連載:作文で変わる不登校の子どもたち~書くことで自己と対話する【第1回】学びとケアの中間としての作文(教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー:林千恵子)
はじめに
先日、2022年度の小中学校における不登校者数が文部科学省より発表されました。29万9.048人。前年度から5万4.108人増加し、過去最多を更新しています。その中で、38.2%が学校内外で相談・指導を受けていないとされています。
増加数の多さに驚くとともに、一人一人の子どもたちがどのような思いで過ごし、不登校という経験をどのように自分の中で消化し、自分なりの解決をしていくのか。それぞれの子どもの思いや状況に思いを馳せました。
一人一人の解決を考えることなしに、不登校の解決は考えられない。長い間の不登校支援の中でそう実感しています。
教育支援センター(適応指導教室)をご存じでしょうか?
市区町村が設置している不登校の児童・生徒が通う通級制の教室です。文部科学省により「不登校児童生徒の集団生活への適応、情緒の安定、基礎学力の補充、基本的生活習慣の改善等のための相談・適応指導(学習指導を含む)」を行う場所とされています。最終的な目標は子どもの社会的自立です。
20年以上の勤務の中で、学習や集団活動、そして体験活動などさまざまな経験の中で、子どもたちが悩みながら自信を取り戻し、他者とつながり、変化や成長を遂げていく姿を目の当たりにしてきました。その中で、「作文による自己対話」は、不登校の子どもたちが自分を見つめ直し、次のステップへのスタートを切るために非常に有効だと実感しています。
作文指導は難しい
「作文指導で、子どもたちを導いていこう」
そういう高い志で作文の取り組みを始めたわけではありません。
私は、中学校で教員をしていた頃から、作文指導が苦手でした。子どもの書いた文章に赤で添削を入れるのは気が引けますし、直していくと、私の好みに色付けしていくようで申し訳ない気持ちになったものです。
灰谷健次郎さんの『わたしの出会った子どもたち』(新潮文庫 昭和59年発行)を読んで、子どもの内からわき出すような言葉や文章の素晴らしさに感動し、そうした言葉を子どもから引き出せるような指導をしたいと願っていましたが、実現できないままでした。
教育支援センター(適応指導教室)での作文指導
不登校の中学生の進学先は作文と面接の試験を取り入れている学校が多くあります。学習の遅れやハンデが影響しないようにという配慮や、その子どもの今後に向けての思いや意欲を確認するという意味もあるのではないかと思います。また、実際に作文を読むと、文章力はもちろんのこと、表現力や思考力、そして理解力が垣間見えてきます。
東京都が設置しているチャレンジスクールは不登校の子どもにとって、人気の進学先ですが、出願時に提出する志願申告書や作文試験の内容は、かなりハードルが高いものです。
まずは「高校生活の目標」や「将来の夢」という、入試で一般的に求められるテーマから練習を始めることにしました。50分で600字程度の文章を書けることが求められます。作文構成についてアドバイスをし、作文用紙を渡して様子を見ていると、題名と名前を書いた後に何も書けないまま固まってしまう子が多くいました。数行書いてあっても、「高校で頑張ります。」といった内容が繰り返されているだけのものも多くありました。
「頭が真っ白になって、何にも考えられない。自分が何をしたいのか全く分からない。」
「学校生活について考えたら、嫌な思い出がよみがえってきて、そのことを考え続けてしまった。」
「自分になんてどうせ書けるわけがないとあきらめてしまった。」
書けなかったことについて、ポツリポツリと思いが語られます。不登校になったつらさから、自分の気持ちに目を向けないようにしてきた子が多くいることが分かりました。見つめてしまったらつらくて耐えられなくなってしまうので、見ないように自分を守ってきたのだと思います。
何も考えなくていいように昼夜逆転の生活を送り、すがるようにゲームをし続けている子、不登校になった数年前からの記憶がすっぽりなくなっていると話す子、さまざまでした。
不登校であることは、これほど子どもの心を追いつめ、自信を失わせていくのだと実感したものです。
体裁の整った文章が完成できる子もいたのですが、一般的で、どこかで見たことがあるようだなと感じ、自分の実感として書いているのかを尋ねたことがあります。
