パラレルワールド・比べるワールド・いたわるワールド(新谷宏伸:精神科医・USPT研究会理事長)#もやもやする気持ちへの処方箋
大きなトラブルではなくても、日々のいろんな出来事に対して、もやっとしたわだかまりを感じることがないでしょうか。
別に気にするほどのことではないと自分に言い聞かせてみても、気がつくと一日中そのことが頭にひっかかっていることはないでしょうか。
毎日の暮らしの中で、自然とたまっていくもやもやとした思いに、私たちはどのように対処することができるでしょうか。
精神科医の新谷宏伸先生にアドバイスをいただきました。
おことわり
◆ これは「もやもやする気持ち」について述べたコラムです。本コラム中に、指定難病(脳疾患)の「もやもや病」に関する情報は、一切ありません。
◆「もやもや」は擬態語なので平仮名表記が一般的ですが、もやもや病と区別して視認しやすくするため、本コラムでは「モヤモヤ」と表記します。
◆ あくまで、「トラウマ性ストレスや精神疾患の症状には該当しない、日常生活で比較的多く遭遇するようなレベルの困りごと」としてのモヤモヤを想定して書いております。
この世はモヤモヤで満ちている
・あの映画のタイトルが喉まで出かかっているのに、思い出せずモヤモヤ。
・気づいた人がゴミ出しをしようって職場で決めたのに、結局自分ばかりがゴミ出しをしていて、モヤモヤ。
・会議中に放屁をした犯人に仕立てあげられて、モヤモヤ。
・自分以外の友人がみな三国志の話題で盛り上がっているのに、自分だけ三国志に疎くて全く話題に入れずに、モヤモヤ。
…とかくこの世は、人の気持ちをモヤモヤさせるもので満ちています。前置きは不要。さっそく本題に入りましょう。
アプリ自動アップデート後のモヤモヤ
まずは1人目。Aさんのスマホは、アプリが自動アップデートされ、インターフェイスが改悪されてしまいました。使い勝手が悪くなって数日経ちますが、アプリ作成者への不満や、自動アップデート機能をoffにしていなかった後悔などがうずまき、Aさんは未だにモヤモヤした気持ちです。
…でも、ちょっと待ってください。いかにアップデート後に不便になったとしても、スマホがこの世界に存在しなかった15年前に比べたら、今のほうがはるかに便利な環境のはずです。なのに、15年前よりも今のほうがモヤモヤしてしまう。それは何故でしょうか。
こういうときに、えてして思考停止し「だってそんなの当たり前でしょ」と片づけたり、「いったん便利になったのに、それよりも不便になったからでしょ」と矮小化した理由をつけて納得したりしがちです。
ですが、都会で暮らすのに比してはるかに不便な、アウトドア・キャンプなるレジャーのために、人々はわざわざ夏の山を訪れます。最初は乗り気でなかったのに、いつの間にか夢中になって、火起こしや釣りを楽むようになる人も少なくありません。
いったいアプリとキャンプは、どこが違うというのでしょうか? アプリは不健康で、キャンプは健康的だ。アプリは手段で、キャンプは目的だ。…様々な答えが浮かびますが、結局は後づけの理屈に過ぎません。実のところ、下記の価値判断基準の君臨こそが、ほとんど唯一の理由です。
・アプリの不便さ=「悪いこと」「ネガティブ」「不満足なこと」
・キャンプの不便さ=「いいこと」「ポジティブ」「満足できること」
大多数の人は、測定結果がこう導かれるものさしを、無意識に用いています。シンプルに、それだけのことです。ものさしが先入観や偏見の賜物だとしても、長年持ち続けたものさしの妥当さを疑ってみるのは相当難しく、Aさんは、自分がこのものさしを使って比較している事実にすら気づいていないでしょう。
でも実際には、アプリが不便になったことでスマホから遠ざかれば、Aさんは視力低下せずに済むかもしれません。友だちと遊ぶ機会が増えるかもしれません。Aさんはアプリの不便さをカバーする超便利なアドオンを開発し、一獲千金でウハウハになるかもしれません。「いい」か「悪い」かは、少なくとも短絡的に断定できるものではないはずですよね。
なのに、「いいこと」と認定されたことは、自分と同化する(自分の一部になる)ので気にならず、「悪いこと」と認定されたことは、自分にとって異物になるので、気になってしまうようになります。
現実世界の自分と、並行世界の自分
他の例も…。日頃「食べ物は何でも残さずに食べなさい」と教育している親であっても、子どもが容器に残っているヨーグルトを何度も何度もスプーンでかすめとっていると「卑しいわね!もうやめなさい」と叱ったりしますよね。これは、野菜を残さずに食べることは「いいこと」で、ヨーグルトを残さずに食べることは「悪いこと」だという、奇妙なものさしを正しいと錯覚しているからに他なりません。
というわけで人は、固定観念というものさしを使って様々なものを比較し、これは「いいもの」、これは「悪いもの」とラベルを貼りがちです。
では、比較といいますが、Aさんの場合は何と何を比較しているのでしょう? そりゃあ「アップデート前のアプリ」と「アップデート後のアプリ」の比較でしょうって? もちろんそれでも間違いではありませんが、主体としてのAさんを基準にすると、次のように表現できます。
「アプリをアップデートして不便になった現実世界のAさん」が、現実世界のAさん自身と「アプリをアップデートせずに、快適なままスマホを利用できていた並行世界(パラレルワールド)のAさん」を比較し、並行世界の自分に嫉妬している状態である。その持続が、モヤモヤの原因になっている。
…冗長ですみません。端的にいうと、「もしもの世界の自分に嫉妬している状態」です。
人間関係のモヤモヤ
続いては、ある会社の休憩室。Bさんは、同僚のワルコさんから不意に「ねえねえ。山田さんがあなたのことを強欲だって言っていたわよ」と告げられました。それ以来、Bさんはモヤモヤした気持ちを抱え続けています。
こちらも、「それはモヤモヤしても当たり前だよね」のひとことで片づけたくなる案件かもしれません。Bさんはワルコさんにモヤモヤしたのでしょうか? 山田さんにモヤモヤしたのでしょうか? それとも、自分の不甲斐なさにモヤモヤしたのでしょうか?
