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連載:作文で変わる不登校の子どもたち~書くことで自己と対話する【第4回】作文による自己対話がもたらすもの(教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー:林千恵子)

多くの不登校の子を支援してきた林先生は、子どもが作文を書くことで自分の心を見つめ、整理をつけ、不登校状態の解消につなげていく方法を考え出してきました。林先生の作文での支援について書いていただく連載の第四回です。

 教育支援センター(適応指導教室)で不登校支援を始めた当初、高校で再び不登校となり、退学してしまう卒業生の多さにショックを受けました。教育支援センターでは元気に活躍していた子どもたちです。高校を退学した理由も、中学校を不登校になった時と同じようなものでした。その子にとっての課題は解決されていなかったのだと痛感したものです。

「学びとケアの中間としての作文支援」に力を入れるようになって、子どもたちに大きな変化がありました。高校を中退する生徒が大幅に減ったのです。
 作文による自己対話は、子どもたちにどのような変化をもたらしたのか。第四回は、作文を書くことによる自己対話の効果と子どもたちの変化をお伝えします。

 なお、事例については個人が特定できないように、数名のエピソードを再構成しています。

一人語りと自己対話

 「一人語りはもういやだ。」と絞り出すようにいった子がいました。私が、「あなたの作文は、相手に伝えようという思いが感じられないな。」と作文の感想を述べた時のことです。

 つらい体験やいやなことを思い出しては、「どうして自分ばかりがこんな目に合うのか。」「自分はもうだめだ。」「これからどうしていけばいいのか。」と出口の見えない同じ思考を繰り返していたそうです。まさに一人語りですね。心の中に濃いモヤがたちこめていて、その中でうずくまってしまっているように感じました。

 不登校の子どもたちは、自分のことを考え続けているとよく言うのですが、それは一人語りであることが多いように感じます。

 一人語りが自己対話になるためには、心のモヤを見つめ、歩き出すことが必要です。つらさから見ないように避けてきた自分の心と向き合うことです。

文章が変わると、子ども自身が変わる

 作文による自己対話の可能性について私の目を開いてくれたのは、「くだらないルールで生徒を縛るような学校に行っても意味がない。」と話していた中学3年生です。

 当初の作文の内容は、学校のくだらなさや家族の無理解など被害者として周囲を批判する内容が多く、自分の思いはほとんど書かれていませんでした。

 「学校や周囲のことではなく、自分のことを書いてほしい。」と伝えた日から一か月以上、その子は作文が書けなくなってしまいます。書けないけれど、作文用紙に向き合い続ける。その子の中で何かが起こっているようで、私も見守り続けると決意しました。

 「自分なりに書けた気がするから読んでほしい。」と作文を渡された時には心からホッとしたものです。その作文は次のように始められていました。

 「今まで自分が不登校になったのは、学校が悪い、親が悪い、友達が悪いと思っていました。けれど、本当は自分が弱かったのだと思います。自分の弱さから手放してしまったものを高校生活で取り戻したいと心から思っています。」

 澄んだ美しい文章とその子のすっきりとした表情は、今も鮮明に覚えています。他者のせいにして、見ないように、感じないようにしてきた本当の気持ちをようやく見つめることができたのだと思いました。被害的な一人語りから自己対話に脱皮した瞬間です。

 「自分のことを書くように」と私に言われてから、何かがひっかかって作文が書けなくなったのだと話しました。いつも通りに書こうと思うけれど、何かがひっかかって書けなくなったのだそうです。「本当に苦しかった。」と話しました。

 作文が書けなかった一か月間、この子はしんどさに耐えながら、自分の中のひっかかりと向き合い続け、そのひっかかりが何なのか自問自答を繰り返していたのです。

 自己対話を通して、子どもたちは自分自身とつながり直すのだと実感しました。つらさから見ないようにして押し込めていた本来の自分を発見するといってもいいでしょうか。

 本来の自分とつながると、ありのままの自分を認められるようになるようです。

 被害的であった作文の内容も、自己対話が進んでくると、視点が自分に向けられるようになります。そして、自分の力でこれからを変えていきたいという思いが語られるようになっていきます。

 他人を変えることは難しいですが、自分を変えることはできます。自分の力でこれからを変えていけると思えたことは、大げさかもしれませんが、自分の人生を取り戻したということです。

「ひっかかり」 

 作文を書こうとした時に感じた「ひっかかり」とは何でしょうか。

 それは、作文に書かれている(書こうとしている)言葉と、モヤの奥にある自分の思いとのズレから生じる違和感なのだと考えています。

 私は、作文を介した子どもとの対話の中で「自分のことを書こう。」「もっとあなたにしか書けない作文を書こう。」「もっと自分の思いにしっくりくる言葉はないかな?」と語り掛けていきます。子どもたちからすると、「語り掛けられている」というよりは、「追い詰められている」といった気分かもしれませんね。

 それは見ないように回避してきたその子の本来の思いに揺さぶりをかける働きをしているのだと思うに至っています。

 揺さぶりをかけられて、本来の思いを見えなくしていたモヤが揺らぐと、違和感やひっかかりを覚えるようになるのです。しかし、そのひっかかりは、なかなか言葉にはならないようです。向き合うことがつらくて休む子もいますし、泣き出す子もいます。それくらい自己対話は苦しい道のりなのだと思います。

