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人間の暴力性~集団間葛藤の解決に向けて(東北大学名誉教授:大渕憲一)#葛藤するということ

現在の誰もが注目せざるを得ないウクライナとロシアの状況。人間に潜む強い暴力性の歴史的な変化を踏まえ、今後、私たちが克服しなければならない葛藤の課題について、大渕憲一先生にお書きいただきました。

 2022年2月にロシアの軍事侵攻に始まったウクライナ戦争は、世界中に大きな不安と恐怖を与えています。2つの世界大戦を始め軍事紛争が多発し、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀が終わりを告げ、ようやく平和な時代が訪れたと人々が感じ始めていた矢先の出来事でした。普通の人々の暮らしが一瞬にして破壊され、多くの人命が無慈悲に犠牲になる有様を目にして、多くの人が「人間とはこんなにも残忍になれるものだったのか」と衝撃を受けています。しかし、過去を振り返ると誰もが認めざるを得ないように、実は、人類史は暴力の歴史です。第3次世界大戦もフィクションの世界だけのことではないのだと気づかされ、人々は、忘れかけていた人間の本性に潜む強い暴力性を改めて直視せざるを得なくなりました。

 しかし、人間性を研究する学者たちの中には、「人間の暴力性は、時代が下がるにつれて弱まってきたのだ」と主張する人たちがいます。ここでは、こうした主張を含むふたつの攻撃性理論を紹介し、現在、我々が直面している暴力事態をどう理解するべきかを考えてみたいと思います。

ピンカーの暴力性減衰説

 現代人の多くが、「今、自分たちは暴力に満ちた危険な時代に生きている」と感じていますが、この素朴な感覚に反して、米国ハーバード大学の心理学者、ピンカー教授は、その著書『暴力の人類史』において、人間の暴力性は時代とともに弱まり、現代人は人類史上最も平和な時代に生きているのだと論じます(Pinker, 2011/2015)。

 彼は、本能とは言えないが、人間は個人的・集団的利得のため暴力的に行動しうる内的システム(認知、情動、動機づけ)を備えていることを認めています。更に人間の場合は、自尊心、正義、イデオロギーなど、目に見えない象徴的価値が攻撃動機となることもあるので、他の動物たちよりも暴力に訴える機会が多いと考えられます。こうした人間の暴力に向かう性向をピンカーは「内なる悪魔」呼びました。

 一方、彼は、人間には暴力を回避しようとする心の働きも併せ持っているとして、こちらを「内なる天使」と呼びました。それは、被害者に対する同情や共感、自分の情動や衝動を抑える自己統制の能力、暴力を悪と見る道徳性や倫理性、更に、リスクを避けて安全に利益を図ろうとする合理的判断力(理性)などから生じるものです。

 ピンカーは、時代が下るにつれて内なる天使が強化され、その結果、人間の暴力性は減衰してきたと主張しました。彼がこのように考える根拠は、人類学、考古学、歴史学などから集められた諸資料です。例えば、古代遺跡からしばしば人骨が出土しますが、その中に暴力を受けた痕跡のある受傷骨と言われるものが含まれていることがあります。また、近年まで、アフリカ、南米など、世界各地で未開部族の人類学的調査が盛んに行われました。そうした資料からピンカーは、人類の未開時代に主流であった狩猟採集社会では部族間の暴力紛争が頻繁に起こり、人口の1割以上が戦争によって死亡したと推測しました。これに対して、2つの世界大戦があったにもかかわらず、20世紀は世界の人口が増えていることもあって、戦争死者の割合は1%にも満たないものです。彼が『暴力の人類史』で提示する資料は、人間社会における戦争や犯罪による死者の割合(人口比)が時代とともに減少してきたことを示すものでした。

