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「ゆるい学校」を受け入れよう(藤川大祐:千葉大学教育学部教授/千葉大学教育学部附属中学校長併任)#子どもたちのためにこれからできること

長期にわたる休校を経て通常授業が再開したものの、子どもたちの学校生活は大きく様変わりしました。当たり前だったことがそうでなくなった今、私たちは学校のあり方を見直す転換点に立たされているのかもしれません。学校は子どもたちにとってどんな場であればよいのでしょうか。目指すべき本質について、教育学者の藤川大祐先生が切り込みます。

忙しさを取り戻してはいけない

 新型コロナウイルス禍による休校措置や、学校再開後の感染防止策で、学校生活は大きな影響を受けました。学校でも子どもたちは互いの距離をとることを求められ、マスクをし、手洗いやうがいを徹底する生活を送っています。運動会や修学旅行の行事、部活動、PTA活動等は、中止になったり延期になったり規模を縮小したりと、学校生活全般が様変わりしています。

 2020年2月末以降、状況はめまぐるしく変化し、大人も子どもも先が見えない中で何度も予定を変更しながら生活をしてきました。充実感がない中で、疲労やストレスばかりがたまってきたように思われます。学校においては、体調不良を訴える子どもが目立ち、背景には精神的な疲労もあるように思われます。

 新型コロナウイルス禍以前より、学校では教員の忙しさが問題になっていました。学力向上が求められ、小中学校での道徳の教科化、小学校での英語の教科化やプログラミング教育の導入等が決まり、生徒指導や進路指導、部活動指導、さらには各種事務仕事の負担も増え、世界でも類を見ないほど日本の教員の労働時間は長くなっていました。それでも、子どもたちのために、多くの教員が忙しさを受け入れて働いていました。

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 新型コロナウイルス禍においても、休校中の遠隔での学習指導、学校再開後の感染予防策の取り組み等で、教員は多忙にしています。今後は、感染予防策を講じながら、授業の遅れを取り戻したり、できなかった学校行事や部活動を充実させたりといったことが求められるようになります。

 しかし、そもそも教員は多忙すぎたのですから、今後も忙しさを取り戻そうとしてはならないはずです。

 新型コロナウイルス禍は、これまで当たり前だったものをいったん止めるきっかけとなりました。これを機に、行事を縮減したり、部活動時間を見直したり、PTA活動をスリム化したりして、教員が余裕をもって仕事ができる状態を作ることを考えましょう。

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 また、子どもたちも、ともするとこれまでの学校生活で多忙を極めていました。学校では慌ただしく授業があり、部活動、塾や習い事、家庭学習等で忙しい子どもも多く、さらには夜遅くまでSNSやゲームで時間を使っているということもあります。

 休校措置中にはだらけてしまって学習等が思うように進まなかったという子どもが多いようですが、普段は学校や塾などで予定が決まっていたので無理をして忙しく動いていただけであって、学校や塾の制約がなくなるとそこまでの無理ができなくなったとも考えられます。

 学校再開以降、体調不良を訴える子どもが目立つことを見ても、新型コロナウイルス禍でストレスを抱えてきた子どもたちにはあまり無理をさせられないことは明らかです。

 新型コロナウイルス禍で不安を抱えながら感染防止に努めてきた教員も子どもたちも、今、かなり疲れがたまっているはずです。そもそも以前は忙しすぎたと考え、以前の忙しさに戻るのでなく、無理のない新たな学校生活をつくっていく必要があります。

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子どもたちのケアを優先する「ゆるい学校」へ

 では、無理のない新たな学校生活とはどのようなものでしょうか。それは、端的に言えば、「ゆるい学校」です。

 この「ゆるい」という言い方は、鯖江市役所JK課NEET株式会社といったユニークなプロジェクトを進める若新雄純さんの言う「ゆるいコミュニケーション」をふまえたものです。

 若新さんは、「ゆるいコミュニケーション」を、こう説明しています。

きっちりと固定されていないのに、つながっている。強制されているわけではないのに、参加している。必要に迫られているわけではないのに、欲している。細かいことは決まっていないのに、全体としては成り立っている」(『創造的脱力—かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論』光文社)

 こうした場は、多様な人々を包摂し、ケアできるものと思われます。疲れ、傷ついた子どもたちが通う今の学校は、まさにこうしたゆるいコミュニケーションができる「ゆるい学校」を目指す必要があります。

 「ゆるい学校」とは、具体的にどのような学校でしょうか。

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 まず、そこにいる人がいきなり否定されるようなことがなく、安心してそこにいられるような場でないといけません

 教師がいきなり頭ごなしに子どもを叱ったり、何かができない子どもが周囲から全否定されたりといったことは、あってはなりません。そうなれば、校則やら暗黙のルールやらは、目安としては存在していても、細かくきっちり守らされるようなものであってはいけないことになります。

 たとえば、毎日のように遅刻してくる子どもがいたとします。これまでの学校であれば遅刻すると叱られたかもしれませんが、「ゆるい学校」では、まずこうした子どもを教員たちが心配するでしょう。体調が悪いのではないか、家で何かあったかもしれない等々、親身になって心配すると、いろいろな可能性が浮かびます。そのような可能性を考えれば、いきなり叱るなどという乱暴なことはできなくなりますよね。

 あるいは、他の子どもにちょっかいを出す子どもがいたとします。これは被害者側が苦痛を覚えていればいじめですから、当然、被害者を守ることは大切です。しかし、だからといって、加害者側にきつく指導すればよいということにはなりませんね。ちょっかいを出したくなる背景も心配ですし、ちょっかいを出したいという衝動が抑えられない傾向があるのであればこの後の社会生活が心配です。そうした心配を前提にすれば、きつく指導することにはならないのだろうと思います。

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 このように考えていくと、「ゆるい学校」は結局、多様な子どもに寛容な場になっていくはずです。

 教室に入りにくい子どもがいるなら、教室にパソコンを置いて別室に遠隔で結んで授業に参加してもらうこともよいでしょう。話すのが苦手な子どもはパソコンを使って意見を伝えられるとよいかもしれません。疲れが出たら授業を休んで休息をとることも認められるでしょう。

 これではただだらけるだけではないかと思われるかもしれません。もちろん学校は第一義的には学ぶ場所ですから、だらけたまま放置されるというものではないでしょう。いったんこれまでの制約を外してみた上で、あらためて個々の子どもの考えを聞いて、できることをやっていくということになるのではないでしょうか。

 大切なことは、決まっていることをそのまま進めるのでなく、子どもたちのケアを優先するということです。

 これまでの学校は、学校という場に子どもや教師が合わせることが強く求められてきました。これからの学校は、多様な子どもや教師が排除されずに、必要なケアを受けながら参加できる場となっていくことが必要ではないでしょうか。

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 こうした意味での「ゆるい学校」が、多くの人に受け入れられるようになることを願っています。

◆執筆者プロフィール

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藤川大祐(ふじかわ・だいすけ)
千葉大学教育学部教授、千葉大学教育学部附属中学校長併任。専門は教育方法学、授業実践開発。多様性を尊重した授業づくりなどを研究している。

◆著 書


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