インターネットを活用した自殺予防実践は良きパターナリズムと言えるのか?(和光大学現代人間学部教授:末木新) #誘惑する心理学
本稿で論じること/目的
本ページへのアクセス増を目的に、やや煽情的なタイトルをつけさせていただきましたが、本稿の執筆目的は、以下の問題について論じることです。
●(主にウェブ上の)行動履歴データをもとにした自殺リスクの推定結果を活用した自殺予防実践は、良きパターナリズムと言えるのか?
● 悪い点があるとすれば、それはどのような点か? 改善は可能なのか?
また、これらの問題について論じる際に、予め執筆者のこれまでの経歴を説明しておく方がフェアですので、その点について説明をさせていただきます。というのも、私自身(末木新)はこれまで、インターネット関連技術を活用して自殺予防を推進するための研究に多年にわたって従事しており、現状を作り上げることに(微小であったとしても)寄与してきた側の人間だからです。特に、ウェブ検索連動型広告を活用して(検索行動のデータから推定した検索者の自殺リスクの推定結果を活用して)、自殺予防のためのハイリスク・アプローチ(自殺リスクの高い者を早期に発見し、援助資源と結び付けて継続的に見守っていくこと)を実践することに関わってきたという経緯があります(研究活動の概要は、インターネット・ ゲートキーパー事業から生み出された研究の概要についてをご参照下さい)。そのような意味で、本稿には、現状肯定的なバイアスが入りやすいという点を、予めご承知おきの上、ご笑覧いただけますと幸いです。
それでは、以下、本編の方に入らせていただきます。
筆者の問題意識
日本では現在、インターネット上のプラットフォーム(例:Google)内で自殺につながる可能性のある行動を取った場合に、様々な相談先情報が提示されるという環境が構築されています。例えば、GoogleやTwitterなどで、「自殺方法」と検索をすると、下の画像のように、相談先情報が提示されます。
こうした実践の背景には、ウェブ上での自殺関連の行動が、その行動を取った者の自殺のリスクの高さを示す膨大な研究があります。筆者自身も、例えば、Googleにおける自殺関連語の検索量と自殺率の関連を検討したり(※1)、Twitter上で「死にたい」とか「自殺したい」とつぶやいた経験のある者の自殺のリスク因子の保有状況について調査をしたりしてきました(※2)。様々な研究が世界中で実施されていますが、ウェブ上で何らかの自殺関連の行動をするインターネット利用者の自殺のリスクはそれなりに高いことが多い、というのがこれらの研究結果が示すところです。
こうした自殺に関する情報疫学的研究の結果を背景に、ウェブ上で自殺関連の行動をしている者に対して広告等を介して支援先情報を提示すれば、自殺のリスクの高い者に対して効率的に支援を提供することが可能になるのではないかという発想が生まれました。これを実現し、実証したのが上述のインターネット・ゲートキーパー事業です。実際に、自殺関連語のウェブ検索の結果に対して支援先情報に関する広告を提示することによって、効率的に自殺リスクの高い者に支援を提供できることが示されています(※3)。例えば、インターネット・ゲートキーパー事業の場合、過去に自殺念慮を有したことのある相談者の割合は約8割、自殺企図歴のある相談者の割合は約4割程度で推移しています(※4)。
一方で、こうした広告に対する批判は、例えばTwitterなどを検索してみると比較的簡単に見つけることができます。批判の内容は、「① このような広告が出ることによって全体として見れば自殺念慮を表現できる場が減少しており、政策として負の効果を有している可能性があるのではないか(有効性への批判)」というものや「② ウザいし、相談する気とかない、そういうの探していない(自殺予防のパターナリズム批判)」というものです。こうした批判に対して、これまで対策の実施サイドが十分に応答してきたかと言われると、そうは言えないだろうと思います。
批判への応答①:有効性への批判について
自殺関連の行動をウェブ上で取ったインターネット利用者に対して広告等を提示することによって、一部の利用者は支援先につながるかもしれないが、こうした政策の結果として全体として見れば自殺念慮を表現できる場が減少しており、政策として負の効果を有している可能性があるのではないか、という批判は、必ずしも的外れなものではありません。
確かに、メディアを介した自殺予防のための危機介入活動の有効性には一定のエビデンスがあります。例えば、インターネット・ゲートキーパー事業の場合、支援につながり1ヶ月程度継続的に支援者とやり取りをした者の自殺念慮や抑うつ・不安感は、小~中程度の効果量ながら、統計的有意に減少しており(※5)、ランダム化比較試験のような厳密な研究デザインを用いた研究ではないものの、匿名他者と自殺関連のコミュニケーションを行った経験のあるインターネット利用者の心理状態や自殺のリスクの程度が6週間の間に大きく変化しないことを考慮すれば(※6)、こうした支援には一定の有効性があると考えてもおかしなことではありません。