「これくらいのことを書いておけば、林先生も高校の先生も満足するかと思って。」という返事に、力が抜けて笑ってしまったことがあります。
どうすれば、自分なりの作文が書けるようになるのか、どのような指導が必要なのか、とにかく悩んで試行錯誤を繰り返しました。
大事にしようと決めたのは、「自分の言葉で、自分にしか書けない作文を書く」ことです。1か月以上何も書けないままの子どももいましたし、作文がつらいと言って休みが続く子もいました。子どももつらかったでしょうが、私も胃がキリキリしました。手探り状態の中で、子どもと一緒に解決方法を考えていきました。
作文を書く→書けないことや書いた内容について話す→相談したことを受けて、更に作文を書く→再度相談する→……。その子どもの状態に合わせて、作文を書くことと、作文について相談することを繰り返していくと、次第に文章量が増え、作文が変わってきました。高校生活や将来、そして自分についても肯定的な言葉が多く使われるようになったのです。その経過の中で子どもたち自身が変化していきます。学習面や対人面などさまざまな面での成長が見られるようになりました。「作文が変わると子ども自身が変わる。」そう実感したものです。
作文を書くことによって、なぜこんなにも不登校の子どもたちが変わっていくのだろうか?私は何ができたのだろうか?その答えはなかなか出ませんでした。
学びとケアの中間としての作文支援
「不登校新聞」代表理事の石井志昂さんの言葉がヒントを与えてくれました。子どもたちの言葉や作文から紡いだ拙著『すきまから見る―不登校への思いこみをほぐすー』を読んで、「林さんの作文指導は学びとケアの中間にあって、学びとケアを同時に行っている。」と言って下さったのです。
石井さんはご自身の経験や不登校についての多くの取材から、「ケアがあっての学び」が大切だとお考えになり、「自分が受けてきた傷や苦しさがケアされていること」が不登校の子どもたちが学びに向かい、勉強の遅れを取り戻す前提条件だとされています。不登校の子どもが学びに取り組み、先に進んでいくためには、まずは心のケアが必要だということです。
私は、長い教育支援センター(適応指導教室)での勤務の中で、自分の役割は「教育と心理のすきま支援ワーカー」だと考えるに至っています。教育だけでも心理的な支援だけでも、不登校の子どもたちの支援がうまくいかなかったからです。目の前の子どもの状況によって、教育寄りなのか心理寄りなのかは変わっていきます。
作文も一緒だったんだと納得しました。書くという学びと、自己や他者との対話を通したケアの中間。その時々の子どもの状態によって学び寄りにもケア寄りにもなる。ケアしながらの学びであり、学びがケアにもつながっていく。
その中で、子どもたちは安心して自己と向き合い、私という他者との対話を通して自己理解を深めていったのではないでしょうか。
私がしているのは作文指導ではなく、不登校について自分なりの解決を考えていくための、「学びとケアの中間としての作文支援」なのだと考えるに至りました。
学びとケアの中間としての作文の4つの機能
「学びとケアの中間としての作文」には、主に4つの機能があると考えるに至っています。
① 自己対話を促し、自己を見つめ直す「自己カウンセリング」の働き
② 自分の課題やなりたい自分をイメージして、自己決定を促す働き
③ 心の中に、自分の心を整理する新しいファイルを作る働き
④ 自分自身の不登校という経験を俯瞰して眺め、自己肯定を促す働き
次回からは、それぞれの具体的な実践や、作文による自己対話を促進させる方法や工夫、子どもが自己表現しやすい環境や関係の作り方等について具体的にお伝えしたいと思います。
「不登校の時期にとことんまで自分と向き合って、突き詰めて考えたからこそ今の自分がいる」と胸を張って話す卒業生がいます。進学や就職の報告、結婚や出産の報告、困ったことや悩みごとの相談……。巣立った後も折々に卒業生が顔を出しますが、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいます。
不登校であった時間を、その子どもにとって意味のあるものとし、成長の機会とする。作文は私の頼もしい相棒となりました。
<参考文献>
灰谷健次郎(1984年)『わたしの出会った子どもたち』新潮文庫
石井志昂(2021年)『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』ポプラ新書