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カートライトの「ドラペトマニア論文」と精神医学における価値の相対化(京都大学大学院医学研究科 精神医学教室 客員研究員:植野仙経) #誘惑する心理学

19世紀、アメリカの精神科医サミュエル・カートライトは、自身の論文で黒人奴隷の逃亡はドラペトマニアという疾患によって引き起こされると主張し、その治療を提唱しました。今日ではカートライトは、「治療」の名のもとに黒人奴隷への鞭打ちを正当化したと評価されています。今日の精神医学はこのことから何を学べるでしょうか。今回は、京都大学大学院医学研究科客員研究員の植野仙経先生に、ドラペトマニア論文をテーマに、精神医学における価値の相対化を論じていただきました。
※末尾に編集部から補足があります。

はじめに

2023年春、新型コロナ感染症の流行が収束し、人々の日常が戻りつつある中、私は鬱屈とした気持ちを抱いている。これで静かな暮らしは終わるだろう。路線バスや電車は異国からの観光客で再び混雑するようになり、嵯峨嵐山は私たちが気軽に散策できる場所ではなくなり、寺社仏閣では異国の言葉が飛び交うようになるだろう。街の飲食店には長蛇の列ができ、行きつけの喫茶店にさえあの人々は入り込んでくるだろう。古さびた家屋は平板な宿泊施設への変貌を再開し、あの日歩いた路地裏の景色は、気がつけばもうどこにも見あたらなくなってしまうのだろう。私は「私たちの街」に「異国の人々」が押し寄せることで、日々の暮らしが失われるのを恐れている。


私たちの社会では、多様性や個性を重視し、人権を尊重することが求められている。このような社会では、異なる価値観を尊重し、受け入れることが必要である。そこで精神医学には、多様な文化や社会背景を持つ患者たちの心の健康を守るために、主流社会の価値観の相対化が求められる。具体的には、患者たちと対話し、彼らの文化的背景や信念を理解することが大切である。そして医療者自身も、自己の偏見や暗黙の前提に基づく診療行為を避けるために、常に自己研鑽を重ねることが必要である。しかしながら、今日の精神医学は主流社会の価値観を、すなわち自らが属する社会や自分自身がもつ価値観を相対化できるだろうか。この問題を考えるうえで、19世紀アメリカ南部の医師サミュエル・カートライトと、彼が考案したドラペトマニア(drapetomania)という疾患は、多くの示唆を与えてくれる。

ドラペトマニア論文には何が書いてあるのか

カートライトは1851年に「黒色人種の疾患および身体的特異性に関する報告」(Report on the Diseases and Physical peculiarities of the Negro Race)(以下「ドラペトマニア論文」と略す)において、黒人奴隷の逃亡はドラペトマニアという疾患によって引き起こされると主張した[1]。彼によれば、黒人奴隷がそのように自由を求めて逃げ出すことは一種の精神的な疾患の結果であり、そのような疾患に対しては医学的な治療を施すべきである。この主張は、今日では「人種差別のイデオロギーを強化する、疑似科学的な、なるべくしてなったというまことしやかな物語の典型例」[2]とされる。多くの人が、このような診療行為は許されないと考えるだろう。

ウィキペディア日本語版の「ドラペトマニア」の項によれば、「サミュエル・A・カートライトが考えたこの病気の治療法とは、患者から悪魔が出て行くように鞭打ちをおこなうことであった」[3]。実際、ドラペトマニア論文には以下の一節がある:

逃亡する前に黒人は、おびえたりパニックに襲われたりしていなければ、不愛想で不機嫌な様子になる。この愛想のなさや不機嫌さの原因は調べられ、とりのぞかれるべきである。さもなければ彼らは逃亡するか、黒人性消耗性疾患におちいってしまいかねない。原因なく無愛想で不機嫌になっているなら、メーソン‐ディクソン線などでの経験は、逃亡や他の悪行の予防的手段として、鞭で打ってそれらを黒人から取り除くことを明白に支持する。それは悪魔払いの鞭と呼ばれていたものだ(It was called whipping the devil out of them.)

