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我々を取り巻く孤独と「友だち」(大阪成蹊大学教授:米田薫) #孤独の理解

今、子どもや社会人になる前の学生などが感じている孤独とはどのようなものでしょうか。孤独な思いを変えてくれる友達との関係はどのようになっているでしょうか。長年、学校で子どもたちの心の支援に関わっている米田薫先生にお書きいただきました。

身近だった孤独

 一人っ子の私は、一人で過ごすことの多い子どもでした。よく、団地の4階の窓から、「下界」で子ども達が群れ遊んでいるのを眺めながら子ども部屋で過ごしていました。その後も、小学校高学年の体育の時間で大縄の時間なのに一人で外周を走っていたり、高校の体育祭の応援合戦でクラスメートが団結して活動しているのに一人はぐれたりしていました。寂しいと思うことはありましたが、集団が苦手で、一人でいることに慣れていました。こうした傾向は、私の両親も社交的で人付き合いの幅の広いとはいえない性格でしたし、住環境も都市開発されたばかりの団地の最上階ということもあって、遺伝と環境の相互作用で孤独な少年だったんだろうなと分析していました。

 ジョン・Tカシオポとウィリアム・パトリックの『孤独の科学』(2018)よれば、孤独感が亢進すると自己制御力が失われていって心身が摩耗するので、適切な社会的つながりを築くことが大切であるとあります。これを読んで思ったのです。私は、孤独な少年ではあったけれど、それなりに近所の子ども達と遊んでいたし、ギャングエイジには徒党を組んで遊び回り、こっぴどく叱られたこともあったけれど、そうした経験を通じて他者とつながることの喜びを感じたり、その大切さも理解でき、そこそこには社会生活をこなしていくスキルが身についたので、何とか人生を乗り越えてきたのではないか、まだ「孤独な少年」でも自然に社会とのつながりを獲得できる時代だったのではないか。

 でも、今の子ども達は、孤立化が進む社会の中で生きていますから、私が育った時代と同じようには論じられません。

「友だちがいたのに」話さなかった後悔

 最近、中学校の生徒達に話す機会を得たのですが、事前に質問がたくさんありました。カウンセラーの話を聞くのは珍しい体験だったのでしょう。「勉強せなあかんけど、他のことをしちゃって寝るのが遅くなり、授業中に眠い」といった時代に関わりないものから、「忙しくてストレスが溜まり泣いてしまう」「家族や友達に気を使い過ぎてしんどい」等の今どきにありがちな悩みが寄せられる中、「孤独だ」「友だちがいない」「一人でいると心が痛くなる」といった一人ぼっちの辛さを訴えるものが少なくありませんでした。中には「よく死にたい気持ちになってしんどい」というものもありました。

 私も小学校高学年以来「死にたい」気持ちが心の大きな部分を占めていた子どもだったので、当日はこの話も取り上げました。私もそうだったこと、カウンセリングを学ぶようになって今は亡き私の師である國分康孝先生に話すと「米田ぁ、それは生きる意味が見つからないとか、意味を見つけて生きていきたいとか、そういう気持ちだったんじゃねぇのか」言われ、「それだ」と思って気持ちがすごく晴れたことを伝えました。そして、当時の私は死にたい気持ちを誰にも言わなかったし、気持ちを隠して明るく元気な少年を演じていたことも話し、「今から考えるとすごく残念なんだけど、私には毎日遊んで話をしてる心許せる友達がいつもいたし、当時の私の友人達なら、話せばきっと受け止めてくれただろうに、悩みを相談すると言う発想自体がなくて、殻にこもって孤独に堂々巡りして悩んでました」と打ち明け、「お互いのことが分かる人がいれば、いざというときには、ちょっと勇気を出せば相談できるよね」と言ってペアで話し合う体験をしてもらいました。それは40秒ずつ、

① 最近、楽しかったこと、
② 最近、ちょっと嫌だったこと、
③ こんなことができたらいいな、

の三点について相互インタビューし、シェアリングの時間に「喜怒哀楽を言って、その理由をお話ししよう」というものです。

 感想には「私も死にたいと思ってた」というものが少なくなく、話題として取り上げた意義を感じ、「隣の子と話すだけで気分がよくなるのを感じた」とか、「ひとりで悩みすぎずに相談するようにする」といった感想を読み、まだ、今の中学生には気持ちを伝え合うことの心地よさが共有できるという手応えを感じ、それがあれば、いざというときに「相談してみよう」と思える可能性が増すだろうと思いました。

