の障害で活動能力の制限、社会参加の制約をどの程度説明できるか判断し、支援の内容を検討する材料にします。
活動能力の制限については、個人的な能力を評価します。診察室での行動を直接観察するか、日常生活での行動を聞き取りで評価します。例えば、ASDではコミュニケーションの制限を生じますが、1対1の場合、授業中など構造化された集団の場合、友人関係など構造が曖昧な集団の場合など、制限の程度を評価します。このような活動能力の評価は、教育(特別支援教育や就労移行事業など)の内容を選択するうえで重要になります。
社会参加の制約については、学校・職場や家庭、対人関係や余暇など社会生活の実行状況(パフォーマンス)を評価します。学校・職場に関しては、不登校・欠勤や、授業・職務の困難などの要素を具体的に評価し、家庭に関しては、起床時間や食事、風呂、就寝、宿題、家事などの要素をやはり具体的に評価します。対人関係や余暇については、友人や恋人がいるか、趣味は何かどの程度時間を費やしているか、などを評価します。社会参加の制約は、家族による家庭環境の調整や、学校・職場で提供される合理的な配慮など様々な環境調整で解消を図ることができます。
このように、障害のアセスメントを行うのですが、患者さんに利益がないと意味がありません。神経発達症と障害のアセスメントに基づいて提供される支援は医療機関の枠に収まらず、教育機関、就労支援機関、福祉機関等、様々な専門機関が関与します。支援の全体をマネジメントするキーワーカーが必要だと思っています。現在の日本のシステムでは医療機関の精神保健福祉士、教育機関のスクールソーシャルワーカー、相談支援事業所の委託相談がキーワーカーに近い役割だと考えられますが、役割分担は不確かで、十分に機能しているかどうかは気になるところです。いずれにせよ、全ての専門機関で利用できる共通言語になるアセスメントが求められるなと思っています。
ということで、「“発達障害”をアセスメントするということ」について簡単に述べてみました。
これは私見なので必ずしも正しいとは思っていませんが、明確に心がけていることは、3つ。1つ目はアセスメントの意図を患者さんに説明できること、2つ目はアセスメントが患者さんの利益に結びつくこと(危害を避けられること)、3つ目はアセスメントの内容を誰とでも共有できること。
要するに、アセスメントのためのアセスメントにならないように、ということなのですが、当たり前すぎてごめんなさい。
◆執筆者プロフィール
桑原 斉(くわばら ひとし)
浜松医科大学精神医学講座 准教授。医師。医学博士。専門は児童精神医学。主な著書に、『ASDに気づいてケアするCBT――ACAT実践ガイド』(共著・金剛出版)などがある。
◆著 書