ソーシャルシンキング~「心の理論」と「暗黙のルール」を理解する”道具”を手に入れよう~(稲田尚子:帝京大学文学部心理学科 講師)#こころのディスタンス
人との関わりに困難がある子ども・大人の対人認知学習アプローチとして、アメリカで考案された「ソーシャルシンキング」。ソーシャルシンキングは全米の教育・支援現場で導入され、書籍やワークシート、教材DVDも数多く開発されています。日本で早くからソーシャルシンキングに注目し、これまで3冊の関連書の翻訳に携わってきた稲田尚子先生に、ソーシャルシンキングについてご紹介いただきました。
学校のオンライン授業では学べないもの
2020年7月現在、東京では緊急事態宣言の解除を受け、3月からの長い休校期間が終了して、約1カ月が経ちました。分散登校を経て、子どもたちはようやく通常の学校生活に戻ってきている頃だと思います。
休校期間中、家庭での自習やオンライン授業などの経験をしたことで、「どうして学校に行かないといけないの?」「家でこれだけ勉強できるのに学校に行く意味があるの?」という疑問をもつ子どももいることでしょう。
そうした疑問に対して、大人の皆さんはどう答えますか?
学校で学ぶことは、国語、算数、理科、社会などの教科に留まらないのではないでしょうか。学校は、授業中にも休み時間にも、友だちや子ども集団(と教員などの大人)との関わりが生じます。そこでは、他者の考えや感情を推測したり共感する力(「心の理論」能力とも言います)、「暗黙のルール」(その場面で暗黙のうちに期待されていること)や他の人からの期待を読み取る力が必要とされます。すなわち、学校はソーシャルシンキング(他者と自分のことを考える力)を育て、社会で生きていくための適応力を高めていく場でもあるといえます。
ソーシャルシンキングの学びはユニバーサルに(すべての子どものために)
ソーシャルシンキングは、ほとんどの人に生まれながらにして備わっている能力です。日々の経験を通してまとめ上げられ、さらに生涯を通じて進化していくものとされています。相手が何を考え、どのような気持ちでいるのか、それに応じて自分はどうふるまえばいいのかを考える力は、年齢とともに発達していきます。同時に、ますます複雑になる「暗黙のルール」を理解する力が求められるようになります。
ですが、こうした社会性の発達は、たとえば自閉スペクトラム症など生まれつき脳の神経発達に障害があるような人には簡単なことではありません。毎回微妙に違う出来事のなかから共通する重要点を取り出し、整理していくには、実は脳の中でものすごく複雑な処理が必要で、それを身につけるのに大変な労力がかかるのです。
一方、対人世界の抽象的な概念を読み解く方法を学ぶことは、複雑で変化に富む現代社会に生きる私たち誰にとっても有益といえそうです。実際、アメリカでは、ソーシャルシンキングは一般の子どもたちにも必要なものだと認識され、通常学級でも使われています。
ソーシャルシンキングを、分かりやすく学ぶことができれば、あらゆる子どもたちにとって、人との関係の中で生じる問題を解決し、生きていく際の助けとなるでしょう。
ソーシャルシンキングの学びは、ユニバーサル教育(すべての人のための教育)なのです。
ソーシャルシンキングを分かりやすく学ぶには?
では、どうやったら目には見えないソーシャルシンキングを子どもたちが分かりやすく学ぶことができるでしょうか?
・何を教えるのか焦点をしぼる
・文章やキーワードを使って、目に見える形にする
・細かくステップを区切って、具体的にする
・部分的ではなく全体が分かるように系統立てる
こうしたやり方で教えることが必要となります。これらの要素が盛り込まれ、ソーシャルシンキングを学ぶために現在日本で手に入る本は3冊あります。
1.中高生向けの漫画(2020年7月新発売!)
