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不登校の子どものこころの整理~作文による自己対話を通して~(教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー:林千恵子)#心機一転こころの整理

さまざまなきっかけから、自分の心が判らなくなり、整理がつかなくなったことで不登校になる子がいるようです。その心の整理にどのようなはたらきかけができるでしょうか。多くの不登校の子にかかわってきた林千恵子先生にお書きいただきました。

 不登校の子どもたちが通う教育支援センターでの勤務も20年を超え、出会った不登校の子どもの数はのべ900人を超えました。これだけの長い期間、情熱をもって続けてこられたのは、子どもたちの「殻を破ったような成長」への感動や敬意ゆえだと思っています。

 「殻を破ったような成長」を生み出すものは何か? それは、子ども自身がもつ、成長への意志に他ならないと考えています。辛い状況の中から自分自身を見つめ直し、心の整理をつけることで成長を遂げた子どもたちのことをお伝えしたいと思います。なお、事例については、個人が特定できないように、数名のエピソードを再構成しています。

不登校の子どもの心は忙しい

 「不登校の子どもたちの頭や心の中はいつもとても忙しい。」
 そう実感しています。何もしていないように見えるかもしれませんが、頭の中では絶えず、起きてしまった辛い出来事や不登校になってしまったことへの後悔、そして未来に対する不安が渦巻いているようです。出口の見えない同じ思考の繰り返し。

 「気が付くと、昨日も一昨日も考えていたことをずっと考えている。やめたいのにやめられない。やめたいと思うほど、頭から離れなくなる。」と話す子が多くいます。ゲームや好きなことに熱中している束の間は辛い思いを忘れることができますが、すぐに何度も反芻していた思考が自動的に繰り返されるのです。それを繰り返していくうちにどんどん心のエネルギーがなくなっていくようです。

自分の心と向き合うための作文

 こうした状況から抜け出すためには、自分の心と向き合う必要があります。辛さから見ないように蓋をしてきた自分の心を見つめ直し、自分の心とつながり直すことです。不思議なもので、しっかり向き合うことによって、出口のない繰り返し思考からも距離を置くことができるようです。

 自分の心と向き合う方法は様々あると思いますが、不登校の子どもにとって、作文を書くことによる自己対話はたいへん効果的だと実感しています。

文章が変わると、子ども自身も変わる

 作文の可能性について私の目を開いてくれたのは、不登校支援を始めた当初に出会った男子中学生です。勉強もスポーツも器用にこなす子で、不登校については「くだらないルールで生徒を縛るような学校に行っても意味がない。行かないことになんの後悔もない。」と話していました。明るく振る舞っていましたが、他者を踏み込ませない何かを感じていました。

 最初に書いた「高校生活の目標」という作文には、中学校生活のくだらなさや家族に対する不満が書かれ、高校という場であれば自分は生き生きと頑張れるといった内容が理路整然と書かれていました。しかし、自分の思いはほとんど書かれていません。

 「中学校や家のことはよく分かったけれど、あなたはどんな人で、どんなことがしたいの?あなたのことが知りたいよ。」と私。

 「えっ?」と言ったきりその子は黙ってしまいました。

 次の作文練習の際、途中まで書いた作文を全て消してしまいました。その後、何も書けない状態が1か月以上続きました。どれほど苦しい時間だったかと想像します。しかし、休まずに通い、ひたすら作文用紙に向き合う姿には「逃げ出さない」という強い覚悟がにじんでいるように感じました。下手な手助けはせず、支え続けようと私も覚悟を決めます。今思い出しても、胃がキリキリ痛むようです。

 「自分なりに書けた気がするから読んでほしい」と作文を渡された時には心からホッとしました。

 澄んだ美しい文章でした。あの時の驚きや感動、そして男子中学生のすっきりとした美しい横顔は今も鮮明に心に残っています。

 「今まで自分が不登校になったのは、学校が悪い、親が悪い、友達が悪いと思っていました。けれど、本当は自分が弱かったのだと思います。自分の弱さから手放してしまったものを高校生活で取り戻したいと心から思っています。」

 「学校や親が悪いわけじゃなかった。他の子よりも自分の方がよくできると思っていたのに、勉強や部活がこなしきれなくなって、宿題を忘れたことを注意されたことが休み始めたきっかけだった。でも、それを認めたくなかった。」とポツリポツリと話してくれました。

 全く書けなくなったのは、小さな「ひっかかり」がきっかけだったそうです。「自分のことを書いて」と私に言われた時に適当に書けばいいと思ったけれど、書くたびに、のどにひっかかった小骨のように何かがひっかかったのだそうです。

 「くだらないルールで生徒を縛る学校を拒否した。それは本当のことなのか?学校を休んでいることを本当に後悔していないのか?休んでいる自分を認めているのか?…。」

 書くたびに湧き上がる自分の中の違和感と向き合い、自問自答を繰り返すことで、本当の自分の心とつながることができたのです。作文は自己対話を促進して、自分を見つめ直す「自己カウンセリング」の働きをするのだと考えます。

 「辛かっただろうによく逃げなかったね。自分の人生を自分の責任で引き受けたことで、一気に子どもから大人に成長しちゃったねー。」と声を掛けると照れくさそうに笑いました。

心の中に新しいファイルを作る

 「自己カウンセリング」の働きとともに、作文は自己決定を促すためにも有効です。不登校支援を始めた当初は、学校復帰について自分で考えて決定させることは、プレッシャーを与えるから、してはいけないと思いこんでいました。しかし、不登校の子どもたちと関わり続ける中で、それは誤った考えであると反省した経験があります。