この一節に含まれる「悪魔払いの鞭(whipping the devil out of them)」という文言が、ドラペトマニアの治療法としてときに引用される。

しかし、ドラペトマニア論文においてカートライトが提案した治療法は、実際は単なる「鞭打ち」ではなく、より微妙な陰影を帯びたものである:

堅実な生理学的原則によって扱われれば、この病はたやすく治療できる。〔患者の〕皮膚は乾いており、分厚くて触るとざらつき、そして肝臓は不活発である。肝臓、皮膚、腎臓は刺激を与えて活性化され、血液の脱炭素化を助けるようにされねばならない。まず、皮膚を刺激する最も良い手段は、暖かいお湯と石鹸で患者をよく洗うこと、そしてくまなくオイルを塗り、幅広の革ひもでオイルをはたき込むことである。それから、患者には屋外の日光のもとで、彼の肺を拡張させることになる何らかのきつい仕事をさせる。木を切ったり、横木を割るか、横引きのこや長のこで挽いたりするような仕事である。重い荷物を持ち上げたり運んだりすることや、きびきびと歩くことなど、十分かつ自由な呼吸をもたらすような、あらゆる種類の仕事が役に立つ。目的は精いっぱい深く呼吸することで肺を拡張させること、その結果、不純な循環血が酸素を取り入れ炭素を排出することで活性化されることである。この治療は一度にあまり長く続けられるべきではない。なぜなら循環している体液はこの病気ではあまりに不純であるため、患者は頻繁に休息をとり、自由に冷水あるいは冷たい飲み物を飲まなければ長時間の運動に耐えることができないからである。レモネードや、あるいは糖蜜で甘みをつけたペッパーティーと交互に与えてもよい。悪いケースでは、血液はつねに壊血病のようになり、そして一般的に、壊血病のような影響が歯肉に生じる。運動により生じた心臓の動悸が鎮まるまで休息した後に、患者は酢で味付けしたカブや芥子菜のサラダのような、スパイスをよく効かせ、野菜を含む良質で健康的な食べ物をとるべきである。適度な食事ののちに、彼は仕事に再びとりかかることになる。そして間をとって休み、元気を回復させ、自由に飲み物をとることで発汗を促す。夜間は小さな暖炉のある暖かい部屋に泊まらせるべきであり、十分な毛布で覆われた清潔なベッドを与えられ、就寝前にはきれいに体を洗われなければならない。そして朝が来れば、先に記したようにオイルを塗られ、鞭を打たれ(slapped)、仕事をさせられるのである。こうした治療は短期間のうちに、慢性の臓器不全によって複雑化していないあらゆるケースで治療効果を発揮するだろう。

この一節における鞭打ち(slap)は、血液の脱炭素化を促進するために皮膚を刺激する手段として位置づけられている。鞭打ちはあくまで手段でしかない。カートライト自身の言葉によれば「子どものように、配慮と親切さを備え注意深く人道的に扱いさえすれば、彼らの逃亡は予防および治療できるのである」

カートライトは何をしようとしていたのか

19世紀の医師カートライトは、黒人奴隷の逃亡を「ドラペトマニア」という疾患によるものと位置づけ、治療法として「悪魔払いの鞭」を提案したとされる。しかし実際に彼の論文を読むと、カートライトが提案していたのは黒人奴隷を注意深く「人道的」に扱うことであった。血液の脱炭素化を促す一種の運動療法についても、そこでなされるべき適切な休息や栄養摂取に対する配慮が具体的に述べられている。ドラペトマニア論文においてカートライトは、黒色人種は自由には耐えられないように生まれついていることを、数多くの解剖学的、生理学的、さらには釈義学的知見を引き合いに出し、執拗なまでに論証しようとする。今日の私たちからみれば、カートライトがなんらかのバイアスに囚われていることは明白であろう。それでも、カートライトは「人道」を重んじる医療者でもあったのだとは考えられないだろうか。

