過労死,過労自殺をなくすために~今日いかに仕事を切り上げて帰るかという葛藤に対処する~(名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授:金井篤子) #葛藤するということ
皆さんは過労死とか過労自殺といった言葉を聞いたことがありますか?過労死は日本がいわゆるバブル景気に突入する直前の80年代初めに名付けられました。当時は過労で死ぬということがあるのだろうかとなかなか受け入れられなかったそうですが,やがて,日本社会に受け入れられていきます。今やkaroshi,karojisatsuと国際的にも通じる用語となっているのは,近年では中国や韓国でも問題になっているものの,これが日本特有の現象だからです。ここ数年は,コロナ禍が働き方に与えた影響の話題が目につきますが,依然として,過労死や過労自殺は日本社会の非常に大きな問題のひとつです。過労死・過労自殺をなくすということは,持続的社会を目指す日本社会が社会や企業として取り組まなければならない最重要課題なのですが,個人的には「今日いかに仕事を切り上げて帰るか」という葛藤に対処することでもあります。
過労死,過労自殺とは
まず,過労死は,提唱した細川ら(1982)が「過重な労働負担が誘因になり、高血圧や動脈硬化などもともとあった基礎疾患を悪化させ、脳出血・くも膜下出血、脳梗塞などの脳血管疾患が心筋梗塞などの虚血性心疾患、急性心不全を急性発症させ、永久的労働不能や死にいたらせた状態」としています。永久的労働不能というのは聞きなれないですが,幸い一命はとりとめたものの職場には復帰できない状態ということです。
一方,90年代には,過労が原因と考えられる自殺(過労自殺)が注目されました。きっかけとなったのは,1991年8月27日、電通に入社して2年目の男性社員(当時24歳)が、自宅で自殺した事件(いわゆる電通事件)です。男性社員の1か月あたりの残業時間は147時間にも及んだとされ,遺族は、会社に強いられた長時間労働によりうつ病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償を請求し,2000年にこの社員の長時間労働について使用者である電通に安全配慮義務違反が認定されました。このような経過がありながら,2015年12月25日に同じく電通社員だった高橋まつりさんが入社9か月で過労自殺したことを記憶されている読者もおられるのではないかと思いますが,4半世紀過ぎても依然として変わっていない電通の体質に腹立たしさを感じるともに,ご遺族,弁護団,研究者等の多くの人々の尽力にもかかわらず,電通のみでなく,この社会が変化していないことを思い知らされるかのようで無力感を感じざるを得ません。
80年代に過労死が名付けられて以来,経済環境の影響を受けて,ますます過労死,過労自殺の問題は大きくなっていきます。これを解決するため,2014 年には過労死等防止対策推進法が施行されました。この法律では,「過労死等とは,業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害」(2 条)と定義されており,過労死「等」として,過労死,過労自殺,永久的労働不能をまとめています。現在ではこの定義を用いることが多いです。
過労死,過労自殺の実態
過労死,過労自殺がどれくらい生じてしまっているのかについては実はよく分かっていません。便宜的に,過労死等の労災認定件数が参照されています。図1は過労死等労災認定の推移で,脳・心臓疾患と精神疾患に分けて算出されています。過労死が認定されることはなかなか難しく,2021年においても認定件数は申請件数の約30%にとどまっています。この認定率の低さから、申請に至らないケースも多いと考えられ、過労死、過労自殺の実数はこれらの認定数を大幅に上回るものと思われます。
過労死,過労自殺の原因としての長時間労働
過労死,過労自殺の原因としては,やはり長時間労働があげられます。月80時間以上の時間外労働を過労死ラインと呼んでおり,過労死するリスクが高まると考えられています。もちろん過労死の原因は長時間労働だけではなく,仕事の質的な問題や責任の問題などがありますが,まずは労働時間のコントロールが重要と思われます。
日本の労働基準法では,法定労働時間は1日8時間,1週40時間と規定されています。それ以上の労働は時間外労働として規制されていますが,労働上のいくつかの事情によっては,一定の時間外労働が認められており,実際には時間外労働は多く行われています。日本は法定労働時間と時間外労働時間を合計した実質的な労働時間が世界と比較しても長く,たとえば,OECDの 2018 の調査結果においても,日本の教員の仕事時間は他国と比べて突出して長い,ということがわかっています。過労死,過労自殺という最悪の結果を招かないために,労働時間を適切なラインにまで持ってくることはとても重要なことです。
ではどのように長時間労働を抑制するか,ですが,これがなかなか難しいのだろうと思います。というのは,過労死の問題が注目されて以降,防止法までできて,これだけ時間がたっているのに解決していないからです。日本の文化に根付いた長時間労働をどのように是正していくのかはまさに国家的事業でもあると思われます。
たとえば,時間だけ短く規制しても,その時間内にやらなければならない仕事量が変わらなければ,持ち帰り残業やサービス残業を増やしてしまいます。時間をとりあえず切って,仕事の効率化を促進するという考えもあると思いますが,一定の効率化は進むにしろ,それにも限度があります。むやみに仕事を押し付けて,本人の責任にしていては状況は変わりません。やはり,この仕事にはどれくらいの時間が必要という,社会に共有された,適切な時間管理基準が必要です。もちろんその基準には習熟度も加味しなければなりません。
ところで,この時間管理について,筆者は興味深い経験があります。国際比較調査をした際に,インタビュー協力者にあなたの先週1週間の労働時間は?という質問をしました。ドイツ,フィンランドの協力者は全員,先週は何時間何分と即答しましたが,日本,韓国の協力者はだれも即答できませんでした。かなり時間がかかっても先週の労働時間が算出できなかったのです。これを読んでくださっている読者の皆さんはいかがですか。先週1週間の労働時間,即答できますか?これは日本が(韓国も?)社会全体として,時間を意識した仕事の仕方をそもそもしていないといえると思います。
労働時間管理は間違いなく,日本社会や企業が実行すべき,重要な課題ですが,私たち自身もできることから取り組む姿勢は重要なのではないかと思います。つまり,今日いかに仕事を切り上げて帰るかという葛藤に対処するということです。
先日,ワーク・ライフ・バランスについて話しているときに,「仕事が面白すぎて,ついつい長時間働いてしまい,家庭のほうがおろそかになってしまう」とおっしゃった方がいました。仕事は面白くていいんです。法定労働時間でも1日の3分の1の8時間働くのですから,面白くなければやっていられません。でも,バランスが大事です。過労死しないためにも,時間管理してもらいたいと思います。
この方も多分そうだと思いますが,今日やってしまいたい仕事や今日やらなければならない仕事を,いかに切り上げて帰るかというのは非常に大きな葛藤になる可能性があります。今日ちょっと無理したって,急に死ぬわけでもないし,そもそもこの時点で死ぬかもと考える人はあまりいないでしょう。また,周りの人への責任もありますしね。しかし,ここまで述べてきたように,長時間労働は本当にリスクが高いのです。ここで,以前私が自分自身に言い聞かせるために作った標語をご紹介しましょう。「死ぬといかんで,今日は帰ろう」。意味はおわかりでしょうか。いかんで,は名古屋弁(名古屋生まれの名古屋育ちだもんで)で,いけないので,という意味です。それぞれ皆さんのお国言葉で,言い換えていただければと思います。また,テレワークの場合は,「死ぬといかんで,今日は終わろう」とか,自由にアレンジしていただければと思います。どうぞ皆様,死んで花実が咲くものか。適正な労働時間で,豊かな人生を。