きちんと謝れば対人関係はよくなるのか(大坪庸介:東京大学大学院人文社会系研究科准教授)#立ち直る力
「誠意を見せろ」と言われるとき
(1)もめごとは避けられない
どんなに注意深く生活していても、誰かとケンカしたり、もめたりすることを完全にゼロにすることはできません。例えば、親しい相手とのやりとりで、あなたの何気ない一言に(仮にあなたにはまったく悪気はないとしても)相手が傷ついたり、気を悪くしたりすることはあります。あなたにも相手のちょっとした冗談に腹が立った経験があるでしょう。
また、仕事上のつきあいであれば、相手が嫌がるとわかっていても大変な作業を頼まなければならないことがあります。そうすると相手は嫌な作業を「押しつけられた」と思って、あなたに腹を立てるかもしれません。
それほど深刻なケンカやもめごとでなければ仲直りもできるでしょう。自分に非があると思った方が謝り、傷ついた・怒った方が相手を赦してあげればよいのです。しかし、「ごめんですむなら警察はいらない。誠意を見せろ。」といった言い回しがあることからわかるように、「ごめんなさい」と言うだけでは“きちんと”謝ったことにならないこともあります。
(2)「誠意を見せろ」とは
「誠意を見せろ」は常套句のようなもので、それが本当のところ何を意味しているのかはその時々の文脈によって違っているでしょう。しかし、多くの場合、次の2つのうちいずれかの意味で使われているのではないでしょうか。
1つは被害者に物質的な損失が生じていて、口で謝るだけではなく弁償してほしいという要求です。企業へのクレーム等で「誠意を見せろ」と言う場合、多くはこれではないでしょうか。この場合、弁償しろという露骨な表現を避けて、婉曲に要求を伝えているわけです。
もう1つの意味は、誠意が感じられるくらい反省してほしいというものではないでしょうか。対人的な場面で、相手の心ない一言に傷ついたと思っている場合、金銭的な弁償が必要なわけではありません。「誠意を見せろ」と言う人が求めているのは、心から反省してもう二度とこういうことを言わないように・しないようにしてほしいということでしょう。
誠意の見せ方
(1)客観的コミットメント
相手が2番目の意味(つまり、二度とひどいことをしないようにしてほしい)という意味で「誠意を見せろ」と言っているときに、私たちはどのようにして自分の謝罪に誠意がこもっていることを示すことができるのでしょうか。言い換えれば、自分は二度とひどいことをしないということを、どのようにして相手に信じてもらうことができるのでしょうか。
ここで、「二度とひどいことをしません」と口で言ってもよいわけですが、これが将来についての約束になっていることに注意してください。この約束は、相手が自分を赦してくれた途端、約束を守るインセンティブがなくなってしまいます。そのため、約束したことに自分自身をいかにコミットさせることができるかという、いわゆるコミットメント問題が生じます。このことは経済学者のトーマス・シェリングによって指摘されました(1)。
シェリングは、国際関係での約束(それから脅し)を分析し、客観的コミットメントが解決策であると指摘しました。例えば、ある国が紛争中の国と停戦の約束をするとします。このとき、停戦の約束をすることを他の国々にも広く知らせておくとどうでしょうか。一方的に約束を破って相手国に攻撃をしかけると、約束のことを知っている他の国々から非難されたり、経済制裁を受けることになるかもしれません。つまり、約束を守らざるをえない客観的な状況を作ってしまうのです。そうすれば、その約束の信憑性は高くなります。
(2)主観的コミットメント
しかし、私たちが対人的な場面で誰かに謝って誠意を見せるときに、客観的コミットメントを持ち出すことはめったにないでしょう。例えば、「約束を破ったら・・・します」という何らかの強制力を伴った誓約書を相手に渡すことはまずないでしょう。このときに私たちが自然に行っているのは、主観的コミットメントを示すやり方です。
ここでの主観的コミットメントとは、相手との関係が自分にとって大切な程度だと考えてください。例えば、あなたが自分をかわいがってくれた祖父の形見の時計を大切にしているとします。それでは、この時計が故障して、修理に出すと「買い替えた方が安いですよ」と言われたとします。買い替えるよりも割高になるかどうかとは関係なく、あなたは時計を修理するのではないでしょうか。修理のためのコストを支払ってもよいと思えるのは、あなたがこの形見の時計に主観的にコミットしているからです。