このような見解について、同僚からは次の指摘をうけた。「カートライトは「人道」を重んじる医療者でもあったのだというのは、カートライトの論文を読んでこそ出る意見だろう。しかしカートライトが執拗なまでに黒色人種が自由に耐えられないことを論証しようとしているのだとすれば、彼の言う「人道的」な意見というものも、その人種差別的な見解に、より説得力を持たそうとしているだけのことかもしれない。」

そうだとすれば、カートライトの主張はそれだけ狡猾で悪質であるということになろう。しかしカートライトはドラペトマニアという疾病概念を、奴隷制擁護のための方便としてどこまで自覚的に使用できていたのだろうか。奴隷をあまりに過酷な状況において虐げることもまた奴隷の逃走を促すものであり、したがって逃走を予防するためには奴隷を「人道的」に扱うべきであるという主張は、臨床家としての彼の経験に裏打ちされたものだったかもしれない。むしろカートライト自身、私は医療者として黒人奴隷の「病」に誠実に向き合おうとしているのだと、心の底から信じていたかもしれない。そう考えると、事の様相は喜劇じみた哀愁を帯びてくる。

もちろん、カートライトの言動が倫理的ないし実践的に正当化できるか否かは、彼の動機だけでなく、それが社会にもたらした影響も考慮する必要がある。しかし考えようによっては、奴隷の逃亡を犯罪ではなく病気の症状として位置づけるカートライトの主張は、逃亡奴隷を刑罰ではなく治療の対象として扱うという変化を社会にもたらしたかもしれない。そして、逃亡の「発症」を予防するために奴隷の処遇は「人道的」な配慮に満ちたものであるべきだという主張によって、奴隷の扱いは苛烈さをいささか減じたかもしれない。

カートライトが生きた時代とその生涯

アメリカ合衆国は、18世紀末の独立戦争ののち、19世紀初めから急速に西部へと拡大した。それとともに南部諸州では奴隷制度が広がり、奴隷制度擁護論が支配的となった。そのなかでは「文明社会になれていない多数の黒人を文明社会で生活させるには奴隷の身分において監督し保護しなければならない」と主張されたという[4]。それに対して北部諸州では奴隷制度の拡大に歯止めをかけるべきだという意見が増大し、1840年代までに有力な見解となった。一方、南部では奴隷州は合衆国から脱退すべきだという意見が醸成され、1860年に奴隷制度拡大への反対を第一の主張とする共和党のリンカーンが大統領選挙に当選すると、サウス・カロライナなど七州が連邦を脱退してアメリカ連合国(南部連邦)を形成した。そして1861年4月に南北戦争が始まった。

カートライトはまさにこの時代を生きた。1793年11月にヴァージニア州北部で生まれたカートライトは医学を志して医師に弟子入りし、専門家としてのトレーニングを開始した。そして1812年の第二次英米戦争ののちにペンシルバニア大学医学部に入学し、ベンジャミン・ラッシュに学んだ(19歳頃)。その後、アラバマに職を得て大学を去り、1823年(30歳頃)までにミシシッピー州南西部の都市ナチェズに移った。医療者としてのカートライトは致死性の伝染病の専門家であった。1832年(39歳頃)にはアジア型コレラ(Asiatic cholera)のエピデミックへの対処に成功した。この功績は科学界で注目され、医学校から好待遇での招聘や教授職のオファーがなされたという。1848年(55歳頃)にはコレラとの戦いのためにルイジアナ州ニュー・オーリンズに移り住んだ。その後、1861年の南北戦争開始にともないアメリカ連合国の軍医副総監(Assistant Surgeon General)に任命されたが、年齢と健康のために長く務めることはできなかった。1863年に健康状態悪化のためミシシッピー州に戻り、その地で1863年5月に没した(享年69歳)[5][6]。

