「AS」のある「女性」と社会との関係(お茶の水女子大学生活科学部心理学科助教:砂川芽吹) #誘惑する心理学
「自閉スペクトラム」(Autism Spectrum,以下AS)あるいは「自閉スペクトラム症」(Autism Spectrum Disorder,以下ASD)は神経発達症のひとつで,主に社会コミュニケーションおよび想像性の領域において,特有の認知や行動の特徴があるグループを指します。最初に強調しておきたいのは,ASを含め,神経発達症の特性があること自体が「障害」になるわけではありません。社会生活を送るうえで何らかの不都合が生じる時に初めて,「障害」として診断されうるのです。
ASのある人は,社会において様々な困難を経験するという現実があります。さらに,「女性」というジェンダーの要素が加わることによって,社会との関係はより複雑になります。本稿では,「社会」と「AS」および「女性」の関係性について説明したうえで,社会の中で見過ごされやすく,可視化されづらい女性当事者の理解と支援について考えたいと思います。なお,分かりやすさの観点から女性を中心に話を進めていきますが,男女の二軸で捉えることには限界点があること,また生きづらさの多寡ではなく内容を扱うことを予め断っておきます。
ASの特性と社会での不都合
Milton(2012)は,ASDのある人とそうでない人との間に生じるコミュニケーションの齟齬について,Double Empathy Problemという相互的な問題として説明しています。Double Empathy Problemとは,簡単にいうと,大きく異なる性質を持つ者同士では相互の理解が難しくなることであり,ASのある人のコミュニケーションスタイルは,社会の大多数を占める定型発達の人のそれとは異なることから,互いの理解が困難になることを指します。そしてコミュニケーションというものが相互的な行いであることを考えると,そこに何らかの難しさや問題が生じるとき,その原因は2者の間にあると考えられます。
しかしながら現状は,ASのある人の側にのみ,一方的に「社会コミュニケーションの障害」として原因が求められる傾向にあります。そして,本来であれば齟齬の解消には相互理解が求められますが,多くの場合,定型発達の人のあり方がスタンダードであるとされ, ASのある人がやはり一方的に多数派の社会文化を理解し,適応するための努力を強いられているといえます。
ASのある女性の社会での不都合
さらに,ASのある「女性」であるということにより,当事者の生きづらさはより見えにくくなると考えられます。ASを含め,神経発達症には男性が多いという特徴があります。その背景には生物学的な要因も指摘されていますが,それに加えて,女性のASの特性が,気づきから診断に至るプロセスにおいて見過ごされやすいという側面もあります。ASの診断は表出される行動特徴によって評価されますが,その基準は症例数の多い男性の臨床像をベースとして作られているために,女性のASの特徴があてはまりにくい可能性があるのです。
また,ASのある女性の生きづらさは社会の中で可視化されにくいと考えられます。例えば,母や妻としての大変さは家庭内の問題として閉ざされがちで,仕事の中で経験される不都合と比較すると,社会の中で顕在化されにくいといえます。
加えて,ASの特性が「カモフラージュ」されて見えにくくなっていることも指摘できます。特に周囲との違いに自覚的である女性の場合には,ASらしく見えるような特徴を意識的に隠したり,社会適応のスキルを獲得していくことが分かっています。そのため,ASであることや,困難や支援ニーズがあることが周囲の人に伝わりにくくなります。さらには,表面上の適応状態を保つために行っている本人の努力が周囲から理解されにくく,新たな齟齬が生じてしまうこともあります。
以上のように,女性のASの特性は,女性であるということから社会から隠されやすいうえ,自らの特性を社会から隠そうとするという,2重のベールに覆われているといえるでしょう。
当事者の内的な経験を知ることの重要性
その他にも,ASのある「女性」であるということにより,社会において経験しうる不都合として,少しずつ状況は変わってきているものの,いまだ日本において存在する女性に対するジェンダー規範や役割期待があります。女性は協調性や共感性,細やかな気配りが求められやすく,また家庭や職場,地域において複数の社会役割を担うこともあります。このような,社会の求めるいわゆる「女性らしさ」は,ASの特性があると応えることが困難であり,それが生きづらさにつながってしまうのです。
そのため,ASのある女性であることによる社会での生きづらさについて,当事者の日々の生活における内的な体験に学ぶことが重要であると考えられます。これまでASの理解や評価は表面的な特徴に注目されがちだったため,当事者の内的な経験は十分に明らかになっているとはいえません。特に近年,ASのある人における多様な性のあり方が示されつつあることからも,Strang et al.(2020)が指摘するように,自認する性と社会から期待される性役割が異なるASのある人の経験に注目することも必要でしょう。
Sunagawa(2023)によるASDのある女性へのインタビュー調査では,インタビュー協力者は過去の経験や社会から期待される「社会適応」と,「自分らしく生きること」の間で葛藤を抱きながらも,社会との折り合いをつけながら安定した生活を保とうとしていることが示されています。このような葛藤を理解し,個人と社会との関係において個人が社会に合わせることを強制するのではなく,ありのままの自分が認められる環境のなかで,社会との関係を主体的に選択できるような支援が求められます。
さらに,我々一人ひとりが自分の価値観に自覚的になる必要性も指摘できます。支援者を含めた周囲の人が持つ「適応」や「女性」に関する価値観や規範意識は,支援の内容や方向性に色濃く影響します。加えて,支援を受ける側がそれを無意識に取り入れることで,周囲の期待や規範に過度に適応しようとしたり,カモフラージュの助長につながることも考えられます。
社会は,これまでASのある人に対して「社会適応」の名のもとに,社会に存在する規範に合わせることを求めてきました。しかしながら,いま変わるべきはASのある人ではなく,社会の側なのではないでしょうか。