 作文による自己対話を重ね、一つのひっかかりが解消できた後、しばらく経つとまた違うひっかかりに悩む子が多くいます。成長の次のステージに進む時期なのだなぁと思います。一段のぼって、そこでの課題が見える。そして、またのぼってさらなる次の課題に出会う。

 子どもは自ら成長していく存在なのだと実感します。

 言葉を使って自分を語るのですが、書かれた言葉自身がその子に語り掛け、課題に気付かせてくれているようにも感じます。自分が書いた作文との対話。対話の先には、何らかの他者の存在が見え隠れしています。それは子どもたちが戻ろうとしている学校や社会であるのかもしれないですね。

 作文を書き続ける中で、時々「作文ハイ」のような状態になる子もいます。作文を書くことが楽しくて、もっともっと書きたくなるのです。「もっと良いものが書ける気がする。」という言葉が、「もっと自分は成長できると思う。」と言っているように聞こえます。本来の自分とつながる、そして新たな自分を発見して成長していくことは、それほどにうれしいことなのだと実感します。

不登校という経験を価値づける作文

 自己対話の中で、私が大切にしている作文のテーマがあります。それは中学校3年生に書いてもらう「中学校生活を振り返る」というものです。

 「中学校生活に思い出はない。」という子や、「いやだったことを書いたら何枚でも書ける。」という子もいます。しかし、この作文の目的は、自分の不登校という経験を一歩引いたところから眺めることです。

 このテーマで作文を書いてもらおうと思うようになったきっかけは、卒業後も中学校の前を通れない不登校の子どもが多くいることが分かったからです。実際は卒業しているのに、心が不登校であったという負い目から卒業できないのです。

 作文を書く前に、次のことを伝えます。

 この作文は、本当の意味で中学校とさよならするための自分のための作文であること。

 成長した今の自分から不登校の経験を振り返って、そこから何を得たか、そして、それを今後の人生の中でどう生かしていくかを考えてほしいということです。

 それぞれが思い思いの場所で取り組みます。50分程度で書き上げる子もいれば、2~3時間かかる子もいます。分量もまちまちなのですが、書かれた内容にいくつかの共通点があることに気付きました。

 一つ目は、自分に対する思いの変化です。

 「ダメなところも含めて自分なんだと気付いた。」「自分が少し好きになった。」「教育支援センター(適応指導教室)での経験の中で案外自分が何でもできると気付いた。」「自分に自信がもてるようになった。」
自分は自分のままでいいという感覚が芽生え、自分自身を認めることができるようになっていることが分かります。

 二つ目は、不登校に対する気持ちの変化です。

 「つらい思いをしたからこそ、困っている人の気持ちを理解できるようになった。」「不登校になって後悔していることもあるけれど、その中で得たことも多かった。」「不登校という経験をしたからこそ今の自分がいる。」「人とは違う道を歩んだ自分なりの考えを大切にしたい。」

 自分が不登校であったことを否定せず、そこに何らかの意味を見出そうとしていることが分かります。

 三つ目は、未来への希望です。「不登校というつらい経験の中で、とことんまで自分と向き合ったから、これから自分は頑張れると思う。」「自信をつけて、もっと自分を好きになって、やりたいことを自由にできる自分になりたい。」「不登校になっても夢はあきらめなくていいと分かった。自分の夢を叶えたい。」

 不登校であるという現実を引き受けて、希望をもって前に向かっていく覚悟が生まれています。

 そして最後に、他者への思いの変化も見られます。不登校になった時には、誰にも相談せず、一人で思いを抱え込んでいたけれど、これからは困った時に誰かに相談して頼ってもいいのだと経験を通して理解したと多くの子どもが書いています。

 自分への信頼、そして他者に対する信頼。作文による自己対話は、不登校という経験をその子の人生にとって価値のあるものとし、新しい場所へ漕ぎだしていくための多くの力をもたらしてくれます。

★著者プロフィール

林千恵子(はやし・ちえこ)
 教育支援センター(適応指導教室)教育相談員・スクールカウンセラー。中学校教員(国語)や様々な経験を経て、教育支援センター(適応指導教室)の教育相談員として20年以上勤務する。その間に出会った不登校の子どもと保護者、教員はそれぞれのべ900人に及ぶ。教育と心理学の間を行き来しながら「人と関わることで人は変わる」という信念の下、対話を積み重ね、多くの卒業生が社会的自立を果たしている。また、作文を通した子どもの自己対話の促進にも力を入れている。

 十数年前からは、適応指導教室の勤務と並行して公立小学校のスクールカウンセラーや巡回相談員も務め、教員研修や関係機関の研修講師、不登校親の会の世話役も行い、本年4月より、中学校内に新設された不登校の子どものためのスモールステップルームの巡回指導を開始した。

 昨年1月、不登校の子ども理解の軸となる「学習」「人間関係」「いじめ」「居場所」の4つのテーマを、実際の子どもの作文とともに考える著書『すきまから見る~「不登校」への思いこみをほぐす~』(東洋館出版社)を刊行した。

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