カートライトの著作は多岐にわたるが、南北戦争に先立つ20年間は黒色人種および奴隷制度に関する著述を大量に行い発表した[5]。そのような著作を行うルイジアナ州の医師のなかではカートライトは指導者と目されており、ギリシャ語やヘブライ語を含む複数の言語に通じた学者にして、南部および南西部で半世紀近く活動した臨床家として尊敬を受けていた[7]。そして今日、カートライトの名はもっぱらドラペトマニアの発案者として残っている。

ドラペトマニアと価値の相対化

スティーヴン・J・グールド[8]はカートライトの学説について、「ばからしさ」という点でこれに匹敵する議論は、奴隷制の「科学的」擁護論においてみられなかったと評している。とはいえグールドが示すように、人種間には知的能力の違いが生得的にあり、それに応じて適切な社会的環境ないし処遇も異なるという見解は、奴隷制度を擁護するか否かに関わらず当時のコミュニティおよびアカデミアにおいて広く受け入れられていた。そして、ドラペトマニア論文における芥子菜のサラダや糖蜜で甘みをつけたペッパーティーの下りを読むと、カートライトという人物が愚かな差別主義者であったにせよ、「人道的」という糖衣で奴隷制度という丸薬を飲み下させようとする御用医学者であったにせよ、たんなる悪だとは私には思えない。おそらくカートライトの「悪」は、無自覚に、もしかすると自らは善をなしていると思いながら、すなわちもっとも始末に負えないかたちで悪を為したという点に求められる。そこで私は思うのだ。もし私がカートライトの立場に置かれたとして、カートライトのしたことで、私のしなかったことがなにかあっただろうか。

カートライトが生きていた当時から、ドラペトマニアという疾患概念への批判はあった。なかでも痛快なのは、北部の学童にはエフギウム・ディシプロリウム(effugium discipulorium)という疾患がみられるという指摘である。この疾患によって生徒たちは教室から脱走し「郊外の農場や果樹園における遊走性かつ捕食性の侵入」に時間を費やすが、この疾患は南部でみられるドラペトマニアと同様のものである[9]。すなわち、南部におけるドラペトマニアは学生が教室を抜け出して遊びに行くようなものであって、それが疾患であるなどと真剣にこじつけようとしているカートライト先生および南部の諸兄はどうかしている、というわけだ。

しかし、そうやって教室を脱走する学童の一部は、今日では注意欠如多動症としてカテゴライズされるかもしれない。そのように考えると話は複雑になる。注意欠如多動症は生物学的要因を背景とした状態であり、それによる多動や不注意などの問題は、個人の意志や努力ではカバーできないことも多い。注意欠如多動症などの神経発達症は、ときに神経多様性という概念によって、個々人の多様性の一種とされ脱医療化が図られる。この試みは、病的なものというネガティブな価値づけから非定型な神経発達上の特性を解放しようとする点で、また問題の過剰な医療化を抑制するという点で、倫理的かつ実践的に良いものである。しかし神経発達症を神経多様性として、ひいては「病気」とは異なるものとして、たとえば個性などとしてカテゴライズすることが行き過ぎると、医療的な介入や支援を必要とする人々が、その必要性を理解されずに適切な配慮を受けられなくなるという問題を引き起こしかねない。

今日の精神医学において、価値の相対化が求められることは否定できない。しかし価値の相対化は必ずしも「良い」こととは限らない。精神医学の目的は、患者の症状を改善し、彼らの生活の質を向上させることである。そのためには患者の文化や価値観に配慮することが必要になる。私たちの外来を訪れる患者さんの多くは、メインストリームの価値づけの下で生きている。そして、そのなかには抑うつ症状に苛まれ、自分には能力もやる気もなく、何一つとして価値あることができないという自己否定的な思考に陥り、苦しみを抱えている人もいる。その自己否定的な思考の多くは、家族あるいは社会の一員としては、しかじかのことをするのが当然であって、またそうでなくてはならないという価値観から生じているように医療者には思える。しかし患者を苦しめているものとは異なる価値観として、たとえば「世間からみて価値あることが何一つできなかったとしても、あなたは掛け替えのない一人の人間である。あなたはそのままで十分に価値があるのだ」という見方を示して患者を苦しみから解放しようとしても、それはえてして医療者の「オルタナティブ」な価値観の押し付けにとどまる。ともすると、患者がよって立つ主流社会の価値観と患者の苦しみそのものを、ともに否定あるいは否認することになりかねない。

