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こころの不調に気付くということ(明治学院大学心理学部教授:西園マーハ文)#こころのSOS

日々のさまざまなストレスや悩みごとにより、自分のこころがSOSを発しているとき、どのように受け止めているでしょうか。メンタルヘルスの不調に適切に対処できるよう、日頃から取り組んでおきたいことについて、臨床精神医学がご専門の西園マーハ文先生にうかがいました。

 以前、大学病院の精神科に勤務していた頃、毎日、外来には多くの新患の方が訪れ、また多くの方が入院の順番を待っていた。このため、当時は、精神の不調を来たした方は皆、積極的に治療を求めていらっしゃるような気がしていた。

 しかし、その後、地域の保健センターでの産後メンタルヘルス業務に関わるようになり、保健師さんが、乳児健診で発見したうつ状態の母親を「どうやって受診させるか」にいかに苦慮しているかを目にするようになった。このような経験を重ねるうちに、人々の精神疾患への向き合い方は多様なのではと思うようになった。大学病院の精神科に定期的に通っている方々は、本人あるいは周囲に強い受診意欲があるという、社会の中では稀な方々である可能性もある。

 保健センター業務で私が面接をしても、確かに、「精神科に行くような問題なんですか」とおっしゃったり、ご本人は精神科受診に納得しても「家に帰って夫に話したら反対されたので行きません」と後で電話が入ることなどを時々経験する。産後のこの状況で、精神科受診を拒否する理由には、このように本人以外の要因もある。配偶者から、「やっぱりお前の家系にはそういう病気の血がある」と言われるのが心配というようなこともある。このような場合にも、背景にご本人自身の精神科への抵抗感が感じられることも少なくない。

 私がお会いする方の多くは、乳児健診のときのメンタルアンケートで得点が高いことで面接を勧められた方である。つまり「健診で引っかかった高血圧」と同じく、自分ではそんなことを言われるとは思っていなかったという方が多い。

 高得点の方の中には「何でも自分で抱え込む傾向はまずいな、何とかしなきゃなとずっと思ってはいたんですよね。産後は、簡単には抱えられないほどいろいろあったから、これまでのやり方で破綻したのは自分でよくわかる」というような話が出てくることもある。このように、産前から問題意識がある場合は、産後のうつにもあまり抵抗なく対応していただけるが、何も問題意識がないと、受診の勧めは青天の霹靂のように受け取られやすい。これは日本に限ったことではなく、海外でも、産後のうつ病と言われて戸惑う人が多いことは知られている。産後の時期は、自分のメンタルヘルスについて、また自分がそれにどう向き合ってきたかについて考える機会になるといえるだろう。

 では、そうした状況にどう対応すればよいのだろうか。保健センターは治療機関ではなく私が主治医にはなれないので、中等症以上の症状があるうつ病で、育児への支障を来たしている場合は、精神科受診をお勧めする。受診すれば、薬物療法が始まることが多い。しかし、授乳中のため、薬物療法は嫌だという方も多い。緊急性がない場合は、受診するかどうかの決定は翌月の面接まで待ち、その間、家事支援の方法も相談しながら、少し育児の緊張感から離れる時間を作ることをお勧めする。この場合、「たまには気分転換しましょう」と漠然とアドバイスするだけでは不十分で、気分転換が本当にできるかどうかを確認する必要がある。「お子さんは誰かに預けられるとして、半日自由に使ってよいと言われたらどう使いますか」とお聞きすることもある。「好きにしていいならスポーツジムに行きたい」とか、「カフェでのんびり本を読みたい」などと即答なさる方は、ファミリーサポートなど区のベビーシッター制度を使い、ご本人の望む気分転換をしていただければ回復は早い。一方、「何も思いつかない…」と考え込む方も多い。「これまで趣味も何もなくて何となく生きてきたから」とおっしゃる場合もあれば、非常に高いレベルのライフワークを持っておられ、少しレベルを落としたことなんかできないという方もある。スポーツで輝かしい受賞歴がある方に、体力が落ちている産後にどのようなスポーツがよいか、私にも正解はないのだが、軽いスポーツがよい場合もあり、全然違うことを始めようかとおっしゃる場合もある。

 中には、これまでもうつ病歴があったが、職場のことで悩んでいたのでその仕事を辞めたら治ったとか、交際相手との関係がこじれたので別れたら治ったといった「解決歴」がある方もある。私が研修医の頃は、うつ病のさなかに人生の大きな決断をすると後悔が強くなるので勧めないことと教わった。しかし、受診に至らない方々の中には、「辞める」「別れる」で前に進んできた方が多いことに気付いた。もちろん「辞める」という性急な決断で状況が悪くなるケースも少なくないわけだが、精神科医の前に登場しない方の症状には、精神科の教科書に書かれている以上の多様性があるように思われる。

 私は今、大学の教員なので、学生には、「これをやっていればつらい気持ちが薄らぐ」というような時間の過ごし方を持って、半日くらいは一人で過ごせるとメンタルヘルス上よい。できればネット以外!」と伝えている。

 今、世の中的には人とつながることが強調されている。子育て世代にも、孤立が問題ということが多く、これらの方々が気軽に出かけて人に会える場があるのはとても大事なことだが、それはそれとして、「自分はこれをやっていれば大丈夫」というような何かがあって、産後であってもそうでなくても、疲れたらやってみるというような習慣があるとよいのではと思っている。ここではあえて、一人でできることもあったほうがよいことを強調しておきたい。私の専門である摂食障害においても、「一人で家にいると過食嘔吐が出るから出歩いている」という「対処法」の方が少なくない。これは、症状を出さないという面では悪くない対処法ながら、一日の中で、リラックスしたり、自分に戻る時間がどこにもないというのも問題である。何をするか、何が「効く」かは個人次第で、読書でも、完璧すぎない掃除でも、手芸でも音楽でも映画でも軽い運動でもよいのだが、何か自分のための「基地」があれば、「いつもならこれで気分転換できるのに今日はなぜかうまく行かない」「集中できない」という調子の悪さにも自分で気付けるだろう。このように自分と向き合う時間があった上で、「この人と話をしていると気分転換できる」「自分に戻れる」という人間関係があるのは大変望ましいことである。外に出て人に会うことだけが気分転換の手段の場合、具合が悪くなってからはこの方法が試せないこともある。

 自分で不調に気付き、自分のやり方を試したのに回復しないことが確認できていれば、「一時的には薬物療法の手を借りてもよいかもしれない」と思える可能性が少し増えるようである。薬物療法だけが、めざすべき理想の治療というわけではないが、日頃から自分で不調に対応してみることは、受け入れられる治療の選択肢を増やすとはいえるだろう。薬物療法が必要になる前の段階で手当てができればもっとよい。早い段階ならば、人に会うなどの外に出る活動も試す余裕があるだろう。

 今回は、産後メンタルヘルスの現場を例に挙げたので、主に出産をした女性が対象の話になったが、自分の調子を知り自分を取り戻す手段があるほうがよいのは、もちろん出産後でなくても、女性以外にも当てはまることである。余裕があるときに、日頃のセルフケアの方法を育てておきたいものである。

◆執筆者プロフィール

西園マーハ文(にしぞの マーハ あや)
明治学院大学心理学部教授。精神科医。専門は臨床精神医学、社会精神医学。『摂食障害の精神医学』(日本評論社)、『対人援助職のための精神医学講座:グループディスカッションで学ぶ』(誠信書房)、『過食症の症状コントロールワークブック』(星和書店)ほか、著書多数。

◆主な著書


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