あなたの友だち(辻山良雄:書店「Title」店主)#私が安心した言葉
不安や焦りのなかで、自分を見失ったように感じることはないでしょうか。追い立てられるような社会の空気を離れ、ゆっくりと静かに心を満たしていく、自分だけの時間の見つけかたを、書店を営む辻山良雄さんに教えていただきました。
いまは孤独に、あまり人と関わることなく暮らそうとしても、ネットやSNSからすぐに、誰かのつぶやきが届いてしまう時代である。そうした”つぶやき”は感情を増幅させてしまうこともあるから、それを見ているうちにかえって、心が乱されてしまう人も多いかもしれない。
ある日、一本の電話がかかってきた。
「あー、〇〇って本ある?」
ぞんざいな口調につられ、こちらもそっけなく「ありません」と応じると、その電話はすぐに切れてしまった。この感じはもしやと思い調べてみたところ、案の定それは〈バズった本〉であるようだった。
なにかさびしい……。
そのさびしさがどこからやってくるのかわからなかったが、そうではないかと思い調べたことが、やはりその通りだったとすぐにわかってしまうなんて、あまりにも奥行きがない話ではないか。
このような「さびしさ」を考えたとき、わたしはいつも一人の詩人を思い浮かべる。
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
「一人は賑やか」より
感情の痩せっぽちはさびしいもの
そんなさびしいのが増えてきて
話していても さむ ざむ さむ
「感情の痩せっぽち」より
茨木のり子の詩には、直接はそう書かなくても、安易にさびしさをまぎらわせることをよしとしない、屹立とした姿勢がある。
人間は誰でも心の底に
しいんとした静かな湖を持つべきなのだ
「みずうみ」より
感情が痩せてしまい、目のまえの情報に右往左往する人からは、そうした「湖」の存在は感じ取ることができない。心の底に湖が湧いてくるには、なにせ時間がかかるのである。
あなたの静かな湖を作るのは、一見役に立ちそうもない、あなた固有の体験である。リターンを得るなどということは考えもせず、意の赴くままにお金と時間を費やしてきたものが、あなただけの「湖」となる。
「本(特に詩や小説など)を読むと、何かいいことがあるのでしょうか」
本屋のわたしに、そのようにストレートに聞いてくる人はまれだが、それでも同じことを遠回しに聞かれることはある。それは、本を読むのも、英語やプログラミングを学ぶのも、同じ時間でのことだから、どうせならコストパフォーマンスがいいものを選びたいという、気持ちの表れなのだろう。
いいことがあるかどうかはさておき、少なくともわたしは、本を読むとその人は、さびしい人間にはならないと考えている。
本を読みなれた人であれば、本棚のなかから自分に向いていそうな本を、自然と手に取る術を身につけている。そうした本は〈わたし〉を充足させてくれるものだから、たとえ一人で読んではいても、その人は決して一人きりではない。
読みはじめたと思ったらその本に夢中になってしまい、気がつけば夜も更けていたといった経験はお持ちでないだろうか。そうしたとき、時間は、ずっと同じところを回っていたようにも感じる。そのような無限に通じる時間を重ねながら、その人の底には、ゆっくりと水が溜められていく。
わたし自身、若いころに読んだものが、いまの自分を支えていると実感できたのは最近のことだ。会社を辞め、自分で本屋を作ることになったとき、店の性格を決めていったのは、どれも自分の足あとともいえる、〈核〉のような本ばかりだった。それは読んでから二十年以上が経ったあとでも、わたしのどこかに伏流水のように流れていて、いざというとき、また表面に浮かび上がってきたのであった。
わたしはたまたま本の仕事をしているから、いま本について書いた。しかしあなたがいま何をしていたとしても、あなたを特徴づける仕事には、自分のために費やした時間がそこには必ず含まれている。それはすぐに得られるものではないが、だからこそ簡単には失われない。
無為に時間を使っているように見えたとしても、その時間はちゃんと、〈わたし〉のこやしになっているのである。
そしていまのような非常時には、そのような〈わたし〉こそが頼りになる。これまでの経験則が役に立たない状況にあっても、心の底に静かな湖があれば、いつでもそこに立ち返ることができるだろう。気持ちが揺れ、少しくらい道を踏み外したとしても、いちどできあがった〈わたし〉は、いつだってやり直しができるのである。
自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす、という作業。それは、あなたと、あなた自身のリーダーを一つの群れにしてしまう作業です。チーム・自分。こんな最強の群れはない。……これは、個人、ということです。
梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』より
昨年出版された『ほんとうのリーダーのみつけかた』で、梨木香歩さんは自分の頭で考え、目のまえの出来事に対して客観的な視点を持つ大切さを説いている。その人のなかに自分のリーダーがいなければ、その人は不安のあまり、みんなと同じでいる以外生きるすべを見つけることができないかもしれない。そうなると、ネットから醸成される社会の空気に、簡単にのみこまれてしまうかもしれないし、そうした同調圧力は長い目で見れば、その人自身を損なっていくだろう。
いまの社会に漠然と存在している「さびしさ」。それは大人になってもリーダーを掘り起こすことなく、「〈わたし〉=個人」にもなりきれないまま浮遊している、満たされない心情ではないだろうか。
リーダーを掘り起こすのに、時間や年齢は関係ない。あなただけの友だちは、開かれるときを待っている。
【参考図書】
茨木のり子『おんなのことば』(童話屋)
梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』(岩波書店)
◆執筆者プロフィール
(撮影=齋藤陽道)
辻山良雄(つじやま よしお)
東京・荻窪の書店「Title」店主。新聞や雑誌などでの書評、カフェや美術館のブックセレクションも手掛ける。著書に『本屋、はじめました 増補版』(ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新書)。共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)。