仮に、ワルコさんが不意打ちしてきたその場で、Bさんがひるまずに「私は山田さんを信用しています! ワルコさんも、妙な話を吹聴して、ご自身のブランドに傷をつけるようなことはおよしになって! おほほほ」などと言い返せていたらどうだったでしょう。「何人たりとも、私の信念は汚せないわ!」という誇り高き姿勢を示し、ワルコさんにぐうの音も出させないよう振る舞えていたら、Bさんはスッキリして家路につけたはずです。
なので、この場合は、「ワルコさんの言動にきちんと対処ができなかった現実のBさん」が、「その場でワルコさんに理想的に応対できた並行世界のBさん」に嫉妬している状態です。そう説明できます。
モヤモヤが生じる理由は…
モヤモヤの正体を見極めようという長い旅路に、ようやく終着点が見えてきました。
(おっ、早くも結論めいてきましたね)
AさんとBさんの共通点。そのキーワードは「ものさし」、「比較」、そして「並行世界」。つまり(一部これまでの繰り返しになりますが)モヤモヤは、固定観念というものさしを使って、実際の自分を並行世界の自分と比較することによって生じる、「もしもこうだったらなぁ」という並行世界の自分への嫉妬です。比較は嫉妬を招きます。嫉妬とは、欲求不満・自己否定・怒りの3点セットですから、そりゃまあモヤモヤ・ドロドロ・カリカリなどなどのオノマトペ構成因子にもなっちゃいますよね。
モヤモヤが生じる真の理由は、アプリの自動アップデートや、ワルコさんではありません。並行世界の自分への嫉妬こそが、モヤモヤの根本に存在しているものです。それゆえ、モヤモヤの原因は、自分の外側ではなく、自分の内側に存在しているといえましょう。
未来への自由を前にたじろぐめまい
かの哲学者キルケゴールは、「不安は『未来への自由を前にたじろぐめまい』であり、人間が根源的に自由であることの証左である」と述べました。金言の持つ普遍性を信頼し、ここでやや強引に「不安」を「モヤモヤ」に書き換えてみましょう。すると、モヤモヤは、「いいもの」か「悪いもの」かを決定する自由を人間が持っているからこそ生じるという事実が浮かび上がってきます。
これはどういうことかというと…。例えば「令和3年の日本で、徳川家康を自分の家臣にしよう」とか、「月の裏側で居酒屋を開こう」とか、およそ実現不可能なことで悩み続けてモヤモヤする人は、ほとんど存在しません。では、キアヌ・リーブス主演の映画を見たあとに、「キアヌのような外見に生まれたかった」という想念が湧いてきて、モヤモヤすることは? まあ、ときにはあるかもしれませんが、それほど長引いたりはしないはずです。それはなぜでしょう?
「そんなの当たり前だ。絵空事で悩むなんてあり得ない」と思うかもしれませんが、ここでも当たり前を決めているのは、自分自身です。どんなことではモヤモヤし、どんなことは「まぁいいか」と割り切るかは、その一瞬一瞬、100パーセント自分自身が決めているのです。
自分の決断の決め手はどこにあるのでしょう? 一般的にみて、モヤモヤする可能性が高い順に「アプリ/ワルコさん>>キアヌの外見>>家康が家臣/月で居酒屋」となるのは、「家康が家臣/月で居酒屋」といった時間的・空間的に不可能な事象に対しては、キルケゴールの述べた「未来への自由」(選べる可能性)が存在しないため、悩み(モヤモヤ)の対象になり得ないからです。
「モヤモヤは『未来への自由を前にたじろぐめまい』である」
で、どうすればいいの?
