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“こころのケガ”を抱える子どもを理解する ~トラウマインフォームドケア~(野坂祐子:大阪大学大学院人間科学研究科准教授)#私が安心した言葉

 乱暴な言動や理解に苦しむ態度など、おとなの目には”問題”と映る子どもの行動に出会うことがあります。叱ることでかえって状況を悪化させてしまったり、対応に困って行き詰まりを感じてしまったり――そんなときに必要なのは、トラウマインフォームドケア(TIC)の視点かもしれません。子どもにとって安心できる関係を築くために大切なことを、TICに関する著書がある野坂祐子先生に解説していただきました。

“こころのケガ”を抱える子どもたち

 虐待やネグレクトを受け、不安定な家庭環境で暮らしていた子どもたちにとって、学校や地域でのつながりや居場所はとても大切なものです。また、子どもにかかわるおとなたちも、彼らの回復や成長を支えたいという思いで取り組んでいます。それにもかかわらず、子どもとの安定した関係を築くのがむずかしいのはなぜでしょう。熱心な支援者ほど消耗し、子どもの言動に深く傷ついてしまいます。他方、おとながよかれと思ってやった対応が、子どもをさらに傷つけてしまうこともあります。

 これらは“こころのケガ”が引き起こしている問題かもしれません。トラウマとなるような恐怖や裏切りを体験すると、時間が経っても不安や警戒心がぬぐえません。いわば、こころがケガをした状態であり、手当てがなされなければ、傷口や痛みがいつまでも残ってしまうのです。そのため、どんな場面でもおそれを感じて落ち着かなくなったり、だれも信用できずにこころを閉ざしたり、心細さや寂しさを埋めようとして危険な行動をとったりしてしまいがちです。愛されることを求めながら、実際には、周囲から叱責されたり、うまく他者に甘えられなかったりして、ますます孤立してしまう悪循環が生じます。こころのケガは、さらに深くなってしまいます。

 こころのケガであるトラウマは、外から見ることができません。そのため、子どもの行動や状態を「何が起きているの?」という視点から理解することが求められます。トラウマを治療するのではなく、あくまでトラウマ(こころのケガ)の影響を理解してかかわる日常的な支援は、トラウマインフォームドケア(Trauma Informed Care:TIC)と呼ばれます。こころのケガをした子どもにかかわるなかで感じる気持ちを手がかりにしながら、TICによるアプローチをご紹介します。

野坂先生 写真 トラウマ

「どうして、そんなことするの!」

 突然、友だちを叩いたり、部屋を飛び出してしまったり、周囲からすると「急にどうしたの?」と思うような行動をとる子どもがいます。多動で衝動的な特性のある子どもとみなされがちですが、子どもが何らかの刺激に恐怖を感じて、とっさにからだが反応してしまったという場合があります。なぜ、何も起きていない場面で、急にこわくなってしまうのでしょうか。

 こころのケガを体験すると、「また、何か起こるのではないか」という不安や警戒がつきまとうようになります。こうした過覚醒の状態にあると、緊張から些細なことでキレたり、イライラしたりしやすくなります。とくに、こころのケガとなったできごとに似た状況で、過去のこわい記憶がよみがえります。フラッシュバックと呼ばれるもので、本人には危険な状況のただなかにいるように感じられます。そのため、反射的に手が出たり、逃げ出したりしてしまうのです。本人にとっては防御にほかなりませんが、周囲の目にはいきなりキレたようにしか映りません。本人ですら、こころのケガに気づいておらず、自分でも何が起きたのかわかっていないことがほとんどです。「どうしたの?」と尋ねられても答えられず、そのことでまた怒られてしまいます。

「何度も言ってるでしょう!」

 こころのケガによる過覚醒を落ち着かせる方法が、リラクセーションです。イライラして興奮しているときは、呼吸が速く浅くなり、からだも固くこわばります。それによって、ますます不安は高まり、冷静さが失われるため、他者への暴言・暴力や自傷行為につながりやすくなります。意識的に呼吸をゆっくり長く吐き、からだをほぐしていくリラクセーションは、こころのケガを抱える子どもたちにとても役立つスキルです。感情を爆発させたり、暴れたりしてしまう前に、一呼吸して落ち着くことで、少しずつ自己コントロール感を取り戻していくことができます。身近なおとなも子どもと一緒に、生活の中でリラクセーションを練習していきましょう。

 リラクセーションはとても効果がありますが、それが苦手な子どもは少なくありません。「やっても、どうせ意味がない」「そんなことでは怒りは収まらない」と、かえってイライラすることもあるでしょう。幼い頃に安全や安心を感じられなかった子どもたちは、危険と混乱のなかで生きてきました。こころのケガを抱えた子どもは、こころもからだもリラックスした状態に不慣れであり、リラクセーションを教えてもすぐに身につけられないのももっともです。こころのケガの症状が、すぐに改善するわけでもありません。だからこそ、「最初はむずかしく感じるのも当然」と子どもの困難さを受けとめながら、「やろうとしただけでもすごい」「一緒にやろう」と根気よく支えていく姿勢が求められます。「教えたのに、どうしてできないの!」と叱るのは、子どもの無力感を高めてしまい、逆効果です。