 こうしたことを根拠に、ピンカーは人間の暴力性が減衰してきたと主張しますが、その要因として彼は一連の歴史的変動を上げます。それは、国家という統治機構の成立、文明化(礼儀作法の普及)、経済活動の活発化、人道主義の浸透、メディアの発達、教育の普及、民主主義の進展などです。こうした歴史的変動が起こると、人々はその影響を受けて、欲求・関心、価値観、規範、行動傾向などが変化し、それらが複合的にはたらいて暴力性の低減をもたらしたとピンカーは論じます。例えば、教育は、人々の視野を広げ、他者に対する共感や理解を促し、合理的判断力とセルフ・コントロールを培い、暴力性の低減に貢献するとされます。ただし、愛国心教育が他民族対する偏見と敵意を助長するなど、教育がむしろ人々の暴力性を煽るような事例もありました。教育には諸刃の影響力がありますが、しかし、長い目で見ると、教育はその肯定的な影響によって人々の非暴力志向を底上げしてきたというわけです。 

 ピンカーの暴力性減衰説に対しては、当然のことながら、多くの批判が寄せられました。根拠資料が偏っている、解釈が独断的である、近年の平和は核兵器という最大の暴力機構の危ういバランスによって保たれている砂上の楼閣のようなものである、等々ですが、最後の指摘はまさに現在の国際情勢を予期していたかのようなもので、この危機を乗り越えられるかどうかは、ピンカー理論の正否とともに、皮肉なことに、人類の命運を決するものになりそうです。

 暴力性減衰が歴史的事実であるかどうかの検討は別にして、ピンカーがこの説を提示する際に示した議論の中には、人類社会の未来を考える上で、別の意味で重要な指摘がありました。それは、非暴力文化の核心は人権尊重であるという考察です。個人であれ集団であれ、暴力は、一般には紛争解決の一手段とみなされ、その意思決定における戦略的思考がその有効性を決めるとされています。しかし、どんな紛争解決においても人権尊重という原則が守られるなら暴力を避けることは出来ます。ピンカーの文明論的考察は、人類史が、紆余曲折はあっても、人権尊重に向かって歩んできたこと、その一つの表れが暴力性の減衰があるとの指摘は私には意義深いものに思われました。

ヘアの人間自己家畜化理論

 未開時代、人間は野生動物を狩猟して、食料や被服などの生活資源として利用していましたが、その後、それらの生物資源をより安定的に確保するために、動物を家畜として飼育するようになりました。更に、生産量を高め、飼育コストを下げるために、人間は家畜の改良を進めてきました。それは、自分たちに都合の良い個体を生み出そうとして、動物の進化を人為的にコントロールする試み(遺伝子操作)でした。

 牛や鶏など、人間に必要な生活資源を提供するこうした家畜は産業動物と呼ばれますが、実は、家畜には、猫や犬のような愛玩動物も含まれます。ペットも人間の嗜好に合わせ、また飼育に都合がいいように長い時間をかけて人為的に改良されてきた動物たちですが、こうした愛玩動物の中には、人間による飼育を受けやすいように自らを進化させてきた種もあるとされています。これは、自己家畜化と呼ばれる進化プロセスです。

 例えば、犬の祖先である狼は人間に対する警戒心が強く、攻撃的なので飼育には適しません。しかし、ある時、その中に、突然変異によって人間に対する警戒心の弱い個体が生まれ、そうした個体の中から、人間が住む集落に近づき、その残滓を食べるような行動を取るものが出てきたと考えられています。その子孫は、他の狼たちのように森で狩りをするのではなく、人間の集落周辺に生息して食料を得るようになりますが、やがて、そうした狼の存在に気付いた人間が餌を与えて飼い慣らし、その種は人間の生活にますます入り込み、やがて犬という愛玩動物になったと考えられています。

