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異なる価値観:自己否定を打ち崩す出会い(兵庫教育大学大学院教授:中間玲子先生)#自己と他者 異なる価値観への想像力

いつも自分は価値ある人間だと感じて生きられたら素敵でしょう。しかし、ときに人は、自分には何にも価値がない、必要のない存在なのだと思うことも、多々あります。そんなとき、どんな心のはたらきが私たちに起きているのでしょうか。それに対して他者はどのような影響を及ぼすのでしょうか。自己論と人格発達がご専門の中間玲子先生にお書きいただきました。

私たちは自分の価値を感じたいと思ってしまう

 私たちの心には自分という存在の価値を確認したい気持ちがあります。自分の価値を確認できる経験は積極的に求め、それを否定するような経験には無意識に抵抗する。私たちの心にはこのようなしくみがあるとされます。自分として存在しなければならない人間にとって、その気持ちは前向きに生きるために求めざるを得ないものなのでしょう。

 とはいえ、そのような思いがいつも満たされているわけではありません。大きな挫折を経験したときや大失恋をしたときなどには、自分なんか価値のない存在のように感じて、消えてしまいたいと思うこともあるでしょう。自分を肯定したいはずなのに、自分を肯定することが大きな困難を伴う事態となってしまうのです。それでもその自分として生き続けねばならないのですから、その自分を受け入れることができるか否かは、その後の生活や人生に大きく影響を及ぼすことになります。

 そのような経験にも向き合いながら、私たちは自分として生きることをなんとか引き受けて生活を営んでいます。それはストレスフルな辛い経験ではあるものの、人格成長を遂げることに寄与する、自己の再構成のプロセスにもつながります。ここでは“価値観”をキーワードに,その片鱗を見ていきましょう。

自己価値は価値観によって規定されている

 私たちが人生において直面する、自己価値に関する意識の変化には、さまざまな価値観との出会いが介在しています。自己価値の意識は自尊心/自尊感情という概念で論じられています。ウィリアム・ジェームズ(1) は、願望(分母)に対する成功(分子)の程度として自尊心を説明しました。闇雲に数えあげられた成功量ではなく、個人が願望するところの成功について、願望した程度との対比で価値づけがなされた結果が自尊心であるということです。自己価値を求める願望とは、自身の抱く価値観に照らして、その基準を満たしたい思いと解釈できるでしょう。つまり、自尊心は個人の価値観との関数なのです。小さな成功でも自己価値を感じることができる人がいる一方で、華々しい成功を収めているにもかかわらずずっと自己否定にさいなまれている人もいます。

自己否定を支える価値観が崩れるとき

 自分を肯定できないとき、そこにある価値観に気づけますか? どんな自分をダメだと思っているのでしょうか。

 先日、90歳になる伯母からこんな話を聞きました。伯母はほっそりしたスリムな体型なのですが、子どもの頃はそのことに深く悩んでいたそうです。戦時下の小学生だった伯母は、身体が大きいことを公是とする価値観に感化されており、毎月の身体測定のたび、体重が増えない自分に落ち込み、何の価値もない人間だという思いを強くしたのだそうです。もしも伯母が、一生懸命食べて太ることができたのならば、自己価値を感じられる自分になれたでしょう。ですが、自己否定に悩んでいる人は、そんな簡単に自分を変えられないからこそ悩んでいるのです。

 ある日、校長先生が、断食修行をした高僧の話を、偉人伝として紹介してくれたそうです。やせこけてガリガリの身体なのに素晴らしい人として語られるのを聞いて、伯母は、やせた身体であっても偉い人になれるんだと驚いたそうです。やせている人=劣っていることを否定する価値観に出会えて、涙が出るほどうれしかったと伯母は語っていました。自己否定を支えていた価値観を相対化できた瞬間です。

 何をもって自己否定しているのかが明確であれば、それを支える価値観を探ることができます。その価値観を否定する、あるいは、相対化させる価値観と出会うことは、自己価値を見出すことに寄与します。たとえば中途障害者になった人が自分に絶望しふさぎ込んでいたところから再び前向きに生き始めるまでには、障害があるということをめぐる価値観の変容をくぐり抜けた経験があるはずです。

異なる価値観との出会いと新たな可能自己の表象

 ただし、異なる価値観を“知った”としても、「あの人と私は違う」「そうは言っても自分には無理」と、他人事として認識されるだけの場合もあります。異なる価値観との出会いにまで至らないのです。

 それに対し、異なる価値観に“出会った”際には、それは、新たな自己の表象を生み出すであろうと考えられます。私たちは、現実の自己だけでなく、こうありたいという理想の自己、こうなるだろうという未来の自己など、頭の中だけに存在する自己についても様々な表象をもっています。それらは可能自己(2)とよばれます 。可能自己は、それに関連する場面や状況で活性化されて、その実現につながるような行動を導くことが知られており (3)、目標や価値は、可能自己として表象されるか否かによってその後の行動につながる生きたものになるかどうかが変わってくるとされています。それまでとは異なる価値観が今の自分と結びつけられ,可能自己として表象されることが、その人が異なる価値観と確かに出会ったことを実感させる手がかりとなりそうです。

