連載:作文で変わる不登校の子どもたち~書くことで自己と対話する【第3回】学びとケアの中間としての作文支援の方法②(教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー:林千恵子)
第二回では、「学びとケアの中間としての作文支援」の方法として、
1 宝探しのインタビュー
2 作文への思い込みから自由になり、自分なりの作文を書くこと
3 作文を介した三角形の対話
までをお伝えしました。第三回は、その続き、
4 作文の自己チェック
5 作文を講評し合い、他者の価値観に触れること
についてお伝えします。
なお、事例については、個人が特定できないように、数名のエピソードを再構成しています。
1 作文の自己チェック
「作文を介した三角形の対話」を行いながら、書くことを続けていきますが、ある程度まで進んだら、作文の自己チェックを始めます。最初は、ちょっとした思い付きで始めたのですが、子どもたちに大きな変化が見られました。
私が口頭で伝えるチェック項目に〇△×で自己評価していきます。自分の作文を何度も読み返しながら、〇の場合は良かった点、△や×の場合は、良くなかった点と改善策を考えて書いていきます。
自己チェック内容は、それぞれの子どもに合わせて変えているのですが、だいたい以下のような内容です。
まず、「時間内に指示通りの文字数で書けたか」「作文構成はどうか」「設問の内容に答えられているか」「漢字や言葉が正しく使えているか」など知識や技術的なこと。
そして、「自分の思いや考えを表現することができたか」「自分の言葉で自分なりの作文が書けたか」「読み手に分かりやすく伝えることができたか」など内容に関することです。
解決策に苦労する子が多いのですが、あまり手を差し伸べないことにしています。不親切な支援の継続です。
自己チェックを続けていると、「前回の作文より自分の思いが書けている」といった自己の成長の評価が行われるようになります。また、前回は〇だった項目が△になるなど、自己評価がどんどん厳しくなっていくこともあります。「まだまだ」というよりは「もっともっと」という感覚に近い感じです。
さらに続けていくと、「不登校になって何もできないと思っていたけれど、自分なりに成長している。」「これから頑張りたいと思えるようになったし、できるような気がする。」といった前向きな言葉が多く話されるようになります。
学びに対する姿勢も変化していきます。自ら学びに向かうようになるのです。漢字の練習を始めたり、本を読み出したり、辞書を眺めて言葉を増やしたり……。
小学校1年生から中学校3年生までの漢字を一気に学び直した子もいましたし、他の教科の学習への取り組みも前向きなものに変化していきます
作文チェックを行う中で何が起こっているのでしょうか。
作文チェックは、自分の作文を他者の目線で眺める力を育ててくれます。その時に、作文だけではなく、自分自身についても、他者の視点で客観的に見つめ直すことができるようになっていくのです。
不登校になったことで「自分の人生は終わった」「自分はもうだめだ」「自分には価値がない」と思いこんでいる子も多いのですが、客観的に見ることで、現在の自分の状態を見つめ、努力している自分を少しずつ認めることができるようになっていくのです。評価のものさしが人との比較ではなく、自分の中の成長であることもミソです。
また、自分で改善策を考えて解決していくという体験は、自分の力で「できる」「変えていける」という感覚を育ててくれるように感じます。
「ケアがあっての学び」という言葉を実感します。作文を通した自己対話や他者との対話の中でケアされた子どもたちは、さらなる成長を目指し、自ら学び始めるのです。
2 作文を講評し合い、他者の価値観に触れること
私と一対一で始めた作文の時間も、子どもの状況に合わせて、2人、3人、4人…と少しずつ人数を増やしていきます。試験会場で緊張せずに作文を書くための準備という意味もありますが、作文を互いに読み合うことが大きな目的です。初めのうちは、作文を見られたくないと言う子がほとんどなのですが、ある程度自信が付いてくると、抵抗感が小さくなっていきます。逆に、読んでもらいたい。そして、他の子の作文を読んでみたいという欲求が湧いてくるようです。
机を並べて一斉に書いて、講評し合います。
「良かったところ」と「もっと良くなるためのアドバイス」が書けるプリントを作文と一緒に回して、自分以外、全員の作文講評を記入していきます。
「良かったところ」には
「読みやすくて、内容が分かりやすい。」
「具体的に書けていて、神。これが先生が言ってる具体的なんだと納得した。」
「いつも頑張っている○○ちゃんの思いがよく伝わってきて泣けた。」など。
また、改善点については、
「この部分はもう少し知りたいと思ったから、詳しく書くといいかも。」
「読んでいて自信がなさそうに感じるから、自信をもって書くといいよ。」
