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個人と世界の転換期(東京大学・国際日本文化研究センター名誉教授:末木文美士) #転機の心理学

個人の転換期――四住期の捉えなおし

 2020年3月、ちょうどコロナで緊急事態宣言が発せられる直前に京都から東京に引っ越した。京都に11年住み、そのまま終の棲家にしたいという思いは強かったが、老齢の身には気候が厳しく、結局東京に舞い戻ることになった。

 それから約3年間、コロナで禁足状態が続いた。退職した身で、授業や会議の義務はなかったので、その点では影響は小さかった。研究会や学会がすべてオンラインになったのは、物珍しさもあったし、もともと閉鎖的で、人付き合いが嫌いなので、かえって気楽でやりやすかった。以前から喘息があるので、普段でも表に出るときはマスクをしていたから、マスク生活も苦にならなかった。もっとも近所を散歩する程度の毎日が続くと、さすがに閉塞感が強まった。

 そんな生活だと気が付かなかったが、少し解放されて動き回るようになると、ずいぶん年を取ったと実感した。もともと体力には自信がなく、無理ができない身体だったが、ちょっと人と会う程度でも疲労が蓄積するようになった。睡眠時間が長くなり、おまけに昼寝までするようになったので、仕事の能率がガクンと落ちた。京都から引っ越したのが70歳の時だったが、その頃まではあまり老化ということも切実に感じられなかったし、むしろ気力も充実していた。それがだいぶ変わってしまった。老化現象は個人差が大きい。高齢化してもますます元気になる人もいるが、他方でぼつぼつ同年配で亡くなったり、病気で姿を見せない友人も増えてきた。私自身も、そろそろ引き際かな、という感じが強くなっている。

 研究者と言うと、世間的には、浮世離れして好きなことをしているという印象があるかもしれないが、実際にはそうではない。理系で業績争いが熾烈なのは分かりやすいが、文系でも結構ストレスが大きい。学生や若い研究者を引っ張っていくのは当然の使命であるから、常に彼ら以上に知識と実力を身に付けていなければならない。ライバルを蹴落として、というようなことはないにしても、業績を上げることが職場でも求められるし、どうして自分のこの仕事が認められないのかという悔しい思いは何度も経験して、それがバネになってきたところもあった。それだけのエネルギーと緊張感を持ち続ける必要があった。若い頃、超然としたイメージのあった先生が、「学者には世俗的な欲望が必要です」と言うのを聞いて驚いたことがあったが、実際研究活動を続けていくと、それが事実であることを思い知らされた。

 定年退職するまでは、大変ではあるが、職場が活動の場を用意してくれる。ところが、退職した後は自分で自分の生き方を決めていかなければならない。これは結構面倒なことだ。退職後もしばらくはそれまでのエネルギーと使命感が持続した。職場の制約がなくなった分、自由な活動ができるようになり、かえって現役時代以上に充実していた。しかし、コロナによる孤立を経て、そんな欲望も次第に薄らいできた感がある。研究状況が日進月歩ということもあるし、学界の雰囲気も変わってきた。あえて老学者が割って入っても、若い人たちの邪魔をするだけになってしまう。ぼつぼつこれまでの仕事をまとめるとともに、後は評価をあまり気にせずに、気の向いたことをすればよいと思うようになってきた。人生上の終活とともに、仕事上の終活も必要のようだ。

 個人のことばかり書いてきたが、少子高齢化が進む今日の社会で、老後の生き方は重要な意味を持つ。最近注目されているインドの四住期説は、私たちに大きなヒントを与えてくれる。学生期・家住期を経て、林住期・遊行期へという区分は、なるほど分かりやすい。何歳頃が転機になるかは人によって違うであろうし、それぞれの時期の具体的な内容はいろいろ考えられるであろう。しかし、それほど厳密でなくても、だいたい人生が4段階くらいに分かれるというのは、誰もある程度納得がいくだろう。

 生産年齢の家住期を過ぎて、林住期を定年退職後のある期間とすれば、その間はそれなりに社会と関わっていくことができる。その先、遊行をするというわけではなくとも、次第に社会から離れていく時期が考えられる。それをひとまず遊行期と考えてよいであろう。その最後の時期をどう過ごすかが大きな問題となってくる。その転換は病気などによって引き起こされる場合もあれば、ある程度漸進的に変化していくという場合もある。日常的な生活が困難になれば、介護を受けるとか、施設で暮らすということも必要になる。こうしたことも含めて、遊行期の過ごし方と同時に、どのように社会と関わるかが問われることになる。