 伯母が、「やせててもいいんだ、やせてても立派な人になれるんだ」と思ったとき、おそらく“やせているけど立派な私”という、新たな価値観に根ざした未来の自己表象が芽生えただろうと想像されます。

いわれなき自己否定を支える価値観

 自己否定の要因が明確な人がいる一方で、何をもって自己否定しているのかが分からないという人もいます。自己について様々に否定的事柄を並べ、自己否定の根拠を言うことはできるにもかかわらず、何が中核的な問題なのかよく分からない、「とにかくダメなのだ」と、あたかも自己否定に固執しているような状態です。「満足してはダメだから」という自戒や気概から来る場合もあるようですが(4) 、そのような質的差異はここでは置いておきます。

 以前、大学生を対象に、自尊感情を変化させる日常の出来事について尋ねたことがあるのですが(5) 、その時、自分の応援しているプロ野球球団の監督が交代したことを挙げた人がいました。こちらの予想しない回答に驚かされたのですが、きっと、自己否定の理由はなんでもよいのです。自分は否定される存在だという、その答えが先にある場合、すべてがそれを構成する要因になり得るのです。自己全体を覆う否定的な感情が色濃い状況では、そもそも自己が見えないとも考えられます。

 そんな時に考えられる自己否定の要因とは、おそらく自己価値をめぐる価値観です。自己を肯定してはいけない、否定すべきだ、あるいは肯定したくないという価値観に無意識にとらわれてしまっており、それが自己に向き合う際の大前提を形成してしまっているのです。

他者を足場に自己に出会い直す

 自己否定を作り出す呪縛ともいうべき価値観であっても、それを変えることは容易ではありません。ある安定したものの見方を持つ自己であることが世界や他者に向き合う枠組みとなっているため、それが変わることは、自己がどのように世界に向き合うかを揺るがす、心理的な危機をもたらすものともなるからです。そのため、私たちは自己を変えまいと、変化に抵抗してしまいます。加えて、自己が自己の見方を変えるということは論理的に考えて難しいことです。自己を変える側の自己(主体としての自己)の見方はどうなるのか、が解決されないからです。

 自己を固定化した価値観で見ることが成立するずっと以前、私たちは他者や環境との相互作用の中から自己の存在に気づき、他者のまなざしの中に自己を見出すところから、自己とのつきあいをスタートさせたと考えられています。他者が何かの心をもってものを見つめていることに気づき始めた赤ちゃんは、他者と何かを共に見ること自体に喜びを感じます。そしてその喜びを求めて他者が見ている対象を探し出し、共有体験を作りだしていきます。そのような関係の中で、その他者が自分を見つめている体験の共有が、他者のまなざしの先にある自分の存在をとらえる活動となります。自己は、もともと、他者のまなざしの先にある、他者の他者だったのです(6) 。

 今、他者の他者としてのあなたは、いったいどんな存在なのでしょう。「私の友達を悪く言わないで!」――これは,とあるドラマの登場人物が、自己嫌悪に陥っていて自己否定的な発言を繰り返す友達に放った言葉です。そこには自分が思う自分とは異なる自分の姿があります。自分としてではなく、大事な友達の大事な友達として、他者の他者として存在する自分を生きてみる。そのことが、新たな価値観のもとで自己を再構成するよりどころになるかもしれません。自己を新たに見出すには、他者という足場が必要なのです。

参考文献

1 James, W. (1890). The Principles of Psychology, volume one. New York: Henry Holt.
2 Markus, H. & Nurius, P. (1986). Possible selves. American Psychologist, 41, 954-969.
3 Cross, S. E. & Markus, H. R. (1994). Self-schemas, possible selves, and competent performance. The Journal of Educational Psychology, 86, 423-438.
4 水間玲子 (2002). 自己評価を支える要因の検討:意識構造の違いによる比較を通して 梶田叡一(編) 自己意識学研究の現在 ナカニシヤ出版, pp.115-151.
5 中間玲子・小塩真司 (2007). 自尊感情の変動性における日常の出来事と自己の問題 福島大学研究年報, 3, 1-10.
6 浜田寿美男 (1999). 「私」とは何か:ことばと身体の出会い 講談社選書メチエ

執筆者

中間玲子(なかま・れいこ)
兵庫教育大学大学院教授。専門は自己論、青年心理学、人格発達の心理学。著書に『自己形成の心理学』(風間書房, 2007)、『自尊感情の心理学:取り扱い説明書』(編著,金子書房, 2016)、『現代社会の中の自己・アイデンティティ』(編著,金子書房, 2016)など。

著書


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