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コーダという子どもたちのこと:きこえない親をもつきこえる子ども(中津真美:東京大学バリアフリー支援室特任助教)#自己と他者 異なる価値観への想像力

昨年公開された映画「コーダ あいのうた」や、昨今話題を集めているヤングケアラーなどから、「コーダ」という言葉が一般にも知られるようになりました。コーダと呼ばれる子どもたちの実際や親子関係、彼ら彼女らが考えていることについて、コーダ研究者の中津真美先生に解説いただきます。

「コーダ」という言葉をご存じでしょうか

 きこえない親をもつきこえる子どものことを「コーダ」(Children of deaf adult/s:CODA)と呼ぶことがあります。両親ともきこえなくても、どちらか一方の親だけがきこえなくても、また、親のきこえの程度や、親がろう者であるか難聴者であるかにも関わらず、きこえる子どもは皆コーダと定義されます(CODA International)。ここでもまた、コーダという名称を用いることとします。

 本稿では、コーダと聞こえない親を巡る状況と、コーダの揺れ動く複雑な感情の有り様の例を、みなさまにご紹介させていただきたいと思います。

友だちとの違いに気づく

 コーダにとって、親がきこえないことは、もともとは特別なことではないようです。生まれたときからの当たり前のことですから。たとえるなら、「親は目が悪いから眼鏡をかけている」などと同列に、「親は耳がきこえないから手話で会話する」のように、コーダは単に親の特徴として、きこえないことを受けとめます。

 けれども、コーダは成長するにしたがって、友だちと自分の置かれた境遇を比較するようになったり、社会のなかでの「障害」の捉え方を肌で感じたりしながら、他との違いを認識していきます。その違いのひとつとして、まずは、コーダ親子特有のコミュニケーションの形に触れてみたいと思います。

コーダと聞こえない親の会話

 とりわけ親が日常的に手話で話すコーダの場合には、周囲の人々から「聞こえない親のもとで育った子どもなのだから、手話ができるはず」と思われがちですが、実はコーダの手話習得度には個人差があり、「手話はあまりできない(しない)」と語るコーダも多く存在します。コーダ104人を対象にした実態調査(中津・廣田, 2000)では、聞こえない親との会話方法に「手話のみ」と回答したコーダはわずか15人(14.4%)にとどまり、「手話+口話+身振り+筆談等」と要はあらゆる方法を組み合わせて親と会話をするコーダが48人(46.2%)と半数近くを占めました。

 さらに、コーダと親の会話成立状況では、親と「問題なく会話ができる」と感じているコーダ48例(46.2%)に対して、「だいたい会話ができる」も47例(45.2%)と概ね同率を示しました。つまり、コーダによっては、親子であっても会話が成立しづらいときがあるということです。

 実際には、手話があまりできないコーダでも、それなりに親と会話しているようです。親子の会話というものは、意外な話題がでることはそれほどなくて、ある程度は推測がつきますし、そもそも親子なのだからお互いのことは十分に分かっていて、だから会話はなんとなく成立するのです。でも、複雑で深い話は難しいのです。

コーダが親に行う通訳

 そのような会話状況下で、コーダはきこえない親のために通訳の役割を担うことがあります。ここでいう通訳とは、コーダが親ときこえる人との間にたち、双方の言葉を手話で、または筆記や大きな口の動きなどで親に伝えてコミュニケーションを仲介することを指します。さらに、手話を用いる親では、手話言語を基盤とするろう文化に帰属する場合が多く、きこえる文化とのギャップが生じることもあり、コーダが両者の理解に到達するよう解説を加えたり、場の雰囲気を調整したりすることもあります。

 コーダが通訳を担う場面は、電話や来客、親戚の集まりや買い物などでの日常会話場面にはじまり、病院での診療や銀行、生命保険担当者との会話や、コーダ自身の学校関係(授業参観や三者面談など)など多岐にわたります。これは、個々のコーダによって大きく差があります。

 前述の実態調査では、コーダは平均6.48歳の幼少期から頻繁(平均4.52日/週)に親の通訳を担う現状が明らかになりました。一般に手話通訳技術というのは、大人が一生懸命頑張って数年かけて養成講座に通ったりしながら習得していくものですが、コーダは手話を十分に習得していないながらも、親に音情報を伝えるのです。家族のことは家族内で解決するものだという社会の暗黙の了解を、コーダは敏感に感じ取っているのかもしれません。この世の中は、きこえる人の利便性を前提にした、きこえない人には少々使い勝手が悪い環境ですから、きこえない親が生活を営むうえではコーダが通訳の役目を果たさざるを得ない場面がどうしても出てきます。