「もっと漢字が使えるといい。人のことは言えないんだけど、一緒にがんばろう。」などと、相手を気遣いながらも、的確なアドバイスが並びます。
心に残っている講評のエピソードがあります。
「富士山と裾野に広がる草原の写真を見て、感じたこととともに、高校生活について書きましょう。」という課題に挑戦した時のことです。
「私は、富士山のように、日本一の高校生を目指します。」
「山に登ることは辛いこともあるけれど、一歩一歩積み重ねていけば、必ず頂上にたどりつけます。自分はそんな高校生活を送りたいです。」
「この写真を見て、挑戦という言葉が頭に浮かびました。」
それぞれの発想に「すごい!」「なるほど!」「考えてもみなかった!」と驚きの声が上がります。
その中で、最も注目を集めたのは、積極的になれない自分に悩み、「私なんて……。」という言葉が口ぐせになっていた子の作文です。
「私は、富士山の裾野に咲く花に注目しました。小さくて目立たないけれど、私もこの花のように、縁の下の力持ちとしてみんなを支えられる人になりたいです。」と始められていました。
「すごくいい!」という声が上がり、拍手が起こりました。裾野に咲く花に注目した視点の新鮮さとともに、縁の下の力持ちになりたいという、その子の思いに対する称賛でした。
拍手を受けた時の、照れくさそうなうれしそうな表情を今も覚えています。欠席や遅刻が多い子だったのですが、それからは休まずに通うようになり、笑顔が多く見られるようになりました。
ケアが十分なものになるためには他者が必要なのだと改めて実感します。作文チェックを行う中で、自分のことを少しずつ認められるようになっていますが、まだ完全ではないのです。誰かが自分のことを「分かってくれた。」「理解してくれた。」「認めてくれた。」という実感が得られた時に、それまでの傷付きが癒されるのです。そして、共同体の中で自分らしく頑張っていく覚悟が固まって、力強く歩き出すように思います。
作文講評は、他者のさまざまな価値観に触れて、それを受け入れていくとともに、自分自身も他者から理解され、受け入れられたと実感できる「相互承認」の機会を与えてくれます。
作文を通した交流の中で、この他にもドラマが生まれます。自習時間も複数で作文を書き、相談し合い、励まし合う姿が見られるようになります。休み時間やグループ活動の際のコミュニケーションも活性化し、支え合う仲間としての意識が芽生えてくるようです。日常の会話の中ではぎこちないコミュニケーションであった相手とも、作文を通して出会い直した感じでしょうか。
作文支援の初めのうちは私が寄り添って支えていましたが、この頃になると、どんどん私が必要なくなってきます。課題と作文用紙を渡すと、自分たちで書き始め、書き終わったら講評し合い、自分で改善策を考えて書きこみ、全てまとめたものを私に提出します。
段階的に不親切な支援を心がけてきましたが、成長を喜びつつも、ちょっと寂しい気持ちになったりします。
集団に入ることが難しい子どもの場合は、私が伝書鳩となって作文を運び、講評のやり取りを続けます。最後まで顔を合わせないこともあるのですが、相手を気遣ったり、応援したり、特別な思いが芽生え、つながりが生まれます。こういう形の仲間もあるのだと教えてもらいました。
最後の仕上げは「100本ノック」とネーミングした練習です。「思いやりという言葉から考えること」「最近のニュースの中で気になった話題」「自由とルールについて」などなど多岐にわたる課題を200字程度でまとめていきます。さすがに100本は出しませんが、「あくまー!おにー!」と言われながら、次々新しい課題を渡します。
ノックの受け方はそれぞれですが、思考の深まりを感じさせる、きらりと光る文章がでてきます。
この時期になると、ケアの割合はグンと低くなります。作文支援の終了はもう間近です。
「学びとケアの中間としての作文支援」の終わり
全ての作文をファイルしていくと、多い子は数センチの厚さになります。高校受験の作文試験の日には、全員が試験会場にそのファイルを持って行きます。自分自身の努力や成長が実感でき、何にも代えがたい一番のお守りになるようです。
「気持ちを落ち着かせるために、試験前に作文を見直そうと思って作文ファイルを出したら、作文の量の多さに隣の席の子がものすごくビビった顔をしていて、これで勝ったなと思った。」と自慢げに話した子がいて、思わず笑ってしまったことがあります。
志望校の作文試験が終わると、報告の電話がかかってきます。「今までで一番よく書けた。」「まぁ、大丈夫だと思う。」「漢字を一つ間違えたけど、内容はいいと思う。」など、興奮気味に話します。どの声も満足そうです。
その中で、「ここまで来たんだな…。」とため息ともつかぬ声で言った子がいました。忘れられない言葉です。
「自分の気持ちが分からない」と白紙の作文用紙を見つめ続ける状態からスタートして約4か月。学びとケアの間を行ったり来たりしながら行ってきた作文支援がこれで終わったのだと実感しました。