見出し画像

過去を抱え、未来を生きる(文教大学人間科学部教授:須藤明) #心機一転こころの整理

 忘れたくても、なかったことにしたくても、清算できないような過去を持つことになってしまった人は、そのことにどう向き合い、こころの整理をつけて生きていけばよいのでしょうか。犯罪心理学がご専門の須藤明先生にお書きいただきました。

 私の専門は、刑事裁判に付された被告人の心理鑑定です。刑事裁判において責任能力の有無が争われる場合、精神科医による精神鑑定が行われることは、よく知られています。一方、心理鑑定はどうでしょうか。専門的には情状鑑定と呼ばれていますが、被告人に責任能力があることを前提としつつ、犯罪に至る過程や動機形成について、心理学を柱とした人間行動科学の知見を活用し、行為の合理性や不合理性の両面から光を当て、分析していく活動です。そうした鑑定が求められるのは、「動機が分かりにくい」、「知能やパーソナリティの問題がうかがわれる」、「過去に受けた虐待と犯罪の関連が知りたい」、「犯行の悪質さと被告人像が結びつかない」など、様々な理由があります。鑑定では、各種心理検査も行いますが、中心となるのは面接です。被告人がこれまで送ってきた生活やそれに伴う思いに耳を傾けていく作業が中心となり、そこで語られる人生は、苦難に満ちたものであることが少なくありません。犯罪に隠れて見えない別の側面があるわけです。だからといって、犯罪という行為が許されるわけではありませんが、いろいろと考えさせられます。

 ここで、殺人事件を起こしたある若者Aの例を紹介しましょう。なお、事例の本質を失わないよう、複数の事例を組み合わせるなど加工した架空事例となります。

過酷だった成育環境

 拘置所で初めて会ったAは、へらへらした感じで私の前に現れました。その雰囲気に違和感を覚えつつAとの面接が始まりました。Aから語られるこれまでの人生はすさまじく、圧倒される思いでした。Aは幼少時に両親が離婚し、きょうだいの中でAだけ父親に引き取られたのですが、父親はAを養護施設に預けたまま行方をくらましてしまいます。養護施設での生活は上級生からひどいいじめが繰り返され、先生に訴えても陰湿な形でエスカレートしていきました。そのため、どんなにつらいことがあっても、つらさを感じようとせず、何事もなかったかのように振る舞う態度が身につきました。これは解離という自分の気持ちを守る方策で、心理学でいう防衛機制のひとつです。

 中学生になると、突然父親が引き取りに現れます。Aはそれまで他の児童が親に引き取られている姿を見て、うらやましく思っていたため、天にも昇る気持ちになりました。ところが、Aを乗せた自動車は、祖父母の家の前で突然止まり、父親は「今日からここで生活しろ。」と言って去ってしまいます。天国から地獄に突き落とされたAは、ここから急速に崩れていきました。窃盗、暴行、薬物使用とあらゆる犯罪に手を染めていきます。その結果、少年院も行くことになりました。また、20歳を前にして、生き別れとなった母親に会うことができましたが、その母親は間もなくして病死してしまいます。こうした試練と呼ぶにはあまりにも過酷な出来事が彼を襲い続けました。そのため、Aは、人生に絶望し、自暴自棄の生活を送るようになります。そんな中、あることをきっかけに殺人事件を起こしてしまったのです。

Aの語り

 Aは、笑顔を浮かべながら、「いやあ、僕はなんてついていない人生を送っているんですかね。どんなに頑張っても、世間は厳しいというか、つらいことばかりでした。だから、変に思うかもしれませんけど、拘置所にいる今が一番ホッとするんですよ。」と述べます。人懐っこい笑顔の裏にある、根深い対人不信や悲しみがひしひしと伝わってきました。

 私は、裁判に専門家証人として出廷し、悲惨な成育歴がAのパーソナリティや考え方に与えた影響、事件との関連性について説明しました。

 判決は、検察官の求刑をかなり下回る懲役刑となり、数日後、Aから手紙が届きました。そこには、自分の様々な思いが鑑定人である私を通じて裁判所に伝えられたこと、弁護士や私との出会いによって前向きに生きる気持ちになれたこと等への感謝が綴られていました。

 これをきっかけに服役しているAと手紙のやりとりや面会が続くのですが、数年経った現在、かつて人生に絶望したAの姿はありません。いくつかの資格を取り、一生懸命に人生の立て直しを図ろうとしています。一方、自分を捨てた父親へ怒りは解消されていないなど、課題も残っています。しかしながら、「恨みや怒りはあるけれど、そこにこだわっていたら前に進めないと思うようになりました。」というAの言葉から分かるように、そうした感情をAは抱えられるようになってきたのです。 

