一期一会の光(神野紗希:俳人)#出会いと別れの心理学
五七五で、様々な時代の様々な人々の、多彩な心模様をくみ取ってきた俳句の世界。俳人の神野先生に出会いと別れの俳句をテーマに、この状況下で思うことをお書きいただきました。
「であわなければ、よかったのに!」
保育園まで、大人の足で歩けば10分ほどで着くはずなのですが、5歳の息子と一緒だと、30分以上かかります。やれ蟻がいた、やれたんぽぽが咲いていると、5mごとに興味をひくものがひしめき、なかなか歩が進みません。時計を見てはらはらしている母をよそに、息子はうれしそうにたんぽぽの綿毛を吹いています。
よく考えてみれば、大人にとっては見慣れた蟻やたんぽぽでも、まだ幼い子どもにとっては、はじめて出会う世界のかけらです。きっと、ものみなすべて、きらきらと輝いて見えるのでしょう。せかしたくなる気持ちを抑えて、息子と視線の高さを合わせ、青空へ飛んでゆく綿毛を一緒に見送ります。通園の道のりは、季節との一期一会が待つ、毎日の短い旅なのです。
ある日、石段を下った松の木の根方で、てんとうむしを見つけました。指に載せると、つつつつ、と登ってゆきます。「てんとうっていうのはね、太陽のことなんだよ。ほら、指の向きを変えても、太陽を目指して歩くでしょう?」てんとうむしの習性をはじめて知った息子は、目を輝かせて見つめています。
「ねえ、ぼくにも、やらせて!」
母の指から移されたてんとうむしは、小さな指を登ってゆき、てっぺんまでくると、太陽へ向かってパッと飛び立ちました。
「ほら、てんとうむしさん、ばいばーい」
手を振って見せると、息子はなんだか不満そう。
「てんとうむしさん、またあえる?」
「うーん、そうだね。また出会えるかもしれないけど、もうこれで最後かもしれない。だから、ちゃんとばいばいしよう。」
会えるよ、となだめるのは簡単ですが、真実を歪めて隠してしまうのも不誠実に思われて、正直に伝えました。すると彼は、てんとうむしの消えていった空を睨んで、泣きそうな顔でこう言いました。
「ばいばい、いやだ! もう、であわなければ、よかったのに!」
今日、たまたま、蛙や鮒と出会ったこと
出会わなければ、良かったのに。
悲しいとき、人はつい、時を遡ってその悲しみの原因を探ろうとします。でも、出会わなければ、本当に良かったのでしょうか。別れてしまえば、すべてなかったことになるのでしょうか。
俳人としての私の答えは「いいえ」です。これまでに生み出されてきた、数知れない俳句たちは、一期一会の出会いの意味を、たった17音の中に繰り返し詠み継いできました。
古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉
おそらく世界で一番有名な芭蕉のこの句も、古池と蛙の一期一会の出会いが刻まれています。永遠とも思われる古池の静寂を、春に生まれた蛙が飛び込んで、ほんの一瞬、あざやかに崩しました。そのぽちゃんと聞こえた水のひびきを、芭蕉は俳人の耳で聞きとめたのです。後にはただ、古池の景色が残っているだけ。でも、蛙と出会ったあとの私たちにとって、その古池は、出会う前の枯淡の世界ではなく、命の揺籃としての輝きを秘めた存在に変わるのです。
露草や野川の鮒のさゝ濁り 正岡子規
秋のはじめ、紫色の露草が咲く野川のほとりを歩いています。流れを覗きこめば、驚いた鮒がさっと鰭を動かし、川底の砂をまきあげ、透明だった水がふっと濁りました。そのかすかな変化を、子規は俳人の目で見つけ、書きとめました。ここにも、露草と鮒の出会い、子規と風景の出会いが刻まれています。