孤独は社会問題に

 我が国には、「社会的不安に寄り添い、深刻化する社会的な孤独・孤立の問題について総合的な対策を推進するため」に内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置されています。その現状認識は、「職場・家庭・地域で人々が関わり合い支え合う機会の減少」によって「『生きづらさ』や孤独・孤立を感じざるを得ない状況を生む社会へ変化」が起こり、それにコロナ禍で「交流・見守りの場、相談支援を受ける機会の喪失等」が拍車をかけ、「社会に内在していた孤独・孤立の問題が顕在化・深刻化」したと捉えています。

 同室では2021年に全国16歳以上の個人2万人を対象に実態調査を行っています(有効回答率は 59.3%、内閣官房 孤独・孤立対策担当室、2022)。それによると、直接質問で孤独感を「しばしばある・常にある」と回答した人の割合は4.5%、間接質問の「UCLA孤独感尺度」で「常にある」とした人は6.3%、年齢階級別に見ると直接質問・間接質問ともに30歳代が最も高く、次が20歳代、最も低いのは70歳代となっています。また、孤独感が高い人は、直接会って話す頻度が「全くない」人や、電話やスマホ等のコミュニケーションツールを人とのコミュニケーションに使っていない、同居人がいない、失業中、「不安や悩みの相談」相手がいない、心身の健康状態がよくない、世帯収入が低い、社会参加していない等の回答した人であることを明らかにしています。そして、7割近くの人がコロナ禍によって「人と直接会ってコミュニケーションをとることが減った』とも回答しています。同室では、「孤独」は「主観的概念、ひとりぼっちと感じる精神的な状態」、 「孤立」は「客観的概念、社会とのつながりのない/少ない状態」と定義し、施策としては「人生のあらゆる場面で誰にでも起こり得るもの」と捉え、「望まない孤独」 と「孤立」を対象として社会全体で取り組む方向性を示しています。

孤独には積極的意義も

 アンソニー・ストーは『孤独』(1999)なかで、愛情や友情は人生を価値あるものにするのに重要と認めつつ、それらは中軸であっても唯一の幸福の源泉ではないとして、孤独の有用性やそこから生まれる想像性の重要性を説いています。ウィニコットを引用し「独りでいられる能力は、(中略)自己発見と自己実現に結びついていき、自分の最も深いところにある要求や感情、衝動の自覚と結びついていく」「価値のある資質」としています。「子どもと孤独」(2020)を著したエリス・ポールディングも人間の適応能力ばかりが直目される中で、孤独の積極的意義を説き、孤独になる時を持つことは大人だけでなく子どもの心にも大切であると提起しています。

大学生の考える孤独

 2022年度に、大学生に孤独について話し合わせたことがあります。そうしますと、「気まずくならないので、好んで1人でいる人が増えているように感じる」と言う状況認識や、「無理して人付き合いするぐらいなら、孤独に過ごした方が楽だし悪くない」「SNSの発達で友達はいるが、実際は孤独を感じやすい」「自己成長できる時間でもあるので肯定的に捉えている」といった自己開示、「良い孤独と悪い孤独があり、『一人が楽』という子に対して過剰に心配しすぎるのはよくない」「独りでいることを尊重するが、社会的結びつきがあることの良さも感じる教育を進めたい」というような研究者の知見や国の施策を思わせるような意見も飛び交いました。中には、「友達グループといても一人にならないようにカモフラージュしているだけで、本当の友達だと感じていなかった」という、先の中学生との話し合いで聞いた話と似た内容もありました。一つにまとめることはできませんが、成長につながる意味のある孤独は尊重するが、将来的にも不利益を被るような孤独に陥らないような教育が求められているという方向性が一つ見られたのは、教職課程の大学生と言うこともあるとは思いますが、ここでも未来への希望を感じました。

オンラインのつながりはあるけど孤独

 大学生達と話している中で、「電話していると孤独を感じない」という意見がある一方、「電話はあまり使わない」という学生も多くいました。電話は掛けるときに「今、いいかな?」と気を遣うし、掛かってきたら出るしかないので面倒と感じることがあり、SNSの方がよいというのです。その話を聞いて、私自身も、昔は電話を遠く離れていて会えない人とも交流できる重宝なものをとしていましたが、今では使用回数が減り、自宅の電話が鳴ったら「又、何かのセールスかなぁ、嫌やなぁ」と感じているのに気づきました。結果として、今は、SNSでの交流が盛んなわけですが、ではそれで人類の孤独が解消されたのかというと、どうも新たな問題が生まれているようなのです。SNS上では自分の見せたい部分だけを露出しますから、等身大の私ではないアバターが「私」を演じますが、そこに埋没するとリアルな私とSNS上の私が判然としなくなる可能性がありますし、常時接続が可能な環境下では、いつ来るか分からないメッセージに「即返信しなきゃ」ってなりがちで、独りの時間に内省して自己成長するなんてことは望むべくもありません。それにSNSのメッセージのやりとりは短文が大半ですから、気持ちの深い部分で交流することは難しいので、情報のやりとりはあっても気持ちがつながっている実感が湧きにくくなっているようにも感じます。これは、シェリー・タークルが言う『つながっているのに孤独』(2018)という世界がまさに現出していると思えてなりません。