しかし、このような恩恵を受ける者は広告を提示された者の中のごく一部です。これまでの研究データによれば、自殺関連語のウェブ検索に対して支援先を広告で提示した場合、広告クリック率(広告からランディング・ページ[ランディング・ページ:検索結果・広告を経由してネット利用者が最初にアクセスするページ]への移行割合)は約1~5%、コンバージョン率(ランディング・ページにアクセスした者のうち、相談メールを送信した者の割合)は約3~5%になります(※3, ※4, ※5)。つまり、広告が提示された者のうち、0.03~0.25%程度の者しか相談メールを送信することはありません。また、その内、1ヶ月程度メールのやり取りを継続する者はさらに限られるということになります。追加で指摘をするのであれば、そのようなメディアを介した危機介入活動の効果が測定・検証されている活動は、国内的に見ればこれ以外にはほぼ存在しないという状況です……
メール相談だけではなく、より古くからある電話相談についての広告のデータも示しておきたいと思います。厚生労働省が開設している「こころの健康相談ダイヤル」への誘導を目的として運用された広告のデータでは、広告クリック率は約3~5%、コンバージョン率は0.3~0.5%程度でした(※7)。こうしたデータは必ずしもいつでも開示されているものではなく、参照できる運用データは限られていますが、おそらくメール相談よりも援助希求のハードルが高い電話相談では、上述のように、コンバージョン率がメール相談よりもさらに下がるものと思われます。また、同期的なコミュニケーション・メディアである電話の場合、着信率(かかってきた電話に支援者側が出ることができる確率)は100%ではなく、支援にたどり着くことができる者の割合は、ここでもさらに下がることになります。広告を見て、せっかく相談のための電話をかけたにもかかわらず、電話をとってもらえない人がいれば、もしかすると広告を見た結果としてがっかりするという事態も起こるかもしれません。
そして、ウェブ上の自殺関連の行動に対して様々な広告が出稿され、「困った時には相談を」という文言がプラットフォーム上のそこかしこに踊ることによって、かつて自殺サイト上で実施されていたような死にたいと感じる者同士の(ピアによる)コミュニケーションの機会は減少しているかもしれません。この点については、参考になるデータは存在しませんので、あくまで可能性の話ということにはなりますが、そんなことは絶対に起こってはいない、と言い切ることは当然ながらできない、ということになります。自殺サイト上で実施されていたような当事者間の相談に類するコミュニケーションが、仮に、統計的/全体的に見れば利用者のメンタルヘルスをそれほど改善させていなかったとしても(※6)、良質なコミュニケーションを得ることが出来ていた一部の利用者が自殺予防的な影響を受けていた可能性があることはまた事実であり(※8)、そのような機会が失われたかもしれないという損失の可能性が存在することは、やはり見過ごすことはできないものです。
以上のように、現状の研究やデータから明確な結論を出すことは難しいわけですが、こうした批判に応答するためには、①広告を介してより適切にスクリーニングを実施できるような方法の改善、②広告提示後の広告クリック率/コンバージョン率の改善、③支援機関とつながった後に提供される支援の質の向上、を繰り返し、それをきちんと説明していくことが必要になると考えられます。
批判への応答②:パターナリズムへの批判について
仮に批判①の対策の有効性の問題がクリアされるとしても(全体として見ればウェブ上の自殺関連の行動に広告を打つことが自殺予防的に機能するとしても)、こうした対策について、「② ウザいし、相談する気とかない、そういうの探していない(自殺予防のパターナリズム批判)」という批判は成り立つものと思います。実際のところ、仮に何か(例:効果的で苦しみの少ない自殺方法)を探している最中に、まったく別の広告(例:相談先情報)を提示されたとすれば、「そんなものは探していない」、「ウザい」、「押し付けがましい」と感じるのはそれほど不思議なことではありません。広告クリック率が3~5%程度であることを考慮すれば、そう感じている方が多かったとしても、不思議はないところです。
インターネット上の広告を活用しているか否かに関わらず、自殺予防活動に含まれる「押し付けがましさ」に対する批判や嫌悪は、それほど珍しいものではありません。それにもかかわらず、自殺予防活動は現在、広く実施されています。それでは、このようなパターナリズムは、これまでどのようにして正当化されてきたのでしょうか。
