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大災害という望まぬ転機に(東北大学大学院教育学研究科教授:若島孔文) #転機の心理学

 転機、変動、変化。私たちは現在が苦痛であっても、現状を変えた未来を望まない傾向にある。それはなぜか。現在は苦痛を伴うものであったとしても想定内であり予測可能である。一方で、変化後は未知数であるからだ。私たちは苦痛も望まないが、それ以上とも言える望まないことが未知数の世界である。大災害は苦痛と同時に未知数の世界を私たちに突き付けてくる。私たちが望まない世界がそこにある。

 ウィーンの精神科医ヴィクトール・エミール・フランクルはナチスの強制収容所から最終的にはアウシュビッツに送られ、家族を失い、一人、解放された。そんな彼は近年の精神衛生の考え方に異論を唱えている。「必要としている平衡であるとか、生物学で言う『ホメオスタシス』、すなわち緊張のない状態だと決めてかかるのは、精神衛生の危険な勘違い…緊張のない状態ではなく、ふさわしい目標…に取組み、奮闘することです」と述べる。平衡、すなわち安定こそを精神衛生の目標に据えていることに異論を唱えたのだ。

 確かに、大きな災害は10年に一回以上にはやい周期で、私たちに被害をもたらしてきた。東日本大震災から13年、今年の1月1日には能登半島地震も発生した。私たちが安定を前提とするならば、災害に対して、とても受動的、コントロール不可の形で、災害は私たちを打ちのめしていくことであろう。

 こうした中で、フランクルは私たちに変動を生きるヒントを与えてくれる。「自分の人生には課題があるという意識ほど、最悪の条件下にあっても生き抜く能力を人間に与えるものはこの世にありません。」と彼は述べる。自分の人生の課題。これは職業的使命にも似ているようであるが、もっと個人的なもので独自性のある課題である。そして、彼は意味への意思に言及する。「人生の意味を何とかして見つけ出そうというモチベーションは、人間にもともと備わっているのです。」この意味の探求は人生の主要な動機であると言う。そして、「この『意味』は、ある一人の人間によってのみ実現されることができ、またその人に実現されなければならないという点で、一回かぎりであり、独自のもの…」としている。

 フランクルの考え方が勘違いされやすい点は次の点である。彼の言う人生の意味というのは壮大で抽象的なことではない。彼は述べる。「抽象的な人生の意味を問うことは重要ではないのです。」「誰もが自分にしかできない仕事、…成就されることを待っている具体的な使命を持っています。」

「人生のすべての状況は一つの課題…その人が解決すべき問題を突きつけているのですから、『わたしの人生の意味は何ですか』と質問するのは、方向が逆…問うのではなく、問われている…。」 

 ここでいう仕事とは「課題」のことである。目の前に突き付けられてくる課題に対して、私たちが右を向くのか、左を向くのか、つまりどう応じて取り組んでいくかということが重要なことである。今、やるべきことをやること、そしてものごとを元に戻していくという発想ではなく、新たな世界を創造していくことが転機の心理学に望まれることである。

 ここで森田正馬の精神療法における生の欲望、それに基づいた目的本位という概念を思い出すことができる。目的本位は「自分がなすべきことに取り組む」ことである。この反対が感情本位である。感情に基づいて行動するのか、目的に基づいて行動するのかという話である。森田正馬によると、目の前にある課題を一つずつ取り組んでいくことが自己実現であるという。アレキサンダー・バシャニーは言う。人間に即した心理学が肯定的気分や、自分自身の幸福だけに焦点化するのではなく、世界、すなわち他者や社会に心が開いたとき精神的安寧と発展が初めて実現すると言う。「精神の安寧と精神の健康は、個人の内部とつながっているだけではなく、世界および他者に繋がっているのだというフランクルの理念は、欧米の専門家にとって新しい立場であり、ほとんど知られていなかった…。」とバシャニーはその重要性を加えている。自分のためという自己中心性を離れて、他者や社会に対して、何をするのかが問われている。

 森田正馬はフランクルよりも約20年前、明治時代に生まれている。明治、大正、昭和という時代を生き、フランクルはユダヤ人として戦争と強制収容所での危機的な体験を育ている。私たちは比較的平和で安定した時代に生きているが、それは災害を含め様々な出来事によって常に揺るがされている。だから、それこそが日常であることをもう一度確認したい。そして、フランクルや森田正馬の概念や考え方を見直してみよう。変動の心理学のヒントになることが多いのでないか。

文献

1)アレクサンダー・バシャニー(永田勝太郎監訳、赤坂桃子訳) 2015 意味を探求する人間 Comprehensive Medicine, 14(1), 61-74.
2)ヴィクトール・フランクル(赤坂桃子訳)・本多奈美・草野智洋解説 2016 ロゴセラピーのエッセンス-18の基本概念- 新教出版社(Viktor E. Frankl 2015 Grundkonzepte der Logotherapie. Wien: Facultas Verlags- und Buchhandels AG)
3)森田正馬 2004 神経質の本態と療法-森田療法を理解する必読の原典- 白揚社

執筆者

若島孔文(わかしま・こうぶん)
東北大学大学院博士課程修了(教育学博士)。臨床心理士、家族心理士、公認心理師。国立病院・児童相談所などの現場を経て、現在、東北大学大学院教育学研究科教授。社会活動として、国際家族心理学会会長、森田正馬研究会会長、日本心理臨床学会代議員、日本カウンセリング学会編集委員、日本ブリーフセラピー協会チーフトレーナー、海上保安庁第三管区惨事ストレス対策ネットワーク委員会委員、NFBTカウンセリングオフィス東京代表など。

著書

長谷川啓三・若島孔文(編) 2013 震災心理社会支援ガイドブック -東日本大震災における現地基幹大学を中心にした実践から学ぶ- 金子書房

若島孔文著 2010 家族療法プロフェッショナル・セミナー 金子書房

若島孔文・野口修司(編) 2021 テキスト家族心理学 金剛出版

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