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「多方向への肩入れ」と現実のとらえかた(駒澤大学心理学科教授:藤田博康) 連載:「多方向への肩入れ」の心理学〜家族の苦しみと回復 第1回

家族をはじめとする集団には、さまざまな立場の人がいます。力のある立場の人だけでなく、弱い立場にある人の声を公平に聞くためにはどうすればよいのでしょうか? 家族療法の考え方にヒントがあるかもしれません。
今月から月1回駒澤大学心理学科教授の藤田博康先生に「『多方向の肩入れ』の心理学~家族の苦しみと回復」と題して連載いただきます。
第1回は、ナージが提唱した多世代家族療法の文脈療法について紹介いただきます。また、ナージの「多方向への肩入れ」という概念についてもご解説いただきました。

はじめに

 「多方向への肩入れ」とは、多世代派の家族療法家とされる米国のナージというセラピストの提唱した家族面接における基本的なスキルです。カウンセリングや心理支援を必要とする家族は何かしら一筋縄ではいかない困難を抱えています。その家族の苦難の裏には、それぞれの立場からの事情や想いを抱えている一人ひとりの家族がいます。「多方向への肩入れ」とは、その家族一人ひとりが抱える事情や想いそれぞれに、すなわち「多方向」に、セラピストができるだけ公平に丹念に耳を傾け共感し、「肩入れ」しようとする姿勢や態度のことです。

 家族であろうと、他の集団であろうと、総じて優位な立ち位置の者、発言力のある者が力を持ち、良くも悪くも集団を方向付けるのは世の常ですが、それが深刻な問題や苦境を招いてしまうこともよくあることです。そこでは、たいてい弱い立場の者の声が抑圧されてしまい、その人たちの集団への貢献や献身が顧みられなくなったり、犠牲にされたり、搾取されたりもしがちです。

 「多方向への肩入れ」は、声の大きい者の主張をもしっかりと聴き入れる一方で、弱い立場であったり、ひそやかに心砕くもそれが誰にも気づかれることのないメンバーとの能動的な対話ややり取りによって、そのありようが寄り添われ、尊重され、共有され、セラピストのそんな態度や姿勢を通じて、その場に居合わせる家族が互いの抱える事情や想いを分かち合い、絆を再確認したり、新たな関係に開かれることを目指すものです。

 このたび、声の大きい者、権力を持つ者が支配し、総取りしてしまうような今の世の中で、あまり顧みられることのない、気に留められることのない、いわば弱い立場にあるような人々へのまなざしの大切さが、その「多方向への肩入れ」という言葉に込めれているのでは、という金子書房編集部のお声掛けにより、今回の連載を書かせていただくことになりました。

 この「多方向への肩入れ」を提唱したナージの「文脈療法」は、家族療法を主軸に据えた統合的心理療法の第一人者である平木典子氏によって我が国に紹介され、その流れを受け継いだ中釜洋子氏によってさらなる発展を遂げた統合的家族療法の一学派です。単なる家族システム論の見方にとらわれず、一人ひとりの情感や報われなさ、公平さや理不尽さなどの想いをも重視しながら心理支援を行うという、私たち日本人のメンタリティーにもよく馴染む心理療法でもあります。

 「多方向への肩入れ」のスキルは、今や学派を超えて、家族や複数の人との面接をする際には、是非身につけておくべき基本的態度ですし、その前提にある、親子関係、家族関係、人間関係における「倫理的な公平感」という考え方は、私たち一人ひとりの生きる苦しみや悲しみを理解する観点として、とても有用なものです。今回、改めて、「多方向への肩入れ」や、その基盤にある「文脈療法」の考え方を踏まえたうえで、心理支援や家族支援について、さらには私たちの苦しみがどうやって癒されるのか、幸せに生きるとはどういうことかなどについてお話しすることで、読者の皆さんの何らかのお役に立てれば嬉しいです。

ナージと「文脈療法」

 「多方向への肩入れ」に先立って、ナージの提唱した「文脈療法」の考え方について少しお話しておきましょう。より詳しい学術的な解説は、平木(1997)、中釜(1997,2000,2010)などの他書に譲り、この連載では、皆さんや身近なご家族の心の苦しみの理解や支援に少しでも役立つように、私なりにかみ砕いてお話ししてみようと思います。

 ナージはハンガリーに生まれアメリカに移住した精神科医で、医学を志す以前から、精神疾患の人たちが不当に苦しんでいることや、その解決に医学や心理学があまり役に立っていないことに関心を抱いていました。そこで、ナージは、治療におけるセラピストの信頼性の果たす役割に注目し、相手との対話や人間関係を大切にするとともに、人間の実存に関する深い共感を重視してセラピーを行いました。それとともに、私たちの心の苦しみが家族の中で世代を超えて引き継がれていくという現象を、問題や症状の理解と支援の鍵と考えました。そのため、ナージは「多世代派」の家族療法家の一人とされています。

 その意味で、「文脈療法」は、家族の関係性や相互作用に焦点を当てるものの見方(「(家族)システム論」)を踏まえながらも、同時に、一見それとは相容れないような個人の情感や実存的な側面などをも重視しているため、個人療法と家族療法の統合的理論と位置付けられています。

