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今年の大学受験生を「ロスト・ジェネレーション」にするな!(倉元直樹:東北大学高度教養教育・学生支援機構 教授)

 巷間、「9月入学」の話題でかまびすしい。賛成派、反対派、様々な意見が交錯した結果、現在では、現実的な課題が山積していて導入は難しいという結論になりそうだ。筆者自身は元来「9月入学絶対反対派」であったが、9月入学について本格的な検討が始まってからは、来年(2021年)からの全面移行の支持に回った。もっとも、長年議論されてきた9月入学制度の長短には関心がない。宗旨替えの理由はただ一つ、大学入試を控えた受験生をロスト・ジェネレーションにしないためである。9月入学問題が議論だけで終わるのならば時間と労力の無駄だったし、最初から考えるべきではなかったと思う。

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 今年度に入試を迎える来年度春に入学予定の大学受験生は、特別な世代だと感じている。何故かというと、自分には何の責任もないのに大人の事情で振り回されてきた年代だからである。特に今年の高校3年生は鳴り物入りで始まった高大接続改革の初年度の学年に当たる。ところが、昨年末に突然の方針転換があり、改革の目玉であった二つの新制度が実施直前でとん挫した。英語民間試験は、まさに受験登録が始まろうとするその日に導入延期が決まった。大学入学共通テストへの記述式導入もそれから1カ月半ほど後に撤回となった。この方針転換には、誰がどう見ても受験生には一分の責任もない。全ては実施する側の大人の事情によるものである。事前に公表された入試方法は、大学が受験生に向けた契約書と言える。それを勝手に破棄することは、本来、受験生に対する背信行為と見られても仕方がない。

 ちまたでは、萩生田文部科学大臣の失言が制度撤回の原因のように思われているようだが、問題の核心はそこにはない。実施不可能な制度の導入を計画したこと自体が大問題なのである。この時期の方針転換は、確実に起こったはずの大混乱を未然に回避するにはギリギリのタイミングでの大英断だったと筆者は考える。ちなみに、筆者が勤務する東北大学を志願する受験生には、昨年末のアクシデントはほとんど影響しなかったはずだ。改革理念に関する是非論は別にして、新制度は技術的に実行不可能と見切って、それに備えた制度設計をしていたからである。そこに至るまでには、様々な機会に懸念を伝えてきたが、聞き入れられなかった。最後の手段として、自らの大学を志望する受験生を守るための方法を皆で考え、確実に実施可能な範囲での制度設計を行った。東北大学の独自路線にはそのような背景がある。

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 なぜ、大学入試は事前に公表された手続きで実施されるべきなのか。それは公平性の側面から考えることができる。高大接続改革に絡んで公平性の理念が問題になったが、毎年の入試実施の場面でも公平性の担保は切実な課題である。なお、実際には「公平性」の概念には幅があり、同じように考えるのは難しいが、ここでは議論しない。

 例えば、ある受験生が遅刻したとする。その場合、受験を許されるかどうかの判断は、遅刻の原因が受験生本人の責任か否かという観点から下される。公共交通機関にアクシデントがあって遅れた場合は救済の対象になる。遅延証明書で証明もできる。一方、緊張で数日間眠れず当日の朝起きられなかった、自家用車で送ってもらう途中で渋滞に巻き込まれた、試験場を間違えてしまった、といったケースは、救済の対象にはならない。当該受験生を特別扱いにすることが他の受験生に不公平だからだ。事の大小にかかわらず、予定通りの試験実施ができない状態は修復不可能な公平性の破れをもたらす。体調管理や交通機関の選択、会場の下見は受験生の自己責任の範囲とみなされる。事前に公表し、了解されていた実施条件を変更する例外措置の発動は「受験生の自己責任」を判断基準にすることで、辛うじて皆が納得できる範囲に収められるのである。

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 「受験生の自己責任」という問題をもう少し掘り下げてみよう。少なくとも日本の大学入試では、受験生が入試に向かって努力をすることは大前提である。もちろん、大学進学率が50%を突破して、いわゆるユニバーサル段階に入った現在、かつてのイメージのような「受験地獄」は存在しない。すでに30年ほど前から教育社会学者の竹内洋氏が「柄相応主義」と命名した「頑張りすぎない進学行動」が定着しており、多くの受験生は人生の全てを注ぎ込むような切迫感をもった受験準備(「受験勉強」と言ってよいかもしれないが、実際には「勉強」に止まらない)はしていないのかもしれない。それでも受験生は志望する大学や学部を定め、公表された情報を手掛かりに受験準備を行う。逆に言えば、公表された選抜方法は努力目標と道程を示す、大学からのメッセージである。だからこそ、募集人員との関係で合格水準に到達できなかった場合、それは本人の自己責任の範囲であり、不合格という判定を下し得る。逆に言えば、そうであるが故に彼らの努力を軽く見てはならないのだ。

