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孤独と迷惑(金城学院大学人間科学部教授:北折充隆) #孤独の理解

人に迷惑をかける人が孤独になっていくのは、よく分かるように思われます。しかし、人に迷惑と思われるくらいならば、最初から孤独でいた方がましだと、人との交流を避けてしまう人もいるようです。ある種の本末転倒のような状況が起きているようですが、そこには迷惑と孤独に対するどのような心理が働いているのでしょうか。「迷惑」について、何冊もご著書を書かれている北折充隆先生にお書きいただきました。

 人間がもしも、ネコのように単独行動をとる種であったならば、地球上でここまで繁栄することはできなかったでしょう。確かに自由を謳歌できるかもしれませんが、生き残って種を残していくためには、ひたすら健康で、強くあり続けるしかありません。食べ物も自分で探さねばなりませんし、見つけた食べ物を横取りされても、誰にも助けてもらえません。歳を取って体力が落ちたら、座して死を待つだけであり、すべて自分で何とかしなければならないのです。
 
 しかし集団生活をすれば、そんな心配は無用です。私達は社会の一員として生きているわけですが、お金という共通尺を用いることで、個人の能力・労働力を、特定の分野に投入するだけでいいのです。そんな社会の中で、お金は価値の保存と交換の円滑化という、重要な役割を果たしています。例えばイチゴ農家の人は、収穫されたイチゴが傷んでしまうまでのわずかな期間に、イチゴを欲しいと思っている人を探しだして、自身が欲しいと思っているものと物々交換をする……といった必要はありません。お金に替えてしまえば、イチゴのようにすぐに傷んでしまうこともありませんし、欲しい人が欲しいと思っただけの量に見合ったお金と交換してくれるので、不便は全て解消されるのです。

 現代社会では、全ての人が社会の構成員です。当然ですが、特定の人が自己の利益のみを追求し、他者のことなどどうでもいいという振る舞いをすれば、巡って社会全体に不利益をもたらすこともあり得ます。社会規範やルールと呼ばれる行動規制は、こうした背景の中で形成され、これを守ることで相互の利益を担保しているのです。

 私はこれまで、こうした社会規範やルールを破る行為に焦点を当てて、色々な研究を行ってきました。例えば、どういうメカニズムでルールが破られていくのかを明らかにするために、歩行者の信号無視行動を観察し、行動パターンを洗い出したことがありました。どうすればルール違反を抑止できるのかを検討すべく、「駐輪禁止」と「駐輪厳禁」と書いた場合で、どちらが駐輪違反をする比率が高くなるのかといった、フィールド実験を行ったこともあります。さらにはルールの定着プロセスを検討するべく、後部座席のシートベルト着用義務化に着目し、道路交通法が改正される前から後に、ドライバーの意識がどう変化するかといった縦断調査もやりました。現在は、自動運転車の判断に関する研究を行っているのですが、いずれもベースには「正しいって何だ?」という、素朴な疑問があるように思います。

「何も考えていない」行為者たち

 ルールを破ったり、人に迷惑をかけたりする行為を対象とする研究は、大きく分けて二つの切り口があります。それは、行為者側に着目した研究と、認知者側に着目した研究です。すなわち前者は、ルールを破ったり迷惑行為をまき散らす側を対象としており、後者はそういう人たちを見て不快になったり、または被害に遭っている側を対象としたものです。特に行為者側を対象とした研究は、例えばルール違反を誘発するような要因の検討というのは、倫理的にも難しいのが実情です。ですが、ルールを破ったり、周囲を不快にさせてしまう行為者側の心理を明らかにすることは、やはり抑止策を考える上でも非常に重要です。

 しかし残念ながら、多くの行為者は「何も考えていない」のです。悪い・間違っていると思わないようにしているとか、考えるのを辞めてしまっているというのが、正しい表現かもしれません。そもそも論として、本当に悪いとか、自分がやったことを間違っているなどと思っているのなら、行為の継続はできません。悪いことをしているな~と思いつつ、周りに白い目を浴びながらルールを破るというのは、非常に負担が大きいのです。白眼視による羞恥心や、排除されることによる孤独感に打ち勝ってでも、ルールを破り続けて周りに迷惑をかけ続けるのは、相当な胆力が必要だからです。ですから、自身の行為がルールに反していたり、迷惑をまき散らしていることに薄々気がついていても、「何が悪い!」と開き直ったり、「まぁいっか」と向き合うことを放棄することで、精神的なバランスを取っているのです。まぁもっとも、行為の継続性という観点でいけば、その場で意地を張っていても、周囲にひんしゅくを買ったり、それで排除されて嫌な思いをしている訳なので、普通の神経であれば、別の場面で再び同じことをやろうとはしません。

