見出し画像

自分を知る、信じる ~アスリートの不安対処法~(小椋久美子:元バドミントン日本代表)#不安との向き合い方

 スポーツで多くの成功を収めるトップアスリートも挫折や苦悩と無縁ではない。競技活動を左右するような大きな怪我や、勝つごとに大きくなるプレッシャーといかに向き合うのか。バドミントン北京五輪代表の小椋久美子さんが教えてくださいました。

 今、世界中の人々がコロナ禍で人と触れ合うことを制限され、様々な楽しみや活動を奪われてしまうことで不自由な生活を送っています。
 学生のみなさんも、限られた時間の中、全力で取り組んでいたことを発揮できる場を失い、受け止めきれないほどの喪失感があると思います。
 大会などが中止になってしまったことで目標が無くなり、次に何をどう頑張ればいいのか。今まで努力してきた自分の失われた時間とどう向き合えばいいのか。
 暗く出口の見えないトンネルの中にいる方への一筋の光になればと思い、私自身の競技人生で訪れた挫折と、そこから前を向くことができた理由をお話しできたらと思います。

オリンピック出場をかけた戦いの中で

 私が初めて挫折を味わったのは、19歳のときでした。足の小指を骨折し、診断では手術をして競技復帰ができるようになるまでに半年かかると言われた大きな怪我でした。選手には怪我は付き物で、以前にも手術をしなければいけない怪我は経験しています。なぜ、この怪我に対して「挫折」というほど受け止められない気持ちになったのか。それは、オリンピック出場をかけた大切な時期の半年だったからです。バドミントンのオリンピックの出場権は1年間の試合結果でもらえるランキングポイントによって決まります。つまりこの怪我は1年のうち半年間はレースから離脱しなくてはいけない、「オリンピックの出場はほぼ絶望的です」と宣告されたようなもの。全部終わってしまったと思いました。

 今まですべてが順調に行っていた私は、このやり場のない思いをぶつけるかのように「なぜ今この大切な時期に、こんなタイミングで、私が何をした?」「なぜコーチは、私の疲れている体に気づかずにこんな練習メニューを組んだの?」「チームメイトの練習相手になっていなかったら、こんな怪我をせずにすんだのに」頭の中では、全て他人のせいにしていました。もう、誰かや何かのせいにしないと自分の気持ちを保つことができなかった。足は骨折しているので歩くことはもちろんできない。少しでも揺れるだけで激痛が走る。そんな足で何ができるのか。でも手術をしたら半年間はコートに戻れない。まだオリンピックを諦めたくない思いから現実を受け止められなくて、激痛が走る足を抱えながら手術の決断ができずにいました。

1.物事には理由がある_の前

物事には理由がある

 決断には1週間ほどかかったと思います。そんな私が手術に踏み切れたのはコーチの一言でした。「怪我には理由があるんだよ」と。理由? 今まで、怪我に対してそんなふうに向き合ったことが無かったので心に刺さりました。理由とは何だろう? と考えたときに、様々なことが浮かんできたのです。「私は本気で練習に取り組んでいたのか?」「強いと周囲から期待され、真の実力も無いのに驕りがあったな…」「人に対して親切にできていなかった」「あれだけバドミントンが好きだったのに…その気持ちさえも欠けていた」など、反省すべき言動や人に対しての接し方、競技への向き合い方、次から次へと出てきました。その瞬間に、この怪我は自分が招いたものだったのだと認めざるを得なかったのです。

 自分の非を認めることはみじめだし、悔しい。でもその理由をしっかり考えられたことで、この怪我で「自分は立ち直れないぐらい落ち込んでいるんだ」と認めることができ、本当の意味でやっと怪我を受け入れることができました。それまで私の人生は、何をやっても上手くいっていたし、上手くいくことが当たり前だと思っていました。しかし、それは何を意味するかというと、上手くいくことは自分の成果、上手くいかないことは他の何かを理由にしていたということ。今考えると、あの怪我が無ければその先どんな人間になっていたのか恐ろしくなります。いや、競技においても伸び悩む選手になっていたはずです。

自分自身を知るということ

 もう一つ常に指導者から言われていたことがあります。それは「選手として強くなるだけでなく、一社会人としても立派になりなさい」ということ。謙虚な姿勢で感謝の気持ちを忘れない人でいて欲しいという思いも込められていたと思います。怪我や壁にぶつかったお陰で、自分がどれだけの人に支えていただいていたのかを気づかせてもらいました。だからこそ復帰したときには、「自分だけで戦っているわけではない。簡単に負けるわけにはいかないのだ」と。これまで以上に食らいついていける気持ちの強い選手になれたのは、感謝の気持ちがあったからだと思っています。現役を退いた今でも、私は必ず物事の理由と深く向き合うように心掛けています。それは自分自身を知るということにも似ている気がしています。今、まさに起こっているコロナ禍での問題は自分が招いたことではないですが、受け取る自分にも何か理由があるのではないかと感じています。それは、自分を成長させてくれるための理由であったり、自分を見つめなおさなければいけない理由…周りを大きく見る時間が必要なときなのかもしれませんね。

 まずは一度、物事の理由と向き合ってみてください。これから新しい形に変わっていくかもしれない時代や、これから過ごしていく人生に、柔軟に適応していけるヒントになるかもしれません。

