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アドラー心理学と心の立ち直り(向後千春:早稲田大学人間科学学術院)#立ち直る力

収束の兆しが見えてきたかと思えば、また新たな不安の要素が現れる。
そんなふうに気持ちを挫かれる状況にある私たちに、「勇気」をキーワードとするアドラー心理学は、どのような希望の道筋を示してくれるでしょうか。アドラー心理学を専門とする向後千春先生にお書きいただきました。

 私の大学では今頃の時期に、2年生が3年次から始まるゼミの所属先を決めていきます。今の2年生といえば、入学するとき(2020年4月)にはすでに新型コロナが流行し始めていて、そこから十分な対面授業が行われないまま、ここに至ったという世代です。そうした2年生とゼミを決めるための面談をしていて(これもZoomでの面談です)、気づいたことがあります。

 それは、コロナ直撃世代だということを知らなければいつもの大学2年生と特に変わったことはないということです。むしろ、平年よりも積極的で、よく考えているように感じました。もしかすると、コロナでキャンパス活動ができなかった分、自分のことや将来のことについて考える時間が増えたということなのかな、などと考えていました。

 コロナ禍は確かに人々にとってひどい災難となりましたし、いまだにそれが続いています。しかし、そんな中でも希望を見出していくのが人間の強さでもあります。この文章では、そうした心の立ち直りについて、アドラー心理学を下敷きにして考えてみたいと思います。

勇気の心理学としてのアドラー心理学

  昔の心理学の事典の「アドラー」の項目では、権力の心理学や劣等感の心理学と特徴づけられることがよくありました。今であれば、アドラー心理学は「勇気の心理学」であると特徴づけるのがいいかなと思います。端的にいえば「私たちが勇気を持って生きるためにはどうすればいいか」ということを明らかにする心理学です。

 考えてみれば、私たちの人生はくじかれることの連続だといってもいいと思います。最近よく使われる言葉に「心が折れる」というのがあります。これは、生きていく中で、失敗したり、裏切られたり、挫折したりすることがいかに多いかを反映しているのかもしれません。

 アドラーが最初に注目したのは人々が持つ劣等感でした。完全に無力な状態で生まれてくる人間は根源的に「私は無力で無能だ」ということを意識せざるをえないのです。そして成長していく過程にあっても、常に劣等感を感じます。自分と他者を比べれば「上には上がいる」という事実を突きつけられます。現在の自分と自分の理想像を比べれば「届きようがない」と感じざるをえません。

 この劣等感とセットになっているものがあります。それが補償行動です。劣等感は感じ(フィーリング)ですので、そこに特別な意味があるわけではありません。劣等感という感じは、それを感じた状況について考えたり、努力しようとしたり、それを計画したりするなどの補償行動をうながすきっかけ、あるいは触媒です。ですので、劣等感そのものは、悪いものでも、なくすべきものでも、またなくなるものでもありません。ポイントはそれをきっかけにどういう行動を起こすかということにかかっています。そこにその人の勇気が反映されるのです。

 こうした勇気の概念には、劣等感を感じるような状況にめぐりあわせても、簡単に「心が折れる」ことなく、それを乗り越えていく姿勢が反映されています。これは今でいう「レジリエンス」に近い概念だといえるでしょう。

自分に価値があると思った時に勇気を持てる

 人はどういうときに勇気を持つことができるのでしょうか。それは自分に価値があると感じたときです。人は常に弱く、不完全であり、そのことによって劣等感を感じることがしばしばあるにもかかわらず、同時に自分に価値があるということを感じることができます。自分に価値があると感じるのは、自分が重要な存在であり、世界に変化をもたらすことができることを確認したときです。そのとき劣等感にまみれた小さな存在から意味のある存在へと変わるのです。

 では、人はいつ自分に価値があると思えるのでしょうか。Lew(2021)は、Crucial Cs(重要なCs)という名前で次の4つのCが大切だということを述べています。それは、Connect(つながる)、Capable(できる)、Count(価値がある)、Courage(勇気)という4つのCです。