ドラペトマニア論文は何が問題なのか

現在、私たちは人種差別に対して否を唱える価値観のもとで生きている。この私たちのメインストリームの価値観に照らしてみた場合、カートライトの主張は、その動機や社会に与えた影響の如何とは関わりなく、以下の点で悪である。すなわちカートライトの「人道的」な処遇の提案は、黒色人種は白色人種とは異なり自由を享受できる能力を生得的に持ちえず、不自由な状態において白色人種が管理するのが適切であるという前提に基づくものであった。

人種差別は悪であるという価値づけのもとで改めて考えると、ドラペトマニア論文には次の問題があることが見えてくる。実社会においてそれぞれの「人種」が受ける処遇の不公正さを、それぞれの種別の生得的な違いから実践的および認識的に正当化しようとしている点で、カートライトは短絡的である。仮に、自らの力では生きられない人々がいたとして、その人を保護することは(いかなる意味において)人道に適うことなのか、その人は誰が保護すべきか、その人々はその保護者の私有財産となるのか、その保護活動によってなんらかの利益が得られたとして、それはその人々の保護者の収入とするのが適切か、これらは本来、個別に論じるべきことである。そしてドラペトマニア論文は、自らを律する能力という心理的な特性と、神経や呼吸器といった身体器官の特徴、さらに奴隷として扱われる社会的処遇という本来異なるカテゴリーないし階層に属する問題、さらには(認識上の正誤はどうあれ)人種間の違いが事実としてあるという事実問題と、その権利上の扱いには違いを設けるべきであるという権利問題とを取り違えて(あるいは取り混ぜて)論じている。すなわちカートライトは自らの主張を展開するなかでカテゴリー錯誤を犯している。

このような短絡的な議論やカテゴリー錯誤はカートライトだけのものではない。私自身、この種の過ちをしばしば犯す。また文学作品や日常会話は、むしろそうした短絡やカテゴリー錯誤がないとそれこそお話にならない。けれども、科学的な主張として自説を展開するのであれば短絡的な論述(議論のショートカット)やカテゴリー錯誤(それによる比喩や印象操作)の利用は自覚的かつ限定的であるべきであり、さもなければ科学的には「ばからしい」と評価されても仕方ないだろう。アジア型コレラのエピデミックへの対処というカートライトの医療実践上の功績や、奴隷制度擁護論にすら顔をのぞかせる医療者としての「人道的」な配慮に満ちた姿勢を認めながらも、ドラペトマニア論文の評価に関して私はグールドに同意する。

おわりに

今日の精神医学は主流社会の価値観を、すなわち自らが属する社会や自分自身がもつ価値観を相対化できるだろうか。このように問う場合、次の問題についても考えておく必要がある。価値の相対化は「良い」ことなのか。それはどのような観点からみたときの「良さ」か。実践的な有用性か、倫理的な善さか、あるいは学術的な価値か。とはいえ、価値の相対化に異議を唱え、自らが奉じる価値に基づく実践をただ行えば「良い」というわけでもない。その実践において重要なのは、自らや他の人々がもつ価値観について、それがいかなる観点から価値づけされたものか、その利害関心はどこにあるのかを理解することである。とくに、自らが拠って立つ価値について、その価値が属するジャンル、その価値の長所と短所、その価値観を自らが用いる目的を自覚することが大切である。カートライトの人生と彼のドラペトマニア論文は、そのことを私に教えてくれた。


