【第6回】ともに眺める関係(半田一郎:子育てカウンセリング・リソースポート代表)連載:子どものSOSの聴き方・受け止め方
前回、傾聴することは、人と一緒に映画を見るようなものだということをお伝えしました。傾聴とは、「聴き手が話したくても話さないで、話し手の話をよく聴かなければならない」という性質のものではなく、語られるストーリーを話し手と一緒に眺めながら、話し手の話についていくことなのです。そして、人と一緒に映画を見るような姿勢で傾聴することは、傾聴にとって重要だといわれている、受容(無条件の積極的関心)、共感的理解、一致という3つの姿勢と共通すると考えられます。
今回は、傾聴とは人と一緒に映画を見るようなものだ、というたとえ話から、傾聴することについてさらにいくつかのポイントをお話しします。
主人公が登場しないストーリー
実は、人と一緒に映画を見る時と、人の話を傾聴する時には、大きく異なっている点があります。それは、主人公が登場するかどうかです。映画には、ほぼ必ず主人公が登場します。スピンオフやサイドストーリーの映画では、本編の主人公は登場しないことがあります。しかし、その作品の主人公は必ず存在し、登場してきます。そういう意味で、映画には必ず主人公が登場してくるのです。
しかし、人の話を傾聴する時には、語られるストーリーの中に主人公が登場しないことがあります。それは私の経験上、極めて多いように思います。主人公が登場しないストーリーというのは、不思議かもしれません。例えば、こういうことです。
いじめを受けている子ども(A)が、その事を話してくれた場合を考えてみます。その子は、毎日、学校の休み時間に、同じクラスの男子(B)から悪口や嫌がらせを受けていました。そして、こんな話をしてくれるのです。
今回は仮想例ですが、こういったことが実際にあったとしたら、深刻ないじめだと判断されるでしょう。いじめの事例だと考えると、主人公は、いじめる側かいじめられる側か迷うかもしれません。しかし、このストーリーは、Aが話しているのです。つまり、このストーリーの主人公は、話をしているAのはずです。決して、いじめている側のBではありません。にもかかわらず、話に登場してくるのはBばかりです。例えば、バンバン机をたたいてくるのはBです。また、笑いながら見て来て、変なポーズをするのもBです。「バーカ」と言ってくるのもBです。反対に、Aはこの話の中にほぼ全く登場してこないのです。しかし、話をしているAこそ、主人公であることは間違いないことです。絶対に間違ってはならない点だと思います。
ところで、もし同じストーリーでAが主人公として映画が作成されたとしたら、おそらくAの様子やAの表情がスクリーンに映し出されているはずです。Aのつぶやきが音声として流れてくるかもしれません。また、Aの心の中の声がナレーションとして語られる場合もあると思います。例えば、先生が「うるさいよ」と注意する場面では、Aの顔がアップになっていて、先生の注意やBの「はーい」という反応は、2人の声だけが聞こえてくるようなシーンになっているかもしれません。スクリーンに映し出されたAの表情から、Aの感情や気持ちは観客に自然と伝わっていくのではないかと思います。
こんなふうに、映画であれば主人公はしっかりと登場してくるのです。そして、自然に主人公の気持ちや考え、人となりが伝わってきます。一方、話を傾聴する場合には、主人公が登場しないため、相手役や脇役に自然と焦点が当たってしまうかもしれません。しかし、話し手の語るストーリーの中で、他の登場人物について詳しく語られたとしても、主人公は話し手です。そのストーリーの中で、話し手(主人公)はどんな行動をしたのか、どんな言葉を発したのか、心の中ではどんな気持ちや感情が動いていたのか、など話し手自身のことに注目しながら話を聞いていくことが大切なのです。
ただし、気持ちや考えなど話し手自身のことを一つ一つ確認したり質問したりしながら話を聞いていくことは、必ずしもお勧めできません。話し手のストーリーが自然に進んでいくことを邪魔してしまうからです。しかし、印象深いエピソードや何度も同じようなエピソードが語られる場合には、話し手自身のことについて質問を投げかけてみることも良いのではないかと思います。それをきっかけにして、話し手自身の気持ちや行動がしっかりと語られるようになることも多いと感じます。
しかし、話し手自身のことに話題を向けたとしても、上手く語られないこともあります。例えば、「その時って、あなたはどんな気持ちだったの?」と投げかけても、「気持ちっていうより、○○さんは・・・なんですよ!」などと、自分自身以外のことに焦点が戻ってしまうのです。こういった場合、自分自身が自分のストーリーの主人公になれないという苦しい状況にいるのかもしれません。その苦しさや大変さに思いを寄せながらも、聞き手は主人公(話し手)に注目しながら主人公の登場を楽しみに待つ姿勢で話を聞いていくことが大切だと思います。
ともに眺める関係
今まで書いてきたように、傾聴することと、人と一緒に映画を見ることは多くの点で共通しています。実は、映画を誰かと一緒に見る時にも、人の話を傾聴しているときにも、相手との間には、同様の関係性が生じていると考えられます。ここではそれを「ともに眺める関係」と呼びたいと思います。同じ何かを一緒に眺めて、それを共有し、それについて話し合うことを通して、情緒的な交流が生じるのです。
この関係は、カウンセリングにおいて、極めて重視されている関係です。例えば、神田橋(1990)は、対話精神療法(カウンセリング)では、治療者とクライエントが、テーマについて眺め語る関係を保つことが大切であるとを指摘しています。また、「ともに眺めること」(北山、2001)、「一緒に見ること」(熊倉、2002)などという表現で同様のことが指摘されています。熊倉(2002)では、「一緒に見ること」について、「結局、面接者の究極的技法とは、ここに行き着くのではないかと思う。」と述べられています。つまり、カウンセリングでは、「ともに眺める関係」を保ちつつ、一緒に話しあっていくのです。
感情をぶつける-ぶつけられる関係
ともに眺める関係について、さらに深く理解していただくために、次のような場面を想像してみてください。
こういった場合の子どもとのやりとりは、ともに眺める関係だと言って良いでしょうか?