ドミナント・ストーリーとオルタナティヴ・ストーリー

 ローマ帝国時代の政治家・哲学者であるルキウス・アンナエウス・セネカは、「人生は物語のようなものだ。」と言ったとされています。私たちは、様々な出来事に遭遇し、そうした出来事を通した感情体験や意味付けを行います。例えば、子ども時代に両親が離婚した人にとって、その多くの体験はネガティブなものです。「どちらの親と一緒に暮らすのだろうか。」、「転校しなくてはいけないのか。」など不安を抱くことが、これまでの研究[1]で明らかになっています。また、そうしたネガティブな体験は、後になって「あのことがあったからこそ、今の自分がある。」とポジティブにとらえ直されることもあります。つまり、過去の事実は変えられなくても、その意味付けや事実の文脈を変えることは可能になるのです。家族療法では、そうした意味付けを変える働きかけの技法をリフレーミング(reframing)と呼んでいます。

 また、ナラティブ・アプローチ(narrative approach)という心理療法では、プロットという重要な出来事のまとまりに体験の意味付けがなされた物語(narrative)によって支配された「ドミナント・ストーリー(Dominant Story)」(White & Epston、1990)[2]が社会的な関係性の中で個人に作り上げられると考えます。事例Aの場合、不幸とも思える出来事が繰り返される中で、「何をやってもうまくいかない。」、「この世に必要とされていない。」などに意味づけられたドミナント・ストーリーが存在していました。そうしたドミナント・ストーリーは、カウンセラーのような聞き手を通じて、様々に語り直されることで外在化し、未来に向けた新しい語りが生み出されます。こうした新しい語りは、代替するという意味でオルタナティブ・ストーリー(Alternative story)と呼ばれています。

 Aの場合、絶望した人生の物語が鑑定人や弁護人との出会いによって、やり直すという語りが生成されていったと言えるでしょう。とはいえ、彼の新たな物語は、まだ序章に過ぎません。今後の展開は、主演と脚本家を兼ねるA自身にかかっています。人の命を奪ってしまったという十字架を背負いながら、進んでいくしかないのです。Aとのかかわりを続けている弁護士や私は、Aが演じる“舞台”を多少でも整えてあげられる舞台裏スタッフのようなものだと考えています。

過去を抱え未来を生きる

 人は誰しもが自分の幸せを願います。でも、時に様々な災難や苦難に遭遇することもありますから、楽しいことばかりではありません。過去にとらわれ、そこから抜け出せないで苦しみ、人をうらやむ、時に世間に敵意を向けるといったことがあるかもしれません。令和3年11月に亡くなった瀬戸内寂聴は、「やっぱり自分が楽しくないと、生きててもつまらないですよ。だから何でもいいから、自分のために喜びを見つけなさい。そうすると生きることが楽しくなりますよ。」と言います[3]。その域に達するのは大変ですし、そう簡単な話ではないのは言うまでもありませんが、人生の本質を言い当てていると思います。

 先に紹介したAは極端な例かもしれませんが、人は生きている中で、程度の差はあれ誰しもが、喜びの一方で、傷つき、落ち込み、怒るといった体験をしているはずです(私もそうです)。そうしたことに支配される人生になってしまうのか、それとも過去を自分の中に収め、ときに自分を奮い立たせるものとしていくのか、そうしたことに対する不断の営みが“生きる”ことなのかもしれません。

 ちょっと哲学っぽい話になったついでに申し上げると、アリストテレス以来、人間は幸福について考えてきました。国連持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)が2012年から毎年公開している「世界幸福度レポート」では、①一人当たりのGDP、②社会的支援、③平均健康寿命、④人生における選択の自由度、⑤個々人の寛容度、⑥社会の腐敗の認識の6項目を幸福度の指標としています。一方、主観的幸福感という言葉があるように、個々によって幸せの価値観は異なっています。「生きることそのものに苦しさがある」、「過去へのとらわれが、未来への足かせになっている」といった人もおられるでしょう。そうであっても、過去を事実として受け入れながら、その意味付けをとらえ直していくことで、未来に向けた原動力にしていきたいものです。それは時として一人だけでは難しいかもしれません。必要に応じて心理カウンセラーや医療の力を借りてもよいと思います。

 過去を消し去る、清算するのは、まずもって不可能なことです。そのような自覚の下、今の自分、これからの自分をどのように作り上げていくのか未来に向かっていくことが、人生を豊かなものにするのではないか、ナラティブの考え方は私たちに教えてくれるのです。

文献

[1] 平成24年度 子ども未来財団児童関連サービス調査研究等事業報告書(2013)「親の離婚を経験した子どもの成長に関する調査研究」 など

[2] White, M. & Epston, D. (1990) Narrative Means to Therapeutic Ends. W. W. Norton, New York.

[3] 「瀬戸内寂聴さんが語る、いきいきと生きるための10の秘訣|ユーキャン通販ショップ (u-canshop.jp)  https://www.u-canshop.jp/jyakucho/episode/

 著者プロフィール

須藤明(すとう・あきら)
文教大学人間科学部教授。元家庭裁判所調査官で、専門は犯罪心理学。刑事裁判に心理学がどのように寄与しうるのか、心理鑑定(情状鑑定)の実践を通じて研究している。

 

主な著作

少年非行の実務と情状鑑定から見た外国人少年の現状と課題,罪と罰56巻3号,6-18,日本刑事政策研究会,2019年6月

など


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!