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おやすみ、に含まれる愛(あわや まり:詩人) #こころのディスタンス

自分のこころに素直になるのは難しい。でも、それを乗り越えたとき、人は優しくなれる。詩人・あわやまりが語る「近しい人との距離」。きっとあなたも感じたことがあるはずです。

「人って、悪いことは率先して指摘するのに、良いなと思ったことは伝えない人が多いのよ」と知り合いが言っていた。それは昨今問題になっている、SNSの誹謗中傷にも言えることだと思う。そして自分に置き換えてみても、近しい人ほど、つい悪いことばかり気になって注意してしまうことがある。

 私の父は、若い時からうつ病を患っていた。私が子どものころ、家から離れた病院で入院していた父をお見舞いに行った。その時の父の様子を今でも覚えている。一緒に近くの川に行って、家族で遊んだのだけれど、父だけ椅子に座ったまま、力のない目でずっとぼんやりしていた。そのうつ状態、そしてそう状態を長いスパンで繰り返し、本人もとてもつらかったと思う。
 ただ、他の難病もあるのにアルコールとタバコがやめられず、特に仕事を辞めた後(正確には家でも仕事をしてたのだが)、一緒に暮らすのは本当に大変だった。本人も生活のリズムをどうやってとるか、悩んでいた様子だったけれど、好きなお酒は絶対やめられないし、そのせいでうつがひどくなったり、さらに生活がみだれたりということもあった。

 そういう日々の中、どうしても注意するような言葉が、口から出てしまっていた。なんでも「言い方ひとつ」だと思っているので、なるべく柔らかい口調で言うようにするのだが、はっきり言って父には全然伝わらない。泣いて訴えても、2日後には忘れてしまうのだ。近しい人の受け入れられないところを見つけたり、そんな姿を毎日見ていると、どうしてもそのことばかりが頭を占領してしまい、その人の良いところが見えなくなる。

 そういう生活の中で、ある人からこんなことを聞かれた。
「人の心は、何で出来ていると思いますか?」
私はよくよく考えた。その人が言うには、
「人の心は、その人が受け取った言葉で出来ている」というのだった。
私はその言葉に深く共感した。
 父にも、もっと愛のある言葉をかけないと、と思った。きっと淋しいのだろうと感じるところもあったから。だから、大切に想っているよ、と伝えるべきだと。でもここで難しいのは、日本人は軽く「愛してるよ」なんて言うことが、習慣としてないということだ。もちろん「愛してる」という言葉だけが愛のある言葉だとは思わないけれど。それに、いつも言わないことを言うのは、とても勇気がいる。


「愛してる」

それが無理なら
大好きだよ、でも
それが無理なら
ありがとう、でも

心にある言葉を
言えるうちに
伝えたいけれど
大切にしているガジュマルに
話しかけるようには
いかなくて

言おう言おうと思って
やっと言えるのは
一日の最後の
おやすみ
くらい

詩集「線香花火のさきっぽ」より


 この詩の通り、父に「愛してる」なんて言うことはやっぱり出来ず、せいぜい「ありがとう」とか「おやすみ」になるのだ。
 父は家では、「ごめん」や「ありがとう」をちゃんと言う人ではあった。でも、もう何回目か分からない「酒をやめる(減らす)」宣言、から数日たって泥酔した次の日の「ごめん」であったりするものだから、こちらも何も返せなくなるのだ。

 でもそんな父なりに、私を想っていてくれたことも、わかっている。いい歳をして恥ずかしいのだけれど、父は私が出かけていて、帰りが遅いと、必ず電話をかけてきた。それは決まって深夜12時だった。電話では、「じゃあ先に寝てるから」と言うのだけれど、帰ると必ず起きている。


「おかえり」

私が出かけて
帰って来ると
あのひとはいつも

どうだった?
楽しかったよ
どこで食べたんだ?
駅の近くのカフェだよ
そうか、よかったね
と安心して
そして
じゃあ寝るから
と言う

大して知りたくもないけれど
私が安全で楽しく
美味しいものを食べて来たかの
確認
あるいは
おかえり
の代わりに


 そして、私は感謝のかわりに「おやすみ」を言う。父も「おやすみ」と返す。
 今思えば、「おやすみ」は父と私にとって、一番愛のある言葉だったかもしれない。私の体調が悪い時は、決まって「ゆっくり休みなさい」と言う父だった。
 たとえその1日が、父に注意することばかり言ったり、父もそれに反論したりしてあまり良くない1日であったとしても、最後の「おやすみ」は必ず言うようにしていた。

 でも、もう父の心配をすることも、「おやすみ」を言い合うこともない。
 父は昨年、突然亡くなってしまった。本当に、本人が一番びっくりしているんじゃないかと思うくらい、突然だった。父が亡くなった後、生前父と関わったたくさんの人たちの想いを聞くことができ、救われる思いがした。「先生のおかげで今の自分がいる」とか「あの時先生が〇〇してくれていなかったら…」とか。さらには「学生時代、先生のおかげで本当に楽しい日々だった。楽しいお酒をいっぱい飲んだ」と言う人もいて、私はいかに家族の内側の父しか見えていなかったかと思い知らされた。
 父の人生は注意されるばかりでなく(これは晩年、家族からだけだったようだけれど)、人に良い影響を与えられた素晴らしいものだった、と思えるようになった。

 もうひとつ、父が亡くなったことと、昨今のコロナ禍から受け取るメッセージがあった。それは「やりたいことがあるなら、やれるうちにやりなさい」ということだ。人はいつ死ぬか分からない。父も、ある仕事をやっている途中で亡くなってしまった。残された人は、それを完全に代わってあげることは出来ないし、故人が本当に思っていたことを聞くことも出来ない。
 形にしたい何かを作るでも、大切な人に言いたいことを伝えるでも、ずっと離れていて言えずにいることを伝えるでも、今自分がやりたいこと、いつか言おうと思っていることを、今やっておかなければ。
 もし、そばにいる人に愛ある言葉を伝えたくても、なかなか言えない場合は、愛を込めた「おやすみ」もおすすめだ。

「おやすみ」
 今でも私は、父に言ってから寝る。それには前より増して、敬愛を込めている。

執筆者プロフィール

あわや まり
詩人、作家。詩の他に物語や、絵本の文章を書いている。自身のHPで詩を発表するほか、最近は詩の朗読を含めた短いラジオ番組を配信している。
詩集に『ぼくはぼっちです』(たんぽぽ出版)、『線香花火のさきっぽ』(志木電子書籍)など。またアンソロジー『一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある』(PHP研究所)などがある。


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