野坂先生 写真 一歩一歩 最新

「子どもを怒っちゃいけないの?」

 子どもの態度や行動を「こころのケガの影響かもしれない」と考えるTICのアプローチを学ぶと、これまで反抗やわがままと捉えていたものが、子どもの困りごとやSOSに見えてきます。どなって叱責したり、ルールばかり増やしたりすることは、子どもにとって威圧的に感じられ、こころのケガを思い出させるリマインダー(きっかけ)となるため、子どもはますます不安定になってしまいます。とはいえ、たとえこころのケガの影響だとしても、暴力やルール違反を見過ごしてはいけません

 まずは、おとなが落ち着いて、静かなトーンで声をかけましょう。大声を出したり、子どものからだを押さえつけたりすると、子どもはかえってパニックを起こしてしまいます。一緒にゆっくり呼吸をしながら、何が起きているのか尋ねてみます。「こわい体験をすると、イライラしやすくなるんだって」など、こころのケガの影響についてお話しするのも役立ちます。こうした説明を心理教育といい、子どもの自責感を軽減したり、自分自身の状態を理解したりするのに有効です。ルールを「守りなさい」と言うのではなく、どうやったら守れるかを話し合い、スモールステップで取り組んでいくとよいでしょう。TICは、指導をしないという意味ではありません。指導の際に、こころのケガの影響を考慮して、子どもの自己コントロール感が高まるやり方を工夫していきます。

「わたし、この仕事に向いていないのかも…」

 こころのケガを抱える子どもと接するなかで、凄惨なできごとを聴いたり、過酷な状況と直面したりすると、支援者も心身ともに消耗します。子どもの暴言や暴力、試し行動や挑発にさらされることは、それらがこころのケガの影響だと頭ではわかっていても、こころを傷つけられるものです。このように、支援者もこころのケガを負うことを二次受傷といいます。自分は体験していないにもかかわらず、悪夢を見たり、体調を崩したりすることがあります。うまく子どもにかかわれないことで、「自分はダメだ」「この仕事に向いていない」と自信を失ったりすることも少なくありません。こうした自己否定感無力感は、トラウマによる二次受傷であるかもしれません。

 大切なのは、支援に携わるおとな自身が、自分の状態に気づいておくことです。「こんなふうに悩んでしまうのは、わたしだけだ」と思いがちですが、こころのケガに触れる支援者は、二次受傷は避けられません。子どもに対して、「あなたが悪いんじゃないよ」「こころがケガをすると不安になるもの」と伝えた言葉を、自分自身にもかけましょう。「どんな気持ちでも話してね」という言葉は、子どもだけではなく、おとなにも必要です。信頼できる同僚や仲間と気持ちをわかちあい、チームで支援していくのもTICの方針です。セルフケアに努めるとともに、所属する組織全体で負担を削減し、休息時間やスーパーバイザー(助言者)の確保などに取り組みましょう。

だれもが安心できる回復の場づくり

 こころのケガは、だれにとっても無縁ではありません。支援のなかでこころのケガを負うこともあれば、それまでの人生でこころのケガを体験することも、決してめずらしくありません。むしろ、自分にトラウマがあるからこそ、こころがケガをした子どもへの支援にかかわりたいという人もいるでしょう。自分の傷つきや弱さを強みに変えるためにも、自分自身のこころのケガについて理解していくことが大切です。それもまた、TICのめざすところです。

 自分の気持ちを話すこと、他者に頼ること、より安全な対処法を選んでチャレンジしていくこと――こうしたおとなの態度こそが、こころのケガを抱えた子どもにとって回復のモデルになります。生きるうえで忍耐や我慢はつきものですが、試練を強要したり、自己を犠牲にして尽くしたりすることは、新たなトラウマにほかなりません。自他を傷つけるのではなく、お互いにコンパッション(思いやり)を向けていくことで、安心で安全な関係性をつくることができます。だれもが回復しやすい場づくりをめざして、みんなで一緒に取り組んでいきましょう。

野坂先生 写真 協力

◆執筆者プロフィール

野坂祐子(のさか・さちこ)
大阪大学大学院人間科学研究科准教授。専門は、臨床発達心理学。臨床心理士・公認心理師。
虐待や性暴力などのトラウマが及ぼす影響やその回復についての研究と実践を行っている。主著は、『トラウマインフォームドケア:“問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)、『マイステップ:性被害を受けた子どもと支援者のための心理教育』(誠信書房)、共訳『あなたに伝えたいこと:性的虐待・性被害からの回復のために』(誠信書房)、『性加害行動のある少年少女のためのグッドライフ・モデル』(誠信書房)ほか。『子どもの性の健康研究会』のサイトで、性暴力やトラウマに関する心理教育用リーフレット等を公開している。


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