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発達障害の当事者としての転機〜あるいは休職のすヽめ〜(京都府立大学文学部准教授:横道誠) #転機の心理学

 2019年3月、不眠障害がきわまり、鬱状態が深まっていた私は、大学を休職することに決めた。以前から「もしや」と疑っていた発達障害の検査を受け、休職を始めた4月に発達障害の確定診断を受けた。

 勤め先の同僚たちにも、休職をした経験のある教員は何人かいたものの、じぶん自身がそのようなことになると想像したことは、過去に一度もなかった。休職期間が始まってみると、時間があまりにゆっくりと進むのに驚いた。それまでの私は毎日欠かさず大学に通っていた。コロナ禍が始まるよりも前のことだ。土日ですら私は大学の研究室に通い、授業の準備をしたり、論文を書き進めたり、大学運営のための雑用をしたりしていた。その習慣がブツっと途絶えてしまった。

 5月になると、病院での診察時間が毎回3分程度になり、私は絶望した。これを一生続けるということなのか。もちろん、処方してもらった薬には助けられていて、とくに不眠障害は一気に解消されていた。しかし主治医は発達障害の薬は対症療法的なもので、完治したりすることはありえないと話してくれた。少なくとも現在の医学の力では、そういうことは不可能なのだ。私は助けになるような施設をなんでも良いから紹介してほしいと主治医に頼み、京都市の真ん中らへんに立地している発達障害者支援センターに通うことになった。

 その頃からだろうか。私はじぶんの毎日を果てしなく続く迷路であるかのように感じるようになっていた。発達障害者支援センターでは、発達障害に関する基本的な知識を授けてもらい、さまざまな追加の検査もしてもらった。そのセンターでやることがなくなったあとは、担当してくれた支援者に勧められて、京都駅のすぐ近くにある障害者職業センターに通所することになった。同じ支援者にやはり勧められて、アルコール依存症の治療にも通院することになった。

 障害者職業センターでは、10回ほどの講習会のあと、毎日センターに足を運んで認知行動療法にもとづいた復職リハビリテーションに従事することになった。依存症専門のクリニックでは、じぶんのアルコール依存の危険度を理解するとともに、自助グループというものを初めて体験することができた。2020年3月になって障害者職業センターが最初の緊急事態宣言のために閉所することになって、通所していた仲間──多くは鬱病を診断された発達障害ではない人々──と会えなくなった私は、いまこそ発達障害の仲間とつながりたいと願った。復職リハビリテーションが楽しく、「メンヘラ仲間」との交流は人生で初めての新鮮感を放っていた。私はSNSで発達界隈(発達障害関係のクラスター・コミュニティ)を探し、発達障害の仲間と交流するようになった。他方で発達障害者のための自助グループを探し、現地やオンラインで参加しはじめた。翌月の4月には、そういう自助グループをじぶんで主催することをすでに真剣に考えていた。

 休職したことで大量に生まれた時間を活用して、私は20年近くも達成できず、ひたすらもがきつづけてきた博士論文の完成という課題を、なんとか果たすことができていた。つまり、つぎの10年か20年かのじぶんの人生を費やすための研究計画を考える段階に足を踏みいれていたわけだ。しかし、それまで私が20年以上も熱心に読んできた文学、哲学、思想、芸術、文化、歴史、宗教などの本が、いずれも心の琴線に響かない。専門書であれ一般書であれ、なぜか読めなくて困惑した。私はなぜだろうかと思案した。そして私がいま読むべきは、じぶんにとって眼前に聳える山のようなものとなっている「発達障害」に関する本なのだと気づくことができた。医学書院の「シリーズ ケアをひらく」を読むうちに、「当事者研究」という概念に出会った。私もこういうふうな文書を世に送りだしたいものだという野心がふくらんだ。そしてそれを論文として形にすることを構想した。その論文を掲載するためのオンライン雑誌も立ちあげることにした。発表した論文を「ケアをひらく」の編集者・白石正明さんに送ったのは、休職から1年半ぶりに復帰した直後の時期、2020年の秋だった。

 あの休職していた1年半のあいだ、私はずっと迷路のなかをさまよっているような気がしていた。あまりに大きな不安に全身をくるまれていた。途中からコロナ禍も始まって、人生の視界はますます見通しがたくなっていた。しかし、私はいまでは思っている。その1年半とは、明らかにメタモルフォーゼの時期だったのだと。幼虫がサナギの殻の内側で全身を溶かして、まったく異なる蝶へと姿を変え、羽化していく。サナギの殻を捨てて、大空へと羽ばたいてゆく。私はそのように変貌したのだと思っている。

 白石さんは、私の送った論文を本にしよう、書名は『みんな水の中』だと言ってくれた。私は斬新な本になるようにと、懸命に改稿を続けた。やっと最終稿がほとんど完成、というときになって、刊行されたばかりの衝撃的な本に出会った。その本を読めば読むほど、私は多くの点でのじぶんの見解との一致と、同様に多くの点での未知の思考に息を呑んだ。その本とは、金子書房から発売された村中直人さんの『ニューロダイバーシティの教科書──多様性尊重社会へのキーワード』(2020年12月刊)だ。私は『みんな水の中』を全面的に書きなおしたい衝動に駆られつつも、最終的には最小限の加筆によって、村中さんへの賛辞を表明するにとどめた。いずれこの人とは深い関係になる、という予感が湧きあがった。それは、けっして間違った予感ではなかった。それから現在までの3年ほどでも、村中さんとは度重なる交流および協働が生まれている。

 休職を含めて、人生のそれまでの進みゆきが不具合を起こし、立ちどまらざるを得ない時期がある。もちろん、そのような時期に直面すると、人は暗澹たる気分になり、かつての私のように「この迷路はどこに続いていくのだろうか」と不安になってしまうはずだ。だが私の場合にそうだったように、その迷路を進んでいく過程で、私たちの心身の内側ではメタモルフォーゼがひそかに進行している可能性もある。だから、私はこれを読む人に「休職のすゝめ」を提言したい。そのような挫折の時期は、けっして悪いことばかりではない。挫折したように見えて、私たちの人生は新しい路線へと転轍しうる位置へと辿りついているのだ。いま不安に思いながら迷路を進んでいる人たちのために、私は心からのエールを送る。

執筆者

横道誠(よこみち・まこと)
京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。 博士(文学)(京都大学)。専門は文学・当事者研究。著書(単著)に『みんな水の中―「発達障害」 自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!―当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる―発達障害者の世界周遊記』(文藝春秋)など、共著書に『当事者対決! 心と体でケンカする』(世界思想社)、『海球小説──次世代の発達障害論』(ミネルヴァ書房)、『ケアする対話─この世界を自由にするポリフォニック・ダイアローグ』(金剛出版)など多数。

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