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不安との向き合い方 ~コロナ禍で私が学んだこと~(清水 研:がん研有明病院腫瘍精神科部長)#こころのディスタンス

感染症の広がりは、いつもは意識の外にある「死」というものを、改めて私たちに突きつけてきました。不穏な状況が次々と起こる中、どうしても膨らんでしまう不安に対して、何ができるでしょうか。多くのがん患者の不安と向き合い、手助けをしてきた清水 研先生にお書きいただきました。

コロナ禍が私たちに与えた課題

 わたしたちは「自分や大切な人が死ぬかもしれない」ということは普段あまり意識しないで済む、安全な社会で生きることに慣れてきた。大きな病気でも体験しなければ、当たり前のように毎日が続き、明日も明後日も1か月後も1年後もそれほど変わり映えのしないときがやってくるという想定のもと、生活をしている。なので、危険な状況との向き合い方については、慣れていない人が多いのかもしれない。

 しかし、今回コロナ禍において、わたしたちは「こうすれば大丈夫」という糸口が明確でない、先が見えない問題と対峙することになった。そして、そんな中でより付き合いが深くなった感情が「不安」である。不安とは、「不確実な脅威に直面した場合に惹起される感情」と定義することができる。コロナはまさに不確実な脅威であり、期せずして私たちは不安という感情とどう向きあうかという課題を与えられることとなった。

 コロナ禍を振り返ると、昨年12月に中国・武漢市で報告されたCOVID-19は、瞬く間に世界中に広がり、私たちの生活を一変させてしまった。最初に報道されたころはまるで他人事で、私も海の向こうの話だと考えていた。そして、今までのSARSなどのウィルス感染症の経験から、3か月もすれば収束するだろうとたかをくくっていたように思う。それが3月になって国内の感染者がどんどん増えてきてからは、日本全体が著しい不安に陥った。志村けんさんが亡くなるという衝撃的な報道が流れ、米国や欧州において医療崩壊が起きているというニュースが連日知らされた。作家の辻 仁成氏が、「今の日本は2週間前のパリなんです」とテレビに生出演して警鐘をならしていた時はほんとうに恐くなった。「平和で安全な日本がほんとうにそうなってしまうのだろうか?」という、半信半疑ながら、背筋が寒くなるような感覚があった。このころから日本中に不安という感情があふれ、時に暴走することもあったように感じる。

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不安の暴走

 不安という感情は危険を教えてくれるアラームのような役割を果たす。不安を感じない人は向こう見ずな行動に走り、命を粗末にしてしまうようなこともあるので、人間にとって大切な感情であるが、暴走するとやっかいである。不安が暴走し、不安に支配されてこころのアラームが鳴りっぱなしになってしまうと、何も手につかない。たとえば「過度の一般化」ということも不安の暴走のひとつだ。乳がんを体験した岡江久美子さんがコロナ感染が原因でお亡くなりになってしまったが、この時「がん患者はコロナに罹患すると高確率で命を落とす」というイメージができあがった。私の外来には、不安を主訴に受診するがん患者が増えたが、病院に来られる人はまだいいのかもしれない。不安や恐怖に支配されながら家に閉じこもっているがん患者はほんとうに多かったと思う。危険だという過度なイメージを打ち消すために、がん学会など、関連学会は「がんになった人がみな危険なわけではない」という正しい情報を発信することに追われた。

 また、不安は怒りの感情に化けることがある。たとえば、電車の中にマスクをせずに咳を何度もしている人を見たら、自分たちを脅かす存在と認識して、怒りの感情が生まれるだろう。しかし、不安が暴走すると、不安に起因する怒りも暴走するし、その怒りには「日頃のうっぷんをはらす」という違う要素も加わってきているかもしれない。その結果、感染者を排斥したり、県外ナンバーの車を傷つけたり、自粛警察という名で営業している店を攻撃したりという行動が報道された。本来はコロナ対策にみな手を携えなければならない時期に、こうなると社会が分断されかねない。

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不安への対処法① ~正しく恐れる~

 では、不安が暴走しないためにはどうしたらよいか。よく、「正しく恐れる」という言葉がある。この言葉、私も初めて聞いたときは何を言わんとしているのかがよくわからなかったのだが、要は不安が暴走しないようにしようということである。そのための対策としては、なるべく一次情報(1日の感染者数、死亡者数などのもとのデータのこと。二次情報は「東京の感染者数は多い」などの解釈が加わった情報)に自分自身であたり、正しい知識を得ることが大切だ。例えば、緊急事態宣言が発動されたころ、あなたは「これから1週間以内に自分自身がコロナに罹患する可能性」は何%と感じていただろうか。最も感染者が多かった東京都でも、10万人あたりの感染者数からその割合を割り出すと0・1%に満たなかったと思うが、私自身の感覚は5分の1ぐらいの確立で感染するような危険を感じ、咳が何日か続いたときは「ついにコロナにかかってしまった」と思い込んだ。もちろん、コロナは伝搬しやすいウイルスなので感染防御行動はきちんと行う必要があるが、コロナに感染するリスクを過度に見積もり、必要な行動を控える(例えば命にかかわるがんの治療を受けずに家に引きこもる)ことは自分を危険にさらしてしまうことである。