過度な共感性羞恥

 そんな行為者側の心理は理解しやすいのですが、最近面白いなぁと思うのは、こうした羞恥心を、認知者側が感じるケースもあるということです。これはMiller(1987)の提唱する、共感的羞恥という概念が深く関連しているように思います。共感的羞恥とは、共感的に他者を見ることと、個人の羞恥への感受性の相乗効果で、他者の行為をあたかも自身のことのように感じてしまうことを指します。クラスの同級生が先生に叱られているときに、自身が怒られている感覚に陥ってしまったり、テレビでタレントさんがイジられているときに、自身がイジられている気になって、いたたまれなくなるというのが典型です。

 そして、他者に共感するあまり、中にはそれで孤独を感じてしまう人もいるようです。もちろん、ルールを破ったり迷惑をまき散らしてひんしゅくを買っている人を見て、自分が迷惑をかけたら……などと考える人は多々います。問題は、それで過度に不安になってしまい、半ば引きこもりのような形で、周囲とのコミュニケーションを絶ってしまうケースが存在するのです。

 ちなみに、過度な共感的羞恥は確かに問題なのですが、こうした共感が全くないのも問題です。相手のことを一切考えないで、ルールを破ったことや不快に感じたことを批判するだけなので、“正義マン”や“○○警察”のような、相手に押しつけるパターンに陥りやすいからです。例えば、車の流れを阻害して後続車をイライラさせながら、制限速度をきっちり守るといった人を考えてみましょう。こうした人たちにとって、制限速度は絶対であり、道路交通法を疑うということはありません。車の流れを乱さないとか、他の人をイライラさせないなど、正しい根拠の軸はいくつかあるのですが、ルールを盲従しているという点で、こうした人たちも「何も考えていない」ことになります。むしろ、速度の遵守は間違ったことではないので、車の流れをかき乱したり、他の人をイライラさせたりしていることに対して、悪びれないだけ厄介ともいえます。

インドの教え

 ネットの掲示板など、繋がりが見えないのを良いことに正義を振りかざし、一方的に行為者を批判し、過激な言葉で貶める、集団リンチのような場面をよく見かけるようになりました。きちんとした議論の流れになっていたり、煽りあいであったとしても、それはワンウェイで無いだけマシです。前述のように、自分だったらと過度に不安になる様な人が、夜に一人で一方的に叩かれるような掲示板の流れを見て、「こういうことをしたら、世の中の人は自分のことをこんな風に見てくるんだ。こんな風に見ず知らずの人に批判されるんだ。」……などと怖くなって萎縮してしまう、結果として人と関わらないようにと過剰反応し、不適応を起こしてしまうことは、充分想像がつく話でしょう。こんなことまで考えていくと、相手の立場を考えるというのは一見良いことのようで、実は適度なバランスが大切であることに気がつくのでは無いでしょうか。

 私もそうなのですが、日本の親は子供に「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えます。でもインドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるという話を聞いたことがあります。迷惑行為の研究をずっとしてきた身としては、考えさせられる言葉です。そもそも社会的迷惑行為は、「当該行為が、本人を取り巻く他者や集団・社会に対し、直接的または間接的に影響を及ぼし、多くの人が不快を感じるプロセス」と定義されています。制限速度の話でも、速度違反を不快に感じる人もいれば、車の流れを乱すことを不快に感じる人もいるわけなので、誰にも迷惑をかけない(誰も不快にさせない)で生きることはそもそもできないのです。そんな風に考えると、インドの教えというのは一考の価値があるのかもしれない、そんな風に思うのです。

引用文献

Miller, R. S. (1987). Empathic embarrassment: Situational and personal determinants of reactions to the embarrassment of another. Journal of Personality and Social Psychology,  53, 1061–1069.

執筆者

北折充隆(きたおり・みつたか)
1974年生まれ。金城学院大学人間科学部教授。博士(教育心理学) (名古屋大学)。専門は社会心理学、交通心理学。著書に『ルールを守る心 -逸脱と迷惑の社会心理学-』(サイエンス社, 2017)『迷惑行為はなぜなくならないのか? -「迷惑学」から見た日本社会-』(光文社新書, 2013)『自分で作る調査マニュアル』(ナカニシヤ出版, 2012)『社会的迷惑の心理学』(ナカニシヤ出版, 2009)『社会規範からの逸脱行動に関する心理学的研究』(風間書房, 2007)など。

著書