パターナリズムの正当化の手段には様々な考え方がありますが(※9)、一般に自殺を防ぐための危機介入的な活動を正当化するために用いられてきた考え方は、自殺を考える心理的な状態そのものが、合理性や任意性を十分に発揮できる状態ではない(例:心理的視野狭窄に陥っており、他者から見える問題解決手段が見えなくなっていて、自殺だけを問題解決の手段だと考えてしまっている)というものです。そのため、少なくとも、合理性を発揮したり、任意性を確認したりするためにはパターナリスティックな干渉が許容される、ということになります。こうした考え方により強い正当性を与えるために、自殺企図直前の心理的な状態が精神障害様の状態である、ということが強調されることもあるように思います(精神障害であることは、必ずしも常に合理的思考が阻害されたり、任意の自己決定ができないことを意味するわけではありませんが)。
それでは、自殺関連語のウェブ検索をしたり、「死にたい」とつぶやく者は、全員が合理性を欠いた状態であったり、任意の自己決定ができない状態にあったりするのでしょうか? 確かに、平均的に見れば、こうした行動をする者がそうではない者に比して多くの自殺の危険因子を抱えていることはすでに述べた通りです。一方、皆が皆、パターナリスティックな介入が許容されるような状態ではない(合理性や任意性が保持されている場合「も」ある)こともまた事実です。広告が表示される者すべてが、パターナリスティックな干渉を正当化するような状態であると考えるのはやはり無理な話であり、このような活動に、インターネット利用者の自主性を侵害するような正当化し切ることのできない「押し付けがましさ」が含まれていることは、認めざるを得ないものと思います。
一方、これまでに実施されてきたこの種の活動によって、本当に追い詰められた人たちが支援につながり、自殺を考えるのではなく、他者とつながり、別の解決策を考えるようになった場合がそれなりにあることもまた事実です(具体的な事例は、文献※10内の事例を参照のこと)。パターナリスティックな干渉を受けることによってよりその人の意志を尊重した決定ができるようになる場合も少なからず存在し、仮にその干渉がなければ死という不可逆的な結果が待っていたかもしれないという事態の重さを考慮すれば、こうした干渉をすべてなくしてしまうことも、また違うのではないと思います。皆様はいかがでしょうか。
パターナリズムを緩和するために何ができるのか?
「あれもあるしこれもある」という形でなんとも煮えきらない議論しかできず恐縮ではありますが、ここまでの話を総合して、筆者としては、自殺予防活動のもつ十分に正当化しえない「押し付けがましさ」を認めた上で、より効果があり、かつ、より干渉の度合いが少なく、利用者の自主性を尊重することのできるサービスを開発し、社会実装していくことが重要だと考えています。有効性の高め方については既に述べた通りですが、それでは、こうした活動の「押し付けがましさ」を低減し、利用者の自主性や自己決定を尊重するために、何ができるでしょうか。
第一に考えるべきは、コンバージョンの見直しと、複数化(選択肢の増加)です。現状の自殺関連の広告のコンバージョンは基本的に援助希求行動の誘発(例:電話ボタンのクリック)に設定されています。自殺が孤独と孤立の結果として生じることを考慮すれば、自殺のリスクを低減するために援助希求行動を促進しようとすることは間違いなく正しいことです。しかしながら、自殺のリスクに曝された人がみな、助けを求めたいとか、話を聞いてもらいたいなどと考えているわけではありません(※11)。また、それが全員に対して有効なわけでもありません。こうした広告が相談を誘発すること「のみ」を唯一の選択肢として掲げていることは、閲覧者の選択肢を限定することで主体性を阻害し、「押し付けがましさ」の程度を高めています。援助希求行動の誘発のみを広告提示の目的とせず、他の選択肢(例:リラクゼーション等のストレス・コーピングの方法を動画で教示する)を用意することは、閲覧者の主体性を尊重すること、すなわちパターナリズムの程度をより小さくすることにつながると期待されます。
第二に考えるべきは、当事者と協同して広告やランディングページに含まれるサービスを開発していくことです。つまり、広告提示の対象となる人々とともにサービスの開発を実施することで、サービスの提供が上から一方的になされないようにしていくということです。海外で運用されている広告やホームページには、既にこのような手法で開発されたものもあります(※11)。もちろん、自殺関連語の検索回数は膨大であり、自殺関連語を検索している人々の数も相当なものになるはずです。ですから、当事者との協同開発といっても、すべての利用者の選択や主体性が直接保証されるわけではありません。とはいえ、このような作業を実施し、協同開発の上で作成されたサービスを提供し、その旨を説明していくことは、やはりパターナリズムの程度を低減させるものと期待されます。
とりあえず筆者の思いつく方策は以上のようなものになります。しかし、これらは完璧でも十分なものでもなく、より良いやり方もきっとあるだろうと思います。本稿の読者が、新しいやり方で、より効果的に、より「押し付けがましさ」を少なくしながら、人々のより良い自己決定を促すシステムを作ってくれることを期待しつつ、本稿を終えたいと思います。お読みいただき、ありがとうございました。何か疑問・質問・コメントなどがありましたら、メールやTwitterのDMにて連絡をいただければ幸いです。