 私立大学では、10年以上前から募集人員に占める推薦入試やAO入試の割合が5割を超えている。多くの大学では学習成績以外の諸活動が大きなウエイトで選抜資料に含まれる。その結果、高校生の受験準備行動パターンは、所属する高校の学力水準によって大きな違いを見せるようになった。中堅クラスの進学校では私大型の推薦・AOを目標に大学進学を考えている受験生が多い。その観点では、高校総体や総合文化祭が中止となったインパクトは大きい。彼らにとっては中止の決断によって、日々の努力を成果に変えて受験に結びつける機会が奪われたに等しいからだ。一方、一般入試を目指す受験生は違った努力をしている。それは旧来からイメージされる受験勉強に近い。もしも、昨年末の高大接続改革の方針転換が遅れていたならば、新制度に合わせた準備を予定していた受験生は、その努力を実行に移していたはずである。少なくともそれが無駄にならなかったことだけでも不幸中の幸いと言えよう。

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 入試を実施する大学側も彼らの努力に報いるべく周到な準備をしている。結果的に日本の大学入試は精緻な寄木細工のような構造になっている。例えば作題。入試問題の作成プロセスにおいて「3密」状態は回避できない。適切に学力の各要素を測る良質な問題をミスなく作るには、入試問題を複数の眼で磨き上げなければならない。同時に外部に内容を漏らしてはいけない。そういった二律背反の条件の下で作成される「作品」が入試問題である。新型コロナ感染症の蔓延によって他人との接触を極力回避すべき状況でも、機密保持の観点から、オンラインで入試問題に関する意見交換をすることはできない。極秘事項には該当しない準備でも、緊急事態宣言下の出勤制限によって相当の制約を受けたはずである。大学入試の成否は周到かつ綿密な事前準備にかかっていると言っても過言ではない。準備スケジュールは試験実施日から逆算して綿密に計算されている。したがって、新型コロナ感染症対策が入試の準備に及ぼした悪影響は甚大である。これから新型コロナ感染状況が改善したとしても、遅れを取り戻すことは容易ではない。実施日が動かなければ、結果的に例年は入念に行われているチェックプロセスを省略せざるを得ないだろう。来年度の入試に向けて心配の種は尽きない。

 新型コロナ感染症が蔓延した状況で入試の場面で求められる注意事項は何か。例年よりも広い試験会場が必要になるとすれば、その確保と協力体制、運営資金をどうするか。感染状況が悪化して広域移動制限がかけられた場合でも、受験会場への移動は「要」であり「急」であると認めてもらうように各方面に働きかけなければならない。それが不可能であれば、居住地近くで個別試験の受験を可能にする方策を考え出す必要がある。実施者に感染者が出た場合の対応はどうすべきか……。今年の特殊状況に鑑みて検討すべき課題は山積している。

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 実施の困難を理由に個別試験や共通試験を抜きにして合否判定が行われるとしたら、今年の受験生はどうなるだろうか。繰り返しになるが、この状況に関して、彼らには一切、自己責任となるようなミスはない。それだけに、今度こそ、大学側が約束を守らなければならない。筆者が9月入学案に傾いたのは、ひとえに5カ月ほどの猶予が生まれるからである。その時間を実施準備の遅れの回復と不確定な条件の検討、調整に使いたかったのだ。

 今年の受験生は大人の都合に翻弄された世代である。特に浪人生には制度の変更で見通しが利かなくなることも承知の上で志望を貫こうと覚悟した、高い志の持ち主が多いはずなのだ。安易に共通テストや個別試験を中止するなどして、彼らの努力をないがしろにすれば、この世代は金輪際社会もそれを構成している大人も信用できなくなるのではないだろうか。これでは将来にわたって社会を支える大きな柱を失うことになる。もちろん、実施時期も大切な約束事の一つだが、選抜方法をご破算にして彼らが積み上げてきた努力を無駄にするよりは時期を変更する方がずっとましだろう。9月入学への移行は、長い間、将来世代に大きな影響が及ぶ。それでも、他に方法がないのであれば全世代を挙げて彼らの努力に報いるべきである。今年の受験生を、社会を支える仲間として迎えるのだ。もう「失われた世代」を作ってはならない

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 そのような中、中止された全国大会に代わって部活動関連の地方大会を開催する動きが出てきたことには希望を感じる。その意義は課外活動の集大成に止まらない。全受験生の受験機会の確保に向けた高校関係者の努力と受け止めたい。現行制度の維持で動き出した今、その枠で出来ることを模索する必要がある。焦点のぼけた9月入学論議は関係者を疲弊させ、大学入試の準備をさらに遅らせてしまった。厳しい状況であるが、受験生との約束を果たすべく最大限の努力を積み重ねることが、責任ある大人としての務めではないだろうか。

(執筆者)

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倉元直樹(くらもと・なおき)
東北大学高度教養教育・学生支援機構 教授

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