では、モヤモヤしたときにはどうすればよいのでしょうか。もちろん、確実な処方箋などありません(少なくとも私は持ち合わせておりません、ごめんなさい)。なので、ここからはあくまで、1つの例として聞いてくださいね。
(早期連載打ち切りが決まった少年漫画の作者並みに急いでいるので、反対命題への保険的言説はほどほどにして、断定的に申し上げますよ~)
バアーン!! 結論はシンプルに、「比較せずに折り合いをつける」、これに尽きます。そうすれば、嫉妬(欲求不満・自己否定・怒り)を招かずにすむからです。でも、これこそ「簡単にできれば苦労しないよ」の世界ですよね。最近流行りのマインドフルネスやコーピングやセルフ・コンパッションなどがありますが、これらも広い意味では、今ここにとどまることによって、比べてしまう自分から距離をとるという実践にすぎません。
現実世界は複雑です。ワルコさんがいろいろ面倒くさい人だったり、ワルコ部長だったりして、立場上言い返すことが困難な状況も、十分にありえます。その場合、Bさんは無理に言い返す必要もありません。それは、自分に嘘をつく行為ではなく、処世術ですから。
対して、心に引っかかっている(=「きちんと言い返せた並行世界の自分」に嫉妬している)にもかかわらず、「ワルコに言われたことなんて、私は全然気にしていないわ」と無理に言い聞かせてしまうのは、自分に嘘をつく行為です。自分に嘘をつくと、並行世界の自分への嫉妬はさらに強くなりますし、「並行世界の自分」と「現実の自分」の折り合いもつきづらくなってしまいます。
そしてコロナ禍は、比較の最たるものです。令和3年現在、誰もが「新型コロナウイルス感染症の存在しない並行世界の私」に嫉妬して、モヤモヤしているといえましょう。人類のほとんどが、「COVID-19の存在しない並行世界」に対する喪の作業のプロセスとして、キューブラーロスの述べた否認・怒り・取引・抑うつのいずれかの段階にとどまっている状況ですから…。
モヤモヤした気持ちへの処方箋
COVID-19とキューブラーロスのトピックを膨らませてしまうと、明らかに字数オーバーとなってしまいますので、申し訳ありませんが本題に戻ります。駆け足でモヤモヤの対処法を挙げていきましょう。
1. 「並行世界の自分」と「現実の自分」を比較しない。
2. そのために、固定観念という「ものさし」を使わないようにする。
3. ただ、「ものさし」を完全に放棄するのは難しいので、多種多様な「ものさし」をできるだけたくさん持つようにする。
4. すぐには比較を止められなくても、まずは比較してしまっている自分に気づく。
5. それでもモヤモヤがつきまとう場合には、モヤモヤとともにいることを今ここできちんと味わう。
6. 並行世界の自分をいたわる。少なくとも、並行世界の自分を敵視はしない。「私自身があっち(並行世界)じゃなくてこっち(現実世界)をあえて選んだのにも何か理由があるはず。それが何かは分からないけど…。まあ、今は分からなくてもいっか。ネガティブ・ケイパビリティ、まじリスペクト!」くらいに思う。
7. 現実世界の自分をいたわる。なし得なかったもう1つの人生は並行世界の自分に任せて、自分の人生を専一に生きる。
8. 上記1~7ができれば素晴らしいし、できなかったとしても、少しでもできたところを探して自分をいたわる。
好むと好まざるとにかかわらず、複数の可能性を、1つの現実性に変えていくのが人生です。だから並行世界って、案外近いところに存在しているのでしょうね、きっと。ある意味においては解離治療と真逆の、ノー・バウンダリー(無境界)の実践こそが、処方箋だったりするのかもしれません。
…さてさて。尻切れトンボな文章にモヤモヤしているあなた。あなたをモヤモヤさせたのは、このnoteではありません。中には、こんな駄文でも金子書房のnoteに掲載してもらえることが分かり、スッキリしている人だっているはず。そう。モヤモヤも、スッキリも、100パーセント自分自身が決められるのです。
このnoteを読んで、悟りを開いた並行世界のあなた。このnoteを読んで、徒労に終わったあなた。両者を比較すれば、モヤモヤ君は、もうすぐ近くまでやってきているやも。やもやも。
執筆者プロフィール
新谷宏伸(にいや ・ひろのぶ)
精神科医、USPT研究会理事長。2000年に群馬大学医学部医学科卒業。2012年に本庄児玉病院に就職し、2016年より解離症の専門外来を開設。近著に『USPT入門 解離性障害の新しい治療法――タッピングによる潜在意識下人格の統合』(共編著,星和書店刊)がある。