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コロナ禍の現代に回帰するウルトラマンのメッセージ(神谷和宏:中学教諭・批評家)#出会いと別れの心理学

絶体絶命の危機にさっそうと現れ、人々を救い、ある日去っていく。特撮やアニメで繰り返し描かれて来たヒーローとの出会いと別れについて、ウルトラマン研究で著名な神谷和宏先生にお書きいただきました。

はじめに

 1966年に放映開始され、今年2021年に55周年を迎えた『ウルトラマン』シリーズ。各作品の最終回ではウルトラマンたちが別れ際に人間たちにメッセージを伝えたり、あるいは人間の方から、去りゆくウルトラマンを見て、自分たちはどうあるべきかということを言葉や行動で示していた。

 出会いと別れを経験する今、そして新型コロナウイルスにより時代の変革が求められている今、『ウルトラマン』シリーズの最終回が示してきたメッセージは私たちに何を伝えるのだろうか。

・1960年代―「大きな物語」とウルトラマン

 『ウルトラマン』(1966年)の最終回、今まで幾多の怪獣を倒し、人間を守ってきたウルトラマンは怪獣ゼットンに敗れる。しかし、そのゼットンは人間の開発した兵器によって倒される。ウルトラマンをも凌ぐ怪獣の脅威を人間はその叡智で退けたのだった。

 そこへウルトラマンの仲間、ゾフィーが迎えにくる。人間を好きになり、地球に留まりたいとゾフィーに伝えるウルトラマン。しかしゾフィーは言う。「地球の平和は人間の手でつかみ取ることに価値がある」と。

 同様に、『ウルトラセブン』(1967年)では人間を守るためにボロボロになって戦うウルトラセブンを目の当たりにした人間が「地球は我々人類、自らの手で守り抜かなければならない」との覚悟を仲間に伝える。

 ウルトラマンやウルトラセブンに馴染んできた視聴者はそこで、「ウルトラマンのようなヒーローはいない」そして「幾多の問題を乗り越え、社会を良くするのはヒーローではなく、自分たちなのだ」と気付かされる。

 この当時の日本には「大きな物語」が機能していたと言われる。大きな物語とは、戦中であれば戦争に勝つこと、戦後しばらくの間であれば、欧米の豊かな生活や文化を手にするといった、大衆に共通して抱かれるサクセスストーリーのことをいう。

 東京五輪の余韻冷めやらず、来る大阪万博に向け、新たな胸の高鳴りが響くような高度経済成長期、ウルトラマンやウルトラセブンの別れ際に語られる「ヒーローに頼らず、自分たちの力でより良い社会を築こう」というメッセージは、この時代に生きる多くの人々が、より良い社会の到来を信じ、その実現に向かって生きていたことを示すかのような言葉であった。

神谷先生 挿入写真 矢印

・時代錯誤になっても「大きな物語」を提示し続けたウルトラマン

 1970年には万国博覧会が開催。敗戦から急速な復興を遂げた日本は欧米に並ぶ豊さを手にしていた。そこでは「大きな物語」は機能低下する。豊かさを手に入れるという大括りな目標が叶えられれば、そこからは個々の目標達成が重要視されるからだ。

 しかし、1971年に再開した『ウルトラマン』シリーズでもウルトラマンの別れ際には以前と同様のメッセージが示された。

 『ウルトラマンレオ』(1974年)では子どもたちが、地球侵略を狙うブラック指令に勇気をもって立ち向かい撃退する。『ウルトラマン80』(1980年)では、仲間の矢的隊員がウルトラマン80だと知った防衛隊の隊長が、矢的隊員にウルトラマン80に変身しないでほしいと伝え、人間の力だけで怪獣を撃退。怪獣とウルトラマンが戦わない異例の最終回となった。『ウルトラマンティガ』(1996年)で、強大な悪に敗北し、石化したウルトラマンティガを救ったのは、世界が悪に負けるわけはないと信じる世界中の子どもたちの心だった。これらはすべて、みなが力を合わせて共通の敵を打ち破るという、大きな物語を描いたものであった。

 人々が手を取り合うという思考や行動様式が時代錯誤となっていく中でも、大きな物語を人々に示しつつ、ウルトラマンが去っていくというのが『ウルトラマン』シリーズを貫くセオリーであった。

 人々が個々の目的達成を目指すことは決して悪いことではない。むしろ、集団としての豊かさの上に、個に応じた目的達成を目指すのは健全なことであると言えるだろう。一方で、人々が手を取り合わなければ達成できないこともあることをウルトラマンたちは示してきた。