 コロナ禍の余波というべきか、我々は遠隔授業やネット会議にすっかり慣れてしまい、オンラインでカウンセリングのワークショップさえも行われるようになりました。でも、私はなぜかしっくりこないのです。認知面のやりとりは一堂に介してしなくても共有できるように思うのですが、人間関係で重要な気持ちの交流が深まる感じがあまりしないのです。それはパソコンのカメラに向かって話しているので目と目が合っていないからだという説を聞いて、なるほど対面とはそこが違うなと思ったものですが、そのあたりは切り分けて使う必要があると考えています。

子どもの良好な人間関係づくりを自然発生に任せておけない時代

 人間はひとり隔離された状態で健全に発達することは至難と思われますから、良好な人間関係は子どもの成長にとって必要なものと言ってよいでしょう。私の子ども時代は、新しいクラスになったら最初の内は席の近い子と話して親しくなり、その内に趣味や好きなものつながりを見つけたりしながら友だちの輪が広がっていくというのが定番でしたし、今でもコミュニケーション能力の高い子どもは、そういった友達づくりができているようです。でも、子ども達全員が人間関係を形成する力を十分に持っているわけではありません。友達づくりが苦手な子ども達は「蚊帳の外」に置かれ、「はぶられ」、強いられた孤独を味わうことが少なくないようです。大学生との対話の中でもそうした体験が散見されています。友達づくりのきっかけづくりや、形成された人間関係を維持・発展させるためのスキルを教える時代になっているということです。

感情交流するエンカウンターで集団の良さも味わう

 その中で有効な手法の代表的なものは、構成的グループエンカウンターでしょう。私は、國分康孝先生に教え導かれ、今も実践を続けています。これは自己理解・自己受容と言ったねらいに沿ったエクササイズをグループで体験し、そこで生まれた感情を交流することで自他発見とふれあいのある人間関係を育て人間的成長を図ろうとする集団対象のカウンセリングです。一世を風靡しましたが、今は下火になっている感があります。実証的なデータでは示せませんが、以前に比べて人間関係を築く力は大人も子どもも低下していると考えると、昔より孤立化しやすい子ども集団を、昔の先生より集団づくりが得意でない、もしくはしてもらった経験のない若い先生がクラスづくりを進めるわけですから、以前に増して研鑽を積む必要があるので、敬遠されているんだろうと思っています。

仲間と共に理想をめざす

 こうした状況を踏まえ、教員としての力量アップを図り、「研究もできる実践者」をめざそうと呼びかけて、研究会を立ち上げました。月一回集まり、エンカウンターはリーダーを交代しながら模擬実践をしています。休みの日に手弁当で集まっての研修ですし、これで給料が上がるわけでもなし、へこんで帰ることも珍しくないので、志の高い先生しか続きません。でも、できるようになれば子どものためになるだけでなく、自身も『教員になってよかった』って気持ちになれるので、めざす理想に向かって仲間と共に燃えて歩んでいます。ずいぶん「孤独な少年」が変われたもんだなって思います。

 「ボクにできたんだから、あなたもできる」 共に歩んでまいりましょう。

 (イラスト 行田 眞依)

参考文献

アンソニー・ストー『孤独』創元社、1999
エリス・ポールディング『子どもと孤独』田畑書店、2020
ジョン・Tカシオポとウィリアム・パトリック『孤独の科学』河出文庫、2018
内閣官房 孤独・孤立対策担当室「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」2022
シェリー・タークル『つながっているのに孤独』ダイヤモンド社、2018
米田薫『改訂版 厳選 教員が使える5つのカウンセリング』ほんの森出版、2019

執筆者

米田薫(よねだ・かおる)
大阪成蹊大学教育学部教授。博士(臨床教育学 武庫川女子大学)、臨床心理士・公認心理師。専門は、カウンセリング心理学、学校教育相談。著書は『改訂版 厳選 教員が使える5つのカウンセリング』(ほんの森出版、2019年)など。2012年に教育カウンセリング心理学研究会を立ち上げ、以降、毎月例会を催し、エンカウンターやソーシャルスキル教育の模擬実践やカウンセリングのロールプレイ、個人や集団の事例検討等を行い、毎年、関連学会で実践発表し、心理教育や不登校対応等の論文を会員と共同執筆している。現在も週1回、中学校でのスクールカウンセラーを続けている。

著書