2023年春、新型コロナ感染症の流行もようやく収束し、人々の日常が戻りつつある。私は旧友と数年ぶりに花見をたのしみ、子どもらは久しぶりに会った従兄弟たちと遊んでいる。鴨川の河原の歩道も整備され快適になった。今年は教室の夏合宿も開催される見通しで、閑古鳥が鳴いていたあの店も、なんとかコロナ禍を切り抜けたようである。

編集部より補足

以上、植野仙経先生に、ドラペトマニア論文をテーマに精神医学における価値の相対化を論じていただきました。ドラペトマニア論文の問題点を指摘しつつ、そもそもカートライトは論文に何を書いたのか、何をしようとしていたのか、そして精神医学は主流社会の文化を相対化できるのか、すべきなのかといった観点についてお書きいただきました。編集部では、このテーマについて考えるうえでは、以下の今日的な観点からの批判をふまえておくことも重要ではないかと考えています。

1. 「ドラペトマニア論文」は、カートライトの主張・意図とは無関係に、黒人奴隷に対する鞭打ちの正当化に利用された可能性があります。
2. カートライトが提案した処遇は、黒人奴隷の逃亡を予防するための手段としてのものであり、その提案は、黒人奴隷の苦痛に対する配慮ではなく、黒人奴隷の逃亡(すなわち「資産」の喪失)を抑止したいという白人植民者のニーズに対する配慮によっても説明できるでしょう。
3. 温情や哀れみ、寛容さは、当時それが逃亡に対する主流な処遇となった場合、懲罰としての暴力を減らすという効果はもちえたかもしれませんが(そしてそのことには非常に大きな意味があったかもしれませんが)、待遇が改善したように見えたことで、黒人奴隷による解放や自立を求める抵抗をむしろより抑圧しえたかもしれません。

本論考が社会と自分自身の行動や価値観を見つめなおすきっかけになれば幸いです。

参考文献

[1]Cartwright SA : Report on the Diseases and Physical peculiarities of the Negro Race. NOMSJ. 7:691-715 (1851). (In Health, Disease, and Illness : Concepts in Medicine, ed. by Caplan AL, McCartney JJ, Sisti DA, 28-39, Georgetown University Press, Washington, D. C. (2004).)
[2]Health, Disease, and Illness : Concepts in Medicine, ed. by Caplan AL, McCartney JJ, Sisti DA, 28-39, Georgetown University Press, Washington, D. C. (2004). 第一部の導入より(p.2)
[3]ドラペトマニア. In フリー百科事典 ウィキペディア日本語版. 2023年4月30日 (日) 00:28 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org
[4]有賀貞:ヒストリカル・ガイド アメリカ. 山川出版社. 東京. (2012).
[5]Breeden JO : States-rights medicine in the old south. Bull N Y Acad Med.52:348-372 (1976).
[6]Guillory JD : The pro-slavery arguments of Dr. Samuel A. Cartwright. Louisiana Hist. 9:209-227 (1968).
[7]Editorial, NOMSJ. 6:239 (1849).
[8]スティーヴン・J・グールド: 人間の測りまちがい. 鈴木善次, 森脇靖子 訳. 河出書房新社, 東京. (2008).
[9]Hunt SB : Dr Cartwright on "Drapetomania." Buffalo Med J Monthly Rev. 10:438-443 (1854).

略語

NOMSJ:The New Orleans medical and surgical journal

執筆者プロフィール

植野仙経(うえの・せんけい)
京都大学大学院医学研究科客員研究員。専門は精神医学、精神医学の哲学。精神科医療の実践ならびに外傷性脳損傷の研究に携わる傍ら、精神医学に関する概念的問題の考察を行っている。著書に『心の臨床を哲学する』(共著 新曜社 2020)、『精神医学の科学的基盤』(共著 学樹書院 2020)、訳書にクーパー『精神医学の科学哲学』(共訳 名古屋大学出版会 2015)、ショーター/ヒーリー『〈電気ショック〉の時代』(共訳 みすず書房 2018)、ザッカー『精神病理の形而上学』(共訳 学樹書院 2018)など。

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