神谷先生 挿入写真 手をつなぐ

・2020年を前にしたウルトラマン

 社会学では、戦後の日本にいくつかの時代の節目があったと考えられている。終戦の1945年以降の25年ごと、つまり1970年、1995年の各年の前後が時代の節目であるという考え方もその一つである。この25年周期によれば、2020年前後は時代の転換期になるのでは、という声も聞かれていた。そこではウルトラマンも大きく様変わりした。

 ネット配信されたアニメの『ULTRAMAN』(2019年)では、それまで巨大だったウルトラマンが等身大に描かれる。それまでその巨大な姿で人々に見上げられる存在であり続け、多くの人々にメッセージを伝えてきたウルトラマンが小さくなるということは、ウルトラマン自体が、人々に共通のメッセージを提示することから脱却したのだと言える。もはや私たちの社会において、大きな物語は機能不全を起こしたと言って良いだろう。生活様式一つとっても、みんなが同じ曜日の同じ時間に人気のテレビドラマを見て、翌日の話題の種になる。そんな時代はとうに過ぎ去り、各自が好きな時間に好きな動画を視聴している。その良し悪しは置いておいて、小さくなったウルトラマンが表す大きな物語の消失は、迫りくる2020年代の社会では、人々がより個として生きていくことを求められることを示唆しているかのように感じられた。

神谷先生 挿入写真 個人の時代

・コロナ禍におけるウルトラマンのメッセージの意味

 そこに生じたのが新型コロナウイルスの災禍であった。2020年は確かに時代の変革期となった。そしてその変化はきわめて暴力的なかたちで訪れた。人々は否応なしに個に分断され、リモートワークや分散登校を余儀なくされた。だが逆説的にここで大きな物語は復権する。コロナ禍は世界に吹き荒れている。つまり人類に共通の強大な災厄が訪れた。そこで人々には共通の目的が生じる。それは言うまでもなく、コロナ禍を乗り越えるということである。ワクチンや治療薬の開発、感染リスクを下げる新たな生活様式の構築、またコロナ禍によって傷ついた社会の修復―。

 これらの達成を目指す上で見直したいのがかつてウルトラマンたちの去り際に示されたメッセージである。光線を発して怪獣という強大な脅威を退けてくれるヒーローはいない。それでも怪獣は現れるであろう。しかしそれは人々に絶望が到来することを意味するものではない。人々が共通の災厄に対して力と叡智を併せて立ち向かっていくならば、それを必ず乗り越えられることをウルトラマンたちは示し、そして故郷へと帰っていったのである。

 時代錯誤となったこのメッセージは一周して、今日の私たちが困難を乗り越えるための言葉として再び現前したといっていいだろう。

 コロナ禍の行方がいまだ見定まらない中で、私たちは新たな春を迎えている。慣れ親しんだ人と別れ、新たな出会いと環境の変化に期待と不安が入り混じる時期である。そこでウルトラマンが人々の前から去る時のメッセージを見返し、これまでも幾多の困難を乗り越えて、今ある社会を築き上げた人間の力というものを再認識したい。そしてそう遠くない将来、私たちがコロナ後の社会の再興という大きな物語を生きる一登場人物となるであろうことも再認識したい。

 世界は再構築される―しかし私たち一人一人が本当に新しい世界なんて作れるのか。

 これまでだって世界を変えようなんて思った人たちが世界を変えてきたのではない。名もなき一人一人の歩みが今の社会の礎を作ってきた。それは出演者にクレジットもされない子役の演じる少年少女が悪のラスボスを倒し、石化したウルトラマンティガを救ったことと似ている。

 そんなことを考えると、不安が抜けないこの特別な春に一条の光が差し込む思いにもなる。

神谷先生 挿入写真 積み木

執筆者プロフィール

神谷先生 ご本人お写真

神谷和宏(かみや・かずひろ)
中学教諭/批評家/北海道大学大学院 国際広報メディア・観光学院博士後期課程
『ウルトラマン』シリーズを軸とした特撮の文化社会学、特に国文学における異形の表象性や、19世紀西欧の視覚文化、戦後日本のアヴァンギャルドの思潮との接続を中心に研究している。その他に観光教育や教育社会学も。主著に『ウルトラマン「正義の哲学」』(朝日新聞出版)。
公式サイト:http://kgs2.main.jp/