記憶からも消したかったオリンピック

 2004年のアテネオリンピックはさきほどお話しした怪我で出場できず、2008年に出場した北京オリンピックではメダルを獲得できませんでしたが、実はその後、自分の中で結果を残すことができずに立ち直れなかった期間がありました。その理由には、オリンピックの大舞台で自分の力を発揮できずに負けてしまったという悔しい思いや、応援してくださった方や、支え続けてくださった関係者の方々を失望させてしまったと申し訳ない思いがあったからです。記憶からも消したくて仕方なかった。自分の肩書きからもオリンピック出場という記載を消したり、自分からオリンピックの話をしたことはありませんでした。それぐらい私には目を背けたくなる出来事で、出場しなければこんな思いもしなかったんじゃないかとさえ思っていました。

すごく幸せだったんじゃ…

 そんな思いで4年を過ごしたころに、ロンドンで開催されたオリンピックにメディアのお仕事として行かせてもらえる機会をいただくことになりました。何気なく立ったロンドンオリンピックのマラソンコースで、「ここで走れる選手の人って幸せだなあ」とふと思ったんですね。すごく街が眩しく見えて、沿道の歓声に包まれながら走っている選手の姿や情景さえ目に浮かびました。本当にカッコ良かった。

 そしたら、「あれ? 私もあのオリンピックのコートに立てたことってすごく幸せだったんじゃないのかな?」と思えたのです。悩んでいたものを、すっと降ろすことができたような感覚になりました。そして、4年越しにようやく、自分が何に一番悔いを残しているのかを考えてみることができました。

自分を信じてあげられなかった

 初めは試合に負けたことや、納得がいく戦いができなかったことに悔しさがあるものだと思っていたのですが、そうではなかった…。本当は自分を信じてあげられなかったことに後悔していたのだと気づきました。オリンピックでメダルを取れないかもしれないという不安から冷静さを無くし、もっと練習をしなければメダルを取れないという強迫観念に駆られて、追い込み過ぎて本番前に怪我をしてしまったのです。メダルへの思いで先を見過ぎて、自分を認めてあげることができず、今の実力で戦おうとしなかった。あれだけ練習を頑張ってきた自分の過程さえも否定してしまったのです。あのときに、「自分はそれ以上でも、それ以下でもない。誰かの代わりでもない。自分は自分」そう思えていれば…。先を見過ぎず、今までの自分を受け入れ信じてあげていれば良かった。今でもそう思っています。

 先が見えず不安や喪失感に押しつぶされそうになるような状況には、今は特に足元を取られないように、人と比べず、しっかりと自分を見つめてあげて下さい。今まで努力して積み上げられたものは、踏ん張らなければいけないときの土台になります。必ずこの先に生かされるときが来るはずです。自分のことだけは信じてあげてください。

画像2

好きな気持ちだけは忘れないでいて欲しい

 最後に、私のチームメイトだった先輩のお話です。日本代表でありオリンピックも狙えるほどの実力を持っていた選手でしたが、選手生命に関わる大怪我をしてしまいました。最後まで思うように競技ができず、引退を決意しました。先輩が引退を決めたときの思いを考えると今でも胸が苦しくなります。真摯に競技に取り組む姿勢は学ぶところも多かったですし、努力し続けている姿を見ていただけになぜ努力は報われないのだろうかと、私まで本当に悔しく、受け止めるのに時間がかかりました。引退後は、チームマネージャーになり選手を支え続けてくださいました。その先輩の小学生のときから一緒に夢を追いかけ続けていたパートナーがオリンピックに出場したときの言葉が忘れられません。「連れて行ってくれてありがとう」この言葉を聞いたときに、形は変わったかもしれないけど、先輩は支える立場で一緒に戦い続け、夢を叶えることができたのだと思いました。あのときの先輩の喜びの涙が忘れられません。

 他にも、選手として続けることが難しくなり、トレーナーの道に進まれた方、指導者として未来の選手を育てている方、裏方に回って競技を支えている方など形を変えて夢や目標を目指している方がたくさんいます。そして私も、オリンピックでメダルを取ることができませんでしたが、今でも競技を通して大好きなバドミントンのお仕事をさせていただいています。夢を目指すのには一つの道しかないように感じてしまいますが、遠回りをして時間がかかって叶える人もいれば、違う形で叶えられる人もいます。でも、そこには好きな気持ちと思い続ける気持ちがなければ難しいものです。

 もう走れないと思ったら立ち止まってもいいと思いますし、辛くなったらその場から離れてもいいと思います。私も、もう頑張れないと思ったときには何度も立ち止まりました。でも、自分自身の心には嘘をつかないで、いつか時間が経ったときに諦めなくて良かったと思えるように、心の奥にある志だけは忘れないでいてほしいと思います。

執筆者プロフィール

画像5

小椋久美子(おぐら・くみこ)
元バドミントン日本代表。
8歳でバドミントンを始め、大阪の名門・四天王寺高校へ進学。卒業後は三洋電機に入社し、2002年全日本総合バドミントン選手権シングルス優勝、2004~ 2008年まで全日本総合バドミントン選手権ダブルス5連覇、2008年北京オリンピック5位入賞。現在は子どもたちへの指導を中心に、バドミントンを通じてスポーツの楽しさを伝える活動している。

▼ オフィシャルサイト