『10代のためのソーシャルシンキング・ライフ』
(パメラ・クルーク&ミシェル・ガルシア・ウィナー著/黒田美保・稲田尚子監訳/高岡佑壮訳/金子書房)
2.小学生向けの絵本
『きみはソーシャル探偵!』
(ミシェル・ガルシア・ウィナー&パメラ・クルーク著/稲田尚子・三宅篤子訳/金子書房)
3.ソーシャルシンキングを子どもたちに教えたい保護者や専門家向けのガイドブック
『ソーシャルシンキング』
(ミシェル・ガルシア・ウィナー著/稲田尚子・黒田美保監訳/古賀祥子訳/金子書房)
1冊目の『10代のためのソーシャルシンキング・ライフ』は、漫画形式でソーシャルシンキングが学べる中高生向けの本です。
この本には前後2つの表紙があって、どちら側からでも読めるようになっています。一方は、楽しげな雰囲気の「フォーチュン編」。もう一方は、何やら険悪ムードな「フェイト編」。登場人物が選択する行動によって結末が変わっていく様子を比較することができます。
例えば、こんなシーン。
《似合わない髪型に変えた友人に感想を求められたら、あなたはどう答えますか?》
思わず「ある、ある!」と言いたくなるような場面が登場し、自分が選択した行動によってハッピーエンドにもバッドエンドにもなるのだということを楽しく学ぶことができます。ハッピーエンドにたどり着くためにはいくつかの作戦があるのですが、その選び方も教えてもらえます。この漫画は、中高生向けに構成されたものですが、大人が読んでも十分役立つと思います。
2冊目の『きみはソーシャル探偵!』は、小学生向けにソーシャルシンキングを説明した絵本です。
私たちのまわりには、場面によって“期待されている行動”と”期待されていない行動”があり、それを見つけるためには“目を使って考える”ことが必要です(ソーシャルシンキングでは“賢い推測”と呼びます)。
この本には、その“賢い推測”ができる「ソーシャル探偵」になるための方法が書かれています。また、自分がどう反応するかによって、相手の反応や気分がどう変わり、さらにそれが自分にもどう影響するかということも丁寧に描かれており、このことを体験的に理解できるグループワークも紹介されています。
3冊目の『ソーシャルシンキング』は、ソーシャルシンキングを子どもに教える大人のためのガイドブックです。
これを読むと、ソーシャルシンキングの理論の奥深さに圧倒されることでしょう。けれども、決して難しい内容ではなく、ソーシャルシンキングを指導する際の実践的なポイントなど、オリジナリティにあふれるアイデアがユーモアたっぷりに描かれています。ソーシャルシンキングの能力をアセスメントする方法も紹介されているので、ぜひ活用してみてください。
ソーシャルシンキングとの出会い
ソーシャルシンキングを考案したのは、アメリカの公認言語療法士、ミシェル・ガルシア・ウィナー先生です。カリフォルニアにソーシャルシンキング・センターを立ち上げ、対人認知に困難のある子どもや大人の支援を行いながら、同じセンターのパメラ・クルーク先生とソーシャルシンキングの本をいくつも執筆されています。
私がソーシャルシンキングに出会ったのは、今からちょうど6年前、アメリカのアリゾナ州に住んでいた時のことでした。現地のスピーチセラピストにお願いして、特別支援学級のコンサルテーションに同行させてもらったのですが、その学級で知的障害のない自閉スペクトラム症の子どもたちの支援に使われていたのが『きみはソーシャル探偵!』だったのです。
ソーシャルシンキングのメソドロジーに出会ったことは、私にとっては「目からうろこ」体験でした。目に見えずに分かりにくい、自分や他の人の考えを考えたり、暗黙のルールを見つけていくための方法を学ぶ”道具”がそこにあったのです。私は、これらの本を日本の子どもたちに届けたい、そして日本でも保護者や専門家が実践できるようにしたいと強く思いました。
2020年7月、中高生向けの漫画『10代のためのソーシャルシンキング・ライフ』が刊行し、ようやくソーシャルシンキングを学ぶための中核的な3冊が日本に揃い、とても嬉しく思っています。
学校こそが実践の場!
さて、ここまでソーシャルシンキングやその教材をご紹介してきましたが、「絵本や漫画でソーシャルシンキングを学べるなら、やっぱり学校はいらないんじゃない?」という声も聞こえてきそうです。
ここでソーシャルシンキングの大事なポイントをお伝えしますね。
それは、
ソーシャルシンキングとは、ルールではなく”道具”である
ということです。
私たちや子どもたちが学ぶのは、山のようにある世の中の「暗黙のルール」や期待の個別具体的な内容ではなく、それをうまく読み解いていくためのやり方、つまり”道具”なのです。
では、その”道具”を手にした私たちはどうすればよいでしょう?
道具は使う場所がなければ何の意味もないですよね。学校は、実践のための重要な場所となるのです。
ソーシャルシンキングという新たな”道具”を手にした子どもたちは、家庭で、学校で、そのほかあらゆる場所で、以前より少ない失敗で楽しく豊かに生活できるようになるはずです。
ソーシャルシンキングを身につけることで、子どもたちが日々のふるまいに対する自分の選択に自信をもって、まわりの人とますます確かに心でつながっていけるようになることを願っています。
◆執筆者プロフィール
稲田尚子(いなだ・なおこ)
帝京大学文学部心理学科講師。公認心理師・臨床心理士・認定行動分析士。専門は臨床発達心理学。自閉スペクトラム症のアセスメントと支援を主とした研究と実践を行っている。著書に『ADHDタイプの大人のための時間管理ワークブック』など。
◆主な監訳書・訳書