「現実(relational reality)」の捉え方

 さて、「システム論」で前提とされる、「現実」はさまざまな「関係性」や「相互作用」によって成り立っているという捉え方は、この世の中のすべての「できごと(事象)」に当てはまる数少ない真実です。私たちの抱える心の苦しみについて言えば、それらは単純に一つや二つの原因だけで生じているわけではなく、今私たちの周りで、あるいはもっと広い世界で起きているさまざまなこととも関連していますし、私たちの親の生き方や心の苦しみ、さらにははるか時を遡って私たちの生まれる以前の家族関係のありようなどにも影響を受けています。

 イメージとしては、かつて理科の授業で習った生態系の図を思い出すといいかもしれません。ある一つの事象は、他の数えきれないできごととの連関において成り立っており、もし、そのうちのどれかが変わってしまうと、その影響が連鎖して生態系全体に影響を及ぼします。同じように、私たちの生きる苦しみも、時空を超えた無数の「つながり」によって成り立っています。

 少し余談になりますが、その森羅万象の時空を超えた「つながり」に気づけば気づくほど、私たちの心の苦しみは軽減しますし、癒されます。私たち人間の心の苦しみは、おしなべて、自分のことをその本来の「つながり」から切り離して分化させてしまった「我執」から生じるからです。その分化の立役者は実は私たちが「言葉」を持ったことです。

 私たち人間は、そのさまざまな「つながり」に関して、そのすべてはもちろんのこと、その多くを認識することができません。だから、そのうち、私たちの脳が捉えることができ、かつ、言葉での表現が可能な有限の「つながり」だけに焦点を当て、今起きている「現実」を理解したり、説明したり、対処しようとするのです。

 最も単純明快なのは、そのうちのある一つだけの「つながり」に絞ってしまうことです。例えば、「いじめのせいで不登校になった」とか、「親の育て方のせいで不幸になった」などといった「現実」の捉え方はとても分かりやすく、多くの人が惹かれやすいものです。しかし、本来のもっともっと複雑で混沌としているリアリティは、そこにはあまり反映されていないので、心の回復にはあまり役に立たない現実の切り取り方なのです。

 ですから、心の回復や心理支援の秘訣は、まず、人の生きる苦しみ、心の苦しみをさまざまな「つながり」の側面から見ていること、さりとて私たちの言葉による認識の有限性を踏まえて、その理解と回復の鍵になりそうないくつかの関係性にいかに着目できるか、なのです。

 ちなみに、どんな関係性や「つながり」を見るのが、心の苦しみの理解や回復に役立つのかに関しては、ある程度、類型化、パターン化できるとらえ方があります。種々の心理療法理論は、そのパターン化された類型にほかなりません。それらは、多くの人の心の苦しみに共通するだろうと仮定した「つながり」を体系化して、理論と援助手法をセットにしたもののバリエーションです。

 ただし、そこで仮定された「現実」の捉え方が常にすべての人にとって役に立つものとは限りません。ですので、一つの心理療法理論は決して万能ではありません。だから、人によって、苦しみのありようによって、時期によって、支援や癒しの方法がアレンジされるのが正しいのです。

関係性の現実

 さて、「文脈療法」に戻りましょう。ナージは私たちの生きる苦しみの現実を、まさに「関係性の現実」と名付け、以下の4つの次元から理解しようとしました。

 まず、一つ目は、客観化可能な事実の次元です。これは、遺伝や器質的要因などの生物学的な事情、例えば、人種や性別、身体的な障害や病気、出生順位や親の死や離婚、あるいは、災害や戦争などといった歴史的・社会的事実などの既に起きてしまっていて動かすことができない客観的事実の観点です。当然、それら起きてしまった事実は、私たちの心の苦しみに大きく影響を与えます。

 二つ目は、個人の心理の次元です。これは、個人の性格傾向や自我の強さ弱さ、認知的情緒的な発達の度合い、不安や抑うつや人格障害の有無など、心理力動論や認知行動論、自己理論などいわゆる個人心理療法の知見で理解されうるような個人の心理のメカニズムです。

 三つ目は、交流パターンのシステムの次元です。これは個人のレベルを超えた家族関係や対人関係などの影響を重視するもので、いわゆる家族システムにおける力関係や距離感、境界や連合、コミュニケーションのパターンや悪循環、世代を超える連鎖などといった関係性や相互作用が、どのように家族や個人の問題を成り立たせているかといった視点です。すなわち、構造派、多世代派、コミュニケーション派などと呼ばれる一連の家族療法が明らかにしてきたような観点ですが、多世代派に属する文脈療法では、なかでも世代を超えて家族に受け継がれる悪影響を重視しています。私たちの心の苦しみには、このような家族関係や対人関係も大きく影響しています。

 最後に「関係倫理」の次元です。この次元はナージが、以上の三次元を包括する文脈療法の中核的次元として特に重視したものです。ですから、これからの話は、この第4次元が中心になります。

