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連載:作文で変わる不登校の子どもたち~書くことで自己と対話する【第2回】学びとケアの中間としての作文支援の方法①(教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー:林千恵子) 

多くの不登校の子を支援してきた林先生は、子どもが作文を書くことで自分の心を見つめ、整理をつけ、不登校状態の解消につなげていく方法を考え出してきました。林先生が作文に注目するようになったきっかけ、具体的な指導方法など、林先生の作文での支援について書いていただく連載の第二回です。

 第一回で、私が行っているのは作文指導ではなく、自己や他者との対話を通して自己理解を深める「学びとケアの中間としての作文支援」だと書きました。

 第二回では、作文を通して自己対話を促進させる方法や工夫をお伝えしたいと思います。

 私は根っからの実践家なので、試行錯誤をしながら効果のある方法を見つけ出し、時々に変化させながら行っています。だから、「どんな指導をすれば、子どもたちが作文を書けるようになり、成長していくのか?」という質問に、今まできちんと答えられずにいました。

 今回、この原稿を書く中で、やっと自分なりの答えにたどりつけた気がします。文章を書くことによる自己対話のパワーと苦しさを、自分自身で改めて実感している次第です。

「学びとケアの中間としての作文」のステップ

 「作文が苦手」「作文が書けない」と話す子どもとは、まず作文に対する思いや現状の確認から始めます。 

 「何を書けばいいか分からない」「頭に浮かんでいることをどのように文章にすればいいか分からない」「どう文をつなげていけばいいか分からない」「途中で書く内容がなくなって、短い作文になってしまう」「初めと終わりで内容が変わってしまう」などさまざまな苦手さが出てきます。 

 一つ一つ解決策を一緒に考えていきます。知識や技術的な部分は少しずつ補っていきますが、最も解決策が難しかったのは、「自分が何をしたいのか、自分の気持ちが分からない」というものでした。長く心にフタをしてきた子も多く、自分の思いを見つめ、言葉にすることができないのです。

 初めのうちは私自身が焦り、内容を誘導するような形で、子どもをさらに迷わせてしまったこともありました。試行錯誤を繰り返し、現在は、次の5つの取り組みが非常に効果的だと考えるに至っています。

1 宝探しのインタビュー
2 作文への思い込みから自由になり、自分なりの作文を書くこと
3 作文を介した三角形の対話
4 作文の自己チェック
5 作文を講評し合い、他者の価値観に触れること

1 宝探しのインタビュー

 私が勤務する適応指導教室(教育支援センター)は基本的に先生と子どもの1対1の授業ですが、子どもの状況によって、グループでの学習に切り替えていくこともあります。中学校3年生は、週に1回の国語の授業の中で、4か月間、とにかくひたすら作文と向き合っていきます。

 自分の気持ちを見つめることが難しい子には、「宝探しのインタビュー」が非常に有効です。インタビューと言っても、すぐに答えがでてくるわけではありません。一方的に質問していくというよりは、ポツポツと話される言葉から、「こういうことかな?」「ああいうことかな?」と探りながら一緒に考えていきます。心の中にあるけれど、モヤモヤとして言語化できない思いを一緒に眺めて、言葉につなげていく感じです。

「高校生活でやりたいことって何?」
「……。分からない」
「そっか。高校には行きたいと思う?」
「……。行きたいけど、行きたくないような気もする。」
「じゃあ、まずは行きたい気持ちと行きたくない気持ちの中身を考えてみようか。」

 言葉にできなくて手足をジタバタ動かしたり、長く沈黙したり、涙を浮かべたり……。ゆっくりでも、上手に言葉にできなくてもいいこと、どうしても答えたくないことは答えたくないと言っていいことを伝えた上で行っています。

 遠回りのようなやり取りを続ける中で、突然、ハッとするような言葉が発せられることがあります。

 「高校でやりたいことはアルバイトだけ。」と、あまり話そうとしない子がいました。悩みながら、アルバイトについてインタビューを続けたのですが、突然「本当は、高校卒業後に専門学校に行くためのお金をアルバイトでためたい」と話しだしました。不登校になった負い目や自信のなさから、夢や希望を自分の心の中で打ち消していたようです。答え続けるうちに、自分の中で、夢に対する思いがふくらんできて驚いたと話していました。

 インタビューは自己対話の足慣らしの役割を果たすのだと思っています。押しこめていた思いのフタを少しずつ開けるとともに、モヤモヤと渦巻いている思いを見つめて言葉につなげていくスタートになるのです。

 インタビューの極意は、「待つこと」だと実感しています。長い間、胸にしまっていた思いをむりやり語らせることはできません。その子ども自身に興味をもって、急がず、否定せずに聴いていきます。発せられた言葉に対して、すぐに自分の価値観でコメントすると、子どもは心を閉ざしてしまうことがあります。表面的な言葉の奥から、どんな宝物が出てくるのかを楽しみにしながら続けていきます。 

 その積み重ねの中で築いた互いへの信頼感が、この先の自己対話のプロセスを支えてくれるように思います。インタビューは、「学びとケア」という観点で考えていくと、かなりケア寄りの取り組みということになりますね。