 林住期は、いわば現世から来世へ向けての準備の時期でもあり、死者の世界との媒介的な位置に立つ。若い頃には死など抽象的にしか考えられなくても、やがてそれが次第に現実化してくる。林住期は、それまでに蓄積された叡智を次に伝えるとともに、死や死者との関わりを現世にもたらす時期としての役割は大きい。同時に、死は新しい生命を生み出すためにも必要だ。次の世代の成長とともに、生命は新たな力を得て循環してゆく。

世界と日本の転換期――持続可能ということ

 個人の転換期の問題を論じてきたが、転換期はもちろん個人のレベルだけでない。社会全体が今日大きな転換期を迎えている。その点でも、コロナはこれまで考えられないような生活の激変を社会全体にもたらした。戦時下のような圧迫感の中で、互いに顔を合わせるというごく普通の日常生活が成り立たなくなった。街を歩く人は誰もがマスクで顔を隠して、そそくさと目も合わさず、繁華街も人数少なく沈黙が支配した。オンラインで、パソコンの画面上だけで顔を合わせ、終わるとすっと消えてしまう現実感のなさは、まさにSF小説に出て来る近未来の生活そのものだった。

 医療施設は混乱を極め、不幸にも罹患して亡くなった方々は、遺族の対面さえもかなわないままに火葬に付された。俳優の志村けんや岡江久美子の死は社会全体に大きな衝撃を与えた。その中で、1年遅れた東京オリンピックが、カプセル化した無観客の競技場で、まるでそこだけが別世界のような奇妙な熱狂を帯びて開催された。やがてコロナが5類に移行し、社会が次第に元に戻りつつあっても、コロナ以前には完全には戻りきらない不安や不気味さが残った。

 世界を席巻したコロナ・パンデミックを契機に、世界全体の歪みや不都合が顕在化することになった。ウクライナに続いて、ガザの侵攻が国際社会の反発を一顧もせずに進められた。圧倒的な武力があれば、正義など何の意味も持たないことが堂々と示された。パンドラの箱があけられてしまった。東アジアもじりじりと一発触発の情勢となっている。その中で、日本はあらゆる面で停滞し、先進国とは到底言えないレベルに落ち込んでいる。

 地球の怒りも爆発寸前になっている。2023年夏の酷暑は、本当に生命に関わるほどのものとなった。温暖化を超えて地球沸騰化に至っているという国連事務総長の叫びは、警告を超えて、人類に制御できない事態への悲鳴とも聞こえるほどであった。相次ぐ大地震はさらに巨大な地震を予想させる不気味さを伴っている。その中で、絶望せずに、希望を生み出す道があるのだろうか。

 中世の話で恐縮だが、源平の戦乱の時代に、王権は百代まで続いて滅びるという百王説が広まった。当時、天皇はすでに86代に至っていた。天台座主としても活躍した慈円は、その対処法を譬喩によって説いている。紙を綴じてノートにして、それを100冊常備しておくとする。86冊使ってもまだ14冊残っている。その間にさらに新しく紙を綴じればよい、というのである。もし残りが1、2冊になったとしても、まだ新しく作る時間は残されている。慈円は時代の大きな転換期に、武家を味方に付けることで、危機を乗り切ろうとした。新しいノートの作成は、単に古いことの墨守ではなく、新しい工夫によってなされなければならない。

 慈円の関心は天皇の持続ということであったが、この譬喩はもっと広く活用される。危機的な状況が進んでも、それでも新しいノートを作って足してゆく可能性は残されている。それには、そのことに気づき、対処していく知恵が必要だ。単に古いことを繰り返しているだけでは何も出てこない。思い切った発想の転換が必要になる。それによって真の持続可能性が生まれる。

 個人の人生は4つの時期を経て、やがて死を受け入れ、その間に新しい生命が生まれることで、おのずから生命の循環が持続していく。それに対して、人類と地球は、いずれは宇宙の活動のごく些細な出来事として消滅するにしても、差し当たっては可能な限り持続させるための努力が必要だ。そこには大きく発想を転換させる慈円的な知恵が必要とされる。

 今ならばまだ間に合う。人間同士で争っている場合ではないし、経済成長一辺倒ではもう済まない。モノではないココロの豊かさへとシフトしなければならない。そして、地球を人間が搾取する資源としてでなく、生命の源泉として共存していくのでなければならない。人類の叡智を集めてそのシフトを成し遂げる可能性を、私は希望として持ち続けたい。

執筆者

末木文美士(すえき・ふみひこ)
東京大学・国際日本文化研究センター名誉教授。専門は仏教学・日本思想史。著書『近世思想と仏教』(法藏館、2023)、編著『日本の近代思想を再考する2 日本』(東京大学出版会、2024)など。


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