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今こそポジティブ心理学(島井哲志:関西福祉大学心理科学部教授)#子どもたちのためにこれからできること

暗い気持ちになろうと思えば、いくらでもなれそうな今日この頃。それでも、光差す方に人は顔を向けるもの。ポジティブ心理学の研究を専門とする島井哲志先生に、今こそその意義についてお書きいただきました。

感染症の時代に生きる子どもたち

 私は、ポジティブ心理学を活かして、人々のウェルビーイングに寄与したいと考えています。そのウェルビーイングは、精神的幸福の側面だけではなく、身体的健康の側面も含まれています。そして、ウェルビーイングの対極には死があり、その意味では死を防ぐことは最終的基準だといえます。

    いま新型コロナ感染症の流行によって、子どもたちは学校に通うことが制限され、さまざまな活動もできない不自由な生活を送り、十分な学びが必ずしも保証されてない状態にあります。しかし、子どもたちにとって、今回の感染症流行の影響はそれだけではありません。

    それは、ニュースで流れる感染者、重症者、死者の情報を受け取り、その増加傾向にもかかわらず、観光業や飲食業などへの経済的打撃を回避することが重視されるという社会的現実を、子どもたちも受け入れることが求められていることです。感染症流行による死者の数とバランスの取れた経済的打撃はどの程度なのかが議論されている現実です。

    これは、少し前に、課題として提示すること自体が子どもを不安にすると批判されたトロッコ問題に似ています。そして、誰かが亡くなることを前提に、その犠牲の上に経済活動が必要だと主張されているほど混乱した世界と言え、いま、ポジティブ心理学による働きかけがより重要だと考えています。

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自分のネガティブなバイアスに気づく

    毎日のニュースで今日の感染者数が第1に伝えられる日常では、私たち自身も、また、その情報を伝えるメディアも、ネガティブな情報に注目してしまいます。危険な状況では、このことは必要なことでもあり、ネガティブな偏り(バイアス)と呼ばれています。

 メンタルヘルスに関連する情報でも、自分や家族の健康への不安など、さまざまなストレスの増加や、家庭内暴力、アルコールの過剰摂取、社会差別や自粛警察などのさまざまな課題が提起されています。そして、これらに対して、社会的な対応の必要性が提起されています。心理学の専門家は、それを声高に伝える社会的役割をもっているともいえます。

 しかし、このような災害には、上に挙げたネガティブな問題をもたらすだけではなく、人々のつながりを強める働きもあります。みなさんの中にも、全く知らない人から親切にされた経験をした人もおられたのではないかと思いますし、ほとんどすべての人は大切な人を守りたいという想いを強くしているのです。

    したがって、自分がどうしてもネガティブな情報に注目しがちであることを自覚して、同じ社会的変化のポジティブな側面にも注目したいものです。たとえば、家庭の中に居ることが多くなったことは、家庭内暴力を増やしているかもしれませんが、おそらく多くの家庭では、以前よりも親子の触れ合いが増えることでより信頼が増し、家族がより親密になったはずです。また、大切な人を守りたいあまり医療関係者を遠ざけたいと感じる人もいるかもしれませんが、もっと多くの人たちはリスクを乗り越えて治療にあたっている医療関係者に感謝しているはずです。

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ポジティブな気分の力を信じる

 このような提案は、考え方をシンプルに変えることと思われがちですが、実は違っています。考え方だけを変えようと意図的に努力する自己啓発的な取り組みがあまり長続きしないのは、認知の働きだけを変えようとするからなのです。

 私たちが感染症の動向に不安を感じるあまり、そのニュースや番組をつい見てしまうように、考え方のネガティブな偏りは、ネガティブな感情の力に支えられています。したがって、逆に、ポジティブな見方をするために、私たちにはポジティブな気分が必要です。

 ポジティブな気分状態には、多くの良い効果があることが知られています。ポジティブな気分では、特定の情報に絞り込まず広く情報を検索することができることで、創造的に問題を解決できることも知られています。それによって、個人資源も蓄積されるのです。