  一人では生きられないけれども、他者とつながれば生きていくことができます(Connect)。いままでうまくできなかったことも、努力次第でうまくできるようになります(Capable)。そうすることで、だんだんと自分に価値があるように感じられるようになります(Count)。私たちは子どもの頃からずっと、これらのCを感じられるように生産的にポジティブに行動しようとします。そのときに必要なのが勇気(Courage)です。このCrucial Csのアイデアが生まれたのは1980年代中盤の頃だとLewは言っています。 

勇気の有無によって行動は正反対だが目的は同一

 もし自分には価値がないと思ってしまうと、勇気を持って行動することができません。そのときは破壊的にネガティブに行動するという選択肢しか残りません。生産的にポジティブに行動するか、あるいは破壊的にネガティブに行動するかは、勇気があるかないかによって決まります。その行動は正反対のものですけれども、目的は同一です。それは、他者とつながりたい、自分でうまくできるようになりたい、そして自分に価値を感じられるようになりたい、という共通の目的なのです。

  他者とつながりを得ようとするときには、他者に協力したり、他者を助けたりするのが勇気のある行動です。もし勇気がないと、代わりに相手の注目を引いたり、相手に依存したりという行動をします。自分に能力があると感じたいときには、努力を重ねて自分一人でなしとげたり、そのために自制心を発揮したりするのが勇気のある行動です。もし勇気がないと、代わりに相手に対して反抗したり、嫉妬したり、権力闘争をしかけたりするのです。これらの行動は見かけ上は正反対であるにもかかわらず、目的は同一です。それは、最終的には自分の存在に価値を感じたいということなのです。 

自分の価値を感じる体験がすべての出発点

 アドラーの後継者であるドライカースは「不完全である勇気(Courage to be imperfect)」という言葉を残しています。私たち人間は誰一人としてパーフェクトではありません。みんなが不完全であるという条件下で、より良くなろうということを追求しています(Striving for superiority)。これがアドラーが主張した人間観です。

 自分も不完全な存在であるし、他のみんなもまた同じように不完全なんだという考え方を採用すると、自然に「寛容」を導くことになります。自分の不完全さを許せることができれば、同じように他の人々の不完全さを許すことができます。しかし、その一人ひとりはより良くなろうということを目指しています。その時に勇気があれば、社会に対して生産的に行動することができますし、逆に勇気がなければ、社会に対して破壊的に行動するしかなくなります。

  勇気を持つためには、自分の価値を感じることが必要です。自分の価値を感じるためには、自分がまわりの人々とつながっており(Connect)、その中で何らかの能力を発揮できる(Capable)という体験が必要です。この2種類の体験がすべての出発点になります。このように考えれば、どんなひどい状況にあっても、立ち直っていくことができるでしょう。

【引用文献】
Lew, A. (2021) The story of the Crucial Cs: Tradition, origin, and applications. The Journal of Individual Psychology, 77(2), 119-129

執筆者プロフィール

向後千春(こうご・ちはる)
1958年生まれ。早稲田大学人間科学学術院教授。博士(教育学)(東京学芸大学)。専門は教育工学、教育心理学、アドラー心理学。
著書に『世界一わかりやすい教える技術』『伝わる文章を書く技術』『上手な教え方の教科書』(技術評論社, 2020, 2019, 2015)、『幸せな劣等感』(小学館新書, 2017)、『18歳からの「大人の学び」基礎講座』(北大路書房, 2016)、『人生の迷いが消える アドラー心理学のススメ』『アドラー”実践”講義』(技術評論社, 2016, 2014)、『教師のための教える技術』(明治図書出版, 2014)、『統計学がわかる』『統計学がわかる【回帰分析・因子分析編】』『身につく入門統計学』(技術評論社, 2007, 2008, 2016)など。

著書


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