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失くした恋の後に(仲嶺 真:東京未来大学モチベーション行動科学部特任講師)#立ち直る力

インターネットで「立ち直り」「心理学」と検索すると、失恋がテーマのサイトが多数上がってきます。心理学に、失恋からの立ち直りの方策を探る人は多いようです。多くの人が悩みを抱いている、失恋から立ち直るということについて、恋愛論がご専門の仲嶺真先生にお書きいただきました。

 失恋からの立ち直りについて書いてほしい。そのような依頼を受けた。二つ返事で引き受けたけれど、失恋からの立ち直りとはなにか、実は僕にはよくわからない。ただ、失恋からの立ち直りについてときどき考えることがある。その、ときどき考えていることを、ここでは書きたいと思う。結論は結局「よくわからない」ということになる。ただ、なぜよくわからないのか、そのことを書きたいと思う。

 アオから聞いた、若かりし頃の恋の話である。アオは年下のかわいらしい子を好きになった。少し変わった子で、グループ交際しかしてくれなかった。友だちには優しかったのに、アオにはつめたかった。デレデレされたことはないから、ツンデレではない。あるとき、遊んでいる最中に、その子がとつぜん泣き出した。どうしたの。アオはわけを尋ねた。たまたま別々に買い物をしていたタイミングで、偶然、元カレと遭遇したらしい。「吹っ切れたと思っていたのに、そうではない自分に気がついた」。その日、アオは一日中その子のそばにいた。次の日、その子からの連絡はなかった。その次の日も、その次の次の日も、連絡はなかった。毎日、何らかの連絡をとりあっていたのに、あの日、「じゃあね」と言ったあと、アオたちはまったくの音信不通になった。風の噂で、元気にしていることだけは知った。あれから10年、アオは恋をしていない。別にその子のことが忘れられないとかではない。すてきだなと思った人もいる。ただ、アオにはあの日のような気持ちは芽生えていない。

 ユキから聞いた、数年前の恋の話である。ユキは飲食店で働いていた。常連さんの多い店で、その人たちとは自然と仲良くなった。連絡先も交換した。たいてい、明日お店行くねとか、今からお店行っていいとか、仕事に関する連絡だった。ただ、なんとなく雑談が続く人もいた。少し年上の、スーツの似合う人だった。あるとき、その人から遊びの誘いがあった。仕事以外で会うことにためらいはあったけれど、とくに悪い印象はなかったので誘いに応じた。ときどき会う関係になった。ユキはだんだんとその人に惹かれていった。ある日、ドライブデートの帰り際、伝えたいことがあると言われた。「結婚している」。頭では悪いことだとわかりつつも、ユキは別れるという選択肢をとれなかった。しばらくは会い続けた。でも、罪悪感と嫉妬心は次第につのっていき、耐えきれなくなり、別れた。それから数年の間、恋はおろか、人と会うことさえユキは嫌だった。最近はその抵抗感も小さくなり、おかげで好きな人もできた。ただ、ユキが好きになった人は既婚者である。

 ずっと後悔していることがある。大好きな人に「さよなら」できなかったことである。「もう会えなくなるかもしれない」と知ったとき、僕は忙しさを勘違いしていて、「会えなくなる」にリアリティがなくて、忙しさを優先した。僕はその人にさよならを伝えられなかった。「お別れ会がある」と知ったとき、僕はその意味を理解できなくて、伝えられないさよならに何の意味があるのだろうと思って、会には参加しなかった。結局僕はその人に「さよならする」こともできなかった。あのときの判断を、あのときの僕を、いまの僕は許していないし、これからもずっと許さないと思う。

 ところで、失恋から立ち直るとはいったいどういうことなのであろう。

 アオはあの日からしばらく落ち着きがなかった。その子に何かあったのか、僕が何かしたのか、と日々ずっと考えていた。風の噂で元気にしていることを知った直後は、その子に会えるのではないかと思い、あえて遠回りして帰ったこともある。会うことはなかったけれど、もし会えていたなら、現代的にはストーカーと呼ばれているのかもしれない。そのような状態から脱することはできたものの、果たしてアオはあの日の失恋から立ち直れているのであろうか。ふつうに異性と話し、ドキドキすることもあるけれど、少なくともアオはあの日以前の状態に立ち直ってはいない。

 ユキは別れたあと家から出ることができなくなった。仕事も辞めた。それでも何とか生活を続けることができたのは、周りの支えがあったからである。その支えの中、新しい仕事をはじめ、これまでと違った趣味にも取り組み、新しい生活に平穏が戻ってきたとき、新しい出会いがあった。その人には過去の恋愛の話もした。その人が既婚者であることも知っていた。それでもユキはその人に恋をした。その恋の苦しさはユキ自身が一番わかっている。酒に溺れる日もあるけれど、少なくともユキはその恋をまだ続けている。果たしてユキはあの日の失恋から立ち直れているのであろうか。

 当初はストレスフルではなかった出来事が、後になってストレスフルな出来事に変わることもある。僕は運良く不適応には陥っていないけれども、あの出来事による精神的な傷つきからは立ち直れていない。傍から見れば立ち直っているようにみえるかもしれないけれど、「さよなら」できなかったことを身に宿しながら、次は同じ過ちをおかさないように、目の前の人を、一緒にいる一瞬一瞬を、あるいは一緒にいないときでさえ、大切にして生きていくしかない。

 「立ち直る」とは、心理学ではレジリエンスと言われるらしい。すごく簡単に言えば、「精神的な傷つきから回復する力」である。でも、「精神的な傷つきから回復する」とはいったいどういうことなのだろう。どういうことになれば、そう言えるのであろう。精神的な元気を取り戻したか、ということなのであれば、たしかに私たちは元気を取り戻したのかもしれない。しかし、その「元気」は、少なくとも回復する前の、あるいは、立ち直る前の「元気」と同じではない。だから、私たちは元気にはなっているけれど、立ち直ってはいない。というよりも、私たちは本来的に「なくしたものを取り戻す」という意味での「立ち直る」なんて不可能なのではないだろうか。その意味で、「失恋から立ち直る」必要なんてほとんどないし、そもそも難しいのではないかと僕は考えている。

 恋は知らず知らずのうちにやってきて、(ときには予感がありながらも)知らず知らずのうちに去っていく。恋がやってきたことで「私」は以前の「私」と変わってしまうし、恋が去ったことで「私」はまた別の「私」に変わってしまう。以前の「私」には決して戻れない。であれば、考えるべきは、「戻る」ではなく「変わる」であり、「なくしたもの」ではなく「残されるもの」である。

 失恋から立ち直るとはいったいどういうことなのか、僕にはまだよくわからない。ただ、アオやユキのことを、私たちの経験を、精神的な傷つきから回復するとは異なる視点で、考えている。

執筆者プロフィール

仲嶺 真(なかみね・しん) 
Twitter:@nihsenimakan HP:Socio-Psycho-Logy
東京未来大学モチベーション行動科学部特任講師。
心、人間、心理学について考える研究会DigRoomを主催。専門は心理学論、恋愛論。婚活を取り巻く諸問題について研究をすすめるとともに、心理調査でなにがわかるのかについても検討している。

▼ 著書