 作文を通した対話を続ける中で、不登校の子どもの自ら伸びようとする力への確固たる信頼が私の中に根付きました。「もうこれ以上はムリ」と言いながら、もっと考えてほしいという私の求めに何とか答えようと考え続け、絞り出す言葉がその子自身の可能性を切り拓いていくことがあります。

 学年が上がる前の3月に、中学1,2年生に書いてもらう「25歳の自分はどうなっていたいか、そしてその25歳につながる1年として4月からどのようにしたいか」を決める作文もその一つです。押し出されるように登校するのではなく、漫然と休んでいる状態を継続するのでもなく、自分で決めることで意味のある時間を過ごすことができると考えます。

 自分としっかり向き合って、自分なりの決断をするよう迫ります。一人一人の状況を見極めながら、更に考えを深めるよう求めていきます。追いつめられる子どもたちも辛いでしょうが、追い詰める私も必死です。真剣勝負です。

 「目指す高校への進学を果たすために翌年度から教室に復帰する」「別室登校を試してみる」「教育支援センターに通いながら、自分で行けると思ったら学校に行ってみる」「教育支援センターで高校から頑張れる力を身に付ける」等、一人一人がそれぞれの決断にたどりつきます。頑張って向き合ったことをねぎらうとともに、実現するに当たって困りそうなことの解決策を一緒に考えて、できるだけの応援をすると約束します。

 この作文に取り組むようになって、学校復帰する子どもが増え、教育支援センターに通う子どもたちの取り組みも目標をもった前向きなものになりました。決めた通りにできないこともありますし、学校復帰後に教育支援センターに再復帰する子もいるのですが、格段の成長を遂げていることが多くあります。自分で決めて動こうとした経験は不登校の子どもたちに大きな自信を与えくれるようです。

 ある年、作文用紙の欄外に小さな文字でメッセージが書いてありました。
「作文を書く中で、自分がこんなことを考えていたんだと気付いてびっくりしました(笑)。そして、書いているうちに学校に行ってみようとハンパなく思っている自分がいることにさらにびっくりしました。これって何? 作文の魔法?」

 人を変えることは難しいけれど、自分が変わることはできます。自分を取り巻く状況が変わらなくても、自分自身の見方を変えることは可能です。作文は不登校の子どもたちの心の中に、新しいファイルを作り、心の新しい納めどころをみつける手伝いをしてくれるようです。何とも頼もしい相棒です。

作文悪魔の願い


 この原稿を読み返して笑ってしまったのですが、私がしているのは、質問をして子どもたちを追いつめることがほとんどです。「作文おばけ」や「作文悪魔」とよく言われるのですが、なるほどと納得してしまいました。

 「この部分をもっと知りたい」「もう少し向き合って具体的に書いてほしい」「もうちょっとしっくりくる言葉はないかな?」「あなたにしか書けない、あなただけの作文が読みたい」等、自己対話を深めるような質問や対話を積み重ね、最後の最後までしっかり向き合うことをひたすら求めています。

 ただ、日常の遊びや会話の中で、子どもたちが表現することの楽しさを感じ、安心して自己表現できる環境を整えることは意識して行っています。

 また、自己対話の中で苦しんでいる子どもの伴走者であろうという思いは常に持ち続けています。自分が良いと思う方向性を示すのではなく、その子の気づきを促進できるように関わり、待ちながら、ひたすら共に歩む覚悟です。

 書いた作文は自分でファイルしていくのですが、多い子は数センチの厚さになります。その厚みが自分の頑張りだと周囲に自慢気に話す子もいますし、最初の頃に書いた作文の内容があまりにうすくて恥ずかしくなったという言葉もよく聞かれます。自分の心の成長を自分の目で確かめられるのも作文の利点ですね。

 「不登校だった当時、作文や対話の中で、とことんまで自分と向き合った経験があるから、今の自分に自信がもてる」と大人になって話してくれた子がいます。全ての不登校の子どもたちにそうした思いを実感してほしい。それが作文悪魔の願いです。子どもたちの無限大の可能性を支え、不登校を成長のチャンスとできるよう、これからも子どもたちと向き合い続けていきます。

【著者プロフィール】

林千恵子(はやし・ちえこ)
 教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー。中学校教員(国語)や様々な経験を経て、教育支援センター(適応指導教室)の教育相談員として20年以上勤務する。その間に出会った不登校の子どもと保護者、教員はそれぞれのべ900人に及ぶ。教育と心理学の間を行き来しながら「人と関わることで人は変わる」という信念の下、対話を積み重ね、多くの卒業生が社会的自立を果たしている。また、作文を通した子どもの自己対話の促進にも力を入れている。
 十数年前からは、適応指導教室の勤務と並行して公立小学校のスクールカウンセラーや巡回相談員も務め、教員研修や関係機関の研修講師、不登校親の会の世話役も行い、本年4月より、中学校内に新設された不登校の子どものためのスモールステップルームの巡回指導を開始した。
 今年1月、不登校の子ども理解の軸となる「学習」「人間関係」「いじめ」「居場所」の4つのテーマを、実際の子どもの作文とともに考える著書『すきまから見る~「不登校」への思いこみをほぐす~』(東洋館出版社)を刊行した。

【著書】

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