 岡江久美子さんのこともそうだ。確かに岡江さんはがんに罹患した経験はあるが、岡江さんの死ががんに起因するかどうか不明である。ワイドショーなどの報道はインパクトがあるメッセージを追いかけるあまり、短絡的な説明をしやすく、気を付ける必要がある。がんに罹患していてコロナに感染しても無事な人もいる一方で、がんなどの疾患に罹患していなくてもコロナで亡くなる人がいる。化学療法などの免疫が低下する治療を受けた直後はコロナ感染に伴う危険が高まるという報告があるが、多くの場合はがん患者だからといって必ずしもコロナの危険は高まるわけではないということが分かっている。一次情報だけではわからないことも多いが、短絡的な報道をうのみにしてはいけない。二次情報は玉石混交なので、うのみにしてはいけない。その中から信頼できるものを選ぶ能力も必要であろう。

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不安への対処法② ~不安を不安のままにしておくこと~

 極端な情報に惑わされないようにして、できる感染防御策をきちんとやったとしても、自分がコロナに感染する可能性はあるし、大切なひとがそうなってしまうリスクもある。なので、不安はなくすことができない。このような時に大切なのは、不安をそれ以上解消しようとせずに、「自分は不安になっているな」と認識しつつそのままにしておくことである。心理学の世界では皮肉過程理論という考え方が提唱されており、「コロナについて考えないようにしよう」と念じれば念じるほどコロナについて考えてしまい、逆説的に不安が強くなることが分かっている。有名な「シロクマ実験」という実験がある。実験に参加してくれた人を3群に分け、シロクマの映像を見せた後、それぞれ別の教示を与える。一つ目のグループには「シロクマについて覚えておくように」と告げ、二つ目には「シロクマについて覚えても覚えなくてもよい」と告げる。三つ目には「シロクマのことを絶対に考えないように」と教示を与えたのだが、皮肉なことに三つ目のグループがもっともシロクマのことを覚えていたそうだ。「考えないようにしよう」と思った時点でそのことが意識に上ってしまうので、結果的に一番そのことを考えてしまうということなのだという。

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不安への対処法③ ~今この瞬間に目をむける~

 では不安を解消せずにそのままにしておくためには、どうしたらよいのであろうか。私はその答えはマインドフルネスにあると思う。最近、マインドフルネス瞑想法が着目されるようになり、現代人が疲れたときに、こころを休ませる方法として多くの人が興味を持つようになった。その源流は東洋の瞑想にルーツがあり、マインドフルネスを簡単に説明すると、「今現在において起こっていることに十分な注意を向ける」ことを指す。

 ひとつの例として、たとえば、きれいな自然の中を父親と小さな女の子が歩いているとする。女の子の頭の中には目の前の自然の景色がそのまま浮かんでいる。これはまさに心が満たされた(mindful)な状態であるが、一緒に歩いている父親の頭の中は明日の会議のことで頭が一杯(mind-full)で、美しい景色を感じるゆとりがない。今目の前でおきているひとつひとつのことに目を向けていくことが大切なのである。

 コロナというウィルスとの向き合い方としても、今この瞬間に目を向けることが大切なのではないか。「コロナに感染したらどうしよう?、そして重症化したらどうしよう?、みんなにどう思われるだろうか?」などと将来の不安にとらわれて、今日一日を浮足立ったような心境ですごすのはもったいない。目の前の仕事をこなし、コロナ禍でもできる楽しみを満喫し、コロナ禍で不安になっている家族や恋人、友人に思いやりをとどける。そんな一日を過ごしたほうが豊かだと私は思う。

 もちろん、コロナ前のように自由に人と会うことはできず、孤独感や様々なフラストレーションもあるだろう。自分がストレスにさらされていること、イライラしていることについても認めたらよいだろう。あるがままの気持ちを認め、その日その日を生きる、それがコロナ禍が始まってこの状況にも慣れてきた私が出した結論である。もちろん、ひとつだけの正解があるという問いではないし、みながこのような向き合い方をする必要はない。今回ひとつのサンプルとして私自身が今回のコロナ禍で何を感じ、どう考えたのかについて共有させていただきたく、この文章を書かせていただいた。

執筆者プロフィール

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清水 研(しみず・けん)
がん研有明病院腫瘍精神科部長。国立がんセンター東病院、国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院などを経て現職。がん患者とその家族の心のケアに一貫して携わってきた。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら』(文響社)『がんで不安なあなたに読んでほしい。 自分らしく生きるためのQ&A』(ビジネス社)など多数。