 インタビューの内容は、できる限りそのままの形で私がメモをしています。思いを言葉にすることに一生懸命で、自分が言った言葉を再現できない子が多いからです。

 メモを見返した時の反応はさまざまです。大きく一つ息を付いて眺め続ける子、そういえばと言ってメモに内容を付け足す子。

「こんなに自分が色々と思っているなんて驚いた。」「なんだか良いこと言ってる気がする。」……。50分の奮闘にぐったりしながらも、うれしそうな顔が多く見られます。

 あまり言語化できず、1回の授業ではインタビューが終わらない子もいます。頑張りをねぎらって、次の授業につなげていくのですが、2回目は1回目よりも多くの言葉が発せられます。心の中で自分に対する問いかけを続けていたのではないでしょうか。

2 作文への思いこみから自由になり、自分なりの作文を書くこと

 メモを見ながら作文を書いていくのですが、書き始める前に行うのは、作文に対する思いこみから自由になることです。私自身もそうだったのですが、作文に対する思いこみに縛られている子が多いように感じます。「上手でなければいけない。」や「読み手(主に先生などの大人)がOKだと言ってくれる内容でなければいけない。」といったものです。

 自分なりに自由に書くことをイメージするために、卒業生が残していってくれた作文を読み比べることもあります。まず挙がる感想は、同じテーマの作文なのに、内容が全く違うことへの驚きです。

 いくつか作文を取り混ぜるのですが、その中には、私が「味わいがある」と思っている作文もあります。自己表現や作文がとにかく苦手だった子が、あきらめずに書き上げた作文です。お世辞にも上手な作文ではないのですが、ひたむきな思いがストレートに伝わり、読むとなんだか涙が出そうになります。

 「この作文、他のと比べると上手じゃないけど、この先輩は合格していてほしい。」「本当に頑張りたいという思いが伝わってくる。」「なんだか分からないけどすごい。」といった感想が多く聞かれます。

 「まず目指すのは、自分の言葉で自分にしか書けない作文を書くこと。上手さは後から磨けばいいし、人がどう思うかは気にしなくていいよ。」と伝えています。

 今の自分の精一杯で文章を完成させることを第一の目標にして、作文を書き始めます。文字数が多かったり、少なかったり。何時間もかけて、書き上げる子もいます。

3 作文を介した三角形の対話

 作文が書き終わったら、「作文を介した三角形の対話」を行います。あなたと私という直線的な対話ではなく、作文を頂点に置いて、作文の内容について相談していくのです。

 「あなたはどう考えているの?」と聞かれると答えにくい子も、「作文のこの文章についてもう少し詳しく説明して」と尋ねると答えやすいようです。

 対話の際は、横に並んで座ります。互いに目線が作文用紙にあることで、心理的な圧迫感も少なくなっていくようです。

 作文以外でも、私は三角形の対話をよく行っています。三角形の頂点は、本であっても、マンガであっても、推しであっても、何でも構いません。頂点にあるものを通した対話の中で、その子の思いやホンネが垣間見えてきます。

 対話の中で気付いたことや考えたことを元に、作文を書き直します。そしてまた対話をして、作文を書くことを繰り返します。同じテーマを何回も書き直す子もいるのですが、内容がどんどん変わっていきます。

 初めはじっくりと一緒に考えながら対話をしていきますが、少しずつ関わりを減らしていきます。「この部分をもっと知りたい。」「もう少し向き合って具体的に書いてほしい。」と伝えて、一人では進めなくなった時に対話をするようにしています。終盤は「この部分をもう少し考えて」という付箋を貼って作文を返すような感じです。成長に伴って、支援をどんどん不親切なものに変えていきます。

 この経過は、一人で自己対話ができるようになるためのトレーニングの役割を果たしているのだと、原稿を書いていて気付きました。初めのうちは、かなりケア寄りですが、学びとケアの間を行ったり来たりしている感じです。

 「昨日も夢にでてきて、先生は作文悪魔みたい。」と言った子がいたのですが、ある日、「今日は大丈夫。」と作文を差し出しました。

 その子があふれているような素晴らしい作文でした。自分が「書けた」と実感した時の作文は間違いがないといつも思います。理屈ではなく、自分自身の中で腑に落ちたという感覚でしょうか。

 「先生が、ここでつっこんでくるだろうと思いながら、脳内で先生と対話しながら書いた。」と話しました。

 「私の役割が終わりに近づいているな」と実感しました。自己対話を続けるための同行者である私の役割を自分の中に取りこんで、一人で歩き出す準備ができたと思ったからです。ここまできたら、あともう一息です!

★著者プロフィール

林千恵子(はやし・ちえこ)
 教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー。中学校教員(国語)や様々な経験を経て、教育支援センター(適応指導教室)の教育相談員として20年以上勤務する。その間に出会った不登校の子どもと保護者、教員はそれぞれのべ900人に及ぶ。教育と心理学の間を行き来しながら「人と関わることで人は変わる」という信念の下、対話を積み重ね、多くの卒業生が社会的自立を果たしている。また、作文を通した子どもの自己対話の促進にも力を入れている。

 十数年前からは、適応指導教室の勤務と並行して公立小学校のスクールカウンセラーや巡回相談員も務め、教員研修や関係機関の研修講師、不登校親の会の世話役も行い、本年4月より、中学校内に新設された不登校の子どものためのスモールステップルームの巡回指導を開始した。

 今年1月、不登校の子ども理解の軸となる「学習」「人間関係」「いじめ」「居場所」の4つのテーマを、実際の子どもの作文とともに考える著書『すきまから見る~「不登校」への思いこみをほぐす~』(東洋館出版社)を刊行した。

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