 人間の手による人為的家畜化であれ、動物自らの自己家畜化であれ、家畜化された動物の多くには共通の特徴が見られます(家畜化シンドローム)。それは、人への警戒心や攻撃性が低いこと、従順で集団耐性が高いなどの気質のほかに、丸みを帯びた親しみやすい顔貌などです。産業動物の多くは、鶏小屋の例のように、飼育コストを下げるために、狭い厩舎に多数が押し込められます。彼らはそうした過酷な環境に耐えられるように気質改良されてきた動物種ですが、これが集団耐性です。

 米国デューク大学の進化人類学者、ヘア教授は、人間も自己家畜化の道を歩んできたのではないかと論じています(Hare, 2017)。古代遺跡から発掘された人間の頭蓋骨を年代順に並べてみると、それは、顎が張って眉弓の高い男性的なものから丸みを帯びた優しい女性的な顔貌に変化してきました。頭蓋の形態だけでなく、そこから推測される脳機能やホルモン水準などから、人間にも攻撃性の低下、協調性の増加といった家畜化シンドロームが顕著になってきたと推測されるとされます。

 動物の家畜にとって飼い主は人間ですが、では、人間が自己家畜化してきたとすれば、その飼い主は誰なのでしょう。それは集団であるとヘアは主張します。我々人間は、進化のプロセスの中で、集団内でより良く適応できるよう、協調性を高め、攻撃性を低下させてきたと考えられます。

 しかし、集団内での人々の凝集性と協力性は、一面において、集団間の対立を激化させ、他集団に対する容赦のない攻撃性を生み出します。人間の持つ集団的攻撃性は、歴史を振り返ると明瞭ですが、現在、我々が直面している困難な国際状況もその表れです。

非暴力文化の醸成

 人間にとって飼い主である集団の最大のものは民族や国家です。近代において大規模な悲劇を生み出した暴力のほとんどは、こうした集団間紛争から起こっているので、自己家畜化理論からみると、集団枠をいかに乗り越えるかが暴力防止の鍵となります。人間が集団という飼い主には従順な家畜であり、少なくとも集団内では暴力が低減してきたとすれば、残る問題は集団間暴力ということになります。その際、ヒントはピンカー教授が暴力性減衰の一因として挙げた歴史的要因の中にあるように思われます。中でも特に重要と思われるのは、人権尊重でしょう。人々の利害と自尊心が国家や民族などの集団に依存している状況は簡単には変えらないでしょうし、そうである以上、集団間葛藤は不可避です。しかし、集団間紛争解決を暴力に発展させないためには、どの集団に属する人であろうと、個人の生命と人権は守るという原則が重要です。これは種々の国際条約の基本精神になってはいるのですが、現在の国際機関にはそれを徹底する力がありません。それ故、紛争が起こってからだけでなく、普段から教育やメディアを通して、各地域でその浸透を図る必要があります。「暴力はいけない」「平和が何より」と直接非暴力を訴えるだけでなく、人権、自由と平等など、普遍的価値とされるものを平時から大切にし、それを強化していくことが、非暴力文化の醸成の基盤であると改めて実感しています。

引用文献

Hare, B. (2017). Survival of the friendliest: Homo sapiens evolved via selection for prosociality. Annual Review of Psychology, 68: 155-186.
Pinker, S. (2011). The better angels of our nature: Why violence has declined. London: Allen Lane.(幾島幸子・塩原通緒訳 (2015), 暴力の人類史 上・下.青土社)

著者プロフィール

大渕憲一(おおぶち・けんいち)
東北大学名誉教授
1950年秋田県生。1973年東北大学文学部卒業、1977年東北大学大学院文学研究科中退。博士(文学)。大阪教育大学、東北大学、放送大学に教員として勤務。東北大学名誉教授。2016年紫綬褒章。専門は社会心理学、研究テーマは「紛争解決と人間の攻撃性」。主要著書は『紛争と和解を考える』(誠信書房、2019年)、『人を傷つける心:攻撃性の社会心理学』(サイエンス社、2011年)、『謝罪の研究』(東北大学出版会、2010年)など。

著書


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