 これは、いつもポジティブな気分であることを求めているのではありません。私たちに必要なことは、ネガティブな出来事の問題解決をしないで、何とかなるだろうというポジティブな偏りをもつことではありません。必要な時に適切な気分転換によってポジティブな気分を回復することです。

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リモートをポジティブにチャンスと考える

 そこで、ポジティブな考えを進めることでどのようなことができるのかを考えてみたいと思います。私の学校でもそうですが、いま、学生たちはリモート教育を受けています。それは、困ったことで、できるだけ素早く元に戻したいと考えている方々もいるかもしれません。

 たしかに対面でしか伝えられないこともあり、それはリモート学習では実現できないことかもしれませんが、残念ながら、すぐには元に戻りそうもありません。そして、リモートで学習することによるポジティブな側面もあります。現実の教室と違って、前列や後列がないので、平等に接することができるのもそのひとつです。

 また、対面の授業で質問をしても一部の人に答えてもらうことが多くなりがちで、だからといって、みんなに話をしてもらう時間はありません。しかし、リモートの授業では、みんなが数分かけて回答してくれればすぐに何十人もの回答が一覧表になって示され、みんながそれを見て、そこから話を膨らませることもできます。

 私は、ポジティブ心理学の心理尺度も開発しています。それは研究のためでもありますが、教育でも活用することができます。例えば、リモート授業で参加者全員が数分をかければ、自分の今の状態がどのようなものであるのかを把握し、それが全体の中でどこに位置するのかもフィードバックすることが可能です。

 あるいは、現在、それに特化したテストやシステムがあるわけではありませんが、印刷した質問紙とは違って、一人一人に合わせて、直前の回答に対応して、次の質問をしていくような調査法を用いることも可能で、そのほうがその人により対応した情報を収集し判断することができるようになるでしょう。

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正しい人間ではなく、良い人間をめざそう

 最後に、ポジティブ心理学の最大の特徴を紹介したおきたいと思います。そもそも心理学は、困っている人たちを支援したいという真剣な想いから出発しています。そして、実際に多くの人の役にたってきました。つまり、心理学そのものがネガティブな側面を重視した領域なのです。

 そのために、20世紀の心理学には、人間の短所についての詳細な研究はあっても、人間の長所の研究はほとんどありませんでした。つまり、心理学者は、あなたのこの点を直しなさいというだけで、あなたのこの点を伸ばすとよいという提案ができない状態だったのです。

 21世紀にポジティブ心理学が提案された時に、この状況を打破するプロジェクトが計画されました。人間の長所・人徳プロジェクトです。長所と人徳という言葉が併記されているのは、心理学の前身の哲学・倫理では、心の長所が人徳と呼ばれてきたからです。

    この研究はまだ発展途上といえますが、人間に共通の長所・人徳が整理され、知恵、精神力、人間性、超越性、正義、節制という6分類が提案されています。この中には、知恵や正義、節制のように、主に意識的な認知の働きによると考えられるものもあります。

    しかし、いまこそ、ポジティブな気分・感情の力と働きを基礎とした、精神力、人間性、超越性という人間の心の長所・人徳を活かす時だと思っています。それはポジティブな気分を基礎に、希望をめざし、感謝心をもち、誰にでも親切にしていくことです。

    このことをまとめると「正しい人間ではなく、良い人間であることをめざす」といえるかもしれません。私たち自身が、そのように行動し、また、子どもたちにも、それをめざすことを伝えることで、感染症の流行という、現在、直面している困難を乗り越えて、希望のある世界を実現することができるのです。

執筆者プロフィール

島井先生

島井哲志(しまい・さとし)
関西福祉科学大学心理科学部教授。 専門は、ポジティブ心理学、健康心理学、公衆衛生学。ウェルビーイングを支援するポジティブ心理学的による介入を研究。編著書に『ポジティブ心理学』(ナカニシヤ出版)、『幸福(しあわせ)の構造』(有斐閣)、『やめられない心理学』(集英社)、『ポジティブ心理学入門』(星和書店)、『健康・医療心理学 入門』(有斐閣)、『ポジティブ心理学を味わう』(監訳:北大路書房)などがある。

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