Cは「殴るぞ!」と言ってきましたが、自分自身の怒りの感情をただ単にぶつけてきているだけで、表現ではなく暴言でしかありません。つまり、言葉の暴力です。また、次の「バーカ」という言葉には、イライラした気持ちや怒りの感情が含まれていて、それをぶつけてきているのです。やはり、自分自身を言葉で表現したとは、言えません。やはり、言葉の暴力でしかありません。Cは自分自身を言葉で表現することができていません。表現されていないのですから、自分自身を自分で眺めることもできていないのです。
こちらからの言葉も、Cの暴力に反応し、暴力をやめさせようとしている言葉だと考えられます。Cのストーリーをともに眺めようとする姿勢ではありません。感情をぶつけられることを避けようとしているのです。つまり、ここで生じている関係は「ともに眺める関係」ではなく、感情を「ぶつける-ぶつけられる関係」と呼ぶことができると思います。
なお、暴力を向けられたときにそれを避けようとすることはごく自然なことで、大人も自分自身の安心安全を確保することは大切なことです。その反応が悪いということではありません。ともに眺める関係ではないやりとりを分かりやすく説明するために例示させていただいております。
結局、2人のやりとりはうまくかみ合わず、すれ違いになって終わっています。こんなふうに、子どもから大人に暴言が向けられたときには、細かな違いはあっても、すれ違ったままやりとりが終わってしまうことが多いのではないかと思います。
自分自身について語ることができる場合
では、もしCがこんなふうに、関わってきたらいかがでしょうか?
このやりとりでは、Cは、まず「殴りたくなってくるんだよ」と自分自身の気持ちについて語っています。そして、「あいつが・・・・」と直前の出来事を説明してくれたのです。つまり、自分自身に降りかかってきた出来事をストーリーとして語ろうとしているのです。ここではともに眺める関係が生じていると考えられます。さらに、「本当に腹がたつ」とC自身の気持ちを語っています。Cが主人公として登場してくるようなストーリーが語られているのです。
ともに眺める関係では、子どもは自分自身や自分の感情について語ることができています。それは、感情や自分自身を相手にぶつけることとは違うのです。自分自身について、あるいは自分の感情について語ることができるからこそ、大人と一緒に、自分自身を眺め、自分自身について考えることができるのです。
感情をぶつけてくる場合の関わり方
では、子どもが自分自身や自分の感情をぶつけてくる場合に、大人はどのように関わっていけばよいでしょうか?
上述のように、暴言や暴力を向けられたときには、まずは大人であっても自分自身の安心安全を確保することが大切です。それができない場合には、子どもに安定して関わることができないからです。
安心安全が確保できる場合には、その子ども自身の様子や子ども自身の感情について穏やかに言葉として表現してみることをおすすめします。例えば、Cが「殴るぞ!」と暴言をぶつけたときには、「激しいね」とか、「腹が立ってるんだね」などとC自身の様子や感情について、言葉として穏やかに表現してみることも一つの方法です。もしかすると、Cがそれに応じて、自分自身や自分の感情について語ってくれるかもしれません。
しかし、残念ながらそういう可能性は少ないかもしれません。私の体験上、ただのすれ違いになってしまって、「ウザイ、ウザイ、ウザイ!」などと言いながら立ち去ってしまう可能性もあります。こういった場合に、子どもに関わり続けても、お互いの安心安全が脅かされてしまうので、深入りはおすすめいたしません。基本的には、また次の機会に関わりを持つことをおすすめします。
まとめ
子どもの話を聞くときには、子どもが主人公として登場してくるストーリーを聞くことが基本です。相手や状況について語られる場合には、話し手の子どもが何をして、どのような気持ちでいたのかに注目しながら、話を聞きます。そして、子どもが自分自身の感情をぶつけるのではなく、感情について語れるように促していくことが大切なのです。
執筆者プロフィール
好評を博した本連載を大幅に加筆・修正した書籍を刊行致しました。
半田一郎・著『子どものSOSの聴き方・受け止め方』四六判・212頁・2,310円(税込)
よろしくお願い致します。
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