同じように相手との関係を大切に思っていたら、関係を修復するために多少コストがかかっても仕方ないと思えるはずです。あなたは謝罪する時に、自発的に相手に何かをおごると申し出るかもしれません。あるいは、他に大事な用事があるのをキャンセルしてとりもなおさず相手に謝罪に行くかもしれません。あなたが謝罪のためにコストをかければかけるほど、それはあなたが相手との関係に主観的にコミットしている証拠になります。
あなたが経済学の授業で約束の信憑性について学んだことがないとしても、前段落で挙げたコストのかかった謝罪の例を読むと、口で「ごめんね」とだけ言われるより誠意が感じられると思ったのではないでしょうか。実際、私たちは約束の信憑性の理屈を知らなくても、コストのかかった謝罪に直観的に誠意を感じます(2)。
関係を大切に思うこと
(1)加害者→被害者の関係価値
あなたが誰かを傷つけてコストをかけて謝ると、単に「ごめんね」と言う場合と比べて、あなたの誠意が伝わると言いました。しかし、それだけではありません。相手はあなたを赦してくれやすくなりますし、あなたが二度とひどいことをしないだろうと思うようになります。
さらにもうひとつ大事なことがあります。それは、相手(被害者)はあなた(加害者)が自分(被害者)との関係を大切に思っていると感じるのです(3)。少し複雑なので整理しましょう。加害者が被害者との関係を大切に思っている程度を「加害者→被害者の関係価値」とします。加害者が被害者にきちんと謝ると、被害者は加害者から大切に思われているのだと感じます。つまり、「加害者→被害者の関係価値」が高いのだと感じるわけです。
(2)被害者→加害者の関係価値
しかし、あなたがきちんと謝ることの効用はそれだけではありません。興味深いことに、被害者はきちんと謝罪してくれた加害者との関係を大切だと思うようにもなるのです。これは被害者が加害者との関係を大切に思う程度なので、「被害者→加害者の関係価値」と書くことにします。
被害者は最初、自分を傷つけた加害者との関係をそれほど大切ではないと思うでしょう。つまり、「被害者→加害者の関係価値」が下がります。ところが、コストをかけて(つまり、誠意のあるやり方で)謝ってもらうと、やっぱり相手との関係は大切だったと再評価するのではないでしょうか。そうすれば、一旦下がった「被害者→加害者の関係価値」が上がることになります。
例えば、fMRIを使って、謝罪を受けているときの脳活動を調べた実験があります(4)。この実験では、コストのかかった謝罪やコストのかからない謝罪を受けている場面を想像してもらいました。コストのかかった謝罪を受けていると想像すると、他者の意図(「誠意」とは誠実な意図です)を感じ取る部位が強く活動していました。しかし、それだけではなく、眼窩前頭皮質という部位も強く活動していました。この部位は、様々な価値計算に関わっていて、社会的価値もここで計算されます。コストのかかる謝罪は、関係価値の再計算を促すのかもしれません。
こうして、被害者が相手との関係価値を再び高く評価したら、相手との関係を修復したいと思うでしょう。実際、謝罪を受けて相手の関係価値を再評価した被害者は、相手を赦しやすくなります(5)。
まとめ
私たちが社会生活を営むかぎり、残念ながら他者とのもめごとを完全に避けることはできません。そういう場合には、自分に非があると思う方がきちんと謝る必要があります。この記事では、きちんと謝る方法としてコストをかけて主観的コミットメントを示すことができると説明しました。ただし、相手が主観的コミットメントといった専門用語を知っている必要はありません。あなたがコストをかけて謝罪すれば、多くの場合は、相手は直観的にあなたの謝罪に誠意がこもっていると感じとってくれます。しかもそれだけではありません。あなたが相手にきちんと謝罪すれば、あなたが相手との関係を大切に思っていること(加害者→被害者の関係価値)が伝わるだけでなく、相手もあなたとの関係を大切に思うようになるのです(被害者→加害者の関係価値)。このような両方向での関係価値の再評価が起こるとしたら、きちんと謝って関係を修復することができたときには、もめごとが起こる前よりもお互いの関係がよくなっているかもしれません。
執筆者プロフィール
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