明治28年、不治の病・結核を患う子規は、日清戦争の取材へ出かけ、帰路に大喀血、生死の境をさまよいました。一命をとりとめて故郷の愛媛・松山に帰省した折、なじみの道後を散策して詠んだ一句です。
あの戦争へ行かなかったら、あるいは子規はもう少し生きられたのでは、といわれています。しかし、子規は行きました。そして、死の淵から帰還したのち、「写生」という理念を掲げ、ありのままの風景を俳句に写し取る方法論を展開しました。もう二度と帰れないかもしれなかったからこそ、故郷のなんでもない野川の風景も、きらきらと命の輝きを見せたことでしょう。蓄積されてきた知識以上に、眼前の今との一期一会の出会いを大切にする「写生」は、今も広く、俳句を作る方法として親しまれています。
今日、たまたま、蛙や鮒と出会ったこと。きっと、日常を営んでいれば、早晩忘れてしまう些細なことです。俳人は、そんな小さな出会いを、17音の小さな器に書きとめ続けてきました。常に変わらないように見える古池や野川にも、実は折々に命が行き交い、出会いと別れのドラマが生まれています。その変化を写し取った俳句たちは、この世界が実は、小さくも眩しい一期一会の光に満ちているのだと、静かに教えてくれます。
秋二つ 出会いと別れの記憶を抱いて
行く我にとゞまる汝に秋二つ 子規
先述した明治28年の松山への帰省の折、子規は夏目漱石の下宿に転がりこみます。大学時代からの親友だった漱石は、たまたま子規の故郷・松山に英語教師として赴任していたのでした。この句は、52日間の同居生活を終え、子規が東京の自宅へ戻るときに、漱石へ宛てた句です。
これまではともにひとつの秋を過ごしてきたけれど、今、東京へ行く私(子規)に、松山にとどまる君(漱石)に、秋はひとつずつ、「秋二つ」になる。それぞれの道は分かれてゆくのだなあ……。もし、子規と漱石がこの秋、一緒の時間を過ごさなかったら。そもそも「秋一つ」という出会いがなければ、「秋二つ」の別れの感慨も生まれませんでした。
切ない別れには必ず、鮮烈な出会いが内包されています。その記憶を抱いて生きてゆくことが、私たち人間には許されています。
さまざまの事おもひ出す桜哉 芭蕉
芭蕉45歳、故郷の伊賀上野を訪れ、かつて仕えた藤堂家の庭で詠んだ俳句です。慕っていた当主の蟬吟は、若くして亡くなりました。今、その忘れ形見である探丸から、20年ぶりの花見の誘い。懐かしい桜を前に、あふれる思いを書きとめました。あえて「さまざまの事」と総括することで、芭蕉一人の体験が透明に普遍化され、万人が自身の思いを重ねることのできる一句となりました。
出会わなければ、別れもありません。でも、出会わなければ、思い出す記憶もなかったでしょう。出会い、別れたのちも、私たちの心には、触れ合ったなごり、あたたかな記憶が残ります。子どもはたくましいもので、てんとうむしにべそをかいていた息子も、夕刻にはまた、道ばたのみみずに夢中です。彼も、たんぽぽやてんとうむしとの別れを通して、いつか来る、もっと大きな別れの準備をしているのかもしれません。
コロナ禍、新たな出会いの生まれにくい今ですが、足元に、空に、目を向けてみましょう。そこにはすみれが咲き、つばめが飛んでいるはずです。さまざまな出会いと別れの記憶を抱く私たち。さあ、今日も、いつか懐かしい時間に変わる、新しい一日がやってきます。
執筆者プロフィール
神野紗希(こうの・さき)
俳人。現代俳句協会副幹事長。聖心女子大学・立教大学講師。句集に『星の地図』(マルコボ.com)『すみれそよぐ』(朔出版)、著書に『日めくり子規・漱石』(愛媛新聞社)『女の俳句』(ふらんす堂)『もう泣かない電気毛布は裏切らない』(日本経済新聞出版社)ほか。この春、ジュニア向け書籍『俳句部、はじめました』(岩波書店)を刊行。