 「関係の倫理」とは、家族や人間同士の関係において当然配慮されるべき信頼感や信頼性のことであり、相互のやり取りにおいて、思いやりや配慮、貢献、労力など、受け取るものと与えるものとのバランスが取れているか、つまり「公平」であるかどうかです。ナージはその「不公平」「不平等」こそが、人の心の苦しみの根にあるのだと言います。

「公平さ」と収支の「赤字」

 例えば、親から虐待を受けている子どもは、そもそも親の不機嫌や理不尽な怒りを肩代わりして引き受けているという意味で、親に多大な献身をしている一方で、親からの愛情やケアはほとんどもらえていませんので、授受の収支のバランスは極端な支出超過、「赤字」です。「ヤングケアラー」とか「アダルトチルドレン」と呼ばれるような子どもたちも、親へのケアや気遣いで持ち出しが多い反面、親からの施しは相対的に少ないですので、やはり「赤字」です。

 そこまで極端ではなくとも、また、親子の間だけでなく、夫婦やきょうだいの間でも、さらには家族外のさまざまな人間関係においても、ある一人の気遣いや献身や精神的労力などといった支出が超過しているにもかかわらず、そのことに気づかれなかったり、やって当たり前とみなされたり、ときには搾取されてしまったりして、不公平、不平等な関係が続いている場合もあるでしょう。いずれにしても、収支の「赤字」を多く背負った者は苦しみます。

 なんといっても、そういう不公平が一番起こりやいのは家族の間です。情緒的に近い関係の家族は、甘えや依存の拠りどころでもある一方で、押し付けや強制、支配や搾取の場にも容易になり得るからです。

 実のところ、収支のアンバランス、多少の不公平や不平等は、どんな家族にも起こっています。でも、割と健康度が高い家族は、適当にその立場が逆転して攻守交代しているというか、収支が入り乱れるので、それである程度のバランスが取れ、一人の人に支出が集中して(一時的にはそういうこともあるかもしれませんが)、慢性の「赤字」状態ということにはなりにくいのです。あるいは、誰かが「赤字」を背負っていたとしても、他の誰かがそれに気づき、それに応え、報いようとするやり取りが自然と起こることが普通です。

 逆の言い方をすれば、問題のある家族、支援を必要とする家族は、誰かが「赤字負債」を引き受けているという「不公平」の状態が長く続いてしまっているのです。それが気づかれない場合も、黙認されている場合も、悪意に近く搾取されている場合もありますが、良くも悪くもそうして「家族関係」が維持されています。そして、「赤字」を背負わされたメンバーは心理的不調や不適応などさまざまな苦しみを抱えて生きることになります。虐待やDVなどが慢性的に起こっている家族は、その典型的な例でしょう。

 もしこのような「不公平」が家族ではなく、社会的な組織や学校などで起こっていたならば、比較的周囲から気づかれやすいでしょうし、問題として共有されやすいでしょう。ただし、「赤字」を負う者が、その集団に全面的に依存せざるを得ない関係だとすると、なかなか声を挙げられず、我慢したり、黙認されたり、搾取されたりすることが続いてしまいます。

 私たちの生きる拠りどころである家族では、そのようなことが容易に起こってしまうのです。自分が声を上げると逆に責められてしまうかもしれない、居場所が脅かされるかもしない、大切な家族の「つながり」が壊れてしまうかもしれない、とどこかで感じていたり、あるいは、自分が家族のために頑張ったり、尽くしたりするのは当然のことで、献身とか犠牲などとはつゆ思わず、自分の力不足、頑張り不足のせいで家族の苦境が続いていると自分を責めてしまうことすら起こるのです。

 こうして、赤字を負うメンバーの声は、ますます耳を傾けられることがなくなり、まるで、その人の貢献や犠牲などはあたかも存在しないかのような、誰にも理解されることのない深い苦しみを独り抱える日々が続いてしまいます。

 にもかかわらず、私たちはそんな深い苦しみの元となるような家族の「しがらみ」からなかなか自由になれないのです。家族には私たちがそう簡単にその「しがらみ」から抜けだせない「からくり」が潜んでいるのです。ナージは、それを「忠誠心」という概念で理解しようとしました。

(次回は、その「忠誠心」をはじめとする、「関係倫理」の次元で、私たちの心の苦しみを理解するためにナージが着目した鍵概念についてお話ししたいと思います。)

文献

平木典子 1997 文脈療法の理念と技法 -ナージ理論の神髄を探る,家族心理学年報 15,p180-p201,金子書房 
中釜洋子 1997 コンテクスチュアル(文脈派)アプローチの理解と臨床例への適用 家族心理学研究11-1 p13-p26
中釜洋子 2000 多世代理論 -ナージの文脈的アプローチの立場から 家族療法研究17-3  p218-p222
中釜洋子 2010  個人療法と家族療法をつなぐ-関係系志向の実践的統合 東京大学出版会

【著者プロフィール】

藤田博康(ふじた・ひろやす)
駒澤大学心理学科教授 専門は臨床心理学、カウンセリング心理学
著書に『幸せに生きるためのカウンセリングの知恵~親子の苦しみ、家族の癒し』など

【関連note】