不安は怒りの導火線?(湯川進太郎:白鷗大学教育学部教授)#不安との向き合い方
「こんなこと位で…」と思うようなことで、誰かにものすごく怒られたことはありませんか。人の怒りは、きっかけとなった出来事より、そもそもその人が抱えていた不安や報われない思いが、ある種の燃料となっていることがあります。不安と怒りの関係について、怒りやマインドフルネスの研究をされている湯川先生にお書きいただきました。
不安な日々
現在、誰もがコロナ禍の下、日々の活動に色々な制限が掛かった毎日を過ごしているかと思います。見えないウィルスとどうつきあっていくかを模索しながらの生活は、正解が見えない不安の中で非常にストレスフルです。そうかと思えば、地球温暖化の影響なのか夏場の気温は40度に迫り、予想を上回る台風や豪雨といった自然災害に多くの人が苦しんでいます。こうした地球環境の変化は、目先のウィルスへの対処以上に、もっと中長期的な漠然とした不安を我々に抱かせます。
なにも天災だけではありません。昨今は諸外国で様々な理由から大規模かつ長期的な政治デモが行われ、警察や軍などの政府組織との衝突が連日報道されています。内戦や紛争の絶えない地域も未だにあります。それに比べて日本の政情は安定しているといえますが、決して対岸の火事ではなく、東アジアを取り巻く国際的な緊張状態(日中・日韓・日朝・日露関係など)が完全に無くなることはありません。
国際化し複雑化し高度情報化した現代社会は、この他にも無数の未確定要素に満ちています。その未確定要素から生じる漠然とした不安を抱えた日々が続く中、なんとなくイライラした気分を感じている方も少なくないと思います。
不安はシミュレーション
「不安」とは未確定な将来に対して漠然とした脅威を抱くときの感情だとしましょう。身近なところでは、将来において、自分や周りの大切な人(家族や友人など)が怪我や病気をしたり損をしたり最悪の場合には死に至ったりといった何らかの害を被るかもしれない、と予想するということです。我々人間は想像力という非常に豊かなシミュレーション能力を持つ動物です。過去の記憶・記録と現在の状況から未来を想像し、リスクに備えようとします。リスクマネジメントに長けていればそれだけ生存の可能性も高まります。最善のリスクマネジメントは、いかに最悪のシナリオに備えるかだとすれば、必然的にシミュレーションはネガティブなものになるでしょう。ですから、人間は、デフォルトとしてネガティブに考えてしまうようにできているといえます。このように不安というシミュレーションは生きる上で必要不可欠ですから、それなりに感じるものですし、むしろ感じない人の方が大きなミスや失敗を招き、命取りになります。ただ一方で、感じすぎても心身の健康に良くありません。何事も中庸が肝心という話は、不安においても同じことです。
怒りを感じるとき
では、「怒り」という感情はどうでしょうか。我々は、自分や周囲の人間、あるいは自分の属する社会・環境が損害を被る(可能性のある)状況において、怒りの感情を喚起します。もう少し日常に即した別のいい方をすると、自分(や自分に関わる人や物事)が脅かされている、あるいは尊重されていないと感じるときに抱く感情が怒りです。低く見られた、適当にあしらわれた、馬鹿にされた、順番を無視して割り込まれた、進路を妨害された、抜け駆けされた、横柄な態度を取られたなど、普段の生活で怒りを感じる場面は枚挙に暇がありません。目の前に害を及ぼす原因があれば、それを除去・解消しようとするか、そこから逃避するかして、脅かされている(尊重されていない)状況を変えたり脱したりしようとします。こうしたときに感じる感情が怒りです。
不安に隠れた怒り
不安は漠然とした「脅威」を抱いているときの感情でした。つまり、不安とは将来において自分(や自分に関わる人や物事)が脅かされるかもしれない、というときに抱く感情です。まだ実際に脅かされているわけではありません。ただ、いつか脅かされる「かもしれない」と漠然と感じているということです。脅威はいつ訪れるかわかりません。つまり、いざ脅威が眼前に現れたときにはいつでも即座に反応できるようにしておかなければなりません。となれば、常に怒りモードになれる「準備」をしておく必要があるということになります。こうなってくると、漠然とした不安を抱き続けるということは、怒りを喚起しやすい(いつでも喚起できる準備状態でいる)、という素地を作ることになります。こういう状態でいれば、必然的に、些細なことで怒りモードになることは十分考えられます。漠然とした不安そのものが何らかの形で現実化して初めて怒りの感情が喚起されるというよりも、不安という漠然とした感情状態にあることで、そもそもその不安をもたらしていた対象ではない様々な事象に対して、怒りという形で反応しやすくなるということです。
したがって、日々の不安が怒りの導火線になる可能性は、十分あり得ます。不安な日々を送っていると、なんとなくイライラするのはこのせいかもしれません。それは、脅威が自分に降りかかってくるかもしれないとシミュレーションしている脳が、無意識のうちに身構えさせ、いつでも怒りモードに突入できる準備をしているからではないでしょうか。
マインドフルネスでうまくつきあう
怒りとのつきあい方として、私が取り組んでいるのがマインドフルネスです。マインドフルネスは、怒りばかりでなく、抑うつや不安などネガティブな感情や思考全般とうまくつきあっていくための優れた方法です。我々の心の中は常に変化し続け、後悔したり心配したり不安に思ったりイライラしたりします。そういう感情が目まぐるしく生じることは自然なことですから、そのこと自体にあまり思い悩む必要はありません。そうではなく、そうして次々に沸き起こる様々な感情に巻き込まれてしまわないことが肝要です。巻き込まれると深みにどんどんとはまり、抜け出せなくなり、いつまでもネガティブな状態が続きます。マインドフルネスとは、感情や思考の大半は心の中のバーチャルな分泌物だと考えて(実際にそうなのですが)、これらをただ観察しようという態度です。この態度を、呼吸や身体を使った瞑想で養うのがマインドフルネス瞑想です。
不安は将来の(つまり実際には起こっていない)脅威に対する漠然としたネガティブ感情です。そして、まだ可能性でしかない脅威に対する準備として、いつでも怒りを発動できるように身構えているから、何となく気分もイライラしてきます。不安であることを否定する必要はありません。不安な気持ちは不安な気持ちとして認め、これを観察する、つまり、受容することです。そして、その下(裏側?)に怒りが密かに待ち構えていることに気がつけば、不必要な葛藤や争いを避けることができます。
持続可能な社会に向けて
なぜイライラするのか、その理由がわからないことは、普段の生活の中ではよくあります。理由としては、体調が悪かったり、仕事がうまくいかなかったり、人間関係がスムーズにいかなかったりなど様々ですが、最初に書いたような昨今の生活環境や政治状況などによる漠然とした不安も、一つのきっかけになっていることでしょう。そうした中で、自分の感情や思考を客観的に冷静に眺める習慣を身につけ、日々の生活が少しでも良い方向に展開していくことを願って、私自身も瞑想を続けていますし、瞑想を広めようと微力ながら努めています。そうしたことの継続と蓄積が、わずかでも持続可能な社会を築いていく礎になればと思っています。
執筆者プロフィール
湯川進太郎(ゆかわ・しんたろう)
白鷗大学教育学部教授。筑波大学人間系准教授を経て、現職。日本感情心理学会理事長。専門は感情心理学、身体心理学、東洋思想文化論。怒りの制御、マインドフルネス、武術などを中心とした研究と実践を行っている。
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