「歌のささやかな力」(渡邊芳之:帯広畜産大学教授)#立ち直る力
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「歌のささやかな力」(渡邊芳之:帯広畜産大学教授)#立ち直る力

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歌には、人の心を立ち直らせる独特の力があると思われます。そして、どんな歌をいつ、どのようなときに聞いたかによっても、その人の心模様とあいまって、豊かな思いを生み出してくれるのではないでしょうか。歌と心との関係について、渡邊芳之先生にご自身のエピソードを交えてお書きいただきました。

 非常勤で教えに行っていた看護学校の卒業式に出席して祝辞を述べてくれと言われたことがあり、光栄なことだと思って引き受けた。卒業生たちへの励ましの言葉を述べ終わって安心して来賓席に座っていると、「卒業生合唱」というアナウンスとともに、卒業生たちが「ブラザー・サン・シスター・ムーン」を歌い始めたので、自分は驚いて動けなくなってしまった。

 「ブラザー・サン・シスター・ムーン」はカトリックの聖人であるアッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)の若き日の信仰生活と恋を描いた1972年のイタリア・イギリス合作映画で、その主題歌としてイギリスのフォークシンガーであるドノヴァンが歌ったのがこの歌である。歌詞は日本語になってはいたが、間違いなくその歌であったし、卒業式のプログラムをよく見ると曲名も印刷されていた。

 聖フランチェスコと看護には特に関係はないと思うし、映画も看護には関係のない内容である。不思議に思って看護学校の先生方に聞いてみても「なぜこの歌なのかはわからないが昔から歌っている」というし、その学校を卒業したベテランの先生に聞いても「自分たちのときも卒業式で歌った」というのである。

 そこで私が思ったのは「卒業式でこの歌を歌おう、あるいは歌わせようと決めた人は、何を思ってこの歌を選んだのだろうか」ということだった。その人はこの歌を通じて卒業生や、卒業式の参列者になにを伝えようとしたのだろうか。しかし自分がそれを考えるまでもなく、歌う卒業生たちの表情には「それ」が確かに伝わっていることが見てとれたし、列席したわれわれもたしかに「それ」を感じていたと思う。それがなんなのかは言葉にはできないけれど、たしかにそれはそこにあった。

 東日本大震災が起きてからしばらく、私はテレビを見ないでNHKラジオ第1放送を聴いていることが多かった。テレビに繰り返し映し出される津波の画面や被災地の惨状を見続けるのがつらかったのだろう。ラジオも通常の放送はすべて中止して震災や津波の被害、原発事故の状況などを伝えていて、音楽がかかることもしばらくなかったと思う。それが、震災から3日か、もう少し過ぎてからだっただろうか、アナウンサーが突然「ここで音楽をお送りします」といって曲名を告げた。流れ始めたのはビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」だった。

 標題の通り、暖かい太陽の光を感じさせる、故ジョージ・ハリスン作の名曲である。もっとも、日頃からNHKラジオの情報プログラムで曲がかかる時には、一部の地方だけが対象の気象情報や交通情報をなど流す必要があって、他の地方では音楽を流しているということが多い。このときも東北の被災地では音楽の代わりに震災の被害や原発事故の情報を伝えていて、音楽は単にその「埋め草」であったのかもしれない。 

 しかしそのとき私は「いまこの時にこの歌を選曲した人が、情報の埋め草だから曲はなんでもいいと思って選んだはずはない」と思った。いま選曲者はわれわれに「暖かい太陽を感じさせるこの歌」を届けたい、聴かせたいと思ってこれを選んだ、それをいま自分が聴いている、と感じたのである。そしてそのことは震災の日からのいろいろなことで傷つき、弱ってしまっていた自分の心をたしかに癒し、元気づけてくれた。歌そのものよりむしろ「いまここでこの歌を選んだ人がラジオの向こうにいる」ということに、私は深く感動したのである。

 音楽の力、ということはよく言われるが、私はそうした力というのは「ごくささやかなもの」なのだろうと思う。幼い頃から音楽を聴くこと、演奏することに大変な時間と手間をかけてきた自分であるが、もし音楽がなければないで生きていくことはできるだろうと思う。そういう意味で「音楽がなければ生きられない」というような言葉には大仰なものを感じてしまうが、いっぽうで音楽は人生のさまざまな場面でささやかな癒しやささやかな励ましを与えてくれるし、われわれが生きることを少しだけ楽にしてくれる。

 前述の「ヒア・カムズ・ザ・サン」にしても、それが被災地で流れていたところで、そこで苦しんでいた被災者の皆さんを慰めるほどの大きな力はなかっただろう。しかしその歌の持つ「ささやかな力」が、ほんのもう少しの、ちょっとした支えや癒しを求める人を助け、その背中を押すことはあるだろうし、それは時には「誰かが誰かに向けて歌を選び、歌を届けること」によって成し遂げられることもあるのではないか、と先の2つの体験から、自分は思った。

 私は6年前に甲状腺がんと診断されて、甲状腺を全摘し周囲のリンパ節や食道への転移を切除する手術を受けた。手術前に危惧されていた発声の障害は運よく回避できたが、首の筋肉を大きく切り開いたことにより喉のコントロールができなくなって、歌を歌うことがほとんどできなくなってしまった。

 歌えなくなったことで、自分の音楽の聴きかた、とくに歌の聴きかたは大きく変わった。歌を聴きながらいっしょに歌ったりハミングしたりできなくなったことはとても味気ないことで、しばらくは歌ものの音楽を聴くことが減ってしまったくらいである。しかしそのうちに、歌わないで聴くことにも徐々に慣れていくとともに、それまでの「いっしょに歌って参加する」聴きかたでは聞き逃していた歌や曲の細部が聞こえてくるようになった。そのことで、歌い手が届けようとしているものに少し近づいたような気もする。

 病気のしばらく後から、私は地元のコミュニティFM局で年に数回、あるテーマにちなんだ歌を数曲選曲し、その歌の古いレコード(17センチシングル盤)をかけて聴かせるという「仕事」をさせてもらっている。聴かせる曲は古い洋楽ポップスであったり、70年代の日本のアイドルであったりさまざまだが、放送のだいぶ前から必死で歌を選び、レコードを揃え、そして顔も知らないリスナーに向けてその歌を届け、聴いてもらうという一連の行為を通じて、自分が「癒されている」ことをたしかに感じる。あのとき「ヒア・カムズ・ザ・サン」を選んだ人の切迫感にはとうてい及ばないだろうが、自分の選んだ歌が誰かにささやかな力を及ぼすことがあったらいいな、と思いながら、また次回のための選曲を考えている。

執筆者プロフィール

渡邊芳之(わたなべ・よしゆき)
帯広畜産大学教授。
心理学における「パーソナリティ」「性格」及び、それに関連する諸概念の用法とその問題点について研究している。派生して、心理学の研究におけるさまざまな概念、とくに「こころ」についての概念である心的概念の使用、研究の方法論の問題や歴史についても検討している。著書に『心理学・入門 改訂版』(共著、有斐閣)、『性格とはなんだったのか』(新曜社)などがある。

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