いい子でいようと頑張り続けるコーダ

 コーダには、よく周囲の人たちから、かけられる言葉があります。

「大変だね。」「かわいそうに。」「あなたが頑張らなきゃね。」「しっかりしなきゃね。」「あなたが親を守ってあげるのよ。」「親がきこえないのに、すごいね。」

 このように、他の友達とは少し違う経験を重ねて成長していくコーダは、どうなっていくのでしょうか。親のきこえないことを否定的に捉えて苛立ったり、人と違うことに悩んだりして、親と距離をとってしまうコーダもいます。一方で、周囲からの同情や過剰な期待を受けて、いい子でいようと頑張り続けるコーダもいます。親を守る気持ちを抱いて親子の役割逆転(role reversal)のような関係性を形成し、親を助けないことは親不孝だと思い、全ての責任を自分で背負い込もうとすることもあります。「あの子は、きこえない親の子どもだから仕方ないね。」と周りの人たちから言われたくなくて、張り詰めた気持ちを持ち続け、ときにいろいろなものを犠牲にすることもあります。

 問題なのは、その状態はいつまでも続かないのです。すっかり大人になったコーダは、なにかの拍子に、ふと思うのです。「あれ?自分ってこんな感じで生きてていいんだっけ」と。そして、気づきます。「私ってなに?」と。そうなると次に、今まで長い間築いてきた価値観や、やり方を否定する状態に突入してしまいます。実は疲れ果てている自分にも気づきます。でも今さら変えられないし、「もう無理」って言えない。かといって、これ以上頑張りきれない。そうして大人になってもなお、言語化できない生きづらさを抱えるコーダたちも存在しています。

親のことが大好きなコーダ

 他方で、通訳を頼まれることをポジティブに捉え、親への親愛感のもと、その期待に応えることで自信をつけて成長していくコーダもいます。コーダ25人へのインタビュー調査(中津・廣田,2012)でもまた、親のきこえないことを自然に受け入れ、自分らしく子どもらしく育ったコーダの一群がみいだされました。

 そのコーダの親子関係に注目すると、大きく3つの特徴がみられました。ひとつは、親が “きこえないこと”に対していつも堂々と自信をもって向き合い、コーダへ「パパやママは、しあわせなんだよ」と伝え続けていたことです。2つめは、親子で“きこえないこと”について、たくさんの対話をしていたことです。そして3つめは、周囲の人々が、親の“きこえないこと”にとても理解があったことです。これらのことは、コーダの健やかな成長に促進的に働く重要なポイントになると考察しています。

多様性に敏感な世の中へ

 あるコーダの語りです。

「親がきこえないとわかれば、すぐに表情を変えて困った顔をしてしまう大人の人。そんな人を数多く見てきました。自分の両親は、そんな面倒な人? 迷惑をかける人? ただ聞こえないだけだから、ゆっくり口をパクパクしたり、身振りや筆談などをすれば通じるのに」

 そのコーダは、こうも続けます。

「手話通訳者も必要ですが、緊急時や日常のちょっとした場面で会話ができる人がいる方が、コーダにとってはホッとするのではと思います。ホテルの受付で、通訳しなあかんなぁと思っていたら、受付の人が手話ができて嬉しかったことが昔ありました。」

 障害(disability)とは人でなく環境の側に存在するという社会モデルにもとづけば、コミュニケーションのすれ違いはあくまでも両者の「間」に生じるものであり、どちらか一方だけが頑張るものではないといえます。コミュニケーションの壁の是正に、きこえない少数派だけが頑張って、きこえる多数派がそれに応じるのではまだ不十分な世の中だということです。どうしたら目の前の相手と直接コミュニケーションがとれるのか、世の中の感度を上げていくことで、コーダが通訳をしなくてはいけない場面が少なくなって、コーダの気持ちがちょっと軽くなるかもしれません。

 多様性に敏感な世の中であることは、コーダにとっても、とても生きやすいものと感じます。きこえる世界ときこえない世界の狭間を生きるコーダたちの健やかな成長を、あたたかく見守っていただければ、とても嬉しく思います。

執筆者

中津真美(なかつ・まみ)
東京大学バリアフリー支援室特任助教。障害のある学生・教職員への支援のほか、全学構成員へのバリアフリーに関する理解促進のための業務に従事。ろう者の父と聴者の母をもつコーダであり、コーダの心理社会的発達研究にも取り組む。J-CODA(コーダの会)所属。

筆者の中津先生が「コーダ考証(監修者)」を務めているドラマです(令和4年3月13日よりBSプレミアムで放送中)。

HP「コーダのページ」

著書